最終章 迫る闇と誰かの幸福
1 付喪神と堕ちた神
──閉じられた
汰一は今、自分が置かれている状況を把握した。
先ほどまで自室のベッドで横になっていたはずが、いつの間にか瞼を閉じ、どこかに立たされているのだ。
熱くも寒くもない、夢の中にいるような空気感。
……間違いない。いつも柴崎に呼び出される、あの真っ暗な空間に強制召喚されたのだ。
やれやれ、ようやく面と向かって文句が言えるのかと、汰一がゆっくり瞼を開ける……と。
「むーっ! むむむ! むむぅぅー!!」
何も見えない真っ暗闇を想定していた汰一の目に映ったのは……
「むーむー」
ぎょっとして後退りすると、おでこの持ち主の全体像が見える。
黒く艶やかなおかっぱ頭。
巫女のような着物姿。
五、六歳ほどの見た目をした、小さな身体。
自称・福神にして風神、あの巨大な"
白い蛇に口元まで巻き付かれた状態で、上から逆さに吊られていた。
「…………どういう状況だ、これは」
漆黒の天井から蓑虫のようにぶら下がる艿那を眺め、汰一は半眼になる。
艿那は、塞がれた口からひたすらに「むー!」と言葉にならない声を発している。
とりあえず助けてやろうかと、汰一が手を伸ばしかけた……その時。
「だめだめ。今お仕置き中なんだから、情けは無用だよ」
……そんな緊張感のない声に、背後から止められる。
汰一がゆっくり振り返ると……
案の定、そこには、ピンク髪のチャラついた神・柴崎が佇んでいた。
汰一は目を細め、緊張感のないその顔を見つめ、
「……久しぶりだな。もう会えないかと思ったよ」
嫌味と恨みが混ざったような声で、投げかけた。
しかし柴崎は飄々とした態度で肩を竦め、その声を受け止める。
「やだなぁ。ボクってば神さまなんだよ? そんなホイホイ姿を見せたら有り難みがなくなっちゃうじゃん」
「最初から有り難みなど一ミリもないが」
「えーん。久しぶりに会ったのに汰一クン冷たいよう。ボク泣いちゃう」
「うるせぇ、泣きたいのはこっちの方だ。お前には聞きたいことが山ほどあるんだよ。まずは……」
……と、吊られたまま「むーむー」言っている艿那を見つめ、
「……これは、何だ?」
とりあえず、目の前の疑問をぶつけることにする。
すると、柴崎は呆れたように腕を組み、
「彩岐蝶梨がたい焼き屋さんで大当たり引いたでしょ? あれは、他でもない
そう、ため息混じりに答えた。
そのまま、うねうねと身を
「お陰で汰一クンたちを助けるのが遅れたんだからね。ちゃーんと
と、まるで親が子を叱るように言い聞かせる。
……ということは、やはりあのたい焼き屋で起きた突風も、その後の嵐も、この艿那の仕業で……
最後に神社の屋根に現れた蛇は、予想通り柴崎本人が化けたものだったようだ。
汰一は納得してから、柴崎と艿那の間に割り込み、
「確かに危ない目には遭ったが、艿那ちゃんも悪気があったわけじゃないだろ? 小さいのにこんな逆さ吊りにされて可哀想だ。離してやれよ」
そう、柴崎を宥めるように言う。
しかし柴崎は、ジトッとした目で汰一を見つめ返し、
「……汰一クン。彼女はね、ボクよりも二百歳は年上だよ」
「に、二百歳?!」
「そ。見た目に騙されちゃダメ。子どもの姿を借りれば何しても許されると思っている
「性悪ロリ淑女……」
「いい歳したベテラン
ベテラン淑女に対する罰が逆さ吊りというのもどうかと思うが……
というツッコミは、面倒くさいので飲み込むことにした。
年齢のことを言われた途端、艿那はさらに身体をくねらせ「むーっ!」と暴れるが、巻き付いた蛇はまったく離れる気配がない。
幼女を虐げているわけではないことを理解した汰一は、
「柴崎……あの"黒い獣"は、一体何だ?」
