10時限目 緋石嬢と盤上遊戯
────四月の末日。
いつもながらの取るに足らない遊戯の授業。
慣れない感覚はあるが、私は少し特異な人間であったため、そう大して違和感という違和感は感じられない。
席に着き、皆揃って教師が来るのを待つ。
「今日もボードゲームなのかな……?」
「んー、一ヶ月単位とかならそうなのかも」
私は隣の席の仲良くなった新しい友人と話しつつ、気長に待つ。
私なりの答えは出た。後は答え合わせの時間だ。
そう思いながらスマホを触っていると、ガ ラガラと教室の扉を開け、眠たげな様子の神藤先生は紙媒体の出席簿を教卓に置く。
「んー……授業やっぞー……」
カキカキと黒板にいつもながらボードゲームのコツを書き、あとは個人の技術向上時間に当て放置。
テストがないからこそ、これだけ緩く授業できるのである────────
「っじゃないでしょっっっ!!」
「…………?」
私はついガタン、と机に手をつき、先生へ抗議。そして数秒経った後で先生は自覚する。
「っおぉ、そいや」
「『っおぉ』じゃないですよ!? 完全に忘れてたんじゃないですか!?」
「ねみぃし今日乱数悪そうだからパ~ス」
「だーかーらーっ!」
ぐだぐだと話を進めるのに対し、私は訳の分からない言い訳を無視しスマホを取り出させる。
先生は「えー……」と言いつつ、仕方なくやれやれと以前のようにキャストをポチッとつけた。
「面倒だからそっちからルールつけてやれ……」
「私のっ! 熟考した成果をっ! この人は! 全く……」
大声で怒鳴っているも、先生は嫌々やるようにぐだーっとしている。
ふと、気がつくと教室内の生徒皆は私達二人を注視していた。
当然だろう。いきなり前回引き分けた人間が再度勝負を仕掛けようとしているのだから。
中には冷めきった眼の生徒も数人居る。当然だ、私が劣勢のまま、時間の都合で先生が引き分けにしたのだから。けれど、私は構わず続けた。
「私が黒で良いですね!?」
「ん、あぁ。ただしゲーム外から干渉するアーツは使用禁止な」
先生は他の生徒へ注意勧告し、よっ、と近くの余分な椅子に腰掛け、一応ゲームをする姿勢を示していた。
さながら先生は、私の持ってきた答えがまるで些事とでも言うような顔である。
私も同様に対面するよう、近くの椅子に座った。
「ルールは前回同様。先攻どうぞ」
「前回同様、ねぇ……」
言って、私は注視していた先生が、人差し指を真下に向けているのを見た。
今まで、慣れた手つきでスマホ画面を見ていなかった。そのため、先生の『画面見ろ』とでも言うような指示に従うと、思わず驚嘆してしまった。
「なっ……」
そこには、八×八×三、持ち駒三二駒の超拡張型の立体積層チェスが設定されていた。
─────確かに、私が画面を見ていなかった。
とはいえ、私は確実に選択した設定を誤るはずがない。
それならば、考えられることは少ししかないだろう。
「まさかこれが……【
「────ま、そういうこった」
───ただこれなら、私がわざわざ設定する意味無かっただろうに……やはりこの先生の考えていることはよく分からない。
しかもその上、私側の持ち駒は白になっている。先生が駒を動かさないのも納得だ。
「何がしたいんですか……」
「強いて言うなら、今は何もしたくねぇ」
「あのですねぇ……!!」
仕方なくポーンの駒を打つと、即座に私もアーツを使う。
「アーツ、────」
