7時限目 緋色の灼爛
『こんばんは~、夜分遅くにすみません~』
「─────どなただろうか」
『紅葉の教師です。娘さんへの資料を届けに来ました』
彼女についての知らせを校長から聞いて三日。夜更けの八時に、鬼灯家のインターホンが奇妙に鳴り響く。
その時、インターホン越しでさえ、厭に残るあの人の声を聞いた私───鬼灯夏燐は父親の応対よりも先に玄関へ向かおうとした。
が、それも呆気なく徒労に終わる。
二階の私部屋から階段を降りたときには、すでに父親が玄関前の扉に手をかけていた。
思わず大声で止めようとする。
「お父さん! その人は!」
「静かにしておけ。応対はこちらでする」
「だからその人は駄目なのっ!」
聞く耳持たず、父親は私を気にも止めずに扉を開けてしまった。
すると、何度も見飽きたあの先生の姿が視界に入る。
「ありがとうございます♪」
「要件を簡潔に頼もう。
「あーはいはい。つか丁度いいじゃないですか」
そう言うと、私を目視した先生は靴を脱ぎ、父親を眼中に入れてないと言わんばかりに華麗に通過して私の元へ到着した。
すぅっと息を吐くと、苦し紛れににこやかな表情を浮かべ、私へ口を開けた。
「さぁ、授業の時間といこうか」
「「……!?」」
一瞬、何を言われたのか分からなくなった私と父親は、思わずぎょっとした表情で先生の言を疑う。
「な、何を言ってるんですか!?」
「文字通りだ。たかだか一戦敗けて愚図るようなガキじゃねぇだろ?」
「そ、そうですけど!!」
「君。用がないのならさっさと帰ってもらおう」
先生はあわてふためいた私を面白がるようににこやかに笑い、後方の父をガン無視。やっと状況の整理ができた父は神藤先生へ言葉を投げた。
わざとらしく気付いた素振りで振り替える神藤先生は、明らかに含みを持った笑いをしていた。
「そうそう、思い出した。これが、資料ですよ」
「「!!??」」
バッと振り投げるようにばら蒔かれたその書類の束は、またも私達を圧倒させる。
だが、それよりも驚いた内容は、それではない。
「な、なんだこれは……」
「見てわからないんですか? これだから素人は……」
「先生、これって─────」
先生がばら蒔いた資料、それは────
「鬼灯夏燐、お前の全ての過去だ」
私の─────鬼灯夏燐の人生だった。
私の小学校から今の今までたる高校の成績、評価、内申。
それだけではない。
WGSでの全ての戦績、アーツについての詳細、果ては過去のゲームの展開模様まで全てが詰まっていた。
百枚を優に超越する束の数が巻かれ、私でさえも理解の及ばない範疇である。
まして、そんなこと─────
「父親であるアンタが知るはずもない」
「…………何が言いたい」
「話が長いのがお好きなら構いませんが。…………簡潔に言わせてもらうと────────鬼灯夏燐を自由にさせろ」
淡々と述べ、腕を上げ、拳を前に、指を指す。
その一挙手一投足が、緩やかに、滑らかに、静かに、鈍重に、私の父親へ圧迫感を集中させる。
その姿勢に、ついに父親は堪忍袋の緒が切れた。
「静かにしていれば節操も礼儀もない。あなたのような人間が教師ならば当然娘もあのような一時の気の迷いに騙されることも頷ける。やはりあの高校を去るようにして正解だった! でなければ、娘は一生、間違いに気付けなかったろうからね」
「だから、アンタは駄目なんだよ」
「……なに?」
「適当に理由を託つけて雑多な知識と生半可な因果関係で物事を決めつける。だから何も知らない。知ろうとしない。たとえそれが、娘のことであっても」
「せ、先生! ちょっと!」
私が止めようとしても、振り返り何か企んでいそうな笑みを浮かべるだけ。
この人は何がしたいの……? 私の人生を狂わせて、私の我が儘一つ聞いてくれなくて。
「先生が勝っても何も変わらないですって!」
「ぁ? 何言ってる」
この時の発言は、想像を絶するものだった。
私の肩をポンと叩き、父親が見えるように向かせ、盛大に自分だけが面白がるように───
「お前が戦うんだよ、夏燐」
私へ、そう呟いたのだ。
●◯●
