第7話

 今日は久しぶりに快晴で、空気まで青くなったようだ。だが気温は25度と、ひんやりとしている。テレビでは今年は冷夏で、作物への影響が懸念されると言っていた。


 学校は期末試験を前に短縮授業に入り、昼に授業は終わった。いそいそと帰り支度をしていると、またまた百瀬がやってきた。顔を見ると、化粧をいつもより熱心にしているように思う。目が食虫植物のように開き、唇がむき出しの内臓のように見える。これならいつでもミツルさんを飲み込めそうだ。


「ねえ、今日も塾?」足を交差させ腕を組み首を傾け、百瀬はメープルシロップのように甘くねっとりと言った。 


「夕方からだけど、それまで予習したいから、時間は無い。つまり一緒にミツルさんの所まで行ってあげられない。とても残念だ」と僕は出来るだけ業務的に言った。 


「気にしないで、ミツルさんの家の前まで送ってくれるだけでいいのよ。今日は一人で行くから」 


「じゃあ、わざわざ俺に言わずに勝手に行けばいいじゃないか」 


「もし、何かあったら助けてくれるんでしょ?」 


「どういう事だよ」 


「万が一だけど、もし何かあったら、あんたの家に避難できると思ってさ。夕方までいるのよね?じゃあ行こうか」 


「まったく、諦めるっていう言葉を知らないのか?」 


「何それって感じ」そう言って百瀬は首を傾け歯を見せ笑った。銀のピアスがキラリと光った。 


 


 結局、百瀬とはミツルさんの部屋の前で別れた。僕は自分の部屋に入り、冷蔵庫を開けたけど、何も入っていなかったので、仕方なく水を飲み、自室で塾の予習をしようと思い、椅子に座ると、同時に家のインターホンが鳴った。玄関まで出ると、百瀬が不機嫌な顔で立っていた。 


「留守だった」百瀬は目も合わさず、無愛想に言った。 


「あ、そう。さよなら」と言って僕は、玄関のドアを閉めようとしたが「暇だから、あんたの部屋見せてよ」と百瀬が、風のようにするりと、僕の部屋へと忍び込んできた。 


「見ても、君を満足させるような面白い物なんてないよ」僕は百瀬の背中にそう言った。 


 くるりと百瀬は振り返り、春の木漏れ日のような柔らかな笑顔で「知ってる」言った。


 


「なにこれ、本当に何もないじゃない。部屋はその人の内面を表すというけど、その通りね。つまらない部屋」


 確かにお褒めに預かった僕の部屋は、机、本棚、テレビ、ゲーム機、それ以外に飾りや雑貨など何もないそんな部屋だった。 


「どうせ、お前の部屋は散らかり放題なんだろ?」 


「ふん」と言って百瀬は、僕のベッドへと寝転んだ。そして僕の枕に顔を押し付け「臭い」と一言言った。 


「一か月くらい洗ってないかも・・・」 


「えー、何それ信じられない」百瀬は怒って、枕を僕に投げた。


「お母さんは洗ってくれない訳?」 


「最近ほとんど家事をしなくなって・・・、ウチの両親、もしかしたら離婚するかもしれないんだ」するりと嘘なく言葉が出た。百瀬の反応を見たかったのか、あるいは、ただ同情して欲しかったのか。 


「本当に?」百瀬は目を丸くし僕を見つめた。


 嗚呼、その目だ。その目を期待していた自分の仄暗い感情に気付いた。 


「本当だよ」 


「その割りには・・・、あまり落ち込んでないみたいね」 


「落ち込んだら、何か良いことでもあるの?」 


「私、本当にあんたの事嫌いだわ」百瀬は口角を上げた。百瀬は嫌悪がある一定のレベルに達すると笑う癖があるらしい。 


  


 僕は百瀬に構わず、机に向かい予習を始めた。百瀬は、鞄からファッション雑誌を取り出して、ベッドに転がりページをめくっている。臭いと言った割にはくつろいでいるみたいだった。自然と、百瀬のむきだしの足に視線がいく。


 百瀬は10分くらい経つと飽きたのか足をバタつかせ「つまんない。あんた何かおもしろい事しなさいよ」と召使に言うみたいに僕に言った。 


 僕はテキストから目を離さずに「だっふんだ」と一言言った。


「あんたに期待した私がバカだったわ」


 僕の渾身のおもしろい事はご主人様のお気に召す物ではなかった。 


「これって、格闘ゲーム?」と百瀬は僕の本棚にあるゲームソフトを指差した。 


「そうだよ」 


「やらしてよ」 


「勝手にどうぞ」 


「一人でやって何がおもしろいのよ。あんたもやるのよ」 


 僕はおずおずと椅子から立ち上がり、ゲーム機にディスクをセットし、百瀬にコントローラーを渡した。抵抗すれば、それだけカロリーが消費されるため、だんだんと抵抗する意思が削がれてしまっているようだ。まずい傾向である。 


 僕と百瀬は黙々とゲームを始めた。 


「ねえ」百瀬はテレビ画面から目を離さずに言った。 


「何?」僕も同様に言った。 


「お母さん、ご飯も作ってくれないの?」 


「そうだね」 


「じゃあ、ご飯どうしてるの?」 


「最近はずっとコンビニ弁当か、牛丼を塾で食べてる」 


「早死にするね」 


「かもね」 


 テレビ画面上では激しい攻防戦が繰り広げられていたが、現実の僕らはいたって静かだった。百瀬はやったことがあるのか、ビギナーズラックなのか、そこそこに上手かった。 


「ねえ、早死にするのに、なんで勉強頑張るの?」


「・・・幸せになるためかな」


「それっていつくるの?」


「さあ・・・・」


「ねえ、3組の上坂って女の子知ってる?」 


「・・・知ってる。一年の時、一緒のクラスだったから」 


「どう?」 


「どうって何が?」 


「どんな印象?」 


「少し地味かな」 


 上坂の事を努力して思い出した。僕と一緒でメガネをかけた色白の大人しい印象の女子だった。特別何か喋った記憶は無かった。 


「上坂さんだけど、あんたの事好きらしいよ」 


「あ・・・、そう」 


 僕は動揺した。 


「私の勝ち。勝った所で、そろそろ帰るわ。塾の予習やるんでしょ?」 


「えっ、うん」 


 画面には、僕のキャラクターが苦悶の表情で横たわっていた。 


「またね」百瀬は僕を流し見て、静かに帰っていった。 


 僕はしばらく、テレビ画面を見つめていた。僕はシニカルを気取っている割に、こんな事で簡単に動揺してしまう自分の本当の性格が嫌いだった。 


  


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