黄金の体験

第25話

夜の街をバスの後部座席に座って、窓から街の灯りをぼんやりと眺めていると、ツクモの父親がゆらゆらと歩いている姿が見えた。今日も当てもなくツクモを探しているのだろうか。僕は彼が未来の自分の姿のような気がしてならない。彼も色々なものを、落としてここまで来たのだ。その魂は、もはやすり減り消えかけている。


 マンション前でバスを降りると、バス停から少し離れた街灯の下にダンロップのカットソーと七分の黒のハーフパンツを履いた女の子がポツンと一人立っていた。また人違いだろうと僕はただぼーっと眺めていた。街灯に照らされた横顔は、ボーイッシュなショートヘアー、クリクリとした大きな目。鼻が低く、血色のいい唇。


 だんだんと僕の頭に血が上り、湯気が立ちそうなくらい体に熱を感じる。


 間違いない。ツクモだ。あの横顔は間違いなくツクモだ。


「ツクモ!」僕は叫んだ。


 ツクモはゆっくりとこちらに顔を向け、僕を一瞥すると、突然背をむけ走り出した。


「ツクモ!ツクモ!」


 僕は走るツクモを必死で追いかけた。


 ツクモはちらりと後ろを振り返り、僕を確認しながら走っている。まるで鬼ごっこだ。


「ツクモ、ふざけるなよ!今までどこにいたんだよ!」僕は走るツクモの背中に声をぶつける。


 ツクモは何も答えない。


 けれど、ツクモが生きている。僕の目に涙が滲んだ。


 ツクモと鬼ごっこをしてたどり着いたのは、例によって首くくりの木の前だった。


「ツクモ・・・」


 僕は、心臓が爆発しそうな程脈打ち、肩で必死に呼吸をしているが、ツクモは息一つ切らしていない。


「生きていてよかった・・・」僕は息も絶え絶えに言った。


「志村、こっちに来ちゃ駄目」ツクモは無表情でそう言った。肌は月の光のせいか青く白く薄く光っているかのようで。逆に瞳は光を飲み込む程黒く見えた。


 ツクモはくるりと、僕に背中を向け、首くくりの木に正対した。


 僕の視線はつられて、首くくりの木に注がれた。


「うわあああ」僕は思わず叫んだ。


 首くくりの木の枝には、所狭しと腐敗した沢山の首吊死体がかかっていた。


 その時、木の枝が生物の触手の様にうねうねとツクモの体を覆い、幹の中央が、ミシミシと音を鳴らし、まるで口の様に開いた。開いた幹の隙間からは、血の様な赤い液体が流れ出ている。そしてそのままツクモを引き寄せ喰らった。


「うわーーーーーーー」


 


 僕は目を覚ました。


 


 頭痛がする。汗を多量にかいていて、胸元に少し痒みがある。


 何かとてつもなく嫌な夢を見ていた気がするけど、よく覚えていない。


 僕は体を起こし、ベッドに座り手で顔を覆った。何分かそうした後、僕は立ち上がり、机の引き出しを開け、しまってあったツクモの日記を取り出した。


 これを見たらツクモは永遠に僕の前から姿を消すのかもしれない。そう思うと僕の体は植物のように動かなくなった。


 日記を机の引き出しに戻し、家の玄関を出て欄干にもたれかかり、風にあたっていると、ミツルさんが家から出てきた。


「やあ志村君」


「おはようございます」


「また色々と問題を抱えているようだね」そう言ってミツルさんも欄干にもたれかかりタバコの火を着けた。


「ええ、まあ」


「人間は悩むために生きているそうだ」


「はい?」


「夏目漱石の言葉だよ」


「しかし、悩みは分け合えるものさ」


 ミツルさんはジッと僕の顔を見た。その目の力は喉奥から言葉を引き出すには充分だった。


「実は・・・、友達が行方不明になっていて」


「本当かい?」


「ええ、それと神社の裏手にある呪いの木。それが、よくわからないんですが、それがどうも頭から離れなくて、おかしいでしょうが、友達の行方不明がその木に関係しているような気がしてならないんです」