黒の駒、アーツ込みの持ち時間無制限チェス。それは父親の提案したゲームだった。恐らく、父親の最も得意とするゲームである。そんな不可能問題の中、さらに私はとてつもない難題を先生からふっかけられる。常人には到底なし得ることのできない事象。それは─────
『二手で勝て』
という戯れ言だった。私のアーツは【対象系】。先生も目にした、『位置替え』という【トレース】のアーツ。それでなお、たった二手で勝つなんて無理が過ぎる。【全権】を所有する先生ならば仮に発想できたとしても、今の私には到底思い至るとは思わなかった。
─────初手は父。
『何を言ってるんだ』
『頭の固い人だな……ったく。
お前の手で娘の全てが構成されてると思うな。夏燐は夏燐だ。さっさと子離れする環境を作ってやってんだろうが』
『だからって先生! こんなこと───』
『しなけりゃいつまで引きこもってたろうな』
それから、二の句も告げずに為す術なく私達親子はゲームをさせられた。
一世一代の勝負。負けたら私は恐らく、一生ゲームに触れることができなくなるだろう。
私には受ける理由がある。が、父がここで伸されるには少し驚いた。多分だが、あの無理難題に本気で克服できるのか懐疑的だったのだろう。
私は私が嫌いで、どうしようもなくやるせない気持ちになる。
私は、迷いに迷って白のポーンを手にした。着実な一歩を以て戦場を駆け出そうとする。そして、なんの考えもなくアーツを発動させようとした時だった。
「違う」
そんな言葉が飛んだ。
ソファに父親と、それに面と向かって座っている私は思わず先生に視線を奪われた。
「お前のアーツは自分でもわかっているだろう」
「そ、そうですけど……」
本気で私のアーツで手詰みに……?
そこまで強いアーツなら私は今頃こんなことになってないのに。
以前教えられた言葉を思い出す。
『【トレース】ってのは対戦闘でこそ輝くアーツなはずだ。ボードゲームでやってしまえば、極論ほぼすべてのとに使用に対処できてしまう。なのにお前はチェスを得意としている。ゲーム自体が得意なら他に極める先でもあったはずなのに。じゃあ何故、これに固執する……?』
「何故…………」
喉が詰まる感覚。父のことなど、今はどうでもよかった。いつもならば怖じけてどうしようもなくなるのに。
だが、今はそれどころの話ではない。
強くなる手段を説かれている。
浅慮にはじき飛ばした解を告げる。
「マスの交換……?」
「違うな」
マス目としてクイーンを移動すれば確かに戦いは有利になるだろう。だが、決定打とはいえないようだ。何より、一手では王の周りの要塞を挫けない。
アーツの解釈は当人の使い方に起因する。私は常に駒一つを対象として交換していた。勿論、先程告げたマス目の移動も可能だろう。
だが、それでは足りないのだ。呆れた顔で先生は嘆息を吐くと、私へ忠言を刺す。
「バカらしく勝てばいいんだよ」
「バカって……」
『答え』の分かりきっている先生が言うのだから、『答え』はあるのだろう。
私が見つけることができていないだけで、解は必ず存在する。
チェスの勝利条件なんて、相手のキングを討てる状況に持っていくことだけだ。特に、この状況下じゃ敵の駒を行動不能にさせることなんてできない。
いくら自分の駒を無闇に動かしたところで駄目だ。
「分かんないですよ……! あぁいう風にしか使ったことがないんですから!」
「いくらでも考えろ。これはお前の問題だ。俺がどうこうできることじゃない。それに、俺が口を出したら意味がない」
「はぁっ!? だからってなんですか。生徒が困ってたら先生は放置しても良いんですか!?」
「その覇気があるなら最初から出しとけ馬鹿野郎」
「っっ……うるさいですよ!」
冷静に言葉で殴られたような気がしたが、今となってはいい荒療治だ。気持ちも沈んでない。何回も馬鹿馬鹿言ってくれるのはムカつくが。
私がアーツを使用しようとしている限り父親は動けない。……そもそも、何故あのタイミングで言い出したんだろう? あそこまでは合っていたのか?
私が今自分の駒を移動しても意味がない。
そもそもまだ一手すら始まってない。
二回行動なんてできないし。
なら今ここでできるのは……?
何故先生は今告げた…………?
何故先生は今問わせた…………?
長考が必要なもの?
