29.町を食らう怪物 ◆日本国旧東京・杉並区 NH.TK.sb9490:5490
クレア・コールマンはパラレルだ。それは彼女が一番わかっている、はずだった。しかし現実は違う。彼女はもう二十年も前に、サイバー課の次間巡回業務中に自身がパラレルであると、唐突に言いふらされていた。今になって、彼女は絶対的な確信を持っている。それは紛れもなく、アルティレクトによって宣告されたのだと。
彼女はひそかに検査をした。まさか自分がパラレルだであるなど、気色の悪い嘘であってほしいと。しかし、その宣告はやはり真実らしかった。少し調べればすぐにわかる。例えば彼女の両親についてさかのぼれば、それはいもしない架空の人物だった。これが何を示しているかといえば、つまり確実にこの記憶にある両親は、知脳のフォーマットの際に植え付けられたただの虚偽記憶に過ぎないということである。
だから彼女は従順型のドール、すずしろを買った。そしてすずしろをさらなる下位に位置する存在として振る舞わせ、自分がパラレルであろうと、作られた存在であろうと関係なく、ドールというあからさまな「ロボット」を買うことでその精神を安定させた。
そんな中、出会ったのがカーネルとハベルの二人だ。カーネルとは署内で出会ったが、その天才さ、秀才さを打ち消すかのような、類まれなる偏屈さと他人への興味のなさこそ、彼女が必要とした友人の条件であり、心の休まる気がする。彼なら人がパラレルでも、羊の皮をかぶった狼でも、他人だからどうでもいいのだ。だから気が付いたら惹かれていた。ハベルも同じことだった。そして彼はさきほど初めて弱みを見せて、クレアはそれに心を動かされたのだった。
そんなハベルを求めどんなものにも足を止めなかったクレアだったが、目の前に横たわるこのぼろぼろの男にはなぜか、どうしても情けが湧いた。
「ちょっと!」
焦る本能は無意識に大声を出させるまでで、彼女にそれ以上の言葉を思いつかせることはない。故になぜ自分が注意を引かれたのか、一抹の手がかりを探してみた。
「琳瑚」
写真に琳瑚の顔が見える。
「知り合いか」
かすれ声も甚だしい。それでも何か、この男を知っているという本能は尽きることはなく、むしろ絶対に死なせてはならないような気がほとばしる。
「アルティレク、ト。マザーが、彼のために、自滅する」
たったそれだけでも、血反吐を吐きながら所々言えない。まずは名前を聞きたかったが、彼はそれで事切れていた。アルティレクトはともかく、マザーの名を、この男は知っていたのだ。クレアはたった一つの男の死が断じて信じられず、わけもわからぬままその亡骸にすがった。やがて身を起こし、手に置かれていた写真をじっくりと見る。写真すらも古ぼけた技術なのだ。想像通りずいぶん古い写真だった。そして明らかに、琳瑚と瓜二つの女と、この男が画角にいた。名札にある名前を次に見つけると、彼女は急ぎ東京国警視庁へ連絡する。
「こちら更谷署のクレア・コールマンより。長らく行方不明だった浅見涼司が、送付された座標で心肺停止。彼は、アルティレクトの停止のために、マザーという守護者が犠牲になると」
ふと我に返る。私は最高上司のミツルギ長官に、何を言っているのだろう。ただの行き倒れの戯言かもしれない確率だってある。しかも、もとより半ば警察をやめたような身の自分が、何を言っても聞かれる耳はないのではないか。漠然と、カーネルに続いてハベルやすずしろまでいなくなってしまうかもしれないという最悪の気分で、変に狂ったかもしれない。謝罪の言葉でしめて、通信を一方的に切断する。写真だけ男の胸元に差し込んで、また彼女は足を早めた。壊れておかしくなったドールやパラレルに殺されないように。
「P―90Qだ!」
他方から、大声で
果たして、倒れたのは相手だった。
「則雄」
「師匠」
呆然とした。空から飛び降りてくる師匠に、二人のドールがあまりに現実離れした光景であるために。ついでに空からの援軍が、目の前の敵を一刀両断していたことに。
「私の失態、全くもってすまなかった」
「そそんな」
則雄はついに全身の緊張を弛緩させ、その場でへたり込むようにして土下座をした。公威は相も変わらず詫び入れをしている。
「わ! 二人とも」
手頃な武器を持った三人組が迫ってきていた。公威はすでに気炎万丈、その複数の攻撃を一度で受け止め、
「ありがとうございます」
おそらくどちらともに対する感謝を、則雄が言う。公威は肩の傷を触りながら、手を差し伸べる。そしてその手は揺れていた。
誰もが直感による危機を感知して間もなく、その地響きは建物の崩れる音や、その音源と共に数倍になってやって来る。
「俺、夢でも見とるんかな」
「いや、私にも見えます。竜のこと、ですよね」
人はそれを飛竜と言う。その存在は常に噂であることで成り立っていたものであり、こうして現実に出てきてしまっては常識を覆さねばならない事柄が盛りだくさんと思われる。竜を驚愕の眼差しで見つめる四人は、逃げることも忘れてある法則を発見していた。飛竜は建物は壊すものの、人間は襲っていない。彼が食い殺すはわかりやすく
「もしかして、先生から聞いたんですけど、あれ、エスペラントが管理してるギガントかもしれませんよ」
言う通り、ヘレナ、BJと涼司博士の、文字通り血のにじむ努力が生み出したものだった。
「えーっと、グエンちゃん、あれも?」
「ちょっと何あれ、あれは違う!」
それは肉体が透明であるがゆえに、内蔵や数の乏しい血管が丸見えの、猟奇的な巨人がちょうど見え始めた時だった。エスペラントの作成した正規のものはともかく、おそらくアルティレクト仕様の
「先に行っていろ」
公威だけが方向を転換し、一人巨人に立ち向かう。当然三人が一人を見捨てて安々と逃避することができるはずもなく、とりあえず立ち止まった。
巨人の半透明な手が迫る。公威は、引き付けてから一気に切っ先を天に突いた。巨人が手を引くことを前提で、彼はなおも、剣を引きながら手の平を切り進めていく。そして巨人が血を滴らせながら一度手を引いた時、公威の肩からもかなりの出血が見えていた。
「坂東さん!」
馬鹿か、と叱る言葉が出かかる。それは僕たち・私らが、と戦闘を引き継ごうとしたのはひよっこドール二人だったからだが、体は小さくとも、今のその二人の目には一人前の魂の火が燃え盛るのが直視でわかった。
「構えて、切れ」
微塵の心配や言うべき説明・激励は、全てそこに詰まっている。すずしろは
「いっけえええー!」
二人には物凄い重さのGが襲っていると推測がいくほど、発射初速度が速かった。勢いあまって巨人の腕を超えたかのように思えたが、それは作戦の内だったらしい。ふわりと、一定の高度で噴射を弱めた途端、グエンが刀を一振りした。腕を切り落とすなどは到底出来ないことは承知だったとしても、骨まで到達しているであろう深さを持つ傷は、二人の勇ましさを見せつけた。
「刀はいい、直ぐ降りるのだ!」
文武両道なドールたちは、地にまた着地する。その少し前に、どこから持ってきたのか、則雄が
「どんなもんじゃ! これで」
飛竜がやってきた時と同じような地響きと共に、迅速にこちらへ向かってくる姿が見えるのは、狼の
そして結果は生の五割であった。狼が大口を開けると、顔を斜めにして巨人の腰をかみ砕く。血がこんこんと湧き出る死体と化した巨人が、そのまま無様に崩れ落ちた。
「則雄さん! 上」
「これアカン、やろ」
もはや声にならない悲鳴。真上から巨大なものが降り注ぎ来るという真下よりの恐怖が、彼をもはや不随にした。だが実際は、落ちてきた腕が建物と電線によって止まる。
「よし、行くぞ」
そう、彼らに立ち止まれる時間はなかった。刀を取り戻した公威をはじめとして影の町の住民全員が見たのは、飛竜や
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