30.叫び ◆日本国旧東京・新宿区・ハニカム宇宙技術開発センター NH.TK.sj19852:9435hcAssrc-1


 背後では巨工蟲ギガントが大きくうごめき合っていて、人間や機人体ヒューマノイドがこまごまうごめき合っていた。それに対して東京国が、迎撃砲:速建御雷はやたけみかづちでつぶしにかかる。圧倒的な空撃だと思われたが、アルティレクトの巨工蟲ギガントは数で対抗した。それを背負ってなお、発語もせず、そして心の中でさえ何を思うわけでもなく、ハベルは蜂の巣社の宇宙センターにしばらく対面していた。

 ハベルは強化パラレルだ。五〇年代、先進国の勢いに対抗するという名目で、イギリスとフランスは将来の脅威となり得るチェコと、隣国のスロバキアとを合併させようと目論んでいた。列強の狙いは合併に伴う混乱を用いてチェコの力をそごうとしたものだったが、チェコ独立党、CNSはその企みを見抜いていた。CNSの一議員はひそかに軍事パラレルを開発していた民間軍事会社のベルベット社に接触し、非合法的にハベルの素体を作り上げたのだった。そして彼を使って、この計画に一枚噛んでいた仏ラクロワ・アヴニール社と英ワイバーン社の要人を暗殺したが、この殺人によりチェコ側の計画が発覚、ベルベット社は解体され、CNSもほぼ散り散りとなった。ただ、ひときわ強力な戦闘能力を持ったハベル素体はラクロワ社によって回収され、のちマザーが改造を施し、八体目のアンファンへと生まれ変わらせることとなった。

 そのような過去を持ち、さらにマザーの改造によってより血に飢えたハベルは、むしろこの混沌とした、灰と血にまみれた世界の方が気楽だった。いや、それが当たり前だったのだ。今までの公緑での生活は牢獄のようなぎこちなさだったが、これでようやく彼は使命を果たすことが出来、本来の生きざまで生きる事が出来、あわよくばハベルという一個人として一生涯を終えることが出来そうだった。さらに言えば、今や彼にはクレアやグエン、カーネルといった友人がいる。今までは全く感じえなかった不可思議な高揚感が、目の前の奇妙で幻想文学のような現実をさらに奇妙に仕立て上げ、心をとても晴れやかにしていた。

 そんなシュールな光景から逃れるように宇宙技術開発センターへ入れば、彼の視界が安全な屋内に順応していく。ついでに、所々この場所も壊れかけてきているのを見た。

「待ちな!」

 何をどこに何するか、もう一度整理しているという時に、琳瑚がハベルの肩を強くつかむ。

「ハベル、それはマザーの自殺プログラムで、ハイヴマインドなんかじゃない!」

「洗脳、でもされたのか」

「違うったら!」

 琳瑚もわかっているのだ。これほどの熱量を大急ぎで喋り倒して、誰がはいそうですねと信じるだろうか。しかしそれでも、彼女が胸を撫でおろそうが深呼吸をしようが、彼女自身の胸の奥から滾るその熱せられた焦りは、収めることが出来そうになかった。これはマザーが設定した、琳瑚というアンファンの特性のせいである。

「良いから取りあえず渡しな! あたしがやる」

 その差し伸べられた手をハベルがはじいた。そこで二人の間に大きな闘争心が発生してしまう。ハベルは淡々と任務の遂行を実現しようとする冷静さ、琳瑚は家族だった者のために捧げる情熱をもって。

 琳瑚がその熱に真っ先に心を燃やし、大きく払い蹴りをする。その行為にハベルもとうとう燃えて、しゃがみながらの防御ののち、同じ体制のまま拳を突き出す。琳瑚がその後に繰り出した上段突きにハベルは一度大きく下がる。

「裏切ったんだな」

「違う、浅見涼司という男から聞いた。今暴れてるデカブツを作った男で信用のできるやつだ。本当に騙したりなんかしてないっての。戦いたくはない」

 その言葉で、ロングナイフを取り出そうとしたハベルが思いとどまる。考えるために黙り込んだ時間は数秒で、また距離を詰めた。琳瑚が払い蹴りで牽制をする。少し後に上段突きを繰り出したハベルは、琳瑚の飛躍を読んでいたのか。後ずさることなく、上空に拳を突き上げた。同じようにして琳瑚も上からの攻撃を仕掛けて、どちらも痛手を負う。すぐさま接近するが、少しの膠着状態の後攻防を繰り返し、そして離れる。次に近づいたのは琳瑚で、膝蹴りを狙うが逆につかまれてしまう。そこからの背負い投げの打撃は大きく、鈍痛が背面に走る。

「待て」

 長いパイプを、至近のハベルに向ける。ハベルがそれを見て行ったのは、先ほど出しそびれたナイフを抜くことだった。琳瑚は慎重に、ハベルの刃が振り下ろされるのを見極めて、そしてその力をパイプで流す。開いた脇腹に蹴りを食らわせ、よろめいたところをまた攻める。ハベルは体制を立て直す間にナイフを振り回していた。

「もう止めって」

 聞かず、ハベルがまた襲い来る。それをかわした琳瑚からの攻撃をハベルが防ぐと、膠着状態に陥った。

「ほらよっと!」

 声でやっと気配を知って、二人は真逆の方向に飛んだ。そしてその方向にはエリスが構えていて、遠心力の程よく乗った、丁寧な廻し蹴りを食らう。

「お前ら、この前のっ、クソ!」

 立ち上がる二人に、エリスがかなりの高跳びからの飛び蹴りを食らわせ、対称のヘルメスが、動きの読みにくい滑らかさで、二人を同時に殴る。ハベルが少し早く立ち上がるが、ヘルメスが神がかり的な回避を魅せる。その間に琳瑚も立ち上がり、エリスに対抗する形をとる。

