第2話
夜10時、閑静な住宅地にある、無機質なビルの一階にある学習塾の前の路肩には、塾終わりの子供を待っている車がずらりと並び、いっせいにハザードを焚いている。その光景は塾終わりの解放感と眠気のせいか、海に浮かぶ船のかがり火のように見えた。僕はそんなぼんやりとした気分の中、並んだ車の中から、母さんの白のボルボを探した。
車を見つけ、後部座席へと乗り込むと、運転席の母さんは、持っているスマホから目を離さず「お疲れー」と間延びした声を出した。
「うん」とだけ僕は返した。
「帰ったら何か食べる?」と母さんはスマホをダッシュボードに置き、車を発進させながら言った。
「お腹すいていない」
「15歳って成長にとっても大事な時期なのよ。食べないから、あまり身長伸びないのよ。このままじゃ父さんみたいに小さいままよ」
「じゃあ、次からは塾まで自転車で行くよ。そうしたら、少しはお腹減るだろうし、筋肉もつくよ」
「それは駄目」
「どうして?」
「最近、田舎だって物騒になってきているんだから。ほら、ついこないだ、あなたと同じ年の女の子が行方不明になったでしょ?」
「そうだね・・・」
「とにかく今は昔と違って、治安が悪くなってきているの」母さんは語気強く言った。
「昔は治安が良かったとでも言うの?犯罪件数自体は年々減ってきているんだよ?殺人件数だって減ってきている。戦争だって減っている。治安は良くなっているのに、かなり特殊な犯罪を何日も偏向報道して、さもそれが当たり前に起こっているみたいに風説して、警戒させて、無意味に心配してるだけだよ」
「あのねー、昔は人情というものがあったのよ。なにかあったらご近所さん同士で協力していたし、今なんて、見て見ぬふりでしょ?あんたもよくゲームしてるじゃない。今の若い人って、そのせいで現実と妄想の境がわからなくなっているのよ」
「違うよ。ただ・・・、嘘に疲れているだけだよ」
僕は信号待ちをしている車の窓から、見えるわけないのに、この夜に解けている嘘を見ようと目を凝らした。すると自販機のそばで一人の帽子を目深に被った浮浪者のような男が目に入った。細身で長身、胸板は薄く、顔全体に影が落ちている。僕はまるで夜の使者のようだと思った。
その時、スッと男はこちらに顔を向けた。僕は反射的に目をそらした。
「学校ではイジメは無いの?」車を発進させ母さんは言った。
「イジメ?」僕は後部座席一杯に寝転がり、サンルーフから見える下弦の月を見ながら「ああ、田中が最近虐められているのかな?」と言った。
「助けてあげなさい、人は誰かの好意によって繋がっているのよ」
「あのね」僕は身を起こし、母さんに向かって「そんな厄介な事をすると、どうなると思う?ターゲットが変わって次は僕がいじめられる番になるんだよ。それでもいいの?いじめたい奴って、結局誰だっていいんだよ。田中に固執している訳じゃないんだ。少し性格や見た目が変わっている奴を見つけると、喜んで群がるんだ。そういった連中なんだよ。下手な正義感を持った奴だって、そんな連中からしたら、恰好の餌食なんだよ」と言った。
「でも、そんな事言っていたらこの世から虐めはなくならないでしょ?」
「虐めは・・・、なくならないよ。犯罪だってなくならない。世の中ってそういうものでしょ?そういうバランスで成り立っているし、そもそも犯罪をおこす人間なんてそんなに多くないんだよ」
「そうだ。空手でも習ってみたら?」母さんは高揚した声でそう言った。
「・・・どうして?」
「力が強かったら、いじめられないでしょ。それに田中君を守ってあげれるじゃない」
「・・・それは、いい考えだね。考えてみるよ」
「困った事があったら、何でも母さんに相談するのよ。父さんなんか、頼りにならないでしょ。仕事ばかりしていると頭が柔軟にならないのよ」そう言って、母さんは上機嫌になり、車のスピーカーから流れている韓国の男性アイドルグループの曲に合わせ鼻歌を歌っている。
母さんは、この世に悪い人なんていなくて、話し合いで必ず分かり合える。そんな事を本気で思っているようだった。そして自己啓発本やアイドルの歌詞に書いてあるようなセリフを、臆面もなく言葉にして僕を困らせる。僕の言う事は殆ど耳には入らず、自分のお花畑のような価値観ばかり押し付ける。だから僕は母さんに、親という感覚がいまいち持てなかった。
いつも塾から、家に着くまでの十分間、母さんとの唯一の二人の時間、いつも会話はすれ違う。そんな中、街は深夜へと向かい影を深め、その中をボルボのヘッドライトは影を切り取って行く。けれどそれも一瞬の事で、すぐにまた世界は濃い陰に覆われて、畏怖なる静かで美しい世界になる。
マンションに着くと10時18分だった。母さんが用意してくれていた風呂に入り、塾の課題を少し片付け、ゲームを一時間だけして、一時半にベッドに入った。
ベッドの中で、眠りに入る少しの間、いつも記憶の中にあるツクモとの思い出を掘り起こす。その掘り起こした記憶をかみしめ、僕は心の平穏を保っていた。
「この街が怪獣に襲われたらどうする?」
以前ツクモが僕に聞いてきた事だった。
「困るかな?」と僕は答えた。
「そういう事を聞いているんじゃないの。立ち向かうかどうか聞いてるの」
「その怪獣の設定は?」
「古代アトランティスの神っていう設定。地球のマグマ活動によって目覚めて、行き過ぎた産業社会を潰そうとこの街に来るの」
「この街が行き過ぎた産業社会の象徴なわけ?」
「ううん、この街に来るのは、その怪獣を唯一倒すことができる聖剣があるから。それを破壊しに来るの」
「破壊できるなら脅威じゃないんじゃないの?」
「あなたと聖剣が出会い、本来の力が覚醒するの」
「俺?」
「そう、あなたは選ばれし勇者なの。どうする?」
「困るかな?」
「まったく、ミジンコ並みのヒロイズムね」
「そもそも、アトランティスと俺とどういう関係があるのさ」
「遥か昔のカルマがそうさせるの。あなたの魂はアトランティスと因縁があるの」
「それは知らなかった。じゃあ頑張って怪獣を倒すよ。でもその後はヒーローとして、マスコミに追われる人生になるんだろ?それは嫌だな」
「それで精神が狂った志村を第2部で描くの」
「2部構成なの?」
「ううん、6部まで構成済み」
「それは壮大だね。ていうか映画なの?」
「そうだよ。映画を撮るんだよ。自主映画」
「えっ、そうだったの?どうしてまた急な話だね」
「退屈に押しつぶされないためにね」
ツクモは空をアンニュイな表情で眺め「でも空から怪獣が降ってこないかな。宇宙人でもいいよ。どうせ押しつぶされるなら怪獣の方がいいや」と呟いた。
その顔は触れると、崩れてしまうくらいに儚く見えた。
ツクモは日々退屈に抗うように色々な事に挑戦し、夢想していた。僕はツクモに報告するように「今日も街には怪獣も宇宙人も来なかったよ。いつもと変わらない退屈ないつもの僕の街だったよ」と呟いた。
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