第17話「キストウェル改め、キスティ」

 見知らぬ、天井——


 そういえば国内でも有名なアニメにそんなサブタイトルがあったな、とぼんやり思い出す。しかしまさか自分がその光景を見る羽目になるとは思わなかった。


 ここはおそらく、ヒートレグの医務室だろう。ほのかに医薬品の香りがして、いくつはベッドに寝かされている。窓の隙間からそよ風が吹いていて、ほんの少しだけ痛みを忘れられそうな気がした。


 それにしても——だ。

 

 入学初日にいきなり戦いを申し込まれ、〈構え〉が通用しなかったばかりか、とどめに蹴りを食らわされる。


 散々である。完敗である。


 けれど、不思議と悔しいという感慨はわいてこなかった。痛みのせいでそれどころではないというのもあるが、キストウェル——彼女の蹴りがあまりにも見事だったからだ。


 中学の時、地元で和太鼓コンクールが開かれたことがある。


 全員のリズムを揃えるのは当然だが、それには様々な条件がある。腕の高さ、振りの速度、角度。そして腰、足にかける重心のバランス。それらをシンクロさせる、というのが大きな条件だ。


 それはなんとなくでも、一朝一夕で身につくものでもない。事実コンクールに参戦している別の団体は、そんなことは当たり前とでもいうように息を揃えていた。


 太鼓の腕とキストウェルの足技とを比較するのもおかしいが、彼女のは輪をかけて流麗だった。当たり前の話だが、力を込めれば込めるほどその反動は大きく、姿勢が崩れやすい。


 しかしキストウェルは、自分の蹴りの威力がどれほどのものなのかを心得ている。だから姿勢を崩さずに連続で攻撃を続けられる。


 しかもあれだけ動いて、息ひとつ乱れていなかったのだ。


 自分にできるか? あんなことが——


 さっきよりも天井を注視していたところにノックの音がして——幾はドアの方に首を向けた。アルータとゼラが入ってくるところで、しかも後ろにはなぜかキストウェルまでもがいた。


「う、ぐ……」

「ダメよ、無理に動かないで、イクツ」

「そうそう、わたくしの蹴りが頭に入ったのだから当然のことよ」

「どの口が言うんだ、まったく……」


 幾は寝たままの状態で、三人の顔をそれぞれ見た。


「どうしてここに?」

「友達を心配して、来てはいけないの?」

「あ、いや、その……」


 幾は戸惑った。こんなにもはっきりと「友達」と言われるなんて小学校以来だ。少なくとも自分なら絶対に言えない。


 言えないけれど——お礼なら言える。


「……嬉しいよ、ありがとう」

「どういたしまして」

「まったく、ヴァルガの次はキストウェルかよ。お前、つくづく運がねぇな」


 ゼラがはぁっと息をつくと——隣でアルータが小さく笑い声を立てた。


「ゼラったら、そんなことを言って。真っ先に飛び出して、イクツを抱えてここに運んできたくせに」

「ばっ……アルータ! お、お前がイクツのことを気にしてっから……!」

「わたしは何も言ってなかったけど?」

「あ、そうなのか……」

「勘違いするな、イクツ! お前に何かあれば、アルータが不安がるだろうが!」


 厳しく指先を突きつけてくる。これが俗にいうツンデレというやつだろうか——と、幾は無関係のことを思ってしまった。たぶん、違うような気がする。


 そして今のやり取りをよそに、キストウェルが先ほどからこちらを面白そうな目で見下ろしている。


 そもそも彼女は普通以上の——いや、海外のスーパーモデルといっても通用するだろう美貌の持ち主なのだ。女性経験が圧倒的に少ない身としては、まじまじと見つめられると、とても冷静でいられなくなる。


