第三章 魔闘大会編

第25話「事前準備」

 大会まで、二週間を切った。


 その間、いくつは立ち止まる暇もなく、動き回っていた。早朝から走り込みと宿舎の掃除、日中はヒートレグで受講、六時限目ではカカシ相手に打撃を打ち込み、夕方に差し掛かる頃にはまた宿舎で仕事、すべてやり終えた頃にはベッドに頭から飛び込んで熟睡するという繰り返しだった。


 幾には懸念けねんがふたつあった。


 ひとつは、実戦での経験が少ないこと。六時限目にアーデルが敵役を務めて火の下級呪文バーンを投げてくれるのだが、どうにも遅いのである。加えて、コントロール性もいまいちだった。子供とキャッチボールをしているような感覚なので、練習相手にするには厳しいものがあった。


 かといって他の練習相手を探そうとしても、誰も相手にしてくれないのである。ゼラとの一戦がここまで響いてくるとはさすがに思わず、幾としてはため息をつきたい心境だった。


 ただ、魔獣を相手にする実戦訓練もあるということなので、そこで経験を積むしかない——と幾はひそかに考えていた。


 もうひとつは装備を整える必要がある、ということ。


 アーデルいわく、闘技大会では武具に制限がない。どんな鎧を着けようが、どんな武器を使おうが自由なのだ。学園で用意してくれる戦闘用の衣服や鎧などはあるにはあるが、幾にはどうしてもしっくりこなかった。衣服はともかくとして、鎧を着用するとなると動きが制限されてしまうからだ。


 ひとつめはさておき、二つ目についてアーデルに漏らすと——


「それなら、自分用の戦闘衣を作ってもらったらどうですか?」

「そんな店があるのか?」

「ありますよ、そりゃ。トキトーリならなんでもあると言っても過言ではないです! ……で、どんな感じで考えているんですか?」


 幾はあらかじめノートに描いた絵を見せた。この世界で戦っていくならば、これしかないだろうと思って。


 果たして——アーデルの反応は予想通りだった。


「……イクツさん、本当にこんな装備で挑むつもりですか?」

「ああ」

「いくらなんでも無謀すぎますよ! せめて胸当てとか——」

「それじゃダメなんだ。このバチと〈構え〉を活かすには、鎧は邪魔なんだ」

「邪魔って……」


 アーデルは大げさに天を仰ぎ、目元に手をやった。ちなみに幾とアーデルがいるのは食堂で、ちょうど昼食を食べ終えたところである。アーデルが元のテンションに戻るまで、幾はのんびりと紅茶を飲んでいた。


 やがて諦めたように、アーデルが言う。


「わかりました、魔闘衣屋まといやに行きましょう……」

「マトイヤ? 変わった名前だなぁ」

「ていうかイクツさん、お金あるんですか?」

「なんとかな」


 幾は鞄から、小さめの布袋を取り出した。モルガナが「おやつも買えないと困るだろうから」と言って、前借りさせてくれたのだ。おかげでイクツはトキトーリに来て初めて訪れた商店で、リンゴを毎日買うことができている。そのせいかあの店主とは、すっかり顔なじみになっていた。


 ただ——ムズウから受け取った金貨は未だに使っていない。


 アーデルは「うーん」とイクツの描いた絵を真剣に見ている。


「たぶんですが、一式いけるかもしれませんね」

「そうなのか?」

「いざとなれば、僕もお支払いしますから」

「いや、アーデル。それはダメだ」


 ぴしゃり、と幾は断った。学生同士で、金の貸し借りはリスキーすぎる気がする。それに——アーデルはやや、口の軽いところがある。下手なことをして言いふらされたりしたらたまったものではない。


 そんな打算を胸に秘めながら、幾は鞄を持って席を立った。


「とりあえず六時限目はパスして、その……魔闘衣屋ってのに行ってみよう。近く、実戦訓練があるんだろ?」

「ええ、本物の魔獣を相手に立ち回ることになります」

「なら、いい機会だ。この装備で大会を勝ち抜けるか、試す価値はある」


 ぐっと拳を握りしめる。


 それを見、アーデルは小さく首を傾げた。


「イクツさんって、そういう人でしたっけ?」

「え?」

「なんか、好戦的になったというか……元からそうだったかなぁ?」

「…………」

「あ、すみません! なんか変なことを言っちゃって。他意はなかったんです、失礼しました!」


 わざわざ頭を下げてきたので、幾は苦笑しながら「いいよ」と手を振った。


「もしかしたら、君の言う通りなのかもしれない」

「イクツさん……?」

「そろそろ四時限目だ。行こう、アーデル」

「はい!」


 アーデルも鞄を持ち、幾の後に続く。


 幾は内心で「そうかもな」と認めていた。


 この世界に来て〈ガルン〉、ヴァルガ、キスティ、ゼラと立て続けに戦った。ほとんど流れで魔闘まとう大会に出ることにもなった。ムズウの思惑も知ったし、そのために利用されていることへの怒りも芽生えた。


