第18話「幾の意地」

「ちょっとイクツ、どーしたのその怪我!?」


 ゼラに肩を貸してもらって(当然、あからさまに嫌な顔をして)宿舎に戻った時、ミールが急ぎ足でこちらに向かってきて——そう叫んだ。あまりにも大きな声だったので、他の生徒も振り返るほどだ。


 ひそひそ話が聞こえる。「あれが噂の……」とか、「キストウェル様とやり合ったんだって……」とか、そういうのだ。すっかり有名人になってしまったことで、いくつはもう勝手になんでも噂してろ、と半ば投げやりの心境になっていた。


「ちょっと、ゼラ! アルータ! 一体どこのどいつよ、イクツをここまで痛めつけたのは!」

「キストウェルだよ」


 ゼラの投げやりな返答に、ミールはぽかんと口を開けた。「キストウェル様と……?」と信じられないような口ぶりで、幾の体をまじまじと見る。


「確かにこれは魔法による痕じゃない……本当に、あのキストウェル様と?」

「話は後だよ、ミール」


 二階からモルガナがゆっくりと一段ずつ下りてきた。


「手ひどくやられたもんだねぇ。まだ一日目なのに」

「その……面目ないです」

「言ってもしょうがないじゃないか。……ミール、とりあえずイクツを部屋に運んで寝かせてやりな。ゼラ、ここまでご苦労だったね」

「ほんとだぜ。こいつ、けっこう筋肉がついてやがるからな。表面はデブのくせに」

「デブは余計だ……」


 ゼラはミールに幾を預け、「ああー」と肩を回す。やはり、それなりに重労働だったろう。


「あ、あのさ……ゼラ」

「あんだよ」

「あ……その、ありがとう」


 その一言は予想外だったらしく、ゼラの眉がぴくっと上がる。なぜか舌打ちをされ、「勘違いすんな」


「アルータがどうしてもって言うからだ」

「それでも、だよ」

「イクツ。……ゼラは恥ずかしがっているのよ」


 アルータの言葉に、ゼラが耳まで真っ赤になる。「何を言ってんだ!」と大きな足音を立て、わなわなと拳を震わせる。その一方でアルータはくっくっと笑い声を立てていて——幾はどうしたらいいのか途方に暮れた。


「とりあえず、部屋に行きましょ。イクツ」

「あ、ああ……」


 ミールに肩を貸してもらい、足を引きずりながら廊下を歩いていく。背後でゼラが何事かわめいていたが、激痛のせいでそれどころではなかった。


 もう少しで使用人の部屋だ——と思っていたら、ミールはその部屋を素通りした。「あれ?」と声を出すと、その反応を予期していたように「あなたの寝る場所はここじゃないわ」と言う。


 そうして連れていかれた場所は個室だった。絨毯張り、ベッドも一人用のみ、さらにはトイレや浴室も完備という、至れり尽くせりの部屋だ。


「なんじゃ、これ……」

「あなた、今日からヒートレグの生徒でしょ。いつまでも使用人の部屋を使わせるわけにはいかないじゃない」

「いや、俺はあの部屋でもいいんだけど……」

「ぶつくさ言わない! いいから寝てなさい!」


 半ばミールに押しつけられるようにして、幾はベッドに横たわった。その途端、ぎゅるうと腹の音が鳴る。朝食は済ませていたが、それ以降は何も食べていないことに幾は遅まきながら気づいた。


 ミールは呆れ顔で、それでもどこか安心したような微笑みを浮かべている。


「こんなんで食事できるかはわからないけれど……とりあえず、食べ物を持ってくるわ」

「あ、ありがと……」

「礼なんていいわ。生徒のために尽くすのがわたしたちの仕事よ」


 そう言うや、ミールは素早く部屋から出ていった。


「礼なんていい、か……」


 幾はその言葉に、かすかな寂しさを覚えた。


     〇


魔闘まとう大会に!?」


 割り与えられた個室の中——ミールと、そしてゼラが声を揃える。アルータは白杖を握る手に、きゅっと力を込めた。この三人がなぜ揃っているのかはわからないが、幾はひとまずミールの持ってきたパンを口に運ぶ。