だが、その言葉は私の言葉を文字通りかき消した。
「【キャンセル】」
「──────っっっ!!」
私は、思わず声を出しそうになった。
それは───
だけれども、私の使用したアーツは、確かに──────無効化された。しかも、行動を起こす前から。
おかしい。何もかもおかしい。
何故なら彼は既に、自分のアーツを────【全権】を使っているのだから。
一筋の汗が伝う。自然と瞳孔が開く。
そしてつい、嫌な想像をしてしまう。
もし、神藤先生のアーツが……端末の全ての能力が
「(勝ち目が……ない……)」
「─────はっ。アーツなんて力……頼っても意味ねぇんだよ」
呆れた口調で返す神藤先生は、絶対的優位を示しながらも自嘲気味に苦笑していた。これなら、一位を取ることができるのも納得ができる。
淡々と先生は黒の駒を動かしているのを見て、私はほんの少しだけ、物思いに耽った。
こんな理不尽に合って荒んでいた過去の自分が。
今ではこれほどまでに好戦的に滾らせていることに。
「それで、鬼灯夏燐。結局答えは分かったのか?」
「っっ」
不意に思い出した彼は、私へ即座ながらにゆっくりと告げた。
私が弱い理由─────私ですらその時は分からなかった。私が父親へ
だが、今は少しだけ違う。
たとえどれだけ絶望的な状況であっても、たとえどれだけ優位的な状況であっても、私は────
左手に拳をつくり、ぎゅっと握る。
「私は、殺意だけで、熱意だけでゲームをやってちゃ駄目なんです」
「…………ほう」
駒を打つ。即座に返る。
早さは度々増していき、室内の生徒による雑音は消えて、どんどんとこちらへ集中していく。
「上手い人間のプレーを真似することなら誰でもできると、先生は最初に言いましたよね」
「─────言ったな」
パチン、と響く駒はどんどんと双方の陣地と交錯していく。
「自分の編み出した手は確かに私のモノです。そして、その手を弾き出した私の感じた興奮も、確かに私のモノです」
「─────」
素早く、正確に、淡々と。
「だから
「…………ふっ」
パチィン、と。ポーンを置く甲高い音がスマホから発される。私は熱烈に答えを述べた。
それに呼応するように、静かに眼を閉じた神藤先生は口元を緩ませ、微笑に伏している。
そして、ゆっくりと顔を上げた神藤先生は、私をしっかりと視認して─────
「
と断言した。
『えぇぇぇぇぇええぇぇぇっっっ!!??』と、私どころかクラス中の面々が驚いて唖然としている。
「やっぱり駄目だったか……」と神藤先生は頭をぐしぐしかきむしり、自身の頬をパン、と叩く。呆れ顔をほどくように。
すると、スイッチが入ったように面白おかしく好戦的な眼と口調で私へ問うた。
「なぁ、夏燐。なんでチェスって
「なっ……えっ……??」
「……っと、質問が悪かったか。何故、王様は女王より弱い?」
大して変わりもしないことをわざわざ言い換えて、私の混乱を放置した。変わらず先生はポーンを更に私の駒の前に置き、詰まらせる。
私とて打ち返しながら、苦し紛れに答えを出す。
「えぇっと……王様は自分の陣地を守らないといけないから……?」
「は~ず~れ~」
随分とやる気の無さそうな返答を返され、若干苛立ちそうになる。それを差しておいて、神藤先生は自信満々に彼の回答を披露した。
「正解はな──────男は女の尻に敷かれてるからなんだよっ!」
だよっ!
よっ!
っ!
!
