第11話「束の間の休息(前編)」

「話は聞いたぞ、イクツ!」


 使用人専用の部屋に入るなり、ゼラは言い放った。


「あのヴァルガにケンカを売ったって? 大した度胸だぜ」

「いや、ケンカを売ってきたのはあっちなんだけど……」

「やっかましい! よりにもよってヴァルガに目をつけられるなんて……お前、どういう神経してんだ!」

「そのヴァルガって、そんなにすごい奴なのか?」

「ふん、家柄だけはな」


 そっぽを向き、腕を組む。その後ろに控えていたアルータが、こんこんと白杖をついて前に出た。


「ヴァルガは成績優秀、魔法も万能。剣技も教師顔負けよ。ただ、自信過剰なのが玉に瑕ね。彼が……というよりは、取り巻きの方が厄介だけど」

「ああ……それはわかるかな」


 はぁ、とため息をつく。偉ぶっている奴の取り巻きというものは、リーダー格の権威を笠に着て傍若無人なふるまいをするものだ。いくつがそのリーダー格の顔に泥を塗ったとあれば、後の影響は計り知れない。噂を広められるなんてのはかわいいもので、下手したら知人・友人にも面倒が降りかかるかもしれないのだ。


「参ったな。どうしよう」

「あたしたちに聞かれても困るだろ」

「ゼラ。……イクツ、あなたはわたしたちのために戦ってくれたんでしょ?」


「ん……」と言葉に詰まる。


「あなたを無断で引き込んだことを隠すために、でしょ? それならばわたしたちはあなたに感謝しなくてはならないわ。……そうじゃないかしら、ゼラ?」

「むぐ……」

「い、いや。いいよお礼なんか。俺が勝手にやったことだし」


 それでもアルータは頭を下げ、「ありがとう」


 それを見、ゼラも口をもごもごと動かしながら——「か、感謝しとく」


 なんだか気恥ずかしくなった。ケンカをして、それでお礼を言われるとは思わなかった。「どういたしまして」と言うのが精いっぱいで、なんだか体が熱くなって、つい顔を背けてしまう。


「それにしてもだ」とゼラが言う。


「あのヴァルガとやり合って無事で済むなんておかしな話だ。昨日、あの森にいた時も服が破れていた以外は特に怪我をした様子はなかった。お前、なんかやっているのか? 剣技とか、武術とか」

「いや、特にそういうのはやってないよ。太鼓だけ」

「はぁ? 太鼓だぁ?」


 ミールとまったく同じ反応だったので、幾は内心で苦笑した。


「俺、目だけは自信があるんだ。言い過ぎかもしれないけれど、相手がどう動くのか——手や足や腕やらを見て判断するんだ。周りを見て合わせないと、太鼓は叩けないから」

「…………」


 ゼラは納得していない様子だった。無理もない。太鼓を学んでいたおかげで化け物と、魔法を使うような人間に対抗できましたなんて。


 勝てたのは運に過ぎない——幾自身はそう考えていた。〈ガルン〉もヴァルガも自分のことを侮っていた。そして幾のことを知らなかった。相手のことを知らない、というのはどんな戦法を使うのかを知らないということだ。時間をかけてしまえば逆に幾自身が負けていた、あるいは死んでいたかもしれないのだ。


「イクツ」とアルータが呼んだ。


「今日、使用人をやってみてどうだった?」

「ああ、うん。大変だったけれどやれないこともないかな」


 実際、その通りだった。料理の準備も後片づけも皿洗いも、全部家でやってきたことだ。量が多いか少ないかだけの違いで、コツは掴んでいる。たまにミールが様子を見に来ていたのだが、つまらなさそうな顔をするだけで、特に何か言う様子はなかった。


「呑み込みがいいのね」

「いや、そんなことないよ。ただ……周りに合わせるのが精いっぱいってだけ」

謙遜けんそんしないで。それができない人もいるのよ」

「…………」

「まぁ、なんだ。この調子で明日からも頼むぜ。ミールが珍しく、お前のことを褒めていたからな」

「ミールが?」

「できるだけ優しくしてやれよ。あの子は一人ぼっちなんだから」

「ゼラ……!」

「いいだろ、このぐらい。おい、イクツ。ミールのことで何か聞いているか?」

「いや、何も……」

「だったら本人から聞いてみることだな。一応言っておくが、ミールはあたしたちと同い年なんだ」

「え?」

「あたしもアルータもできるだけ気にかけているが……アルータに言わせりゃ、ミールは自分から壁を作ってるっぽいでな。そこがちょっと厄介なんだ。できたらあいつと、仲良くしてやってほしい」


 幾は面食らった。ゼラに頼まれるなど予想外だった。


 だが——嫌な気分はしなかった。人に頼まれることなど慣れていないが、同時に嬉しくもあった。少しは信用されたのかもしれない。


「わかった、頑張ってみる」

「おう、頼む」

「じゃあ、わたしたちはそろそろ失礼するわ。イクツ、明日も早いのでしょう?」

「うん」

「体には気をつけてね。……それじゃ、おやすみなさい」

「おやすみー」


 二人は部屋から出、しんと静まり返った時——幾はベッドに背中を乗せた。今日一日だけで色々なことがありすぎて、すっかり体が重くなっている。


 だけど、なんだろう。この充実感は。


 これだけ人と話し、体を動かし、あまつさえケンカもして。最後のは余計だが、それでも何かをやり切ったような感覚がある。とても久しぶりの感覚に、心が躍っているのだ。


 空に向かって、両腕を振ってみる。体に染みついたリズムに合わせて動かして、ぽつりと幾はつぶやいた。


「太鼓、叩きたいな……」


「だったら叩けばいいじゃないか」


 予期せぬ声に、幾はばっと起き上がる。目の前には黒のフードをかぶった、あの少年がいた。余裕たっぷりににやにやしていて、それが幾の癇に障る。


「お前……!」

「そんな目で睨むなよ。せっかくいい話を持ってきてやったってのに」

「いい話、だと?」

「そうさ。……ここの学園の、入学許可証を持ってきてやった。お前は明日から晴れて学園の生徒だ」

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