第29話

 僕の呼吸は荒れ、立っていられなくなった。

「気持ち悪い」僕はへたり込んだ。

「気持ち悪い。気持ちわるい」頭が冷え吐き気がするが、何も吐けない。

「ツクモ・・・、ツクモ・・・、もういないのかよ・・・」涙がこぼれ落ちる。

「あああぁ」

 なんでこんな事に、でもずっとここで踞っている訳にもいかない。この日記は百瀬を助けるためのツクモからの最後の贈り物だ。

 僕は涙を拭き、立ち上がり机から根越の名刺を探し出した。


 ヘンリエッタマリー人材派遣がある雑居ビルに着いたのは2時近くだった。僕はこの事務所の近くにあるスターバックスに入って、食い入るように、ビルを眺めていた。僕の心臓は大きく冷たく鼓動している。

 夕方5時近くになった。

 事務所から誰か出てきた。根越だ。僕はゆっくりと席を立った。

 根越の3メートル程後ろを着いて歩いた。すると10分程歩いた所で、根越は古びたアパートの中へと入っていった。僕は電柱の陰に隠れ、根越がどこの部屋に入るか確認した。ここからは、アパートの全室の玄関が全て見える位置だったので、すぐにわかった。3階の一番奥の部屋。それを確認し、それから僕はアパート裏の空き地へと回り、問題の部屋を見上げた。厚手の茶色のカーテンが敷かれ、中はまったく見えなかった。僕は次に2階の根越の入った真下の部屋を確認した。電気が着いている。僕は空き地で拳大の石を拾い、ポケットに入れた。それから、ホームセンターへと行き、ロープとフックを買った。そしてアパート近くの交番へ行った。若い警官と恰幅の良いメガネの温和そうな中年の警官がいた。

「どうしました?」中年の警官が言った。

「あの、実は、行方不明になっている友達とよく似た子を近所で見つけて」

「その子の名前は?」

「百瀬レイカです」

「ちょっと調べてくれる?」中年の警官が若い警官に言った。

「捜索願が出ている子です」若い警官が言った。

「あの、近所のアパートに入るのを見たんです」僕は言った。

「案内してくれる?」

「はい」

僕と若い警官と中年の警官、3人でアパートへと向かった。

「あの、僕は怖いんで外で待ってます」

「そうだね。そうしてくれると助かる」

 警官に行ってもらっている間に、僕は2階へと行き、問題の部屋の真下の部屋のチャイムを押した。僕は出てくれと神に願った。運よく出てきてくれたのは、20代くらいの、痩せた若い男だった。

「すいません。ベランダにボールが入っちゃって、取らせてくれませんか?」

「ボール?ああ、いいよ。待ってて取ってくるから」

「あの、違うんです。すいません。実はこの上の部屋に・・・友達がいるんです・・・。だから協力して欲しいんです。大事な人なんです。僕はもうこれ以上失いたくないんです。だからお願いします。ベランダから上の部屋へ・・・」

「なんだよ。何、泣いてんだよ」

 僕は泣いていた。

「事情はよくわからないけど、上の部屋へ上りたいのか?」

「はい。ベランダからロープで上がらして欲しいんです」

「いいよ。入りなよ」 

 僕はベランダへと入り、そこの茶色の柵状の欄干へと足をかけ登り、バランスを取って欄干の上に立った。そして持っていたロープを繋いだフックを手を伸ばし3階の欄干の一本へかけた。そして、上ろうと思ったけど、思っていた以上に力が足りず、苦戦した。すると部屋のお兄さんが、僕を抱えてくれた。

「気をつけろよ。3階といえど、怪我ですまないかもしれないぞ」

「ありがとうございます」

 僕は必死で3階のベランダへと上がり、ポケットから取り出した石で鍵付近の窓を叩き割った。

 部屋の隅には高校生くらいの女の人が座り込んでいて、僕の侵入に酷く怯えていた。百瀬じゃない。僕は部屋を見回した。すると部屋の端に布団がしかれており、誰かが横ばいになっていた。

 百瀬だ。

 僕は駆け寄り、百瀬をゆすったけれど、百瀬は目を閉じ何の反応もなかった。僕は首を触り、脈を確認した。脈うっている。生きている。

「お巡りさん!お巡りさん!いました!」僕は声の限り叫んだ。

「そこにいるのか?」玄関から警官の声が聞こえる。

 ドタドタと足音が鳴り現れたのは根越だった。

「どこから入ったー!」根越の顔は普段の柔和な笑顔とは違い、醜く歪んでいる。

 高校生くらいの女の子が「私は知らない。私は知らない」と根越へすがりついた。

「どけ!」根越はそう言って、高校生くらいの女の子を払いのけ、僕を鬼のような形相で睨みつけ、ベランダへと走り、一瞬の躊躇の後、そこから飛び降りた。嫌な音が鳴り、根越の叫び声が聞こえた。

 それから間もなく、若い警官が入ってきて、その後、応援の警官や救急隊員などが入って来て、場は騒然となった。百瀬は病院へ搬送され、根越は、逮捕された。

 僕はその後、呼び出された父さんと一緒に、刑事から事情聴取をされ、ツクモの日記やミツルさんの事全てを話した。終わる頃には0時を回っていた。今頃ミツルさんの家には、警官が向かっているだろう。僕は家に帰る事が怖かった。父さんには全ての事情を話し、今日は駅前のビジネスホテルに父さんと泊った。

 僕は寝付けず、朝が来るのが怖かった。


 ツクモ・・・。君の日記のおかげで、百瀬を救えた。けれど君はもう・・・、いないんだね・・・。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る