第16話
次の日、僕は朝少し勉強して、上坂の事が気にかかり会いに行こうと思った。この前の上坂は危険な香りがした。あの木に人の精神を狂わせる力などある訳がない。ただの迷信だけど、ただツクモもあの木には変な思い入れがあった。
僕はあの日、あの木に吸い込まれるように消えた火の玉を思い出していた。
僕は首を振り、玄関を出た。
家を出ると、ミツルさんがダメージジーンズに黒のTシャツ姿で、通路の欄干にもたれタバコを吸っていた。どうしてこの場所で吸うのだろうか、理解に苦しむ。
「やあ、どうだい調子は?」ミツルさんは僕に気付き、そう言った。本人はいたって気だるそうだ。長い前髪がモップの様に顔を覆い、そこから見える肌の色は少し悪い様に思えた。
「ボチボチです」と僕は返した。
「お出かけ?」
「少し、散歩です」
「そうかい」ミツルさんは欄干を掴み、伸びをした。
「あの、この前一緒に連れてきた百瀬ですけど、ミツルさんの家にお邪魔する事ってあります?」とアンニュイに景色を見ているミツルさんに僕は聞いた。
「ああ、あの子ね。昨日かな。訪ねてきたよ。まいったよ目を輝かせて、質問責めにするんだもん。好きな音楽は?映画は?ブランドは?色は?だもん。疲れたよ」
「そうですか・・・」
ミツルさんは口角を上げ僕を見つめ「嘘だよ。あの子には君と最初に来た日から会ってないよ」と言った。
「そうなんですか?」
「ふふふ」とミツルさんは笑い「君は、前の子と百瀬さん、どっちが好きなんだい?」と言った。
「えっ?」
「まるで、光と影のような二人だね。まあ君なら二人ともそういうんじゃないですとでも言いそうだけど」そう言ってミツルさんはタバコをふかした。
「そういうミツルさんはどうなんですか?百瀬を恋愛対象に考えているんですか?」
「どうだろ?百瀬さんは魅力的だからね。どうなるかはわからないよ」
僕は俯き黙った。
「冗談だよ。わかりやすく落ち込むなよ。俺はどちらかと言うと、君の方がタイプだよ」
僕は驚き身構えた。
ミツルさんは「冗談だよ」と言って、ケタケタと笑った。
「俺は年上が好きなんだ。年下にはあまり興味が持てない。君も落ち込むなら自分の自意識ばかり見ず、もっと彼女を見なくちゃいけないよ。じゃないといつの間にかいなくなっているよ」
僕は、心にあるツクモとの思い出が閉まってある領域に痛みを感じた。
「そうですね・・・」
「引き留めたね。どうも俺はおっせかいが過ぎるようだ。高校を退学になって、暇なのがそもそもの原因なんだ。すまない。いってらっしゃい、志村君」ミツルさんはヒラヒラと手を振った。
初めて名前を呼ばれ僕は嬉しさで顔が崩れた。
僕は自分で思っているよりも単純にできているのかもしれない。
ミツルさんと別れ、僕はマンションの裏手にある丘に向かった。丘を越えれば旧街へと入れる。蝉の鳴く声が耳を刺激する。蝉取りをしている小学生の男の子2人とすれ違っただけで、それ以外は誰もいなかった。頂上付近からは街を見下ろせる。僕はそれを横目に丘を下り、神社や上坂の家のある旧街へと入っていった。
神社裏の池へと着くと肌寒さを感じた。ここは、他の場所より、2、3度気温が低いようで、木陰に入るとさらに冷えた。はっきりとはわからないけど、どうやら森から冷えた空気が入ってきているみたいだった。
例の首くくりの木を見る。根本は数匹の蛇が絡みついたようになっている。枝を精一杯広げ、ここからだと、空をつかもうと両手を広げた人間のように見える。
僕は木を見ながらツクモの事を考えた。
僕の唯一の友達。ツクモは、タイムマシーンを持っているような奴だった。何も時間を自由に移動し、いつも不思議な事を巻き起こしていたという訳ではない。ツクモは慎重にタイムスリップの時を待ち、それを一生秘匿するような奴だった。
「タイムマシーンっていつできるんだろね」僕はツクモに聞いた事があった。
「このまま科学が進めば、もしかしたら、生きてるうちに間に合うかもしれないらしいよ」
「ふーん、タイムマシーンがあったらツクモはどこへ行きたい?」
「人類が滅亡したずっと未来か、それか1年前か」
「1年前?」
「うん、流星群を見逃したんだよ」
「そっか、星好きだもんな」
「志村は興味ないって感じだね。この街でも、星が綺麗に見えるんだよ。今度、私のお気に入りの場所があるから連れて行ってあげるよ。驚くよ」
「またキャンプ?」
「うんうん、塾が終わったら、こっそり家を抜け出してね。キャンプの用意はいつも通りこっちに任せて。おまけに、朝に美味しいベーコンエッグも付けちゃう」
「それは、楽しみだな。絶対行くよ」
「約束、約束」
ツクモと見た満天の星空と、ツクモと交わした宇宙や量子力学の話は、僕らをこの街とは違うどこか遠くへ運んでくれるような体験だった。そしてその天体観測の次の日の朝、土砂崩れで泥だらけで目が覚め、ツクモと別れ、彼女とはそれっきりになった。
当然、僕は探した。ツクモの家に何度も行き、思い出の場所を探し回った。それでもツクモはどこにもいなかった。
この日、いくら待っても上坂は来なかった。仕方なく家に帰ると、玄関にひとつ知らないスニーカーが並べてあった。リビングに行くと父さんと女の子が喋っていた。
「おかえり」父さんが言った。顔が柔和になっていた。
「おっす」
「百瀬・・・なんでここに?」
