第19話「注視の中の自己紹介」
キスティから受けた怪我が治るまでには、三日を要した。アルータによれば魔法で回復させることもできるという話だったが、その分寿命が縮むということらしい。少し怖いので、それは遠慮しておいた。
治るまでの間、
特に気になったのは、キスティも言っていたディザスという国のことだ。ムズウが
三日間、教科書をひと通り読み終え、幾はようやくベッドから起き上がった。
脳にもダメージが残っているかもしれない、もう一週間ほどは安静にしておいた方がいいと医者からきつく言われたが、そんな悠長に待っているわけにはいかなかった。
まず、幾は早朝から走り込みと筋トレを始めることにした。宿舎の周りを五周したぐらいで息が上がったので、中学時代——太鼓を叩いていた時よりも——確実に体がなまっていることを痛感する。
「情けないな、この程度で息が上がるんじゃあ……」
筋トレもして、その後には宿舎での仕事だ。生徒たちの邪魔にならないように窓拭き、モップ掛け、備品の整理などを的確かつ迅速にこなす。当然、生徒たちから陰口を叩かれたが、そんなことを気にしている暇はなかった。
宿舎での仕事が終われば今度は学業。三日ぶりにヒートレグの門をくぐった時には噂の的となっていたが——幾はここでも聞こえないふりをした。今度は何者からの妨害に遭うこともなく、無事に校舎内に足を踏み入れることができた。
「ここが、ヒートレグ……」
赤みがかった白の柱と壁。真正面には誰かもわからない人物の像がある。右手、左手、そして正面に通路が続いていて、どこへ向かえばいいのかときょろきょろした。
「イクツ、こっちよ」
声をかけてきたのはアルータだ。当然のようにゼラもいる。アルータの足の先は左手の通路に向けられていた。
「おはよう、イクツ」
「ああ、おはよう」
「……はよ」
何気ないやり取りだったが——幾にとっては久しぶりに感じられた。友達、というのは気恥ずかしいが、少なくとも「おはよう」と言い合える関係というのは悪い気分ではない。
通路を歩く
「なぁ、ここでまず何をするんだ?」
「自己紹介でしょ?」
「お前、初日にいきなりキストウェルに痛めつけられたからな。お前のことを気にしている奴はウロウロいるぞ」
幾は瞬時に気が重くなった。自己紹介というだけでも嫌なのに、噂の的、注目の的となっているのだ。下手な振る舞いをすればこの先もっと動きにくくなる。
しかし——「大丈夫」
「何かあったらわたしとゼラでフォローするから」
「あたしもかよ!?」
「イクツ。だからあなたは気にせず、自分の思うままにやってみて」
見えていないはずなのに——アルータがこちらを振り返る。幾が怪訝そうにしていると、「ふふっ」と彼女は笑い声を立てた。
「知らなかった? わたしには第三の目があるの」
その言葉に幾は目を見張った。妹と同じ言葉——なんの根拠もないが、幾はそれが冗談のようには思えなかった。
ごまかすように首の骨を鳴らして、「あー、なんだ」
「もしもの時は……よろしく頼むよ」
「任せて」
「あたしは何もしねーからな」
アルータを先頭に、教室に辿り着く。二メートル程度の巨漢でも軽々出入りできそうな扉を開けると、教室中の視線が一斉にこちらに集まった。この時点でもう逃げ出したくなった幾だが——アルータに
「えっと、俺の席ってどこ……?」
「あそこだ。あたしと、アルータの隣が空いてる」
ゼラの指さした先は最前列の席。背中への視線が痛いであろうことはほぼ間違いないが、隣にアルータとゼラがいてくれるならば心強い。
「おーう、全員揃っているかぁ」
白シャツの上に黒のケープを羽織った男性が出てきた。どこかぼんやりとした雰囲気で、あまり頼りになりそうには見えない。
「おお、転校生もいるか。ちょうどいい、始業の前に自己紹介を済ませておいてくれないか?」
「はぁ、わかりました」
アルータとゼラが席に着くのを横目に、幾は改めて教室を見回した。好奇、かすかな敵意と警戒心、その他もろもろ——そういった視線を浴びて、幾は次のことを思った。
(帰りてぇ……)
だが、ここまで来た以上引き下がるわけにはいかない。
「ええと……シムラ・イクツです。よろしくお願いします」
自分でも大仰だと思うぐらい、深く頭を下げる。「それだけかね?」と教師から声が飛んできて、幾は体を戻しながら「それだけ、です」と言った。
すると――いきなり、「すみません!」と生徒の一人が手を挙げた。坊ちゃん刈りの、背丈が低く、しかし目が爛々と輝いている男子だ。
「はじめまして、僕はアーデルと言います! シムラ・イクツくんに質問をしたいのですが!!」
はきはきとして、教室中に響くような声音。こういった場で仕切るように声を上げられる人間というのは、幾には少し苦手だった。単なる目立ちたがりなだけならばまだいいのだが、良いことも悪いこともスパッと言ってしまうようなタイプに思えて仕方なかったのだ。
しかし、「それは後にしとけー」と教師が一蹴したので幾はほっとした。
「シムラくんにはアルータくんと、ゼラくんの隣に座ってもらうことになるが、いいかね?」
「はい」
それは願ったり叶ったりである。両隣とも知らない人で挟まれるというのは、幾でなくても気が弱くなるものだ——たぶん。
教師は講壇に立ち、「じゃあホームルームを始めるぞ」と告げた。
席についた幾はまずゼラの方を見てみたが、彼女は相変わらず知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。むしろ退屈そうにしている。諦めてアルータに首を向けると、彼女はささやくように「これからよろしくね」と言った。
「ああ……よろしく」
異世界に飛んでも学業。しかも帰った後には宿舎での仕事。さらに一か月後には
考えるだけで気が重くなるが、少なくとも一人ではない。
一人ではない——というのは、こんなに心強かっただろうか。
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