そう。汰一が最も聞きたいのは、汰一と蝶梨を襲った、あの奇妙な獣についてだ。
「今日の件だけじゃない。この間もクッションの中から似たようなものが現れて、襲われそうになった。あれらは、前にお前が言っていた『実体を持って
その問いに、柴崎は……
やはり緊張感のない表情で、静かに頷く。
「そうだよ。君が感じている通り、あれは"厄"とは似て非なるもの……何者かによって、意図的に生み出された存在だ」
「何者かに、生み出された……?」
汰一は額に汗を滲ませ、柴崎にぐっと近付き、
「ってことは、誰かが俺や彩岐を狙って送り出したものなのか? 誰なんだよ? 何故そんな奴を野放しにしている?!」
「まぁまぁ、落ち着いて。いま順番に説明するから」
詰め寄る汰一を宥めるように言うと……
柴崎は、一呼吸置いてから、語り始めた。
「結論から言うと、あのワンちゃんたちを放った者の正体は特定できていない。けど、予想はついている。ボクの考えている可能性は二つ。一つは、
「付喪神、って……物に宿るって言われている、あの?」
「そ。付喪神は『神』の名を冠してはいるけれど、その性質はボクや
要するに、死んだ人間の霊魂から生まれる"厄"と違い、付喪神は生きた人間の"念"から生まれるため、此岸で実体を持つことができるらしい。
頭の中で情報を整理する汰一に、柴崎は続ける。
「付喪神の場合、やっつけるのは大したことないんだけど、特定するのが大変なんだよねぇ。人は物に思い入れを抱くものだから、付喪神が生まれるのはそう珍しい事象ではない。此岸にごまんとある物体の中から、あのワンちゃんをけしかけた付喪神の苗床を探すのは……はぁ。考えただけで途方もなく面倒くさいよ」
「付喪神ってのは、みんなこういう悪さをするものなのか?」
「んー、そんなことはないよ。純粋に持ち主の願いを叶えようとするのが付喪神の本質だからね。その願いというのが
「じゃあ、俺や彩岐の不幸を願う奴がいて……そいつの持ち物が付喪神を宿した、ってことか?」
「あくまで仮説だけどね。断定するにはまだ早い。それに……ボクが懸念しているのは、もう一つの可能性の方なんだ」
柴崎は、一度言葉を止めてから……
あらたまった様子で、続きを語る。
「もう一つの可能性。それは……"堕ちた神"の仕業、というもの」
「おちた、神?」
「そう。ボクたち神にも、
それを聞いた汰一の脳裏に、柴崎と初めて対面した時の会話が蘇る。
『神が神でなくなるほとんどの原因は、"堕ちる"ことだから』
そういえばそんなことを言っていたな……と、あの時抱いた疑問の答え合わせをしながら、汰一は続きを聞く。
「
「え。ってことは、艿那ちゃんは"堕ちた神"なのか……?」
「ううん、彼女の場合は
その言葉に、汰一が艿那を見ると……彼女は気まずそうに目を逸らした。柴崎はやれやれと首を振る。
「
「狩る、って……神が人に、危害を加えるってことか?」
「『危害』って言うと語弊があるなぁ。ほら、天罰って言葉があるでしょ? 悪いことをすると
その名に禍々しさを感じ、汰一は背筋を震わせる。
それを認めた柴崎は、ニヤリと笑って、
「どうしたの? 何か天罰を受けるようなことをした覚えでもある?」
そう、からかうように聞いてくる。
射抜くような視線に、汰一は何もかもを見透かされているのではないかと思いながらも、
「……あるわけねぇだろ」
と、落ち着いた声で答え、
「覚えはないが、要するにその"
柴崎の目を真っ直ぐに見つめながら、言った。
それに、柴崎はパタパタと手を振り、
「あぁ、違う違う。ボクが考えているのは、汰一クンたちに天罰が下るとかそういうのじゃなくてね。罪を犯した神が"
