5-6 蝶とゲームセンター

 



 * * * *






 それから。

 二人はプリントシールを撮影をして、結衣が去ったことを確認し……

 急いで着替えを済ませ、ゲームセンターを後にした。



 店を出た直後、『ぶたぬきもち』のぬいぐるみを抱いた蝶梨がクスクスと笑い出す。



「このプリクラ、何回見ても笑っちゃう。刈磨くんも『ぶたぬきもち』も、本当に可愛くて」



 と、先ほど撮影したプリントシール──蝶梨だけでなく汰一と『ぶたぬきもち』の顔までメイク加工され、不自然な可愛さを放っている写真を汰一に見せる。


 キラキラなデカ目と、ほんのりピンクに染まった頬。それが、汰一の緊張して引き攣った顔と『ぶたぬきもち』のアンニュイな顔と合わさって、なんとも言えない面白さを放っていた。


 楽しげに笑う蝶梨に、汰一はため息をついて、



「話には聞いていたが、プリクラってここまで顔が変わるんだな…… ぬいぐるみまで顔認証されるとは、すごい技術だ」

「私もぬいぐるみがこうなるのは初めて見たよ。『ぶたぬきもち』はこの残念そうな顔が可愛いと思っていたけど、こういうキラキラ顔もおもしろくていいかも」

「そもそもなんではこんな気怠げな表情をしているんだ? 何か設定というか、背景があるのか?」

「『ぶたぬきもち』は豚と餅の間に生まれた奇跡の子なんだけど、その美味しそうな見た目から食べようとする人間たちに常に命を狙われているの。だから、友人の亡き骸から剥いだ毛皮を被ってタヌキのフリをし世を忍んでいる……っていう設定があるよ」



 なるほど。それでこんな、この世の全てに絶望したような目をしているのか……

 と、一介のゆるキャラが抱えるにはなかなかに過酷な設定に、汰一は同情心を覚える。



「…… 『ぶたぬきもち』、俺も推そうかな」

「ほんと? 刈磨くんが好きになってくれたらすごく嬉しい! 今度キーホルダーのガチャガチャが出るらしいの。一緒に回しに行かない?」



 瞳を輝かせ、顔をぐいっと近付けてくる蝶梨。

 その嬉しそうな表情に、汰一は……



 ……ほんと、随分と"素"を出してくれるようになったな。



 と、思わず顔を綻ばせながら、「わかった」と答えた。

 それから、少し警戒するように周囲を見回す。



「しかし、まさか浪川なみかわとこんなところで遭遇するとは……すごい偶然だったな」

「うん、本当にびっくりしたね。結衣の口ぶり的に、前にもこのお店に来たことがあるみたいだったけど、有名な店舗なのかな?」

「この辺じゃ一番でかいゲーセンだからな。忠克も欲しい景品のためにわざわざここへ来たらしい」

「そうなんだ。みんなテスト前なのに結構遊んでいるんだね。私も人のこと言えないけど」

「う゛っ……確かに、よく考えると誘う時期を間違えたな。ごめん」

「ううん、そういう意味で言ったんじゃないよ。むしろ今回のテストは、刈磨くんと一緒に勉強していたお陰でしっかり復習できたから自信あるんだ。何より、私のために誘ってくれたんだもん。本当にありがとう」



 そう言って、蝶梨はにこっと笑う。

 その微笑みに、汰一は何度目かもわからない胸の高鳴りを感じ……

 やっぱりどうしようもなく好きだと、あらためて思いながら微笑み返す。



「……こちらこそ、今日は来てくれてありがとう。彩岐のためと言いながら、俺自身かなり楽しんでしまった」

「ふふ、よかった。私もとっても楽しかったよ」

「いろいろ試してみたけど、『ときめきの理由』は見つかったか? 何回かときめいていたように見えたが……」



 そう、尋ねた途端。

 蝶梨は「ん゛っ」と声を上げ、肩を震わせて、



「……も、もう少しで掴めそうな感じかなぁ。傾向は見えてきたと言うか……」

「傾向、か……俺としては、"命の危険を感じるくらいに追い詰められた状況"で『ときめき』が発動することが多い印象だな。そういう緊張感というか、スリルを求めているんだろうか?」