「…………はい?」
キメッキメの顔は続ける。オーバーリアクションに、劇でもしてるかのように。
だが彼は、息をすぅっと吐くと全力の自称イケボと言いそうな声でノリッノリに叫んだ。
「生来男ってのは窮屈な生き物なんだよ! 男女平等を掲げられれば男は自然と女性に対して気を遣うのが当然という風潮に襲われ、やることなすこと全て大抵男の責任。やれ『メシ作って』、やれ『教師になってくれ』挙げ句の果ては『
終いには『何で怒ってるか分かる?』とまで究極的で絶望的な質問まで浴びせられるんだぞ!? この気持ち分かるか!? おい男子ども! 分かるよなぁ!?」
「「「「応っっっ!!」」」」
「えっ……えええぇぇぇぇ……」
室内の男子生徒どもは先生の熱意マシマシな発言に深く深く頷き、掛け声を同時に合わせ完全なる一致団結。
終いには神藤先生が眼を瞑り顔を僅かに落として片腕を高らかに上げ、拳をつくりガッツポーズをしている。
室内の半数たる女子生徒は、驚きと蔑みを込めて男子生徒へ半眼を向けていた。
馬鹿だ。ああ、間違いない、これは馬鹿だ。
私は気圧されながらも女子生徒と同じようにじとーっとした半眼を先生へ向け、要件を問いただす。
「結局何が言いたいんですか……」
「まだ分からんのか、
「はっ!?!?」
「ちょっとやそっと誰かに反対されたからって言ってすぐ諦めるんじゃねぇよ。こないだの件だってそう。前日の俺にあしらわれた時だってそう。もう少し食い下がれ。じゃねぇと強くなんてなれねぇぞ」
……その言葉を聞いて、ようやく先生の意図が汲み取れた気がした。
荒波の中で強い相手に渡り合っていくためには、堂々と腰を据えていなければならないのだ。
だからこその、神藤先生が発言していた『足りない』という言葉。男女なんて関係ないじゃないか、誇張も激しい。
この先生はつくづく……厭で勝ち気な人だ。
「やってやりますよ! たとえ私だからって、弱いからってレッテルを貼られても、押し退けて一番に立ってやりますとも!!」
盛大に口端を上げ八重歯を見せて、汗を垂らす。
私の発言が終わると同時に、調子を取り戻した神藤先生は見越してパチン、と駒を動かした。
あとはただ、打つだけだと言わんばかりに。
それから先は息の合っているような超絶高速な打ち合い。授業の時間は有り余っているというのに、一秒経たずに自分の手が回ってくるゲーム展開。
しかも先生は私のアーツを常に警戒していつ変えられても詰みにならない絶妙なポジションを取っている。その中で私との攻防を成し得ているのだから、やはりこの先生は化け物だ。この様子では【トレース】は使わないほうがいいだろう。
自分ですらフィールドの全容が見えていないのに、何故だか打つ場所が明確に分かってしまう。相手を殺すための手を、相手よりも優れた一手を打たんと脳が自然と抽出していく。
当然、私の力は神藤先生へ遠く及ばない。
盤上はそれでも絶え間なく動き、私の考えうる最善手が、神藤先生を嵌める。
持ち駒は三二もあるのだ。因みに通常から余分な駒は全て前に進むだけの
だからこそ、神藤先生すらこの考えは浮かばなかったろう。
何も殺意は、勝つためだけにあるのではないということを。
「っっ……これは」
「甘く見すぎですよ……先生」
─────私の駒は、キング以外動かすことができなかった。
自分のポーンは敢えて全て手詰まりにさせていた。トレースを行うような仕草を取る。だが、それはブラフだ。
先生が私の意図に気付いた時には、既に私は勝つ算段を失っていた。
先生は思わず思考のままに発言をする。
「くっそ…………途中から引き分け狙いにしやがったな……っ!」
「その通りですよ……!」
今の私には勝てない。
だから、引き分けを狙った。立面盤においてキングが三手の間逃げるというのはそう難くない。だからこそ、狙ったのだ。
意趣返し、というのだろう。
全てを悟った神藤先生は顔を抑えて天を仰いだ。そして数秒の後、大仰に笑い出す。
「はっはっはっはっ……こりゃ俺も勝てはしねぇな……♪」
そして、神藤先生はそれから手を潰し、見事に引き分けに終わらせた。優勢度においては、今回は私の方が一枚上手だった。
生徒全員が十人十色の賛嘆をし、私たちの健闘を讃えている。
────私はまだ、『女王』ではない。勝つことができていない。