「……は?!」
予想より遥かに厄介そうな柴崎の考えに、汰一は思わず声を上げる。
柴崎は深々とため息をつき、続ける。
「たまーにいるんだよ、罰を受け入れられず逃亡する神がね。今日、汰一くんが告白したあの神社も昔は神さまがいたけど、うんと昔に罪を犯して逃亡し、今はいないんだ」
「なっ……お前、なんで告白のこと知って……!」
思いがけない指摘に、汰一は顔を赤らめる。
柴崎は「ぷくく」と笑って、
「やだなぁ。ボクは神さまなんだよ? 何でもお見通しに決まってんじゃん。あのワンちゃんたちが去った後のキミたちの雰囲気を見ればわかるよ。こう、互いの無事を確かめるようにぎゅっと抱き合ってさぁ。もうすっかり
「って、ただ覗き見してただけじゃねぇか!!」
蛇の姿をした柴崎に覗かれていたことを知り、汰一は顔から湯気を噴き出す。
睨み付ける汰一の視線を、柴崎はやはりニヤニヤしながら受け止め、
「神社の境内でイチャイチャするなんて、それこそ罰当たりだよ? よかったね、たまたま神さまのいない
「……もしかして、神がいないからあんな暗い雰囲気だったのか? あの神社は」
「そうそう。神無き
そこまで話し、柴崎は腕を組み直す。
「話を戻そう。要するにボクが懸念しているのは、どこかの"堕ちた神"が罰を受けることを恐れ、人間に憑依し身を隠しているんじゃないか、ってことなんだ。そしてお
「神なのに、そんな悪どいことをする奴がいるのか?」
「神ってのは、キミが思っているほど完璧な存在じゃないよ。だって、そのほとんどが元人間なんだから。かく言うボクもそのクチだし」
「お前も、元は人間だったのか……?」
汰一が驚きながら尋ねると、柴崎は誤魔化すような笑みを浮かべ、
「ま、ボクの話は置いておいて。"堕ちた神"が人間に憑依するのは、逃亡する時の常套手段なんだ。神の気配を消すことができるからね。最も、その憑依という行動すら大罪なんだけど……既に堕ちた者にとっては、罪が一つ増えようが構わないんだろう」
「それじゃあ、その"堕ちた神"がどの人間に憑依しているのかはわからないのか?」
「うん。だけど、動きを見せれば何かしらの痕跡は残る。それは
そして。
柴崎は……顔に
「……ボクが最も恐れているのはね、汰一クン。失踪した
いつになく神妙な声で、言う。
「実は
「ちょっと待てよ。そんな話、聞いてないぞ?」
「そりゃあ言っていなかったからね。ここまでキミを巻き込む予定じゃなかったし……こんなに手こずるとは思わなかったから」
そこまで言うと。
柴崎は、真っ直ぐに汰一を見つめ、
「本当に……一体何処に姿を眩ましているんだろうね、"彼"は。早く捕まえないと……何をしでかすかわからない」
と……
低く、囁くように言った。
その視線に、まるで蛇睨みような鋭さを感じ、汰一は動けなくなる。
しばらく目を逸らせずにいると……
柴崎は、ふっといつもの緩い表情に戻り、
「……ということで。ボクは黒幕が何者なのか調査するから、汰一クンはこれまで通り彩岐蝶梨の側にいてあげてね。彼女の誘惑に負けて殺したりしちゃダメだよ?」
「殺すわけねーだろ!」
いつものノリに戻り、汰一はどこかほっとしながらツッコむ。
しかし、柴崎は眉を顰めて汰一を見つめ返し、
「本当かなぁ? 汰一クンてちょっとSっぽいところあるし、いつか勢い余って
「現在進行形でロリ淑女を逆さ吊りにしているヤツに言われたくない」
「キミの彼女は大事な次期神さま候補なんだから、くれぐれも大切にしてよ? 首とか絞めないでね?」
「そっ、それは……」
……と。
汰一は、彼女の首にネクタイを巻き付けた時の危険な感覚を思い出し……
