4.邂逅 ◆東京国戸並区・西虎空港弾行駅 TK.TN.nk8440:sEp3757bs


 ――すずしろ

 所有者クレアの趣味により、常に女性的な服装を着させられている少年型ドール。怠惰なクレアを支えるため、主に家事などを行う。

 ――



 東京国は浮遊都市国家だ。いくら菌械技術オーガノテック菌糧ミールを合成しようと、飲料水を空気中から取り込もうと、足りないものは足りないのだ。真下の日本をはじめとして多くの国々が押し寄せる玄関口は、東西南北に四つある。機能的には開かれているが、それぞれに備え付けられた大規模な国防迎撃系システム速建御雷ハヤタケミカヅチのせいで、空に開かれた扉口というよりは、武装した城門の威勢を放っている。

「あー。ハベルさん、であってる?」

 西虎駅東口を行き交う人混みの中で木のように突っ立っていたハベルは、自身の肩越しに聞こえる女の声に振り向いた。

 声の主、クレアは拡張端末オーグを覗くまでもなく明らかに浮いている彼を見つけると、日本災害支援機構より届いたデータと照らし合わせ、彼こそが自宅に寄宿する若者、ハベルだと気付いた。

 恐る恐る声を掛け、振り向いたその姿をクレアは両目でまじまじと見つめた。

 線は細いが佇まいは堂々としており、フードの陰から覗く顔立ちは精悍でいて小綺麗。細い眉と切れ長の目、薄い唇にすらりと通った鼻筋。文明社会でわざわざ原始生活を送る変人というより、兵役帰りの若者といった風格が漂っている。

 ハベルはクレアの顔を真下に見下ろすと、無機質な目で顔から足元まで観察する。クレアはその何とも言えない威圧感に一瞬気圧され、次にその目に何の感情も篭っていないことに驚いた。こんな男は初めてだった。

「すずしろか?」

「へっ?」

「お前の名だ」

 低く、抑揚がなく、愛想もなく、聞きたいことを必要最低限の言葉でぶつけるだけの第一声。クレアに照会文書を渡しながらも、丸きり隙という隙がない。人間らしさのない振る舞いで虚を突かれたクレアだったが、すぐに気を取り直して会話に応じた。

「い、いいえ、私は家主のクレア」

「迎えに来るのはすずしろという奴だと聞いていたが」

「え、ええ、ドールを迎えにやれって言われたんだけど、暇だったから。私が直接来たの」

「ドールと言う名前は文書の名前に無かったが」

「ん? あいや、いやドールよ。知らないの? 愛玩oid(アイガノイド)」

「ああ」

「まじ」

 愛想も遠慮もなく、抑揚のない返答。年の差を鑑みてもぶっきらぼうさが無礼極まりなく映ったが、ドールすら知らないという彼の醸し出す謎めいた威圧感に呑まれた。紡ぐ言葉さえ見つからない。

 クレアは警察官だ。それがいつの間にか、行政指令で突然押しかけて来たこの得体の知れない若者のご機嫌を取るのに必死になっている。

「宜しく頼む」

 ハベルが突然深々と腰を折った。クレアは面食らう。声色に愛想はないが、見目からはめっぽう愛想が含まれていそうな、丁寧なお辞儀である。丁度クレアの胸の辺りに、フードを被った頭がペコリと下げられている。

「ちょ、ちょっと! いいのよ、そんな律儀に」

「そうか」

 ハベルはすぐに頭をあげ、またも頭一つ分高い所からクレアを見下ろす。クレアは唖然としつつその目を見た。切れ長の瞳からは、相変わらず何の感情も窺えない。

「ぷっ、はあ、ごめんなさい」

 ハベルは沈黙したまま、肩を震わせ、口元を押さえ、心底楽しげに笑うクレアを見下ろし、少し首を傾げた。

「やっぱ変わってるわ。想像以上に」

「何かおかしかったか」

「ううん。いいって、あんたはそのままで。私は好き。そういう媚びないタイプ」

 クレアは暫く笑うと柔らかな微笑を湛えた顔を上げ、ハベルの肩を親しげに叩き上げる。

「じゃ、行きましょうか! 運転は自動ね。ウチまで結構あるけど、快適な時間を約束するから」

「ああ」

「ヨロシクね、ハベル。行こ!」

 ハベルはクレアに手を引かれながら、いつの間にか自分に向けられた呼び方があんたとなっていることに多少の違和感を覚えたが、そもそも悪い気がしているのかすらわからなかった。それよりも、屈託のない笑顔で面と向かって自身の一面を好き表現されたことに、得体の知れない感情が渦巻いていた。



「ウーン、流石だな、クレア。全くもって罪深い。天然の魔性だよ、君は」

 モニター越しにこのやり取りを覗いていたカーネルは手の動くまま顎髭をさすりながら、側目には何か途方もない悪巧みをしているようにしか見えない含み笑いを無邪気に浮かべていた。

「いや可笑しい。それにしてもハベル君、中々面白いぞ。私でなければその動揺は見抜けんよ。ましてクレアでは」

〈カーネル先生〉

 カーネルを取り巻くモニターの一部分に、ハベルに負けず劣らず無表情なグエンの顔が無配慮に映し出された。

「ング……、な、なんだねグエン」

〈えっと、よろしいですか?〉

「よし、早く言いたまえ」

〈はい。これからクレアさんが通る予定の戸並―目郷間高速ですが、五キロ程先から騒音が見え〉

「んん? あぁ、暴走車両だろう」

〈知らせなくとも?〉

「問題ない。恐らく更谷区の走り屋だ。あの程度クレアがわけなく捌くだろうし、不測の事態となっても助手席に盾がいる」

〈先生〉

 グエンの顔色が変わった。涼しげな目が釣り上がり、モニターの向こうから主人・カーネルを刺し殺さんばかりに睨みつけている。カーネルは苦笑し、頭を掻いた。

「まあ、いや悪かった。今のは私の失言だ。全面的に非を認めよう、グエン。すまない」

〈以後お気をつけを〉

「分かった、そう憤るな。君は自由に動け。何が起きても君なら対応出来るだろう」

〈了解しました〉

 言い終わるや否や、グエンは憮然とした表情のまま通信を切った。一人になってもカーネルは、頭を掻くのも、苦笑するのもやめられなかった。

「やれやれ、奴の禁句を忘れていたよ」

 珍しくバツが悪そうに眉を下げつつ、暴走車両の状況を確認した。警察の無人車両の動作を完全に先読みし、見事なハンドル捌きでその追跡をかわしている。

「一体何が目的だ?」

 カーネルの左目が光り、意識の上の視界が疑似的にモニター全面へと及ぶ。東京国の主要幹線道路を網羅し、犯罪者が無人車両を運用する際に潜伏する裏道や、闇取引に使われる旧道など、疑わしい部分をことごとくその目に捉えるも、それらしき影は見えない。

 左目はまた元の色に戻り、クレアの自家用車に乗り込むハベルに視線を移す。

「詰み、だな。悪いがここは静観だ。お手並み拝見といこうか、ハベル君」

 不敵に笑い、先程淹れ直したグエンのコーヒーを一口啜った。

「んん、やはり集中する時はこれだ」

 カーネルは早くも二人を激高させたことを忘れて、これから眼前に展開されるであろう劇的な抗争に、心を躍らせていた。

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