第13話「幾とミール」

 最上階のベランダからはしごを使って、屋上に上がる。


 青色の屋根は緩やかな角度だが、いくつはそれでも足元に気を使った。屋根に上った経験などないし、滑り落ちたらどうしようとか考えてしまう。


 そんなおっかなびっくりの様子を見て、先に腰かけていたミールが笑う。


「昼間とは全然大違いね。情けないったら」

「し、仕方ないだろ」


 ミールとは人ひとり離れた場所に腰を落ち着けて、ふぅとひと息をつく。中庭よりもはっきりと街の全体を見下ろすことができて、ぽつぽつと明かりが点いている。はるか遠くには陰影の濃い山々。左手側を見れば湖がある。見上げれば無数の星が空に瞬いていて、この光景を前にただただ圧倒された。


「ここ、あたしのお気に入りの場所なのよ」

「……?」

「本当は上がっちゃいけないの。でも、モーさんが特別に許可してくれた。辛い時、嫌なことがあった時に行けばいいって」

「そうなのか。……じゃあ、なんで俺を?」

「立ち聞きしちゃった。……嫌なこと、あったんでしょ。あのムズウって奴と」


 幾はばっとミールに首を向けた。彼女は両膝を組んで、素知らぬ顔で空を見上げている。


「異世界ってのから来たんだね、あなた」

「……ああ」

「それならちょっと納得できる。でも、隠すことはないんじゃない?」

「……俺は嫌だよ。そんなことで注目を浴びるとか」

「でも、ヴァルガに勝ったでしょ」

「あれは、仕方なくだって。アルータとゼラのことを言いふらされたりしたら、二人がどんな立場に立つか……俺、そんなの嫌だよ」

「あら、そう。てっきりあたしは、あたしのことで怒ってくれていたんだと思っていたわ」

「……は?」

「あの三人組にさんざん馬鹿にされていたでしょ、あたし。それで怒ったのかなーなんてね」

「……ずいぶんと自信過剰なんだな」

「そうじゃなきゃ生きていけないでしょ」


 肩を落とし、吐息をつく。ミールの言葉を否定するわけではないのだが、口にするのは恥ずかしい。友達が馬鹿にされて怒るのは結構だが、時と場所を考えないと大惨事になる。


 狭い世界での折衝せっしょうというのは、そういうものなのだ。


「ねぇ。さっき、なんであたしが魔法を使わないのかって聞いたわよね」

「あ、ああ」

「使えるのよ、一応。でもコントロールできないの」

「……?」

「見てて」


 すぅーっと息を吐いて、ミールは緊張した顔つきで指先にちょろっと火を灯した。安堵の顔を浮かべ、「ほらね」と言って、彼女はすぐにその火を消した。


「この程度ならいいの。でも、ちょっと大きな魔法を使うととんでもないことになる。訓練で木の的を狙った時には、修練場どころか学園をも焼き尽くしかねないほどの大火事になった」

「え……」

「水の魔法を使った時も同じ。なんとか火を消そうとして、失敗した。周りを水浸しにする程度のつもりだったのに、大雨が降って洪水が起こった。木が何本も倒れて、川の流れが変化するほどだったのよ」

「…………」

「だからあたしは学園を追い出された。扱いきれないって。魔法を使うことも固く禁じられた。使ったら牢屋入り、最悪処刑だって。それで……家で腐っていた時にモーさんがやってきて、あたしをこの宿舎に入れてくれたわ。時間のある時には勉強もさせてくれる。モーさんには感謝してもし足りないぐらいなのよ」

「そう、か……」


 幾にはわかるような話だった。ミールが最初、幾にきつく当たっていたのも——たぶん、モルガナが関係しているのだろう。


 才能と力のある人間は、それだけでやっかみの対象となる。足が速い、勉強ができる、単純にモテる……そしてこの世界——リキュウでは魔法というわかりやすい尺度がある。自分の力をコントロールできないとなれば、学園とやらの手に余るとなれば、追い出されてもしょうがないのかもしれない。


 ただ、それで牢屋入り、最悪で処刑というのは理不尽にしか思えない。魔法をコントロールできないなら、その術を教えるのが学校ではないのか。


 ミールは家で腐っていたと言っていた。もし、モルガナが宿舎に引っ張り込まなければ、彼女の人生はどうなっていただろう。これは幾自身、穿うがちすぎであるとわかっているが——まかり間違っても、学園がそれを保証してくれるとは思えない。


 学園——いや、学校なんてそんなものだと、幾はそう思っている。


「イクツ、あなた学園に行きなさい」


 いきなり言われ、ぎょっと目を見張った。


「あなたには力がある。あたしたちとは違う力が。それを学園でもっと伸ばすことができれば、きっとあのムズウってムカつく奴をブン殴れるぐらいになれるわ」

「いや、でもな……」

「モーさんには明日、あたしと一緒に謝りに行くから」

「そういうことじゃなくて!」

「あたしのことを気遣ってんのなら、お門違いというものよ。あんたがいなくても十分仕事は回るんだし……そりゃまぁ、今日はちょっと助かったけど……とにかく、ここで使用人として働いていても、きっとあなたの思うようにはならない気がする。といっても、これは単なるあたしの勘だけど」

「…………」

「学園に行くのは嫌?」


 幾は肯定も否定もしなかった。この世界の学園がどんなものかは知らないが、同年代の男女が一堂に集まる以上、どうしたって摩擦は起こる。そんなのは面倒でしょうがない。うかつにイエスともノーとも言えるはずがなかった。


 しかし、ミールの言うことももっともだった。学園で力をつけ、経験を積み、魔法を使えるようになれば——あのムズウに一矢を報いることも可能になるかもしれない。元の世界に戻すように命令して、もう一度、妹の有瑠あるの顔を見られるようになるかもしれない。


「いきなりごめんね。こんな話をして」

「あ、いや……」

「わけわかんないわよね。世界の統合がどうのなんて……そんなんで利用されるとかたまったものじゃないわよね」

「……ああ」

「今日一晩、ゆっくり考えるといいかもしれない。答えが出たら教えて」


 ミールは立ち、器用に屋根を歩いて——「ああ、そうそう」


「うん?」

「昼間はごめんね。きつく当たったりして」

「いや……大丈夫。気にしてないから」

「そう。……じゃ、おやすみなさい」


 そしてミールは屋根から消えた。


 幾はしばらく、その場に座っていた。ムズウの思惑、ミールの言葉、ヴァルガとの対決……今日一日で起こったことを頭の中で処理するのは難しく感じられた。夜空をじっと見つめていても現状が変わるわけじゃないし、いくら有瑠あるのことを想っても、その想いが届くわけじゃない。


「大丈夫かな、あいつ……」


 ここと現実の世界との時間の流れはどうなっているのだろう。一日過ごした分だけ向こうでも一日経っているとしたら。有瑠はきっと心配するだろう。学校でも多少は騒ぎになるかもしれない。


 進んで戻りたいわけじゃない。けれど、この世界でやることができた。


 とりあえずの目標は——あのムズウをブン殴る。そして元の世界に戻って、有瑠の顔を見る。


 そのための第一歩は、学園に入ることなのだろう。

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