「やっぱ、てめぇら、ぬりぃわ」

 歯茎まで空気にさらしながらエリスが煽るような蹴りを披露すると、琳瑚がそれに食いかかる。これまた煽るようなよけ方をすると、エリスに代わってヘルメスが横から入る。ハベルも琳瑚もそのまやかしじみた動きに惑い、気づけば二人とも、多大な痛みをもって地に膝をついていた。

「ほーら渡しな。でなけりゃこれが最後の痛みになるかもなあ」

 エリスは、そのままハベルに向けて踵を大きく上げていた。凶悪な厚底ブーツの鋼鉄がそのまま振り下ろされると、それは琳瑚の背中にめり込んでいた。

「へえ、感心感心」

 重すぎる一撃を庇った琳瑚にはもう発声すらままならなかった。そして息をすることすらもまだ難しい。

「じゃあ、私もいきますよ。小細工なしで、御覚悟を」

 ヘルメスがにやつきながら指に力を込めると、その指先に刃が立つ。彼もエリスのように、極限の力の瞬間で両手を突き付けた。その刺突は琳瑚ではなく、予測のとおりハベルの背中に行った。

「ケッ、キモい関係だな、おい」

 エリスとヘルメスは、ここぞとばかりに思い思いに殴りつけ、蹴りつける。

「いやあ、しかし幸運中の幸運でしたね。まさか仲間割れで体力を消耗してるとは」

 その間にも、琳瑚に施される暴力はハベルが受け、ハベルに施されるはずの暴力はハベルが受けた。途中でエリスの足首と、ヘルメスの手首を誰かの手がつかみ、刺激的な私刑がだらける。

 誰かの息切れが響く。すると、這う這うの体の二人が死に物狂いで握ってきた手首足首が、力なく倒れた。

「やっぱり……、怪物も」

 あまりに疲れていたのか、声の主は文を言い切れずにいた。ハベルや琳瑚もその程度の未完成情報に反応できるほどの精力はない。そしてついに、入り口から四人の侵入者が姿を見せた。

「ね、オフラインじゃ役立たずだった」

「二人とも!」

 グエンをはじめとして開放的に、公威、クレア、すずしろ、則雄が見える。まっしぐらにクレアとすずしろが満身創痍の二人に駆け寄る。救急品一式で急ぎの荒療治をしつつ、グエンと則雄は入念にヘルメスとエリスの頭部から頸部にかけて弾を連射し始めた。

「な、なんやこれ、あんたと全く同じ顔ちゃうか」

「ドールだから。私たちは人間じゃない」

 そうだとしても見れば見るほど同一人物と思われる奇跡的な酷似具合に、則雄はエリスの顔を打ち抜くことができないでいた。見かねたグエンが、銃口を直に付けて頭部を炸裂させる。それでべたつく赤いものが飛び散っても、もはやすずしろすら気味悪がらなかった。

「ほら、人工皮膚で何とかしたから」

 二人の肩を少しの力でたたくと、クレアはハベルから、ハイヴマインドを受け取ろうとする。

「クレア、やめてくれ」

 琳瑚はもう唯一傷がなかった顔までもかなり醜く崩して、クレアの足にすがりつく。幼児性も垣間見えるような哀れさと、自分が傷を治したからこそわかる痛々しさが、すがりつかれた彼女を動けなくする。

「だめだ、だめなんだよぉ。それはマザーの自壊プログラムなんだって、それで、マザーはもともと人間で、私の妹でさ、それで」

「痛い痛い!」

 琳瑚が馬鹿力で足を締め付ける。今の彼女はとんでもない情けなさだらけだ。そうとなってはハベルさえも、彼女の意に反することはできなかった。皆黙ってしまったところで、時間も黙る道理はない。すらすら流れるその時間が身の安全の絶対性を脆くしてくる。

「ううぅ、もう、何でなんだよ。やめてくれぇ」

 ついに琳瑚が耐えかねて、狂おしさに酔いしれてしまう。すずしろが一撫で寄り添ったが、その指先から漫然と狂気が感染するような気がして、手を引っ込める。

「アルティレクトォ!」

 その叫びは剛直に、天まで届く力と硬さがあった。クレアはもうハイヴマインドを落とす。

「あんたよぉ、あんたあたしの、親なんだろぉ?! 助けてくれたっていいじゃんか。こんなことしなくてもお、いいじゃんかぁ!! あたしが、あ、が何したっつうんだよ!

 マザーもなんだよ、なぜ、ハイヴマインドのこ、お、あたしにさ、言わないんだよ! あたしの家族はあああ、みんな最悪だなあああ」

 彼女は素直に騒ぎ立てる。公威と則雄は必死に祈る時の力強さで手を各々固く握っていた。心を冷たく作られたハベルも、クレアが落としたハイヴマインドを取ろうとはしない。皆体験済みの地響きが今、何やら段階的に大きくなっていく。

――**~~

 世界規模で一千万人ほどが、その重くて暗い機械音を幻聴したに違いない。あるいはキラキラした透明な音に変化し、あるいは疾走感溢れる朗らかな旋律に変化する、その音を。

 一同が静まり返るそこに、壮大な透明ダコの足が二本ばかり天井と壁を壊していた。それはそれきり動かない。

 そう。そうだ、まさしくそれだった。この時何が起きたかは、私には想像に難くない。伝承の文章としては、ここにそれをつぶさに書くのがより機能的だが、それは野暮というもののように思える。とにかく、ここに書かれないほうが良いことが起きたのだった。


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