第24話「幾の決意」
宿舎の前で、ヴァルガと
彼はこちらを見るなり、「ちっ」と舌を鳴らしてさっさと入っていってしまった。それを見ていた——
「まぁ、しょうがない。恥をかかせたんだからな……」
「ヴァルガ様とイクツさんがケンカしたこともすっかり広まっていますしね」
「……それ、誰が広めたの?」
「さぁ? たまたま見ていた人がいたとか?」
「……面倒だな」
幾はため息をついた。本当に——生徒間の噂話はすぐ広まる。キスティと戦ったことも、ゼラとやり合ったことも、彼らにとっての話の種になるのだろう。そのことを不愉快に思わなくもなかったが、同時に諦めてもいた。人の噂も七十五日というが——学生の身分には長すぎる時間なのだ。
宿舎に入り、「アーデル」と呼びかける。
「なんでしょうか?」
「ちょっと確認したいことがあるし、宿舎の仕事に取り掛からないといけないから、ここでいったん別れるか?」
「そうですね、イクツさんの邪魔をしてはいけないですし」
にこにこ顔で送り出してくれるアーデルに、「サンキュ」と手を振った。
幾がまず向かったのは、アルータとゼラの部屋だった。ノックして、「イクツ?」と返ってきた声はアルータのものだった。なぜ自分だとわかったのか、不思議だった。
「アルータ、入っても大丈夫か?」
「ええ、構わない」
入室すると、アルータは体をこちらの方に向けていた。机の上に教科書があったことから、今しがたまで勉強をしていたのかもしれない。「邪魔したかな……?」と尋ねると、「いいえ」と首を振った。
「あ、あのさ……」
「ゼラならまだ帰ってきてないわ」
「そう、か」
幾は次に続ける言葉が見つからなかった。何を言えばいいかわからなかった。ゼラと戦った直後のアルータの言葉がすべてなのだ。彼女自身が幾に勝負を仕掛け、魔法も使って、やり過ぎて自ら義手であることをばらしてしまった。
これはゼラの責任。
頭ではわかっていても——割り切れない。
「イクツ、今はゼラに近づかない方がいいわ」
「……そうだな」
「あなたは他にやるべきことがあるのでしょう。それを見失ってはダメ」
「……そう、だな」
ごまかすように頬を掻く。
そういえば、アルータと一対一で話をするのはこれが初めてだ。今まではずっとゼラが一緒にいたから。ゼラのいないアルータは——言っては悪いが、とても頼りないように思えた。
その内心を見透かしたように、アルータが微笑む。
「今日ね、久しぶりに一人で宿舎まで帰ったの。付き添おうとしてくれる人はいたんだけど、断った」
「……?」
「慣れている道のはずだったのに、怖かったわ。平気なふりをして、いつもより地面を叩いて、ようやく戻れた時にはほっとした」
「そう、か」
「そこで思ったわ。ああ、わたし、ゼラにこんなにも
「依存……」
「前や隣を歩かなくても、すぐ近くにゼラがいるっていうだけで安心できた。ゼラがいてくれるから、わたしはわたしでいられたの」
「…………」
「わたしも、しばらくゼラと離れた方がいいのかもしれない。……いつまでも一緒っていうわけにはいかないから」
幾はドアにもたれかかり、腕を組んだ。
胸の内で、何かが渦を巻いている。気持ち悪くてすっきりしない。そして、それをうまく言葉にできない。ただなんとなく、「それは違うだろう」と思っていた。いつまでも一緒にいられるわけじゃないから、距離を置いた方がいいだなんて。
それでは——寂しくないだろうか。
「アルータ」
「うん、何?」
「俺、仕事があるからそろそろ行かないといけない」
「そうね、怪我とかしないようにしてね」
「ありがとう。……それと、アルータ」
「なに?」
「俺が言うのもなんだけど……アルータとゼラはいい友達だと思う」
「…………」
「元はといえば俺が悪いんだから、もし、ゼラが帰ってきたら……あんまり責めないでやってくれ」
灰色の瞳が幾を見つめている。どこか寂しそうに。それから顔をうつむけて——「約束はできないわ」
「今の話を覚えておいてくれるだけでもいいんだ。……じゃ、俺は行くよ」
ドアを開けて、静かに閉めて、ふうっと息をついたところで——すぐ隣に、ミールがいた。目を閉じてぶすっとしていて、両手を固く組んでいる。
危うく心臓が止まるところだった。
ミールは目を開き、幾に向けてくいくいと指を動かした。あっという間に廊下を歩いていく彼女を、幾はただ追いかけるしかなかった。
そして、使用人専用の部屋に入って——「イクツ」
「あ、ああ……」
「あんまり
「…………」
「今日のこと、アーデルから聞いたわ。一方的にゼラがやったことでしょ? どうしてあなたが罪悪感を持つ必要があるの?」
「どうして、か……」
確かに、自分らしくもない。普段、学校に通う時には息を潜めるようにして生活していたはずだ。干渉せず、加担せず、肩入れせず、誰かのグループに入るわけでもなく。だから友達はいなかったし、必要ないと思っていた。
また、傷つきたくなかったから。傷つけるのも嫌だったから。
「ゼラと戦った時さ、すごくスッキリしなかった」
「……は?」
「なんとなくな、だぶって見えるんだよ。自分の姿が」
「イクツの?」
「ああ。……ミール、ここだけの話にしておいてほしいんだけど」
口に手を添え、ミールの耳に顔を近づける。彼女は神妙な顔つきで、ぴょこっと足先を立てた。
「俺の妹も、目が見えないんだ」
「……!」
「だからなんだよ。ゼラの気持ちが少しだけわかる。わかるからこそ、中途半端にしちゃいけないって思ってしまったんだ」
「イクツ……」
「俺の勝手なエゴだけどな」
ミールは足を地面につけ、ふぅとため息をついた。
「そこまで考えているなら、もう何も言えないわね」
「ごめん」
「あたしに謝ってもどうにかなる問題じゃないでしょ。……どうやってケリをつけるの? 今のゼラ……たぶんアルータがどんなにフォローしても、あなたへの怒りは収まらないと思うわよ」
「ゼラは間違いなく、大会に出てくる」
ミールははっと顔を上げた。
「やるとしたら、その時しかない。……もう一度、俺はゼラと戦うよ」
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