だが、いつまでも同じ所に居座っている石駒でもないのだ。だから、次戦うときは今度こそ勝ってみせる。
────────見ると、神藤先生はニヤけた顔で感嘆を述べていた。
「まさか引き分けを狙ってくるとはな」
「意表をつくには最善手だったでしょう?」
私も自信満々に返答する。
未だに笑いが抑えきれない様子の神藤先生は真っ直ぐ歩きだし、私の肩を二、三度叩いた。これ見よがしに最低限繕った真面目顔で言葉を発する。
「よく、頑張ったな」
「……はい!」
すると先生は、突如思い出したような顔をした。「────ランク、見てみ」と囁き、私はきょとんとした表情でランキング画面へ飛ぶ。
─────総合ランキング一〇位。
「……へっ?」
不思議がっている私へ、神藤先生は説明する。
「チェスは引き分けでもランクは多少上がるんだよ。総合力で判断されるからな。まぁ、誰が見ても夏燐は上位層に入る人材だ。元が順位が高かったのもあって、お前はここまで上がれた」
「私が…………」
「よく、やったな」
神藤先生はそう言うと、にこりと微笑んだ。クラス中へ拍手を誘導し、喝采が響き渡る。
思わず手の甲で口元が緩むのを隠す。
すくっと椅子から立ち上がり赤い髪を揺らすと、バッと頭を下げて皆に礼を言った。
私はまだ、強くなる。
うち震えた拳を握り、強く、強く決意した。
◯◯◯
────同日同刻。
「…………珍しいじゃないか、君から呼び出すとは」
「まぁねん」
例の喫茶店のテーブルスペースで、二人の人物はテーブル越しに腰掛けている。
一人はかの教師の姉であり、もう一人はかの教師の雇い主であった。
「アイツは上手くやってる?」
「さぁね。僕は彼の目付じゃあない」
「ふ~ん。そ」
無機質な返事を返しつつ、淡白な女性は伸びをした。詮索を遮られた顔で、片眼を閉じて鋭く正面の女性を
返す女性はしんしんと砂糖の入った珈琲を啜り、知らぬ振りして喫茶店に流れるbgmを傍聴中。
白昼にも関わらず二十代後半の女性二人が喫茶店の一角にいることは、少し意外性があった。何より、二人ともスーツを身に纏っているのだから。
「にしても、君も鬼畜なコトを言うモノだ……」
「鬼畜……?」
「あの条件さ」
はて、と首を傾げていた彼女は、思い出して微笑に耽った。指を絡めテーブルに肘を着く様は、まるで小悪魔を連想させる身振りである。
「私が要求したのは『不敗』と『トップ5』ではあったが……君のそれは別格だろう」
「仕方ないじゃん。アレバレると相当な大問題になるから」
「…………否定はしないな」
当初、彼に取り付けた宣告。
教師として採用するに当たっての提示した三つの条件。その三つ目の内容とは───
「『バグアーツ【乱数出現】の正体を隠し通せ』だなんて……あれ、彼自身でも制御できないんだろう?」
「うん~。表向きには【
アイスティーを飲みながら、彼女は窓辺の花を見やる。
対する側は、半眼をつくり正面へ口を曲げている。汗を一筋垂らしながら。
バグを起こしたアーツ【乱数出現】。
それというのは、位置、数値を乱数変化させるというモノであった。定点を狂わせる、最悪の【特殊系】アーツ。
そして一番の問題は─────彼自身、制御不能ということ。
今回の件であれ、全て彼の掌上の外であった。
では何故、彼は【キャンセル】が使えたのか。
乱数的にアーツが変わった訳ではない。
ルールそのものを変えていたため、それ以降アーツが使用できなくなっていたのだ。アーツが使えない、というルールに変わっていたため。
そして口任せなブラフをかけることで、夏燐を────生徒全員を全能の実力者のように
「といってもまぁ、相手のレベルに応じて強くなるアーツなのは分かってるから太刀打ちはできなくないんだけどね」
「そんなものを何故……」
「それだけやらないと、駄目なのよ」
その文言からすると、まだ彼はあの教室では本当の実力を隠している最中なのだろう。恐らくは、生徒のレベルが上がるにつれて、彼もまた強くなっていく。
彼女はアイスティーを飲み干し、席を発つ。
席から見たその後ろ姿は、とても悲愴に溢れていた。
「アイツ自身、あの中で成長していって欲しいってことだけは、伝えておこうかな。それ以外は多分、誰にも分かんないから」
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