そもそも何故馬鹿だなんて。
暗い窮地など今は忘れていて。
燃えるような思考回路は脳髄を刺激する。
いつにもなく思考が回転して、熱のほとばしる電気信号がウイニングランから一つの『答え』を出していた。
自然と、それは口から零れてしまうほどに。
いや、そんなこと。まさに馬鹿だろう。私を信じて、私を見下している相手でなければ普通に考えて無理な状況だ。それに、やったこともない。私は一度、アーツの使用を取り辞めた。
「…………」
先生は何も言わない。恐らく当たりなのだろう。私の予想は更に確信に変わる。父親はチェスの経験者だ。父親のターンではあるものの、私がg2のポーンを持って思考を巡らせていれば一つのことに気付くだろう。即ち、
(考えすぎて見落としているようだな。いや、考えてすらいないのか。フールズ・メイトなんてとても初歩的なことで終わるとは、やはり娘は駄目だ)
黒のポーンをe7からe5へ持って行く。その瞬間、滴る汗が燃えんとする。私はそのまま、持っていたポーンをg4へ持っていった。それを皮切りに、父親は口を開いた。
「やはりお前は馬鹿だ。こんな単純なことも習わなかったのか。当たり前の形式から逸脱した。愚者の一手だ」
「違うよ、お父さん。私はまだ終わってない」
見下されている。だからこそ、父親は私の矛に気付かない。
先生があのとき告げた理由。それは父親の駒が白だから。チェスは将棋と違い点対称に駒が置いてあるわけではない。フールズ・メイトは白になった時だけが特定の行動で負けるようにできている。
「アーツ」
その瞬間、置いてあった白と黒の駒が反転する。【トレース】というアーツは何も位置替えだけではなかったのだ。それは更に、父のターンでも例外ではない。擬似的に相手の手を奪うことだって不可能ではない。今は私が黒で、更に私のターンでもある。
「私の勝ちです。お父さん」
今神藤先生を見ている余裕はない。
それよりも考えうる状況に、奇跡的なこの状況に、私は一瞬だけ、
「…………ッッ!!」
クイーンで白のキングを捉える。
「……っ正解♪ よくやったとも」
ゲームを楽しむためではなく、騙し殺すための能力。
ゆっくりと、静かに神藤先生は父親へ口を出したら開ける。
「手詰みだぜ。アンタのアーツじゃ打開は不可能だ」
「…………そうか」
私は振り絞った答えに未だ感触を覚えることができず、神藤先生に頭をぽんと叩かれるまで放心していた。
「よくやったな」
「先生が思い出させてくれたじゃないですか。あのフールズ・メイトのことを」
あの時、ああ言っていたことを思い出す。
『フールズ・メイトは名前の通りたしかにバカの一手だ。考えすぎた結果足元を掬われる始末。けどな、それは打った相手が何も最初から考えていなかった訳じゃない。他者からバカにされようとも、確かに勝とうと考えた末の結果なら、俺は評価するさ。それに、もしそれから逆転できるのなら、それほど面白いモノはないだろ? WGSなら、アーツがあるならそれが可能なんだぜ?』
「正直、無理難題でしたけどね」
「実際にそれを体現して打つのなんて、お前にはどうってことないだろ?」
にこりと微笑まれる。本当に、この教師は。
父親は先生をじっと見つめて怒りを抑えていそうな表情を作る。
やはり、嫌ではあるのだろう。
掌に収まらないことに。私が、父親の意にそぐわないことに。
「神藤、先生といったか」
「「…………?」」
父親は、怒りを抑えながらも、ゆっくりと目を閉じて降参を示した。
先程の的確……とは言い難い指示で一体何が分かったというのだろうか。
私だって、未だに何を考えているのかなんてわかりもしないのに。
父親は私を一瞥。不機嫌そうながらも、私の自由を許したような表情だった。
「娘がこうなのは―――――元からか?」
「さてね。そんなの、俺に聞くまでもないでしょ」
「……不服だな」
そう言って、父はソファから立ち、居間の扉付近に立っていた神藤先生に握手を求めた。すかさず、先生も乗り気で応える。
妙に理解できない私こそ不服だが、ここは素直に喜んでおこう。
と、にこやかに二人に寄り添おうとした時――――
「なぁに勝手に良い雰囲気で終わらせてやがる。
夏燐。てめぇのゲームはこれからだろ……?」
耳朶を打つ先生の声は、清々しくムカついた。
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