6.四肢四散 ◆東京国・並郷高速・目郷側 TK.TN.ms8250:h4857
「二人とも、しっかり伏せててぇーっ!」
レッドウィングは、後方から迫り来る暴走車をくぐって避ける。クレアはすずしろとハベルに金切り声で注意を喚起しつつ、自分も首を刎ねられぬよう目一杯首をすくめる。さらに並行してハンドルを操作し、出せる限りのスピードで前へ前へと、高速の出口を目指している。
「一秒でも早く抜ける、この地獄をっ!」
クレアは目まぐるしいハンドル捌きで、後に続いて次々と襲い来る警察車両を一台ずつかわしてゆく。その中でも暴走車の一台が、警察車の放った銃撃をかわした勢いのままレッドウィングの正面に迫り来る。クレアは必死に左傾して被害を右サイドミラーのみに留めた。車はそのまま直進してグエンのバイクへと迫ったが、グエンは難なくこれをいなした。
油断は一部始終許されない。クレアは寒気に襲われて左を向き、身を引き締めた。暴走車をかわす勢いで急接近した警察車のランプが、黄色く変色しているのだ。
「警告信号!」
犯罪捜査に何度も従事しているクレアには、その意味が簡単に識別できる。そしてこの後自身の頭に響くであろう言葉も、意味は無いにせよ容易に思い描くことができる。
《識別コードS5‐44、直ちに停車して任務妨害をやめよ》
「出来るならとうにやってるっての! 死ねこのクズ鉄知脳」
クレアは額に青筋を立て、警察車に向かって怒鳴った。不正解の対応を引かれた警察車上ランプが赤く変色した。攻撃信号である。クレアは愕然とした。これほどの性急な判断は手順を丸々飛ばしているしかありえない。
混乱に陥るクレアの前に、助手席に蹲っていたすずしろが立ち塞がった。
「すずしろッ、あぶな」
すずしろは主人の悲痛な絶叫を後方に受けながら、警察車両前方で発光する光線を真っ直ぐに見据えた。その残酷な光は、赤いヘッドライトと共に消える。警察車は突然糸の切れた人形のように速度を失い落下。激しくバウンドしながら高速の彼方へと消えていった。
これを機に他の警察車両のランプが一斉に赤く後方を照らす。そこにいたのは、漆黒のリングバイク。自ら撃ち落とした警察車をかわしながら、相変わらずレッドウィングの後方を悠々と疾走している。
〈大丈夫だよね?〉
「グエンちゃん……!」
すずしろの脳内に響いたグエンの声に自信以外の色は一切見えず、冷静そのもの。
「ごめんね、私のために!」
〈クレアさんに伝えて。こいつらは私が引き受ける。そのまま高速を抜けてぎりしあ荘へ行ってって〉
「そんな! ご主人、グエンちゃんが」
クレアはすずしろの声も待たず、振り向きざまに絶叫した。
「グエンっ、駄目よ無理しちゃ! 一緒に来なさいッ」
〈すず、クレアさんに伝えて。「大袈裟です」ってね〉
「グエンちゃん!」
グエンは手を大仰に振り上げ、不敵に、迫る警察車を引き連れて猛スピードで後方へと消えていった。暴走車などはもう遥か前方まで消え去り、レッドウィングの周辺には、最早一台も走っていない。
それまで黙っていたハベルが不意に口を開いた。
「家主」
「何」
「早く進め」
「は?」
「おそらくだが、要するにあのバイクが囮になったんだろう。なら」
ハベルが妙に堂々と、素早く口にする。
「あんたには感情ってものがないの」
「俺にはこの状況でその質問をする意図が知れない」
「この!」
クレアは運転席からハベルを睨んだが、後部座席の彼は不遜に組んだ手足も戻さずに、クレアの怒りに震える顔を見返している。その表情は心なしか、興味深い、と語っているようだ。助手席のすずしろが、慌ててクレアをなだめた。
「ご主人、落ち着いて!」
