6時限目 なら、何度も叫んだろう

 世の中が、嫌いだ。

 どうしようもなく、どうにもならない自分が、嫌いだ。

 自分の無力さに吐き気がする。

 自分の儚さに、苛立ちが募る。


 自分の自分らしさに、ナイフを突きつけたくなる。



 ●●●



「聞いているのかっ!」

「っっ!」


 思わず悲壮な心中に風穴をけられ、肩が跳ね上がる。


 我ながら相応な空間だろう。私は今、父親を前に正座し、居間の床に俯いている。

 父親は獣医師であり、外面は社交的だが、中はこのように化かしているとでも言わんばかりの様相で、身綺麗ながらも口調とは明らかに印象と異なる性格をしている。


 雑念なんて沸かない。考えるのすら疲れた。

 ただ、このどうしようもない必要なロールを巻かないと次へ進めない事実に、私は淡々と、口内に唾を溜めるばかりだ。


「何度言えば分かる。たかだかゲームごときで、お前の人生が振るわれる訳がないだろう。──────」


 足の感覚も失われてきた。

 涙なんて枯らすほど私の感性は豊かではない。

 沈む思考も、俯く頭も、歪む唇も、強張る拳も、震える四肢も、暗い視界も、不快音を届けてくれる耳でさえも。今はとにかく自分が自分で出来上がっていることに本能的に憎く、ただ憎く感じてしまった。


 だが、一つ思う節があるのならば────



「当然、言いつけた通りの旨は守るからな」

「…………」


 私が父親と約束した決め事、それは─────教師に勝たなければ『遊戯』の授業を辞めることだった。


「で、でも待って! まだ一回しか」

「そう言って、いつまで子どものままでいるつもりだ。高校二年にもなって遊戯ごときに一生を賭すなんて功労者…………いや、そんなの功労者ですらないただの社会否定の無作法者だ。そんなものに成り果てるつもりでいるのか」

「……ごめんなさい……でも……」

「無駄にかまけて貴重な時間をどぶに沈めて……恥ずかしくないのかっ!」

「………………ごめんなさい……」



 あれだけは、譲れなかった。

 あれさえ勝てば、私はあちらの道へ進む権利が与えられたのだ。

 だから挑んだ。無理を承知でも、勝たないといけないから頼み込んだ。

 それを…………またあの人達は無下に扱い、薄情に、辛辣に、落とす。


 嫌いだ。あの教師もゲーマーも。


 嫌いだ。辛辣な親も、無情なルールも。


 そして何より……────────私は私が、大嫌いだ。



 ●●◯



「自主退学?」

「あぁ、そうとも。今朝向こうの親御さんから話が来てね、どうやらこちらでは任せることができないようだ」

「はぁ…………」


 校長室へふと呼び出されたと思えば、上質そうな紅茶を出され、以前と同様に会話が繰り広げられた。

 だが、単刀直入なその内容に、気が沈む。

 それを察したように、水瀬校長は俺へ言葉の弾丸を打ち込んだ。


「何か、心当たりがあるのかい?」

「…………心当たりって程ではないんですが、俺に一度真っ向勝負をふっかけてきていて」

「それが原因じゃないか」

「直接的な原因……とは言いがたいんですが、なんというか打ってて憎悪のようなものを感じました」

「殊更君に原因があるんじゃないか……?」


 邪推に半眼を向けると、軽やかに笑う水瀬校長。まぁまぁと手をひらひら振っていた。

 無論、俺に一〇〇パーセント原因があるわけではない。一端に荷担しているだけではあるだろうが、何よりも勝負を仕掛ける前に俺に敗北を要求していたのは気にかかる。


 水瀬校長の発言を頭のなかで再度再生する。


 自主退学


 そして、若干の違和感を抱いた。


「その自主退学って……鬼灯夏燐自身が言い出したんですか?」

「──────いや、違うね」

「…………やっぱりか」


 彼女ほどの強気な姿勢を保つ少女がといっておずおずと俺の前から去るわけがない。

 なら、考えられることは一つだろう。


「あの勝負に退学の件が賭けられていた…………」

「なるほど、それならタイミングも合致する」

「安い推理が当たってるか否かは知らないけども、もしそうなら今すぐにでもそれを取り消し─────」

「が、できるわけないだろう」


 ノリノリで好色の眼を輝かせていた俺を、水瀬校長は薄い引くような眼で穿ち、嘆息を吐いた。更に彼女は頭を抱えた様子で額に手をやり、首を横へ振る。


「それができたら誰も苦労はしないさ。自主退学それは向こうの問題。こちらが無為に関わって良いことではない」

「! だとしたらどうすればいいんですか!?」

「あちらの親が言い出したことなんだろう? それなら、生徒鬼灯夏燐がなんとかするしかない」

「アイツがって……そんな無謀な」

「生徒も信じれない教師が何を言うか」


 反感を買う発言をモノともせず言う校長は、呆気にとられた俺を無視して続けた。


「僕から言えることはただの否定だ。それでも刃向かうと言うのなら、僕は君の身を保証しかねない。下手すれば君を解雇────契約まで破綻するよ。分かっているのかい。君はプロであることを辞めても、教師であることを辞めても、待っているのは『死』であることを」

「っ…………それが校長の立場ですか」

「あぁ、校長の立場だとも。ただし、これはとしての立場ではないかな」

「──────!?」

「僕は君を見ていてとても面白く、やはり雇うに足る人物だ、と思っている。今この瞬間であっても、僕自身の審美眼に感心しているよ。だからこそ、君にはまだ、諦めて欲しくはないかな」

「…………結局どっちなんですか、アンタは」

「どちらでもあるさ。女っていうのは厄介な生き物だからね」


 眼鏡をくいっと上げて、格好良さげなポーズを取る。

 実際格好いいから指摘のしようがない。

 俺は歯をギリッと音をたて、鋭く見開いた眼を水瀬校長へ再度向けた。


「世の中ってクソゲーばっかだな……全く……」

「不服かい?」

「不服ですよ、本当に」



 奇しくもその時、俺と夏燐は違う場所で、世を厭うていた。

 そして、俺は踵を返し水瀬校長へ背を向ける。


夏燐アイツは絶対に俺の授業を受けさせます」

「惚れるねぇ」


 扉のノブを捻り、後ろの口笛を耳に残し跡を発った。

 俺の請け負った生徒を、たかだか数週間で絶たれてたまるかよ。



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