第15話「都市学園ヒートレグ」

 学校に通うというのは——あまり気が進まない。


 というか、大半の生徒がそうだろう。楽しくて楽しくて学校に通っている人なんかいない。いるとしてもそいつは友人にも恋人にも恵まれた、勉学もスポーツも万能な奴だけだ。もしくは何かに秀でている奴。目標となるものがある奴。


 生きることが——楽しいって奴。


 もちろんいくつ自身、それが偏見であることはわかっている。わかってはいるが、どうにも気が乗らないのだ。ミールから軽く聞いた限りだと、ヒートレグという学園は優秀な生徒が集まるということで、ますます気が滅入る。しかもこの国——ヒガンの印入り入学許可証をぶら下げて。


 やや目に馴染んできたトキトーリの街並みを抜けて、そこからは一本道。両側には田畑や林があってのどかに思える。しかし、目と鼻の先に天を突くような塔があって、その周りは厳重な塀で囲まれている。誰かに聞くまでもなく、あれがヒートレグなのだろう。


 モルガナの言葉を借りれば——そこでどんな講義が受けられるかというより、どんな人がいるのかが幾にとっては重要だった。


 こないだのヴァルガみたいに嫌味たっぷりに絡んでくるような奴とは相手にしたくない。誰からの注目を浴びるでもなく、ひっそりと学びたい。自分が優秀だなんて思ったことはないし、一芸に秀でているとしても見せびらかしたくはない。


 出る杭は打たれる。


 どこの世界でもそういうものなのだと、幾はそう決め込んでいる。


「おはよう、イクツ」


 背後からかかってきた、優しい声音。振り返るとアルータと、そしてむすっとした表情のゼラがいた。


「あなたもこの学園に通うことになったのね」

「ああ、まぁ……なんでかそういうことになった」

「自分でもわかってないのかよ。呆れたもんだぜ」


 なんとなく、三人で並ぶ。一人でいるよりは少人数の方がまだ目立ちにくいかもしれない。ヒートレグに向かう学生は他にもいて、談笑したり、ふざけ合ったりしている。たまに、こちらを見てひそひそ話をする生徒もいるが——幾は努めて、気にしないふりをした。


 ふと、アルータがやや先頭を歩いているのが気になった。いくら白杖があって、すぐ近くにゼラがいるからって。


 だからつい、アルータと肩を並べた。


 すると、「おい、イクツ」とぶっきらぼうに呼ばれた。


「変な気遣いすんなよ。お前なんかより、アルータの方がよっぽどこの道を歩くのに慣れてんだ」

「あ、そうなの……」

「何かあったらあたしが守る。だからお前は特に手を出さなくていい」


 幾が何も答えられずにいると、「ふふふっ」とアルータが笑った。


「ゼラってば大げさ。それに、イクツは良かれと思ってやったことなのよ。あんまりそういじめないであげて」

「……ちぇっ」


 ゼラが道端の石ころを蹴る。


「……あのさ、アルータ。聞いてもいい?」

「どうぞ」

「えっと、初めて会った時に俺と君のお兄さんの声がそっくりだって言ってたよね? そのお兄さんって、どんな人?」

「そうね……一言でいえば、天才だったわ。生まれた時から魔法が使えて、三歳の時に数式を扱えて、五歳の時に剣術の先生を打ち負かした。ただの農民の生まれのはずだったのにね」

「……そのお兄さんは今?」


 アルータは「わからない」と首を振った。


「名のある貴族に拾われて、それから手紙も一通も来なかった。きっと今は自分の才覚を活かしているんじゃないかしら」

「……なんか、他人事のように聞こえるな」

「そうかも。兄は……優しくなかったから」


 それ以上喋りたくなさそうだったので、幾は問いを重ねるのを止めた。


 話している内に、学園都市ヒートレグの校門手前に着いた。鉄の格子に、分厚い防壁。鉄の格子の上にアーチ状に看板が掲げられていて、見たこともない文字だったが、確かに「ヒートレグ」と読めた。本当に——なぜ読めるのだろう。


「おい、イクツ。置いてくぞ」


 ゼラに呼ばれ、慌てて後を追いかける。


 校門を抜けた先は、整備された道がいくつかの建物に続いている。あちこちに立派に育った木や植え込み、ベンチ、銅像、さらには中央に噴水まである。「無駄に金をかけてるなぁ」というのが第一印象だった。


