18.次間探訪  ◆METAVERSE・1.65.32.593F・東京国文興区・青の街角 Mt^TK.BK.0499ctb::1.65.32.593F



「さて」

 オーディン化身アバターの彼がカーネルだ。そしてクレオパトラがクレア、着ぐるみ少女がすずしろで、荀彧がハベル。そして琳瑚は、真っ赤なトカゲ人間。

「全員集合だ。今度は私も行く。それで意義はないな?」

「ねえ、ちょっと一言くらい」

「いや、わかってる。近頃の治央区の医療は実にすさまじいな。私も抗老化アンチエイジングでは世話になった」

「違うっっての! 私たちに謝りなさいよ自己中野郎」

「ご主人、そ、そんな怒らないでください」

「やあ、君もスリッ党かい?」

 四人全員が聞きなれないその声は、当然ながら五人以外の者の声である。

「はあ?」

「そうだろ? そんな思わせぶりな化身アバターしといて、違うってことはないだろ?」

 気味悪く近寄られたためか、琳瑚は大振りに蹴る。

「え」

「ひええぇ」

「暴力的・性的接触はできないから。この世界ではね」

 専門家であるクレアが教える。琳瑚の足は相手を透過し、声をかけてきた集団はその荒さに面食らって逃げ返る。

「では、行こうか」

 先日、かねてより蜂の巣社の不審さを暴きたかったカーネルと、その頭脳にあやかって様々な利益を享受しているクレアの間に大きな亀裂が生まれたため、互いの意見の折衷案としてカーネルも次間上を同行することとなった。先ず隗より始めよと、カーネルも、謝ることの屈辱から否定はしなかった。

「さっきのやつらなど、こっちからブロックできないのか」

「できるよ。メニューから接触オプションを選んで、そこで所属グループ以外の接触をブロックする、そうすればオーケー」

 そうとなれば、とことん快適な東京観光である。ここは蜂の巣社が巨大企業らしく、巨額の金を投資して細部まで作り上げた次間。次間で必要ないはずの、月輪発電ツキノワシステムを構成する天蓋から大気のすがすがしさまで、五感で感じうる万物が揃い踏み。さらに、METAVERSEならではの物事が、ここを現実ではない空間だと認識させる。例えば空を飛ぶ、都市にいるはずもない鳥たちや、膨大な数のきらびやかな次間広告など。特に広告は、何をしなくとも付きまとう。ここに数時間もいるだけで、効率的なあしらい方を覚えられるほどに。

「なあ、ここはハニカムが提供する空間なんだろ? 俺たちがこうして、ハニカムへ襲撃するための下見に使うことがばれたら面倒なんじゃないのか」

広告を振り払いながら、ハベルが気付く。

「やや鋭いな。まあその件は深く考えなくてもいいだろう。私たち以外に、ハニカムに不満を持ちながらここを利用するものはゴマンといる。もちろん五万では済まない数だ。いくら知脳が疲れ知らずとはいえ、すべての会話をリアルタイムで処理することは不可能ではないもののコストがかかりすぎるのだ」

「知脳って疲れないんですか?」

「当たり前だろう。そのために開発されたようなものだからな」

 すずしろが少女の姿に見合う素朴さで質問をして、カーネルが最高神に相応しい口調で教える。見渡せば、こちらにはエリザベス女王期の女海賊から雅な和歌がお似合いな日本貴族、あちらにはゴーレムまで様々な化身アバターが、その姿以上に様々にうごめいている。昼ながら、夜の繁華街じみた陽気さと、夜ながら、昼の日光じみた輝かしさを内包する大都市。その矛盾に満ちた土地にいるからこそ、全く整合性のない五人組でも無言の歓迎に迎えられるのだ。

「ねえカーネル、なんか暇だから豆知識披露して」

 ちぐはぐな五人は、同じような雑談と教示に満ち溢れながら、蜂の巣社への道を確認する。

「ふむ。アブラムシという害虫がいるのはご存じかな? こやつは尻から甘露を排出することでアリと共生していることは有名だが、それ以上に面白いのは、彼らが通常生命維持のためには必須アミノ酸などが足りない師管液だけを吸って生きながらえているということだ。というのも、彼らは体内にブフネラという細菌を垂直感染によって細胞に住まわせ、共生することで互いに互いの養分を補っているのだ。素晴らしい共生じゃないか? アブラムシは、あの小さな体で、私たちと同じように、細菌を遺伝子レベルで制御する」

「ふーん。九点」

「高得点じゃないか。素晴らしい」

「いや何言ってるの? 百点満点に決まってるでしょ」

「君は私をぬか喜び指せる天才だな」

「あんたこそ私を退屈させる天才」

「案外仲いいね、二人」

「そんなわけないだろう」「そんなわけないでしょ!」

 二人は寸分たがわないタイミングで、同じような意味を叫ぶ。琳瑚とすずしろはにやにやしていた。

 

「もうすぐだ。ここからは裏道にはいるから、今一度ブロック機能が作用しているか確認をするように」

 さもなくば、脳内に直接、渾々沌々たる罵詈雑言に加え不快ないやがらせがなだれ込んでくる。一気に裏さびた印象が強くなるその道では、あらゆるものが手に入るはずの次間に似合わず多くのものが取引されている。内訳の大半は現実でも使えるような違法改造された情報の積載された集積片チップだが、いかつい端末やいかがわしい代物などの現物も若干数売りに出されている。違法というところから当然東京国権威知能アマテラスが定めまくった現実の法律群に抵触するが、次間ではグレーゾーンとされている。ハベルの疑問にカーネルが返した答えの源がここにぎっしりつまっている。

「わっ! や、やめてください!」

「こらあんた何してくれてんのよクソボケェ、この子は刃物恐怖症なのよ」

 当然、化身アバターとはいえ少女が入り込めば、嫌がらせを嫌というほど受けることになる。カーネルとハベルは淡々と進むだけで役に立ちそうもないことから、結局涙を鼻水を合わせて震えに震えるすずしろを、琳瑚とクレアの二人で防御することとなった。

「ここを抜ければ、あとは右に曲がるだけだ。安心し給え、もう数分だ」

「ここ以外抜け道なかったわけ?」

 無数の刃物から少女をかばい、疲弊する世界三大美女。ぶっきらぼうなオーディンに問いかける。

「私は否定したはずだ。こういうことが起きるからな」

「ん、いや、大丈夫です、んぐ、ぼく頑張ります」

 いくら刃の暴力的接触が体をすり抜け、痛みも傷も生じずとも、心には傷が刻み込まれる。それを見た主人が無意味に幻の痛みを感じ取る。裏道を出たころにはなにやら遭難者のように、ぼろぼろという擬態語が相応しい歩き方でいた。生ける屍のような姿で周囲の目を蒐集している。

「あれだ」

 カーネルが指さした、人ごみとビル群に囲まれた白い神殿じみた巨塔が、蜂の巣社の本部だった。瞬く間、見る人にいびつな建築を思わせるが、それは距離と方向による錯覚だ。実際は端正な直線に彩の曲線が走る、時間的空間的特色をことごとく排除した無主義の左右対象建築だ。

「ここまでの道は、もう把握しただろう。あとは現実の監視管翼アイドローンや対人の絡みに注意すれば、おのずとここへ来られるはずだ。端末にも経路はセットしておくぞ」

「なんか、一気に開けましたね」

 ハベル、琳瑚、すずしろの三人は、その絶景に初めて出会った者らしい反応をする。波打つ無感情の感動に、当然しばし心を打たれた。

「なんだ、案外人は少ないもんだね。やっぱ幻想空間か」

「いや何を言っている、現実より圧倒的に多い。見えてないだけだ」

 はっと我を忘れていたことに気付いて、琳瑚はそれに恥を感じたのか咄嗟の問いに口を開いた。

「層分けがされてるからね。ここはアマツカミ。八段階の第一層。つまりあと七階層、全く同じ景色があるわけ。ナカツクニとか、ヨミツシモとか」

「ああ」

 皆、なぜかこの時ばかりは虚脱感覚が強くなっていた。その中でカーネルは、琳瑚への説明のさなか、エスペラントのBJが言っていたことを思い出した。確かにMETAVERSEが階層構成に着手したのも、あるいは同時来訪数の無制限化に取り組んだのも、ことごとく二、三十年前で、それは開道誠樺の失踪と重なっている。さらに、ドールの発狂した六一一事件やトリオン研究所の襲撃消滅事件、記憶に新しい世界同時多発震災などはみなそれ以降に起きている。カーネルは、思いもよらなかった一つの結論に達しようとしていた。

 直後、異常な気配を皆が感じ取った。世界の変わる気配を。荘厳華麗なバロック調音楽が、どことなく、着実に鼓膜を振るわせる。周囲の人気ひとけ化身アバターを解除した人間としてどんどん消えていくか、ただうろたえるか、絶叫していた。様々な警告音が八方からかまびすしい。特にその一つは、五人組のものであった。

〈みなさん……**〉

「いかん、全員メニューから強制退出せよ!」

 グエンの短くざらついた音声の後、カーネルがメニューの操作キーとバツ印を押すのだとかすかに言ったような記憶から、クレアを除いた四人はみな現実に退避した。



「何が起こったんだ。おいグエン! グエン、アングラは何と」

「ご主人? ご主人」

 床には、カチューシャ型の頭載装備ヘッドセットが四つ散乱している。カーネルが自室にこもりグエンと情報確認をし、ハベルと琳瑚がただどうすることもできず小声で話す中、まだクレアは次間にいた。

「先生―!」

 ほどなくしてカーネルとグエンが駆けつけてくる。急いでクレアを現実に引き戻すが、時すでに遅かったか、あるいは時間の問題ではかったか、とにかく、

「東京に近づく青色景色は、完全パーフェクトの、ハイデジタルな都市だよね?」

クレアは壊れていた。

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