5-5 蝶とゲームセンター

 




 にこにこと微笑みながら、こちらへ近付いて来る少女……



 ……間違いない。

 クラスメイトの、浪川なみかわ結衣ゆいだ。



 まさかこんな場所で鉢合わせてしまうとは……

 不運体質が久しