第三章 魔闘大会編
第25話「事前準備」
大会まで、二週間を切った。
その間、
幾には
ひとつは、実戦での経験が少ないこと。六時限目にアーデルが敵役を務めて火の
かといって他の練習相手を探そうとしても、誰も相手にしてくれないのである。ゼラとの一戦がここまで響いてくるとはさすがに思わず、幾としてはため息をつきたい心境だった。
ただ、魔獣を相手にする実戦訓練もあるということなので、そこで経験を積むしかない——と幾はひそかに考えていた。
もうひとつは装備を整える必要がある、ということ。
アーデル
ひとつめはさておき、二つ目についてアーデルに漏らすと——
「それなら、自分用の戦闘衣を作ってもらったらどうですか?」
「そんな店があるのか?」
「ありますよ、そりゃ。トキトーリならなんでもあると言っても過言ではないです! ……で、どんな感じで考えているんですか?」
幾はあらかじめノートに描いた絵を見せた。この世界で戦っていくならば、これしかないだろうと思って。
果たして——アーデルの反応は予想通りだった。
「……イクツさん、本当にこんな装備で挑むつもりですか?」
「ああ」
「いくらなんでも無謀すぎますよ! せめて胸当てとか——」
「それじゃダメなんだ。このバチと〈構え〉を活かすには、鎧は邪魔なんだ」
「邪魔って……」
アーデルは大げさに天を仰ぎ、目元に手をやった。ちなみに幾とアーデルがいるのは食堂で、ちょうど昼食を食べ終えたところである。アーデルが元のテンションに戻るまで、幾はのんびりと紅茶を飲んでいた。
やがて諦めたように、アーデルが言う。
「わかりました、
「マトイヤ? 変わった名前だなぁ」
「ていうかイクツさん、お金あるんですか?」
「なんとかな」
幾は鞄から、小さめの布袋を取り出した。モルガナが「おやつも買えないと困るだろうから」と言って、前借りさせてくれたのだ。おかげでイクツはトキトーリに来て初めて訪れた商店で、リンゴを毎日買うことができている。そのせいかあの店主とは、すっかり顔なじみになっていた。
ただ——ムズウから受け取った金貨は未だに使っていない。
アーデルは「うーん」とイクツの描いた絵を真剣に見ている。
「たぶんですが、一式いけるかもしれませんね」
「そうなのか?」
「いざとなれば、僕もお支払いしますから」
「いや、アーデル。それはダメだ」
ぴしゃり、と幾は断った。学生同士で、金の貸し借りはリスキーすぎる気がする。それに——アーデルはやや、口の軽いところがある。下手なことをして言いふらされたりしたらたまったものではない。
そんな打算を胸に秘めながら、幾は鞄を持って席を立った。
「とりあえず六時限目はパスして、その……魔闘衣屋ってのに行ってみよう。近く、実戦訓練があるんだろ?」
「ええ、本物の魔獣を相手に立ち回ることになります」
「なら、いい機会だ。この装備で大会を勝ち抜けるか、試す価値はある」
ぐっと拳を握りしめる。
それを見、アーデルは小さく首を傾げた。
「イクツさんって、そういう人でしたっけ?」
「え?」
「なんか、好戦的になったというか……元からそうだったかなぁ?」
「…………」
「あ、すみません! なんか変なことを言っちゃって。他意はなかったんです、失礼しました!」
わざわざ頭を下げてきたので、幾は苦笑しながら「いいよ」と手を振った。
「もしかしたら、君の言う通りなのかもしれない」
「イクツさん……?」
「そろそろ四時限目だ。行こう、アーデル」
「はい!」
アーデルも鞄を持ち、幾の後に続く。
幾は内心で「そうかもな」と認めていた。
この世界に来て〈ガルン〉、ヴァルガ、キスティ、ゼラと立て続けに戦った。ほとんど流れで
そして——この世界で生き抜くために、幾は〈構え〉を用いた。本当ならば命あるものや人に向けて使うようなものではないのだ。だが、〈構え〉を用いれば用いるほど、バチ代わりに木の棒や棍棒を振るうほど、胸が高鳴っていく。興奮してくる。苦い記憶も蘇るが、どうしても——どうしても、かつて充実していた日々を思い出さずにはいられないのだ。
