第12話「束の間の休息(後編)」

「明日から学生、だって……?」


 いくつはたじろぎ、危うくベッドにしりもちをつきそうになった。少年はそれを滑稽と見たのか、「へっ」と鼻で笑った。


「普段から学生だったんだから願ったり叶ったりだろう? それともここで使用人として、つまらない生活を送るつもりだったのか? それじゃあ俺が困るんだよ。お前にはぜひ、剣と魔法が交わる世界の中でせいぜい活躍してもらうんだから」


 幾はすぐには反応せず、少年の言葉を頭の中で繰り返していた。この少年が自分を利用しようとしているのは明白で、そのためにわざわざ入学許可証などという根回しまでしている。当然、そこには何か目的があってしかるべきだ。


「考えているな。なんで俺がここまでするのかって」

「当たり前だろ」

「善意からやっている……とでも言えば信じるか?」

「だったら最初から森の中に放り込まずに、トキトーリの近くにでも放っておけばいいじゃないか。下手したらあそこで死んでいたかもしれないんだぞ」

「生身のお前がどこまでやれるのか、試してみたんだよ。本当にヤバかったら俺が助けるつもりでいたさ」


 幾はその言葉を簡単に信じるわけにはいかなかった。あの時の獣人——〈ガルン〉に襲われた時も、この少年は笑いながら見ていたのかもしれない。敵意を込めて睨みつけるが、少年は飄々ひょうひょうとしている。


 だが、今この場で殴りかかっても仕方ない。彼は魔法が使える。この狭い使用人の部屋の中で、武器になるようなものなどない。それに——この少年は得体が知れない。二重三重に考えを張り巡らして、どんな状況になっても対応できるような、底知れなさを感じるのだ。


「……お前には聞きたいことが色々ある」

「言ってみな。内容によるけどな」

「お前の目的はなんだ? なぜ俺を異世界に飛ばした?」


「うーん」と少年はあごを撫でた。しばらく考えていた様子だったが、「まぁいいや」とあっさりした調子で答えた。


「まず、お前を異世界に飛ばした理由。それは、お前が俺とほぼ同じだからだよ」

「……は?」

「ほら、理解できないって顔してる。なんの理由もないのに、俺とお前がうり二つなんてことあるわけないだろ? ……お前の妹が、アルータと何から何までそっくりなことも」


 幾は息を呑んだ。有瑠あるとアルータがそっくりなのは、偶然ではない?


「どういうことだ……?」

「それについてはノーコメント。ネタを明かすにはまだ早い」

「じゃあ、お前の目的は一体なんなんだよ?」

「聞きたい? 知りたいか? そりゃそうだよな? でもなぁ、これが自分でも笑っちゃうような壮大な目的なんだぜ」

「いいから話せ!」

「おー、怖っ。わかったわかった、話すよ」


 少年は両手を広げ、それぞれの手に光を伴った球体を浮かべた。ひとつは青く、もうひとつは緑色だ。


 青い方に首を向けて、「こっちがお前のいた地球。便宜上べんぎじょうっていうか、俺は勝手に二元にげん世界って呼んでる」

「二元世界? 確か、前にも言ったな……」

「便宜上、つったろ。んで、この緑色のがリキュウ。今、お前がいるここの世界だ。これも俺が勝手に言ってることだが、一元いちげん世界って呼んでる」


 そう言いながら、くいっとあごを曲げた。


「ここでクエスチョンだ。この二つの星は、まったく別々の星だと思うか?」

「…………」

「じゃあ俗にいうパラレルワールドか? それも、ちょっと違うんだよな」

「何が言いたいんだよ、お前!」

「話を戻そう。俺の目的はな……」


 少年は青と緑色の球体をくっつけ——いきなり、両手でぱんと潰した。残光が弾け、空気中にかき消える。呆然とする幾に、「くくくっ」と少年は肩を揺らした。幾の前に浮かべた顔は、口の両端が耳まで届きそうなほどに歪んでいた。


「世界の統合。それが俺の目的さ」

「と、統合……?」

「言ったろ、自分でも笑っちゃうような壮大な目的だって。その準備やら根回しやら暗躍やらで、こう見えても俺は忙しいんだ。だから——お前を使うことにする。あんな世界でくすぶらせるより、ここで力と技と魔法を身に着けてくれれば、俺にとっても万々歳なのさ。……お前にとってもな」

「……どういう意味だ?」


 はっ、と吐き捨てるように笑う。


「お前さぁ。あのままあの世界にいて、何かひとつでも華々しい成果を残せるとでも思っていたのか?」

「……!」

「いいか、よく聞け。これはチャンスなんだよ。せっかく別の世界に飛び込めたんだ。今は——力も技も魔法もてんでド素人だが、学園に入り込めばチャンスはある。くだらねぇ、カスにも劣る知識をただ詰め込むだけのあんな世界よりはるかに有意義だ。それとも何だ、あの世界でお前はやりたいことがあったとでも?」


 幾は何も言い返せなかった。「違う」とか、「ある」とか、「お前の思い込みだ」とか言い返したいことはいくらでもあったのに——口が開かない。


「な?」と少年が同意を求めてくる。


「とりあえず入学許可証はここに置いとくぜ。破ってもいいが、その時はこれから毎日使用人としてこき使われるだけの生活だ。その先に未来があるってんなら、それもいいさ。元の世界に戻れる保証はないけどな」

「…………」


 くるりと背を向け——「ああ、そういやまだ名乗っていなかったなぁ」


「俺の名前はムズウ。この名を聞いた時は、せいぜい覚悟しておけよ」


 指先で光の輪を作り、まったく別の場所にするっと入り込む。


 その背中を追いかけるだけの度胸はなかった。


 力なくベッドに腰かける。じっと床の一点を見て——わけもわからず腹が立って、太腿に自分の拳を打ちつけた。ムズウに言われたことはまさにその通りで、しかも反論できなかった自分があまりにも情けなくて。


 机の上に置かれた入学許可証を見る。


 破り捨てるのは自由のはずだ。けれど——それはムズウの言う通り、これから毎日使用人として日々を明け暮れることになる。なぜこの世界に飛ばされたのか、どうして自分とムズウがうり二つなのか、ムズウの目的の意味とはなんなのか、それを知らずに生きていくことになる。


「ふざけんな……!」


 いくら自分にでもプライドはある。ここまで馬鹿にされて黙っていられるものか。


 けれど、この世界の学園に入学するということは——ここで働くことを放棄するということだ。たった一日働いただけだが、この充実感はムズウの言うような「あんな世界」では得られるものではなかった。


 口と態度はあまりよくないが……おそらく、友達もできた。アルータとゼラ、そして二人が気にかけているミール。その友達までも放り出して、自分はムズウの思惑に乗るべきなのだろうか——


「俺は、どうしたらいいんだ……?」


 しばらくの静寂の後に——外からノックの音が聞こえた。「入ってもいい?」と尋ねてきた声はミールのものだ。どことなくしおらしい声だった。


「あ、ああ……いいよ」

「失礼するわ。……ねぇ、少しだけ話さない?」

「え?」

「ここじゃあ人に聞かれるかもしれないわね。屋上に行きましょう。ついてきなさい」


 いきなり話を進め、しかも返事も聞かずに扉を閉める。


 唖然とした幾は頭をかきむしり、立ち上がり、入学許可証を見下ろしてから——ひとまずミールの後を追った。

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