 そして——この世界で生き抜くために、幾は〈構え〉を用いた。本当ならば命あるものや人に向けて使うようなものではないのだ。だが、〈構え〉を用いれば用いるほど、バチ代わりに木の棒や棍棒を振るうほど、胸が高鳴っていく。興奮してくる。苦い記憶も蘇るが、どうしても——どうしても、かつて充実していた日々を思い出さずにはいられないのだ。


 純粋に太鼓が好きだった自分を、思い出してしまうのだ。


 本当の自分は、あの日々の中にいたのかもしれない。高校に入ってからは息を潜めるように過ごしていたが、この世界で生活していくことでかつての自分が開放されていく——ように思える。


 正直、楽しいと思わなくもない。未知の世界で生活していくことで、あの世界にはないものを得ていくことが、心底楽しいのだ。妹のことを――有瑠あるのことを、ほったらかしにしているという罪悪感が薄れてしまいかねないほどに。


「これでいいんだろうか……」

「え? 何か言いましたか?」

「なんでもないよ、ただの独り言だ」


 はぁ、とアーデルはぽかんとしていた。


     〇


「へぇ……面白いねぇ」


 魔闘衣屋はトキトーリの大通りからだいぶ離れた場所にあった。ガンデルの店よりも門構えは立派で、入り口にドラゴンを模した像が二体並んでいる。


 店内も負けてはいなかった。色とりどりのドレス、戦闘衣、鎧に兜、素材と思しき太巻きの布に、洗練された形の鉄を詰め込んだタルもある。天井にはオレンジや紫のランプがいくつも灯っており、足を踏み入れた時には思わず「おお……」と漏らしたものだ。


 店主は六十を超えていると思しき老婆だった。パイプで煙を吹かしており、豪奢なドレスに身を包んでいる。いくつかの指輪、宝石の入ったネックレス、金の髪留めと、見るだけで眩しくなるほどである。


 現在、老婆——ババルという名の——は幾のノートに目を通していた。そして口にした感想が、「面白いねぇ」だったのである。


「ぱっと見、防御を捨てているようにも見えるが……ふぅむ、これはなかなかどうして……」


 煙を吹かした後、パイプを置いてから「あんた、予算は?」


「こんな感じです」と布袋の中身を見せる。


「ギリギリだね。それも見越して、デザインしたのかい?」

「いやまぁ、このバチを活かすならこれしかないかなと思って」


 ババルは幾の腰に差したバチを見た。「ほぅ……」といかにも興味深そうだ。


「世界樹の枝で作ったものかい」

「っ……な、なんでそんなことがわかるんですか?」

めちゃあいけないよ、坊主。あたしぐらいになればその程度のことは見抜けるさ。……で、どうなんだい?」

「あっはい、僕の父親が作った失敗作で——」

「あんたには聞いてないよ。……で?」


 しょんぼりしているアーデルの肩に手を置いてから、「その通りです」と幾はうなずいた。


「世界樹の枝、そしてこの装備……この組み合わせは面白いねぇ。普通の神経じゃあこんなのは思いつかない」

見繕みつくろってくれますか?」

「ああ。予算ギリギリだけどなんとかしてみるとしよう。だけど、あんたの尻にあるそれなら、もっといいものを用意することができるがね」


 幾はババルの眼力に完全に脱帽した。ポケットには確かにムズウの金貨が入っているのだが——これを使ったら負けな気がしてしまうため、使う機会を逃している。


「いえ、今の予算でお願いします」

「……なかなか頑固だね。見どころがありそうだ」


 ただ、とババルは前置きした。


「これだと特注品になる。作り終えるのは早くても明日か、あさってというところだね」

「アーデル、実戦訓練は確か……」

「ええ、三日後です」

「なら、いいタイミングだね。……それでいいのかい?」

「はい、よろしくお願いします」


 幾とアーデルが揃って頭を下げる。


 ババルに前金を渡した時には、布袋はすっかり重さを感じないほどになった。「リンゴ一個しか買えねぇなぁ」とぼやくと、アーデルがぷっと笑った。


「イクツさん、本当にリンゴがお好きなんですね」

「ああ、あの味が忘れられなくてさ」

「だったら、ちょっとだけ顔を出しに行ってあげてはどうですか? どうせ通り道ですし」

「そうだなぁ。ちょっと挨拶にでも行くかな」


 二人は魔闘衣屋を出——トキトーリの大通りに戻った。

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