「……善処する」
気まずそうに目を逸らしながら、そう答えた。
柴崎は、ジトーッと汰一を見つめ、こう返す。
「……
「やめろよ! わかったから、危ないことはしないから!!」
両手を上げ全力で誓う汰一に、柴崎は満足げに頷き、
「よろしい。じゃあ、今日はこれで解散ね」
さっぱりとした口調で言う。
それに、汰一は慌てて、
「待てよ。本当に俺は彩岐の側にいるだけでいいのか? 彼女を護るために、他にできることはないのか?」
身を乗り出し、尋ねる。
柴崎は、少し驚いたような顔をしてから……
ふっと、困ったように笑って、
「……キミは本当に、彩岐蝶梨のことが好きなんだね」
「当たり前だろ。彼女以上に大事なものなんて、他にないんだから」
「はいはい、お
「変わった動き?」
「そう。いつもと違う言動や、矛盾した行動を取る者がいたら注意して。"堕ちた神"が憑依しているかもしれない」
「なっ……」
「それから、今日みたいに何者かに襲われたら『青池神社』を目指して逃げて。神代町の中でボクが拠点にしている場所だから、そこまで来れば安全だよ」
そう言うと、柴崎は一歩後退し、
「じゃ、そゆことだから。また近い内に会おーね、汰一クン。
その言葉を最後に。
汰一の意識は、その空間から切り離された──
「──もう喋ってもいいよ、
柴崎がパチン、と指を鳴らすと、艿那を縛り上げていた白蛇がぱっと姿を消した。
宙吊りになっていた艿那は顔面から着地し、「ぶべっ」と情けない声を上げる。
しかしすぐに起き上がり、両の眉をキッと吊り上げ、溜まりに溜まった怒りをぶち撒けるべく大きく息を吸い込み……
「二百歳も上じゃない! 百八十歳じゃ!!」
「あ、怒るとこソコなんだ」
腕を組みながら平坦な声で聞き返す柴崎。
艿那はぷんぷんと全身に怒りを滾らせ、さらに声を上げる。
「当たり前じゃろ! レディーの年齢を二十歳も盛るなんて! 非道い、非道すぎるぞっ!!」
「あはは、ごめんごめん。キミは今も昔も若くて可愛いから、いくつなのかわからなくなってしまうんだよ」
「なるほど、確かにな! そういうことなら仕方ない!
「ありがとー」
けろっ、と機嫌を直す艿那に、柴崎は棒読みな声を返した。
それから、先ほどまで汰一がいた場所を見つめ、
「……進展はなし、か」
と、残念そうに呟いた。
艿那は袴の裾をぱんぱんっと払いながら、それに答える。
「あそこまでの話をされても、動揺した様子はなかったな。嘘をついているようにも見えなかった」
「だよねぇ。やっぱりもう他に移ったのかなぁ?」
「じゃが、相変わらず妙な"魂"と"器"を持っておる」
「そうなんだよ……あーもーわかんないなぁ。何このパターン」
「ふふ。さっき『何でもお見通し』などと
「……それは自分でも思った」
はぁ、とため息をつき、柴崎は自嘲気味に笑う。
それから、隣に立つ艿那を見下ろし、
「……ていうか、まじでもうこの件には関わらなくていいからね? ちゃんと『われには関係ないし』ってスルーしてよ。これ以上小さくなったらどーすんの?」
言いながら、彼女の頭にぽんっと手を置く。
「……知ってるでしょ? ボクは
そして。
その声に、少しの憂いを孕ませながら、
「……もう、
そう、囁くように言った。
艿那は、何度か瞬きをした後……
ふっと、大人びた表情で微笑んで、
「……あぁ。わかったよ、
柔らかな声で、そう答えた。
柴崎は、苦々しい笑みを浮かべながら艿那の頭をくしゃりと撫で、
「……その呼び方、いい加減やめてほしいなぁ」
と、どこか悔しそうに呟いた。
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