「シムラ・イクツ」

「は、はい……!?」

「あなた、まだ本気を出してはいなかったわね? ……というより、出せなかったというのが正確かしら?」


 身を固くしたのを図星と見たようで、「武器があれば話は別だった?」


 しかし、幾はぎこちなく首を横に振った。


「いえ……例えあの場に武器があったとしても、負けていたと思います」

「はっきりと言うのね。嫌いじゃないわ。ところで……約束の話だけど」

「約束?」

「あなたの知りたいことを教える、という約束よ」


「ああ……」と空気を漏らすような声で幾は小さくうなずいた。


「でも、俺は負けました。だから俺に聞く権利はないはずです」

「きっちりしているわね。頑固ともいうのかしら。でも、わたくしはあなたのことが気に入ったのよ。イクツ」


 彼女は微笑んだ。気を抜けば見惚れてしまいそうなほどに。


「アルータとゼラから、大体のことは聞いておいたの。あなたが異世界から来たのだということを」


 幾はアルータの顔を窺い見た。彼女は小さくうなずいている。ゼラはどこか居心地悪そうに、腕を組んでいた。


「普通なら取り調べを受けて、その後しかるべき処置を取る。それが常道だけれど……あなたはなぜかこの国直々の印を受けて、この学園に入学することを許された。あくまでもわたくしの推測に過ぎないけれど、異世界から来たということと、関係があるのではなくて?」

「……たぶん」

「そのきっかけとなったのは、おそらく……」

「ま、待ってくれ——痛ッ!」


 幾が自分の言葉を遮ったので、キストウェルは不満げに眉を寄せた。ぜえぜえと息を吐きつつ、幾はキストウェルを見上げる。


「ここから先の話は、二人だけにさせてくれないか? ……俺と、あなたとで」

「……へぇ?」

「おい、何を言っているんだイクツ! あたしたちにも聞く権利はあるだろーが!」


 がなり立てるゼラだったが——かつん、と白杖の音がした。


「ゼラ。イクツがそう言うのなら、わたしたちは退席しましょう」

「でもな……!」

「大丈夫。イクツは隠し事がしたくてそうする人じゃないから。いつか折を見て話をしてくれると思うから。……違う?」

「……うん。ごめん、アルータ。ゼラも」

「……ちっ」


 アルータは立ち上がり、まだ不満げなゼラと共に病室から出た。その間にキストウェルは窓を閉め、おまけにカーテンも閉じる。


「これでいいのかしら?」

「ああ……ありがとう」

「よほど聞かれたくないことらしいわね。……ムズウについて」

「……あいつは一体、何者なんだ?」


 キストウェルは——椅子があるにも関わらず――ベッドに腰かけ、優美な手つきで金髪を耳にかけた。


「平たく言えば国賊こくぞくってところかしら。元々はディザスという国で宰相さいしょうを務めていたらしいけど……なんでも国——いや、世界を揺るがすほどの秘宝を盗み出したとか」

「秘宝……?」

「信じられないような話だけど、この世界とは異なる世界との境界線を越えてしまうというものよ」

「な……」

「アルータとゼラから話を聞くまで、半信半疑だった。でも、今なら信じられる。ムズウは何かしらの目的があって秘宝を盗み、各地で暗躍している。そしてあなたはそれに巻き込まれた状態。違う?」

「いや、合っています。でも……なんで俺が、ムズウと関係があると思うんです?」

「ディザスは秘密主義の国。スパイを送り込んで、ようやく掴んだ情報なの。でも、異世界から来たあなたと、世界の境界線を飛び越える力を持つムズウ。無関係だと思うのは少々無理があると思わない?」

「……確かに」


 不意に、キストウェルが立ち上がり、「残念だけど」


「ムズウについてはこのぐらいしか知らないの。なにせ、父の知り合いの話を盗み聞きしたものだから」

「……それって、けっこうマズいんじゃあ」

「そうね。だから実際に確かめてみたくなったの。あなたを」


 ずい、と顔を近づけてくる。薄いピンク色の唇が迫ってきて——どこにも逃げ場がないのに、幾はつい体を引こうとした。


「一か月後に魔闘まとう大会があるわ」

「……?」

「大会は二種類あるの。魔法の技術を比べる魔法部門と、剣術や体術を競う闘技部門。わたくしは当然後者に出るわ。魔法よりも体術の方が性に合っているから」

「あ、うん、そうでしょうね……」

「そこでイクツ、あなたこの闘技部門に出なさい」

「はぁ!?」


「出てみない?」という提案ではなく、命令である。とっさに体を起こそうとして——痛みのせいで失敗した。そればかりか枕の横にキストウェルの手が沈み――彼女の顔がさらに迫ってくる。