リビングの椅子には百瀬が腰かけていた。髪を頭の上でひとまとめにし、ピンクのTシャツとハーフパンツという部屋着のようないで立ちだった。
「それが、百瀬さん、夕方に訪ねてきてね。お前の帰りを待っていたんだよ」と父さんは言った。
「ちょっと差し入れを持ってきたの。田舎のおばあちゃんが、スイカや野菜沢山送ってきてくれてさ」
「そんなに暇だったのか?」
「おじさん、こいつ殴っていい?」
「遠慮なく」父さんは缶ビールを飲み、とてもリラックスしていた。そんな父さんの顔を見るのは随分久し振りだった。
「百瀬ちょっとこっち来て」
僕は百瀬を部屋へと招き入れた。
「どうしたんだよ。いきなり。ただスイカを持ってきたって訳じゃないだろ?」
「別に、ただ、お母さんいなくなって悲しんでるかなって思って・・・」
「離婚したって父さんが言ったのか?」
「言ってないわ。なんとなく、そんな気がして来たのよ。あの日ホテルに行った日、おばさんがいたんでしょ?それからあんたずっと死んだような顔してたし」
僕は百瀬の洞察力に驚いた。
「そうだよ・・・。悲しいよ。慰めてくれるのか?」
僕は百瀬に近づいた。
百瀬は僕に近づかれ焦って「でも・・・死んだ訳じゃないから、いつでも会えるんだから、落ち込んじゃ駄目だよ」と言った。
「死んだ様なものだよ。久しぶりに会ったって、僕の知らない生活を送れば、色々と変わっていくんだよ。違う場所に住み、違う物を食べ、違う人と生活する。それは別人になるって事だよ。それはゆるやかに死ぬって事だよ」
「悲しい事言わないでよ」
「だから悲しいって言ったんだよ。俺が、父さんに言ったんだ。母さんが知らない人とラブホテルに入って行ったって、だから離婚して母さんは出ていった。もう修復できない関係だったのかもしれない。それでも俺が最後にした事はそれを終わらせる事だった。そんな事したくなかった。したくなかったんだ・・・。結局僕はまた失った」
僕の目頭は熱い涙で一杯になった。
「私とあんたは、離れてても、近くても、他人でしょ。でもあんたとおばさんは離れててもずっと親子なのよ。それは一生変わることのない事なのよ。それにおばさん、今もずっとあんたの事考えてるよ」
「慰めてくれてるの?」
「・・・まあね」百瀬は横向き顔を赤らめている。
「ちょっと手を出して」僕が言うと、百瀬は恐る恐る手を出した。僕は百瀬の手を握った。暖かく骨などないように柔らかだった。
百瀬は握られた手をジッと見て「ねえ、タイムマシーンで時空の彼方に消えたあんたの友達の事教えて」と言った。
「どうして?」
「気になるから」百瀬は僕をジッと見た。今日は殆ど化粧をしていない。けれど目は大きく、まつ毛が長い。カラーコンタクトをしているのか、少し茶色がかった瞳だった。
「本当の事言うと行方不明になっているんだ」
「嘘・・・」
「6月の終わり頃だから、もう1ヶ月になる。最後に会ったのは、神社の裏にある森でキャンプをした時。あいつキャンプが好きだったんだ。でも朝方に、崖崩れが起こって、泥だらけになってさ。池で泥を落として、別れた。それっきりツクモとは連絡が取れなくなった。あいつはスマホも持ってないし、とても特殊な家庭教育を受けていて、学校に行かず、芸術家の親父さんと山小屋のような家で二人で暮らしていて、本ばかり読んで育ったんだ。だからちょっと変わっていて、だからこそ、僕はツクモがとても、なんていうのだろう。・・・タイムマシーンを持っていそうな子だと思ったんだ」
「そんな子とどこで出会ったの?」
「街の図書館だよ。僕は勉強で来ていて、ツクモは大体ダンロップの白のカットソーと黒いハーフパンツを履いていて、いつも同じ格好の子がいるなと思っていたんだけど、ある日声をかけられたんだ。ねえ、君退屈そうだねって」
僕はその時の事を思い出し、胸がホットミルクを飲んだ時のようにゆっくりと暖かくなるのを感じた。
「一生懸命勉強していたつもりなんだけど、何を思ったのか、ツクモはそう言ったんだ。僕は勉強しているんだけど?と言ったけど、ツクモはお構いなしに、今からギター弾いてあげるから、うちにおいでよって言って、それで言われるがまま、ツクモの山小屋まで行って、よくわからない外国の曲を聞いて、それから友達になったんだ」
「本当の話?」
「本当だよ」僕は笑った。
「ねえ。また会いたいんでしょ?」
「会いたいよ。とても会いたい。僕の世界で唯一の大切な友達なんだよ。でも家に行っても、街を探しても見つからない。挙句の果てには新聞に捜索願が出た」
百瀬は俯き考え、顔を上げ「探そう」と言った。
「どうやって?」
「どうもこうも、見つけるんじゃない。探すのよ」
「同じじゃないの?」
「私と一緒に行動をしようって事よ」
「百瀬、そうやって人の問題を自分の事のように捉える癖はやめなよ。上坂を紹介したり、今日もこうやって来たりさ」
「知らないわよ。馬鹿。本当に馬鹿。勉強ばかりしてるからそうなるのよ。あんただから・・・、私は・・・、もう、ほっとけないのよ。あんた一人で、そんなに抱え込んだら、絶対に潰れる。明日から探すから。一緒に。いい?」百瀬は力強く言った。
僕は押されて「ああ・・・」と言った。
「じゃあ明日ね」
百瀬は、暖かい朝の日差しの様に優しく微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます