3.天才・美女・未来都市 ◆東京国目郷区・第三コンドミニアム・ぎりしあ荘 TK.MS.tc9360:s33045
――カーネル=クラーク・アダムス
世紀の大天才である開道誠樺永世博士に大きな妬みと敬意を持つ、元更谷区警察署刑事部サイバー課調査官。
――クレア・コールマン
更谷区警察署サイバー課の副機動隊員。
――グエン
カーネル所有の
――
聳え立つ摩天楼の群れ・宙を浮く様々・飛び交う各種
さらに、月面の発電系から電力を吸収する天蓋は空を偉大に覆い、立体ビジョンの快晴を照らす。その代償としての暑気もなく、代わりに吹く心地良い風が、都市の隅々までどこまでも吹き抜ける。
地震や耐震設計を意識する必要がなく、人種のるつぼでもあるこの東京国においては、絵に描いたような未来建築から古色蒼然とした日本建築の街並みまで、建物の造りに於いても無いものは無い。世界各国の大きな文化なり個人の小さな趣味なり、時間軸も世界軸も異なる様々な趣向を凝らした多種多様な街並みが、
そんな東京国においてこの目郷区第三コンドミニアムの特色は何か――それは地価の安さである。個人主義者の行き着く先と言われる三コンだ。広大に管理された自然公園の
ぎりしあ荘はそんな目郷区の片隅に粗末に佇む古ぼけたアパートだが、法律すれすれの「改造自由」を黙認しているがために、物好きが当然のように入居する。その中の「96―J」号室で、住人の男は寝起きでいた。無造作な散切り頭は淑やかにおさまることを知らなかったが、美しく整えた口髭と顎髭には一切の乱れがない。髪には触れずに既に整っている口髭を撫でつつ、黒と赤の安楽椅子に腰を下ろした。
それを合図に、光を乱反射させる壁一面のモニターには、
彼はそれらを前にして一度目を瞬かせると、それだけで全てを理解したかのように一つため息をつき、呟いた。
「ヘキサゴン」
凡ゆる情報を打ち消して、全画面が言われたとおりになる。旧式の
もっとも彼、カーネルは数字や名声に興味などない。彼が関心を向けているのは自身の発信した情報への、大衆の反応のみである。見ると、返信の数が今も爆発的に増え続ける。質の悪い炎上だった。見なくともわかる。その口喧嘩がいつまでたっても低次元に留まり続けていることを。多くにとっては噂としての人類の敵:アルティレクトはどこまでも炎上を誘うものだと、ギリギリ歯軋りをしつつ憂う。
アルティレクト。悪の知脳。蜂の巣社による研究論文からその名が知れ渡ったが、姿や実態はおろか、実在する根拠すら疑わしい存在。そんな噂話を現実味のある未確認知脳として昇華させたのが、ほかならぬカーネルだった。彼は七年前に生じたMETAVERSEの電波障害と、それに伴う健康被害の当事者だった。その真相を詳らかにしたいが故の行動だったかもしれないが、それ以上に、ようやく自分の天才的な頭脳を活用できる相手が出来たという競争心がそうさせたのだろう。
不意に、目の前にコーヒーが置かれた。そして白磁器のような肌をした上下ツナギ姿のドールが、傍に憮然としている。彼も自主的に憮然とする。
「ドリップコーヒーです」
「頼んでいない」
「ええ、しかし必要です」
「何故そう思う?」
「苛立っていますから」
「いいかグエン、私がいらんと言ったら」
「生体知能はしばしば激情に流され判断を誤ります……、如何に世界最高と言えども」
カーネルはグエンが無表情のままに発した言葉にピクリと眉を動かし、カップに手をかけた。
「フム、一理ある。しかしね、激情に流されてこその生体知能だ。不完全であって初めて完全なのだよ。そう思わんかね?」
「思います」
「よろしい、飲んでやろう」
一瞬上機嫌になったカーネルの表情はしかし、カップを鼻に近づけた途端元に戻った。
「どこの豆だ」
「ネパールですが」
「全く。何度目だグエン。豆はエチオピア系統と前に」
「ええ記憶しています。しかしこの人工種には苛立ちを抑える効能があるので」
「つべこべ言うな。現にその判断は間違っているだろう、より一層苛立ってきた」
「そうですね。モニターのストレス値がグングン上がっています」
「グエン。何を開き直っている、この出来損ないめ!」
肩を震わし怒るカーネルを尻目に、グエンはモニターを眺め続ける。
「今の感情の解放で少し減りました」
「お前……」
「ではコーヒーをどうぞ。私は買い出しの一覧を作成する予定があるのでまた」
「おい待て、グエン」
言うが早いかグエンは颯爽と部屋から消えた。カーネルは初めて寝癖のついた髪に指を差し込み、軽く掻き回した。
「やれやれ。私もクレアに倣って従順型を選べば良かったか。なぜ無型のドールなど拾ってしまったのやら」
まだ外にいるかもしれないことを念頭に置いて、聞こえよがしに文句を言いながら、コーヒーを啜る。
「美味い」
穏やかな時間が流れる。目を瞑ると
「ねえ、ちょっと、あ、珍しい。なにリラックスしてるの」
安楽椅子にしっとりと身を沈めて恍惚に浸っていた彼の耳に、現実の異物が届いた。重い瞼をどうにか上げて、ゆっくりと声の方へ目を向けると、当たり前ながら、声の主が、部屋の入り口に身を寄せながらこちらを見ている。
「んん……。君か。いや何のことはない。いささかコーヒーをな」
「へぇー、いい香り」
ヨレた白いタンクトップにダメージジーンズというラフな出で立ちの彼女は、いつもながら東京にいながらして影の住民に似た出で立ちだった。何処か気だるげな態度で、無遠慮に部屋の奥へと進んでコーヒーメーカーの前に立つ。その胸元に黒いブラジャーが透けているのをカーネルは見逃さない。彼は無防備な立ち居振る舞いを見て、かつて更谷署に身を置いていた頃を思い出す。自分が退官した後も、彼女は変わらず警察にいる。
「何みてんの」
クレアは勝手に注いだコーヒーカップを手に、相変わらず微睡んだ目で自分を見つめるカーネルに向かって音声言語のとげを飛ばす。
「どうだ」
カーネルは無視して、感想を訊ねた。クレアは微妙な顔持ちで何もかも動きを止める。
「いつもと比べて」
「え、これ? 何か違うの?」
「香りで気付かん上に飲んでも気付かんか。流石だな」
「はいはいバカ舌で悪かったね。なに、豆変えたの?」
「ネパール系統種だ。少し気分を変えたくてね」
クレアはカップに口をつけたまま、鋭くカーネルを見つめる。彼は怪訝な顔をしつつ、嫌な予感に襲われた。
カップから口を離したクレアは、ニンマリと笑って言った。
「嘘でしょ」
カーネルは瞑目し、黙り込んだ。
「さっきグエンちゃんに会って、機嫌はどう? って聞いたら、私が選んだコーヒーでリラックス中です、って」
「要件を聞こう」
「逃げる気? 見栄っ張りのカーネルさん」
「もういい、帰れ」
「分かった分かった、言うからさあ……」
子供っぽく本気で嫌がるカーネルの横顔を見てクレアは縮こまった失笑をした。
「なんだね、早く言わないか」
「まぁ大した話じゃないんだけど。ウチに同居人が来ることになって。それも急に」
「ほう? いつからだ」
「今日」
「なるほど急だな」
「地震の影響で住処を焼け出されたとか言うんだけどね、住処って何よ? って思って。普通家って言うでしょ? なんか怪しい! それでね、突き詰めて聞いてみると」
「クレア」
「何」
「君と話していると、治央の恩恵を受けることなく死んだ祖母を見ているようだ」
「んなっ、何、どういうことそれ!」
「要点を言うんだ、要点を。ん?」
眉を顰めながらクレアを横目に見上げたカーネルは、その顔が真っ赤に上気し、小刻みに震えていることに気付いた。
「しまった! 地雷だったか」
どこまで本気か分からないほど大袈裟に驚いてみせたカーネルは一つ咳払いをすると、椅子をくるりと回転させて体をクレアに向けて威儀を正し、至極真剣な表情で語り始めた。
「ふむ。クレア、確かに君の肉体年齢は、ええと、だいたい二十八だ。そろそろ世間の目も気になって来る頃だろう。だが気に病むことはない。実年齢はもっと下だ。言わずもがな老婆なんて言葉が当て嵌まるのはもう少し先の……、おぉっ!?」
瞬間、クレアの手から全力で放たれたカップがネパールコーヒーを撒き散らしながら激しく回転して飛び、カーネルの顔面を掠めて壁に激突し砕け散った。
「思ってること全部口に出さなきゃ気が済まないのかあんたはぁッ!!」
「お、おいクレア、落ち着け」
「黙れッ! 報告ッ!!」
カーネルは眉をピクリと動かすと、途端に無表情になってクレアの言葉に集中した。
「今日ウチへ来る同居人はね! まだ二十そこらの男よ、男! そんで住処云々はそいつがあの竜の森で原始生活送ってた超ド級の変人だって話! そんな怪しい奴の迎えに私の可愛いすずしろちゃんを行かせらんないから、しょうがなく私が行こうかと思ってたの運転好きだし得意だし! でも流石にちょっと不安だからあんたが東京中に勝手に仕掛けてるっていう隠しカメラで見といてもらって、出来ることならグエンちゃんにも来てもらおうかと思ってたけどムカつくからもういいわっ!!
フン、これで満足!? ついでに言っとくけどねぇ! グエンちゃんにもっと可愛い服着せてやんなさいよあの子女の子なのよ!? あんなダッサい汚いツナギ着せて、買い出しなんか行かせてんじゃないよ! 虐待よ! 最低! クズ! 偏屈者! 朝っぱらからSNS開いてるネット依存野郎! 何が世界最高の生体知能よ、この矛盾まみれの自己愛性人格障害者ッ!!」
クレアは猛烈な勢いで報告の要点と溜まりに溜まった罵詈雑言をほぼ五対五の割合でカーネルにぶつけると、そのままズンズンと足音を立てて出口へと向かった。カーネルは暫し口を開けてその様を見つめていたが、クレアがドアに手をかけて今にも出て行こうとした瞬間、思い出したように声を掛けた。
「あぁ待てクレア!」
「何よッ!」
「このコーヒーだがね」
「うるさい知るかッ!!」
バァン、と豪快な音を立てて、クレアとカーネルの間をドアが隔てた。カーネルは頬を掻きながらカップの破片と撒き散らされたコーヒーで散らかった部屋を見回すと、己の過ちなどとうに忘れ去ったように小さくため息をつくと、チェアに体を沈めた。
「やれやれ、困ったものだ。しかし流石は現職。報告要請、どちらも及第点だな。グエン」
〈はい〉
カーネルはモニターを見やり、素早く呼びかける。すぐさま画面に、無表情に返事をするグエンの顔が映し出された。
「尾けろ」
主人は淡々と命じ、従者もまた淡々と引き受ける。
〈かしこまりました〉
「全起動」
部屋の四方、いや天井と床を含む六方から、一斉にまばゆく明かりが放たれる。部屋中に埋め込まれた壁液晶が、効率的に東京国全域を見渡す巨大な監視モニターと化した。カーネルの左眼窩に埋め込まれた
一点は、高速を疾走する赤い自動運転車。主席にふんぞり返るクレアがおり、助手席には「メイド服姿」の愛くるしい少年が腰掛けている。
一点は、その背後より一定の距離を置いて疾走する
そして最後の一点は、戸並区西虎
モッズコートのハベル。凡そ文明の色を一切感じない彼はしかし、特段の感慨を受けた様子もなく憮然とした表情で、眼前に広がる未来都市・東京国を眺め回している。
「やぁ、君だね? 君だろう、クレアの同居人は。何事もなくここで会えることを期待するよ。グエン」
〈はい〉
「確認した」
〈はい、共有しました〉
カーネルがもう一度目を瞬かせると、目は元の色に戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます