第3話
学校の昼休み、僕はいつものように文庫本を片手にパンをかじっていた。チラリと校庭に目をやると、朝方に降った雨で水たまりができていて、青い空を映していた。雨で濡れた木々の葉は光を反射しつややかに輝いていた。開けた窓からは涼しい風が入ってくる。7月なのに一向に気温が上がらず今日も5月のように涼しかった。
教室の方に目をやると、真ん中付近には、お笑い芸人のモノマネをしながら、スマホで動画を撮っているこのクラスの中心的グループがいる。右の方は、お笑いより、スポーツより男女でじゃれ合っているのが一番楽しい、発情期まっただ中のグループ。そして教壇近くでは、相変わらず田中が虐められていた。新しく買った音楽プレイヤーと、中に入れている曲をいじられていた。田中はヘラヘラと笑って、小さな声で、反論していた。そういう周りにいじめだと悟られたくないという態度が僕は嫌いだった。でも結局僕も田中と同じ立場なら、同じような立ち振る舞いをしてそうだ。だから僕は田中が嫌いだった。
「相変わらず陰気な顔してるのね」後ろから声をかけられ、目をやると、同じクラスの女子生徒の百瀬が立っていた。百瀬は、醜悪なものをみるかのように、僕を見下ろしている。
百瀬は、中3からの転校生だ。顔は目鼻立ちがしっかりとしていて、さらに化粧で武装しているので、熱帯地方の鳥のように派手に仕上がっている。前までずっとロングの金髪だったけれど、今はミディアムの少し明るめの茶髪に落ち着いている。耳には痛々しくピアスがしがみついている。当然教師にも目を付けられていたが、明るく面倒見がいい性格なので、クラスメイトと一部の教師には受けが良く、転校生なのに瞬く間にクラスに馴染んでいた。
「ほっといてくれ」と僕は言った。
「今日も、味のしないパン食べてる」
「ちゃんとコッペパンはコッペパンの味がするんだよ。食パンは食パン味がちゃんとするんだよ」
「何よ。本気になってバカみたい。それより何読んでるの?太宰?」
「太宰知ってるんだ」
「馬鹿にしたでしょ。太宰くらい知ってるわよ。それより誰?性格の悪さが災いして友達がいなくて、昼休みは本を読んで暇を潰すことしかできない志村君?」
「そっちこそ馬鹿にしてるよね。何でもいいだろ。どうせ教えても知らないだろうし、理解できないさ」
「は、また馬鹿にした。そういう態度だから友達がいないんだよ。あんた友達いたことあるの?」
「一人だけいた・・・」
「嘘?どんな人?今はどこにいるの?すごい興味あるわ」百瀬は身を乗り出した。
「タイムマシーンに乗って時空の彼方に消えたよ」
「ハハハ」百瀬は笑いながらしゃがみ込み「志村で初めて笑ったよ」と言った。
するとクラスの発情期グループの山下という男子がやって来て「百瀬何笑ってるの?」と言った。
「えー、別に、志村が変な事言うから」と百瀬は立ち上がり髪を整えながら言った。
「何、何?志村君、俺にも言ってみてよ」
僕は無視をした。
「百瀬、俺、無視されたよ。慰めてよー」
「知らないし」と百瀬は鼻で笑った。
すると数秒の沈黙があり「なんだよ。この空気」と山下は気まずそうに言った。
「まあ、志村に関わると、こうなるんじゃない?」そう言って百瀬と山下は嘲り去っていった。僕は去って行く百瀬のスカートから覗く、太ももに無意識に目がいった。百瀬は僕より身長が高く、足も長い。そして白く艶かしかった。こういう男の性欲に支配されているロックオン機能はオフにする事はできないのだろうかと僕は考えてみた。そうすれば山下も修行僧のように大人しくなるのだろうか。でも親鸞でもガンジーでも無理だという事は山下にも僕にもできない事なのだろう。
そんなくだらない事を考え、僕はいつもクラスを傍観している。このクラスでどこにも属していないのは僕だけで、罵りあいでも何でも学校での喋り相手は百瀬しかいなかった。
学校が終わり、曇天の中歩いていると、自分だけが世界から孤立しているような孤独感を感じた。すると、ふと白のダンロップTシャツを着た小柄な少女が信号を待っているのが目に入った。僕の鼓動は速くなり、頭に血が上り、次の瞬間には足が勝手に駆け出していた。
「ツクモ!」と回り込み少女に声をかけたが、目の前にあったのは驚いた顔をした見ず知らずの少女の顔だった。僕は「すいません。人違いでした」と一言謝り、その場を後にした。
意気消沈し、脱け殻のような気持ちで自宅のあるマンションに着き、エレベーターで4階まで行くと、一人の男が欄干にもたれかかりタバコを吸っていた。隣人の三鷹ミツルさんだった。歳は僕のひとつ上で、中学の先輩だった。背が高く、細身で色白、顔が小さく首が長い。髪は長髪でパーマをかけ後ろで束ねている。そして人を惑わす宝石のような怪しい目をしている。一見女性の様に見える程の美少年だった。
中学の時、ミツルさんは、学校のプールに大量の金魚を放したり、授業中に廊下にローションを塗り、授業終わりの教師を全員転ばせたり、屋上から流しそうめんをしたりと突飛な行動で有名な人だった。確か高校に上がったが、科学室でボヤ騒ぎを起こして数カ月で退学になり、今はミュージシャンを目指しているという噂を聞いた事がある。
大体いつもマンションの廊下でタバコを吸っているのだが、僕の部屋に行く為には通り抜けないといけないので、いつも迷惑に思っていた。でも絡まれたりもしない。ミツルさんのような個性の塊のような人にとって僕は川に流れる落ち葉のようなものだろう。そんな風に誰からも意識などされない。
目を伏せ通り過ぎる際「ねえ」とミツルさんに声をかけられた。
ミツルさんは欄干にもたれかかり、タバコを片手に切長な横目で気怠そうに僕を見ていた。本当に女性のようだ。
話しかけられるとは思わず、僕は驚き「はい?」とまの抜けた返事をしてしまった。
「探し物は見つかりそうかい?」とポツリとミツルさんは言った。
僕は意味がわからなかった。本当に僕に話しかけているのだろうか?
僕が答えに詰まっていると、ミツルさんは、右手をヒラヒラと振って「またね」と言って部屋へと入って行った。
僕の鼓動は早く脈打っている。僕は胸に手を当てた。ミツルさんにはじめて話しかけられたせいだろうか。心がざわついている。僕はその場で立ち尽くし、暫くミツルさんの言葉の意味を考えていた。
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