 嗅いだことのない甘い匂い。さらに彼女の髪が垂れて、幾の顔にそっと触れる。


「忘れたの? あなたはわたくしに負けたのよ。敗者は勝者の言うことに従うものよ」

「そんなこと言ったって……! 俺が大会に出ても勝てるわけが——」

「イクツ」


 目と目が交錯し、下の名前で呼ばれる。それだけで心臓が止まりそうになった。


「一か月後、といったでしょう。時間はあるわ」

「…………」

「それにこの大会の優勝賞品は、これからのあなたの戦いに決して欠かせないものになると思うのよ」

「……なんですか、それは?」


 キストウェルはようやく顔を離し、垂れた髪を元に戻した。


「〈纏石まとうせき〉と呼ばれるものよ」

「まとう、せき?」

「その名の通り、あらゆる魔法を纏う力を持つ石。魔気まきを吸収する性質があり、魔法を当てればそれ以上の魔気を放出するもの。剣や槍の先端に仕込む人もいるわね。ちなみにわたくしも持っているわ」

「なんで俺がそんなものを……」

「面白いことを考えついたのよ。……あなたの〈構え〉を見て」


 キストウェルは長い足を組んだ。


「〈纏石〉は周辺に魔気がないと、ほとんどただの石と変わらないの。例えばここに〈纏石〉があったとしても、空気中の魔気が少なすぎるからせいぜい火を灯すことぐらいしかできないわね。魔法を浴びなければ意味がないし、強い魔法を浴びせると大惨事になりかねないから、使いどころが難しいものなの」

「はぁ……」

「そして、武器との組み合わせにもよる。ただの剣では〈纏石〉の力に耐えられない。生半可な武器では意味がないの。……そこで、あなたがわたくしに勝った場合、あなた専用の武器を作る手はずを整えるわ」

「俺専用の……?」

「その素材が届くのも、ちょうど一か月後。しかも、その加工ができる人が来るのも一か月後。これは運命としか思えないわね」


 口に手を当て、優雅に笑う。


 勝手に話が進んでいる——それはわかっていたが、今の幾には逆らうだけの気力がわいてこなかった。このキストウェル相手では、何を言っても無駄としか思えない。


 それにしても——魔闘大会だなんて。


 考えるだけでも鳥肌が立つ。野蛮だ、野蛮としか言いようがない。そんな大会で戦って、しかもこのキストウェルに勝つだなんて。どう考えても無謀だ——数日前まで、何も知らない状態でこの異世界に飛ばされたばかりだというのに。


 不意に、めまいが起こった。色々考えすぎたせいなのか、枕に頭が沈み込む。


 それを見たキストウェルが、体をドアの方に向けた。


「イクツ、わたくしはあなたに期待しているわ」

「……?」

「だから失望させないでちょうだい。わたくしの蹴りにあそこまで耐えた人間は、なかなかいないのよ」


 そう言って立ち上がったところで——「そうそう」


「わたくしのことは『キスティ』って呼んでくれて構わないわ。わたくしも、あなたのことをイクツって呼ぶから」

「はぁ……」

「じゃあ、またね。イクツ。……一か月後を楽しみにしているわ」


 今度こそ、キストウェル——もとい、キスティは部屋から出た。


 幾はため息をつきながら、目を閉じた。


 なんだかとても疲れてしまった。体中痛いし、混乱もしている。少しも心身が休まる暇がない。この世界に来てからひとつも、いいことに巡り合えてないような気がする。


 登校一日目がこんなことでは、先が思いやられる。

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