 真剣に考察を述べる汰一に……

 蝶梨は、ゴクッと喉を鳴らし、



「そ、その可能性はあるかも。でも、そうだとしたら変だよね。そんな危ない状況でときめくなんて……」



 などと、乾いた笑い声を上げる。

 が、汰一はその言葉を、



「いや? 別に変だとは思わない」



 と、即座に否定する。

 思わず「え?」と聞き返す蝶梨に、汰一が続ける。



「そういうの、なんとなくわかる気がする。俺もこんな体質だから、死にそうな目には何度か遭っているが、それをギリギリで回避した時ほど『生きている』って実感できるんだ。そういう瞬間を誰かと共有したら……その人は、自分にとって共に死線を乗り越えた特別な存在になるんじゃないかと思う。所謂いわゆる『吊り橋効果』ってやつだな」



 そして、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ、




「だから、そういう刺激を恋愛的なときめきに求めたって良いと思う。人の心の在り方に正解はないんだし、彩岐がどんな理由でときめいていたとしても、俺は変だとは思わないよ」




 そう、迷いなく伝えた。

 言ってから、少しカッコつけすぎただろうかと急に恥ずかしくなり、汰一は目を逸らす。

 しかし、蝶梨は……

 その言葉に胸を打たれたように、目を見開いていた。


 それから、ほんのり頬を染め、



「……ありがとう。やっぱり、刈磨くんは優しいね」



 呟くように言うと、胸の前できゅっと拳を握り、



「…………あのね、刈磨くん」



 思い詰めたような顔で汰一を見上げ、





「……私ね、本当は………………」





 そう、何かを言いかける…………が。




「…………あれ?」



 その視線が、汰一の後方──ゲームセンターの真裏にある細い路地に、何かを見つけたように止まった。


 言いかけた言葉の続きが気になったが、彼女の視線につられるように汰一も後ろを振り返る。



 室外機がいくつも置かれた、薄暗い路地。

 その室外機の一つに、丸い物体がぽつんと置かれていた。

 茶色っぽい色に、達磨だるまのようなシルエットのそれは……



「……ぬいぐるみ?」

「……かな」



 はっきりとは見えないが、色味や形からして布製品であることが窺えた。

 首を傾げてから、まるでその物体に吸い寄せられるように、蝶梨は路地へと入り込む。

 その後を、汰一もついて行くことにした。



 ビルとビルの狭間にあたるその場所は日が当たらず、暗く湿っぽい空気を漂わせていた。

 そのせいか、汰一は背筋に寒気を感じ、少し身震いする。

 しかし前を歩く蝶梨は、暗い雰囲気など気にせず真っ直ぐに進んで行った。


 そして。

 蝶梨の足が、目的の物体の前で止まる。



「わぁ、やっぱりぬいぐるみだ。可愛い」



 それを覗き込みながら、蝶梨が言う。

 たぬきのような犬のような、よくわからない動物のぬいぐるみ……形としては限りなく球体なので、クッションと呼んだ方が適切かもしれない。



「ゲームセンターの景品を誰かが置いていっちゃったのかな? 可哀想に……」



 そう言って、蝶梨はそれを持ち上げる。

 確かに、見た目は可愛らしいクッションそのものだが……



 汰一はその丸い物体から、何故か"嫌な雰囲気"を感じていた。



 先ほどから、寒気が止まらない。

 だがそれは、この場所が薄暗いせいではなく……


 この物体に対し、胸の奥がざわつき、自分の中の何かが「関わるな」と警鐘を鳴らしているからだ。



 その予感に突き動かされるように、汰一は蝶梨に手を伸ばし、



「彩岐……それに、あまり触らない方がいい」



 室外機の音にかき消されないよう、はっきりと言う。

 その声に、蝶梨が「え?」と振り返った──その瞬間。




 クッションの真ん中が水平に裂け、中から黒いもやのようなものが溢れ出す。


 その靄が、獣の形を成したかと思うと……


 口をバカッと開き、蝶梨に、鋭い牙を向けた。





「…………!」



 考えるより速く、汰一はそのクッションを蝶梨の手から奪う。

 すると、牙を生やした黒い靄が、今度は汰一に向けて大きく口を開く。



 目の前に迫り来る、漆黒の牙。

 突然の出来事に、汰一を取り巻く時間がスローに変わる。

 ……否。彼の思考が、この事態を理解しようと急速に回転しているのだ。




 これは、一体何だ?