「似てる。あんた。あいつに」
ハベルはクレアの言葉に小首を傾げ興味を示したが、すぐにその表情が変わった。その目が見る先はクレアでもすずしろでも無く、そのもっと向こう。
「機を逃したな」
「はぁ? このカーネ」
「来るぞ、何かが」
クレアとすずしろは、彼の持つ声の緊急性に、たまらず目を凝らした。向こうから小さな影が近づいて来る。それも、相当な速度。
高速に沿って走る車両らしき影が一つ、きりもみしつつ吹き飛んだ。そしてまた一つ。それで最後の一つが、クレアたちの視界に完全に入る距離にまで近付いた。脳が識別を済ますと、先ほどの暴走車であることがわかる。その少し後方を五体の異常な
顔面蒼白となるクレアに、後部座席にて相変わらず不遜な姿勢で腰掛けるハベルが訊ねた。
「あれは? 警察の物か?」
「ち、違う。あんなの」
「こっちに来ますっ」
浮遊する未知の機体は、車体の周辺を取り巻き接近して来た。その姿を端的に言えば、頭のない人間。真っ白な機体の間接部位には先ほど口から放った緑色の閃光とよく似た光が常に明るく、腕や足は若干胴体と離れて浮遊しているようにも見える。
その光が、何の脈絡もなく口元から放たれた。
「え」
光は、余りの速度にろくに反応できないクレアに容赦なく迫る。それがあって爆発が起きた。クレアの目前だった。
「すずしろ?」
爆炎を身に纏うすずしろは柔らかに宙を浮く。黒焦げになって吹き飛んだ手足が一緒だ。主人は、喉が張り裂けんばかりに絶叫した。
「すずしろぉ――っ!!」
「待て」
運転席から飛び出そうとしたクレアの肩をいつの間にか起き上がっていたハベルが掴んで引き戻した。
「何す」
クレアは憤怒の形相で振り返ったが、その目線の先に、既にハベルの姿はなかった。空中で小さな爆音が響いた。慌てて視線を同じに移す。
ハベルがすずしろを小脇に抱えて、残る四体の光弾を避けている。信じられない俊敏さだった。
「家主ッ!」
呆気に取られるクレアの耳に、ハベルの怒号が響いた。
「うぇ? あっ、は、はいっ!」
「投げるぞッ!」
「えっ? 投げ、投げって」
次の瞬間、ハベルが手足のないすずしろの体を、レッドウィングに向かって無造作に投げつけた。クレアは一も二もなくそれを体で受けた。
「わぁっ! ちょ、無茶しないで」
クレアはすずしろを懐に抱き留めるとハベルに抗議しようと顔を上げたが、当の本人はもうそこにはいない。ハベルは両手を前足のようにして高速を疾走していた。その姿は、さながら豹。余りの速さに敵の光弾照準が狂う。いくら撃ってもハベルの足跡と手形に命中するばかりで、その進路を妨害することすら無理だった。ハベルはそのまま真っ直ぐ五体の真下まで滑り込むと、一息に一体に向かって飛び上がり組み付く。
確認ができない速さで、組み付かれた相手は首の辺りから爆炎を上げて落ちる。落ち終わるころに、ハベルはもう別の個体に向かって飛び上がり組みついており、また次の瞬間にはその個体も首から爆炎を上げて落下する。
すぐさま残り一体となった
ハベルは一度高速に着地すると最初に撃墜された一体の残骸から鋭くとがった破片を抜き取り、狩猟道具の要領で投げつけた。最後の一体は横に逸れてこれをかわしたが、ハベルは読んでいたとばかりに一気に距離を詰めると、標的に向かって弾丸となって進む。
ハベルは悠々着地し、こちらへ向かってゆらゆらと歩いて来た。クレアはすずしろを目一杯抱き締めながらただ呆然と、こちらへ近付くその揺れる姿にくぎ付けになるしかなかった。
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