純粋に太鼓が好きだった自分を、思い出してしまうのだ。
本当の自分は、あの日々の中にいたのかもしれない。高校に入ってからは息を潜めるように過ごしていたが、この世界で生活していくことでかつての自分が開放されていく——ように思える。
正直、楽しいと思わなくもない。未知の世界で生活していくことで、あの世界にはないものを得ていくことが、心底楽しいのだ。妹のことを――
「これでいいんだろうか……」
「え? 何か言いましたか?」
「なんでもないよ、ただの独り言だ」
はぁ、とアーデルはぽかんとしていた。
〇
「へぇ……面白いねぇ」
魔闘衣屋はトキトーリの大通りからだいぶ離れた場所にあった。ガンデルの店よりも門構えは立派で、入り口にドラゴンを模した像が二体並んでいる。
店内も負けてはいなかった。色とりどりのドレス、戦闘衣、鎧に兜、素材と思しき太巻きの布に、洗練された形の鉄を詰め込んだタルもある。天井にはオレンジや紫のランプがいくつも灯っており、足を踏み入れた時には思わず「おお……」と漏らしたものだ。
店主は六十を超えていると思しき老婆だった。パイプで煙を吹かしており、豪奢なドレスに身を包んでいる。いくつかの指輪、宝石の入ったネックレス、金の髪留めと、見るだけで眩しくなるほどである。
現在、老婆——ババルという名の——は幾のノートに目を通していた。そして口にした感想が、「面白いねぇ」だったのである。
「ぱっと見、防御を捨てているようにも見えるが……ふぅむ、これはなかなかどうして……」
煙を吹かした後、パイプを置いてから「あんた、予算は?」
「こんな感じです」と布袋の中身を見せる。
「ギリギリだね。それも見越して、デザインしたのかい?」
「いやまぁ、このバチを活かすならこれしかないかなと思って」
ババルは幾の腰に差したバチを見た。「ほぅ……」といかにも興味深そうだ。
「世界樹の枝で作ったものかい」
「っ……な、なんでそんなことがわかるんですか?」
「
「あっはい、僕の父親が作った失敗作で——」
「あんたには聞いてないよ。……で?」
しょんぼりしているアーデルの肩に手を置いてから、「その通りです」と幾はうなずいた。
「世界樹の枝、そしてこの装備……この組み合わせは面白いねぇ。普通の神経じゃあこんなのは思いつかない」
「
「ああ。予算ギリギリだけどなんとかしてみるとしよう。だけど、あんたの尻にあるそれなら、もっといいものを用意することができるがね」
幾はババルの眼力に完全に脱帽した。ポケットには確かにムズウの金貨が入っているのだが——これを使ったら負けな気がしてしまうため、使う機会を逃している。
「いえ、今の予算でお願いします」
「……なかなか頑固だね。見どころがありそうだ」
ただ、とババルは前置きした。
「これだと特注品になる。作り終えるのは早くても明日か、あさってというところだね」
「アーデル、実戦訓練は確か……」
「ええ、三日後です」
「なら、いいタイミングだね。……それでいいのかい?」
「はい、よろしくお願いします」
幾とアーデルが揃って頭を下げる。
ババルに前金を渡した時には、布袋はすっかり重さを感じないほどになった。「リンゴ一個しか買えねぇなぁ」とぼやくと、アーデルがぷっと笑った。
「イクツさん、本当にリンゴがお好きなんですね」
「ああ、あの味が忘れられなくてさ」
「だったら、ちょっとだけ顔を出しに行ってあげてはどうですか? どうせ通り道ですし」
「そうだなぁ。ちょっと挨拶にでも行くかな」
二人は魔闘衣屋を出——トキトーリの大通りに戻った。
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