 誰かが仕掛けたテロ? いや……


 この、気体のように透けている黒い身体……

 似ている。

 "亡者たちの境界"で見た、"厄"の姿に。


 しかし霊魂である"厄"は、"亡者たちの境界"を超えて此岸こちらに来ることはできないはず。

 それなのに、この"黒い獣"は確かに自分や彩岐の目に映っている。



 もしかして、これが……

 前に柴崎が言っていた、"実体を持って此岸しがんに現れるヤバいヤツ"なのか?





「…………っ」



 狼のような形をした漆黒の影が、汰一の眼前へと迫る。

 首から上を食いちぎろうとしているのか、大きく開かれたその口が、汰一の頭を丸呑みにする…………その直前。




 ──ヒュンッ!!




 という甲高い音と共に、一迅の風が吹いた。

 同時に、汰一に迫っていた"黒い獣"が、クッションごと遥か上空へと飛ばされる。


 そのまま、目で追うのが困難なほどの高さにまで上昇すると……

 パンッ、という小さな破裂音を響かせて、四散した。



 それは、一瞬の出来事だった。

 しかし、汰一は何が起きたのか理解する。



 今の風は……間違いない。カマイタチが助けてくれたのだ。

 すぐに対処できるような相手でよかったが、しかし……

 カマイタチが出てきたということは、やはり今のは、"この世ならざるもの"の仕業なのだろう。


 狙いは、"エンシ"である彩岐か?

 ならば……仕掛けたのは、一体何者なんだ?



 黒い獣が消えた空を見上げ、汰一が周囲を警戒していると、



「刈磨くん、大丈夫だった? ごめんなさい、私が不用意に触ったせいで……」



 横で、蝶梨が心配そうに声をかけてくる。

 まずは彼女を落ち着かせようと、汰一は微笑んで、



「大丈夫だ。彩岐こそ、怪我はなかったか?」

「うん、私は平気。びっくりしたね……黒い煙が出て急に飛んで行っちゃったけど、何だったんだろう?」



 空を見上げ、不思議そうに言う蝶梨。

 きっと彼女の目には、クッションから急に煙が出て、花火のように空へ打ち上がったと、そんな風に見えていたのだろう。


 汰一は、いまだ早鐘を打つ鼓動を悟られぬよう、穏やかな声を努めて、



「……たぶん、中にゴム風船か何かが入った人形だったんじゃないかな? それが室外機の熱で膨張して破裂した、とか……少なくとも、テロや犯罪のたぐいではないと思う」



 と、苦し紛れに思いついた言い訳を、なんとか絞り出す。

 こんな仮説で納得してくれるのか、蝶梨の反応を窺うように見つめると……

 彼女は、くしゃっと泣きそうに顔を歪めて、



「……そうだよね。爆弾とか、本当に危ないものの可能性もあったのに……何も考えずに近付いてごめんなさい。刈磨くんに怪我がなくて本当によかった。助けてくれてありがとう」



 と、破裂した物体の正体よりも、汰一の安否に意識が向いているようだった。

 大事おおごとにすることは避けられたようだと、汰一は安堵するが……

 同時に、謝るのは自分の方だと、強い自責の念に駆られる。



 汰一のズボンのポケットには、柴崎からもらった御守りが入っている。

 これさえ持っていれば、何かあった時には柴崎が助けてくれると盲信していたから。


 しかし……

 ここは、いつもの神代町かみしろちょうでも、その隣の柴崎町しばさきちょうでもない。

 柴崎の管轄から遠く離れた場所だ。


 管轄外の地でも柴崎が彩岐を護ってくれるという保証はない。

 また、この街にも"エンシ"を護る地主神とこぬしのかみがいるという確証もない。


 つまり、彩岐を護る存在がいるかもわからない土地に、彼女を連れて来てしまったのだ。

 軽率だった。ただでさえ俺は"厄"を引き寄せる体質だというのに、考えなしに柴崎の庇護下を離れてしまった。

 だからこんな、得体の知れないモノに遭遇したのかもしれない。



 早く帰らなくては。

 柴崎のいる、神代町へ。




 汰一は、彼女を安心させるように微笑むと、



「大丈夫、気にしないでくれ。とにかく彩岐が無事でよかったよ。安心したら腹が減ったな。地元に帰って、飯でも食わないか?」



 逸る鼓動を隠しながら、精一杯の優しい声で、そう言った。



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