「呪いの木ねえ。確かにあの木は人の精神を狂わすと聞いた事がある。俺はそんな事信じていないが・・・」


 少し沈黙があって「志村君ちょっと付き合ってくれよ」とミツルさんが言った。


「何にですか?」


「まあいいから」


 ミツルさんと駐輪所まで降りていき、ミツルさんはカワサキW600とエンブレムされた大きなバイクに跨り、笑顔で後部席を指さした。


「あの、ヘルメットは?」


「知っているかい?警察に遭遇しなければ、ヘルメットは必要ないんだよ」


「遭遇したら?」


「遭遇する確率は100回に1回だろう。それに10回に9回は逃げ切れる。さて捕まる確率は?」


「0、1パーセント」


「正解。行こうか」


 ミツルさんのバイクの後ろに乗り、狭く固く不安定な座席に怖さを感じ、僕はミツルさんの腰にしがみついた。ミツルさんの胴回りは、細いけれど筋肉でがっしりとしていて安心感があった。


 バイクがエンジン音をあげ、走り出した。ギアを変えるたびに、振動が伝わってくる。生きているようだ。エンジンが鼓動のように脈打ち、走るために生まれてきた鉄の塊。誰かがバイクは鉄の馬だと言っていた。まさにその通りだった。


「なあ、君は運命を信じるかい?」エンジン音と風を切る音の中ミツルさんが言った。長い髪が風でたなびいている。


「運命ですか?あまり信じていません」


「俺は信じている。ラプラスの悪魔って知っているかい?全ての原子の動きを解明、解析できたら、未来に起こる事が全てわかるという理論なんだが、自分の意思で運命を選択しているように思えて全ては最初から決まっている。だから自分の未来に期待する必要もないし、落ち込む必要もない。そういう話だ」


「それって虚無的な話ですね」


「そうでもないさ。君は君らしくありのままに生きればいいのさ。少なくとも悪魔はそう囁いているように感じるね」


「ミツルさんなりの優しさですか?」


「さあてね」


 


 バイクは山の方へと向かっている様だった。山道に入ったが、バイクは速度を緩めない。右へ左へバイクは大きく重心を傾け、そのまま倒れてしまうんじゃないかと恐怖を感じ、僕は必死にミツルさんへとしがみついた。一体どこに向かっているのだろう。不安に思い始めた所で、バイクは速度を緩めた。山道の脇の休憩スペースの様な所でバイクは止まった。そこは街を一望できる場所で、ベンチが備え付けてあり、小さな公園の様だった。


「俺のお気に入りの場所だよ。俺はここに来たらいつも思う。例えば宇宙の広さに比べれば、自分の悩みなんて小さなものだと、そんな事を言う人がいる。けれど悩みなんて、メートルで測るものではない。猫の可愛さを、重力で測る様な、とても馬鹿げた屁理屈だ。だからこそ、人の悩みと言うものは、大きく見えるもので誤魔化したり、言葉で解決したりすることは難しいと思う。そんな厄介なものを街にいる全員が抱えている。宇宙の実像に迫ったアインシュタインだって、落ちこぼれというコンプレックスがあった。哲学の真理に迫ったカントだって自身の醜い身体にコンプレックスがあった。悩みは君の一部にしかすぎない。悩みや怒りに心を支配されるな。本当に君が大事だと思う事を見極めるんだ」


「ミツルさん、どうして僕にそんな事を?」


「さあて、自分に言い聞かせているだけだよ。君もまた俺の一部だ」


「ミツルさんの悩みは何なんですか?」


「ずっと続くものだよ。終わったと思ってもまた繰り返す、人が変わっても繰り返す。俺の役割の様なものだ」


 僕の心の中には、返す言葉が何もなかった。


「さて、とにかく俺はあの木が君の友達の行方不明に関係しているとは思わない。たかだか木だ。君が思いすぎておかしくなっては仕方がない。だからあの木の事は忘れろ」


「はい・・・」そう言ったものの、首くくりの木の事や、ツクモの事を忘れてしまうなんて、それが一番良いことだとしても、今の僕にはできそうにない事は、わかっていた。それはミツルさんもわかりながら、僕を励ましてくれているのだろう。ミツルさんの優しさを感じた。


 


 僕は街を見下ろし、沢山の人々の暮らしや悩みに思いをはせた。しかしそれは目には見えないし、固定されてもいない。心に一瞬浮かび、時間とともに消えていくものだ。

 時間は相対的だが、逆行しない。もうすぐツクモの未来を確定する日が近づいていた。


 

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