第22話

  ついに、吉彦が街を出る日がやってきた。楓の街からは、あと3人招集され、合同の激励会があり、そのあと、駅へと向かう。


 楓は朝の早くに目が覚めた。太陽はまだ昇っていない。楓は身を起こしたものの、そこから動けなかった。吉彦に会いに行くべきなのか、それとも、行かず、武田とともに黄昏の国へと行くのか楓はわからなかった。そんな地蔵のように固まった楓の気持ちを起こしたのは、誰かが、玄関を叩く音だった。楓はビクリと飛び起き、玄関へと向かった。


「どなたですか?」と楓は声をかけた。


 玄関のガラス戸に人影は見えるのだが、その黒い影は何も答えない。楓はもう少し大きな声で「どなたですか?」と聞いた。


「警察のものです」と黒い影は答えた。


「えっ」


「朝早くにすいません。ちょっと開けてもらえませんかね」


「はい」と楓は玄関を開けた。


 そこには、茶色のスーツを着た、やや眠そうな、中年の男が立っていた。


「あなた、ここの娘さん?」


「そうですけど」


「鎌田吉彦さんとは、親しい?」


「幼馴染です」


「お付き合いしていた?」


「どうしてそんな事聞くんですか?」


「いえ、言いにくいんだけどね。首吊ったんだわ」


「えっ、誰がですか」


「鎌田さんですわ」


 楓はその場でへたりこんだ。


 吉彦さんが首を吊った・・・。血が引いていくのを感じる。楓はその後3日3晩高熱が続き寝込んだ。起きた時には、すでに何年も経っているかのような感覚だった。楓は働かない重たいだけの体を引きずり、表へと出た。


 夏の日差しが、楓を照らし、夢遊病患者のように向かうは、あの木の所だった。そこには武田が木を背にし座っていた。


「大丈夫かい?」


「吉彦さんが首を吊ったの」


「そう、それは残念だ。仕方ないね。戦争に行くのが恐かったんだろう」


「戦争を恐れるような人じゃない。それよりも生抜いて戻って来ると希望を持っていた。自殺をするような人じゃない」


「そんな事はないさ。人間の心の裏なんて誰もわかりはしないさ」


「ねえ、答えて、あなたが殺したの?」


 武田は木を眺め触った。


「そうだよ。俺が殺した」


 楓は全身の力が抜け、冷えていくのを感じた。足の力が抜け、立っていられなくなった。そして目からは熱い涙がこぼれた。


「どうして・・・?」


「君が望んだ事だよ」


「私、そんな事一度も言っていない」


「本当にそうかい?一度も思った事がないとは言い切れないんじゃない?本当は邪魔に思っていたんじゃない?彼は現実に引き戻す存在だからね。彼と結婚すると、子供を産まされ、家事をし、金の事で頭を悩ませ、色々な事を諦めいつの間にか老いぼれて、死ぬだけだ。君はもっと今を生きないと駄目だよ」


 武田は楓を抱き寄せた。


「どうだい。これからどんどんと空襲が起こる。人が大勢死ぬ。食料は不足している。南では、何の価値も無い領土を奪い合っている。でもそんな事どうでもいいと思わないか。ここではこの木の下では何もかも関係がない」


 太陽が落ちていく。楓の潤んだ瞳が光を乱反射する。眩しくて眩暈がする。もうこの太陽は吉彦には二度と登らない。吉彦は二度と・・・戻らない。


 武田に激痛が走った。楓の握った果物ナイフから血が滴っている。


「そう、これでいいんだよ。これを望んでいたんだ.。ああ、大きな目だ。大きな目が俺を見ている・・・」


 武田は空を見上げ、そして倒れた。その日呪いの木にまたも首吊り死体がかかった。


 巨木はまたもや、人の血を吸い、大きくなる。


  


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