「一体なんで!? どうしてよ!?」

「キストウェル——いや、キスティに命令されたんだ」

「キスティ呼ばわりかよ!? 一体、どんな話をしたんだ!?」

「落ち着いて、二人とも。イクツが話しにくい」


 アルータにいさめられ、ミールとゼラはしぶしぶ丸椅子に腰かけた。


 幾はパンにバターを塗り、口に運んでから話を再開する。


「一か月後の大会で優勝すれば、〈纏石まとうせき〉が手に入る。キスティに勝てば、彼女がその〈纏石〉を加工してくれる人を紹介してくれるっていうんだ」

「なんでそんな無茶苦茶なことを……!」

「わかってんのか、お前。キストウェルに勝つとか優勝するとか、並大抵じゃないんだぞ。しかも大会は一か月後。どう逆立ちしたって、お前が勝ち残れるとは思えない」

「わかってるよ。……参考までに聞きたいんだけど、これまでの大会での優勝者って、誰?」

「二年連続でキストウェル様だったわ。そこらへんの男子じゃあ、相手にならなくて……得意の蹴り技であっという間に勝ち上がっていった」

「他に優勝候補は?」

「いないこともないけど、キストウェル様と比べたら……」

「なら、いけるかもしれない」


 幾の発言にミールは唖然とし――ゼラはぎり、と歯を鳴らした。いきなりベッドに片足を乗せ、幾に掴みかからんばかりに身を乗り出した。


「あたしじゃあ相手にならないとでもいうのか!?」

「ゼラも出るの?」

「当たり前だ! 去年、もう少しで優勝を掴めるところだった! それをあのキストウェルが横からかっさらっていったんだ! あの足技にお前が対応できると、本気で思っているのか!?」

「まともに受ければ負ける。だったら——受けなければいいだけの話だ」

「なに?」

「ゼラ。……どうやらイクツには何か考えがあるようよ」


 アルータのフォローが、今の幾には染みた。頬をかきつつ「ありがとう」と言うと、彼女は薄く微笑んだ。しかし、ゼラの怒りは収まらない様子だ。


 ふと——ミールが膝の上で手を組んでいることに幾は気づいた。彼を見上げるその目は、不安に揺れている。


「ねぇ、イクツ。どうしてそんな無茶をするの?」

「…………」

「あたしがあんなこと言っちゃったから? あたしのせいなの?」

「ミール、なんの話だ?」

「ゼラ、静かに」


 幾はミールの肩が震えているのを見、どう声をかけたらいいものか迷った。こんな状況は初めてだし、何を言うのが正解なのか見当もつかない。


 どう言ったら安心させてあげられるだろう——わからないが、きちんと自分の言葉で言う必要がある。


「ミール、それは違う。君のせいなんかじゃない」

「でも……」

「どうするかを選んだのは俺なんだ。どうしたいかも、俺が決めた。……俺はあのまま使用人として働くこともできた。けれど、そうしなかった。このままじゃ終われないって思ったから」

「…………」

「ここでやらなくちゃいけないことを見つけたから」


 ミールはしばし答えなかった。アルータもゼラも、口を閉ざしている。


 やがて——「怖い目に遭うのよ」


「今よりももっと怖い目に遭うかもしれない。痛い目に遭うかもしれないのよ……」

「だろうな」

「じゃあ、なんでよ……!?」

「そう言われてもな……」


 困ったように頭を掻いていたら、「もういい!」


「イクツなんか、キストウェル様にもう一回けちょんけちょんにやられちゃえばいいんだから!」

「初めて聞いたな、けちょんけちょんだなんて……」

「もう知らない! イクツのバーカ!」


 立ち上がった衝撃で椅子が倒れる。ミールはわき目も振らず、そのまま幾の部屋から出ていってしまった。


 三人はしばらくドアをじっと見て——「参ったな」


「言葉の選択、間違えたかな……」

「いいえ、イクツ。あなたは自分の言葉できちんと答えた。それでいいと思う」

「けっ。自分がどうするかなんて、自分で決めることだ。そんなの当たり前の話だろーが」


 幾は食器の乗ったトレイに目を落とし——むっくりと首を天井に向けた。


「難しいな、色々とさ」

「そうね、同感する」

「難しい話はゴメンだ。あたしたちはそろそろ行くぜ。……アルータ」


 アルータはゼラの手を借り、立ち上がる。白杖を手に持ちながら、「イクツ」と呼んできた。


「わたしたちに手伝えることがあったら、言って。力になるから」

「……ああ、ありがとう」

「今日はゆっくり休んでね。……おやすみなさい」


 二人は部屋から出——ようやく幾は一人になった。まだ余っていた料理を平らげて、ベッドの背に体を預けた。


「やれやれ……」


 自分と同じ顔の少年に異世界に吹き飛ばされ、その先でいきなり化け物に襲われ、使用人として働くこととなり、なぜかヴァルガに目をつけられる。その次の日に学園の生徒として通い、そこで出会ったキスティに決闘を申し込まれる。


 散々である。なんとなく思い描いていた異世界生活とはまるでかけ離れている。


 だというのに、この充実感はなんだろう。胸の奥で、熱くくすぶっているものはなんだろう。太鼓を——純粋な気持ちで——叩けていた時と同じぐらい、ふつふつと何かが燃え上がっている。


「大会まで一か月後、か……」


 とことんまで鍛え直す必要があるな、と幾はつぶやいた。

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