「教室に行きましょう。これから自己紹介しなくちゃね」

「ああ、そうだな」


 アルータとゼラの後に続こうとして——後方から、聞き慣れない音がした。規則的で、力強くて、意思を感じさせる足音だ。それが馬の蹄の音だとわかった時には——その馬主は幾の手前に回り込んでいた。


「ふぅっ」とゴーグルを外す。長い、金髪の女性だった。金のラインが入った、白い制服を着ている。幾を見下ろすサファイアブルーの瞳には、一点の曇りもない。肌も白く、唇は薄く、眉も細く、すべてが洗練されている。反射的に「これが俗にいう貴族か?」とおののきかけたその時——女性が唇を開いた。


「初めまして、わたくしはキストウェル・フォル・アンバート。わたくしが認めた人には『キスティ』って呼ばせているわ」

「……はぁ」

「あなたがシムラ・イクツね? ヒガン直々の入学許可証を持ってきた、という」


 周囲がざわつく。ほとんどの生徒が足を止め、こちらに注目を向けている。好奇の眼差しに——背筋がぞわりとする。


「な、なんのことやら……」

「わたくしの親と兄はヒガンの高官ともつながりがあるの。それで偶然、あなたのことを知ったわけ。非常に興味深いわ。出自の知れないただのいち男子を、ここヒートレグに通わせるなんて。しかもヒガンのお墨付き」

「ひ、人違いです! 俺はそんな大層な……」

「……ということらしいわ。ヴァルガ、どうかしら?」


 女性——キストウェルの視線の先にはヴァルガがいた。目には敵意を燃やしていて、取り巻きの三人組すら彼を恐れているようにも見える。両手を制服のポケットに突っ込んでいるのは、今は魔法を使う気はない——のかもしれない。


 けっ、とヴァルガは面白くなさそうに言った。


「そいつで間違いねぇよ。昨日まではただの使用人だった」

「それなのに、今日いきなりここに入学することになった。何かしらの力が裏で働いたと見る方が自然でしょう? そこで……」


 キストウェルは馬から降り、尻を軽く叩いて移動させた。


「あなたの力を試させてもらいたいの」

「はぁ!?」

「ヴァルガに勝ったんでしょう? その力がどんなものなのか、ぜひ見ておきたいのよ。……言っておくけれどわたくし、ヴァルガみたいにハンデを設けたりはしないから」


 ヴァルガが舌打ちするのが聞こえた。


 やばい、と幾の脳内が告げている。これ以上注目を浴びたくない。ヴァルガに勝ったこともバレたし、目の前のキストウェルはおそらく、高貴な身分の生まれだろう。そんな人を相手にして、今後の学園生活がどうなるか——まるで予想がつかない。


 迷っている間に、キストウェルは軽く微笑んだ。


「あなたが勝ったら、あなたが知りたいことを教えて差し上げるわ」

「なんだって……?」


 彼女は優雅な足取りで近づいて——耳元でささやく。


「例えば、ムズウ。この名前に聞き覚えは?」


 その言葉にすべての思考が吹き飛んだ。


 なぜ、その名前を。

 

 何を知ってる?


 この女性は——キストウェルは一体何者なのか。


「さぁ、どうするのかしら?」

「…………」


 幾はキストウェルから後ろ足で離れ、ためらいながらも鞄を放り投げた。ブレザーを脱ぎ、ネクタイも解く。腰を落とし、〈構え〉を取ろうとした時——


「イクツ、ダメ」

「よせ、お前の勝てる相手じゃない!」


 アルータとゼラ、二人の声は確かに幾の耳に届いている。しかし、すでに自分は相手の誘いに乗ってしまった。半身かつ腰を落とし、右腕を伸ばし、左手を右肩に添えて——真正面からキストウェルを見据える。


「受けてくれるのね、ありがとう」


 キストウェルが口元を緩やかに曲げる。その笑みを崩さないまま、彼女はすうっと右足を上げた。つま先を伸ばした状態で、腿の高さは顔にも届くほどだ。その優雅な動作に幾は不覚にも、目を奪われそうになった。


「では、始めようかしら。……楽しませてちょうだい」

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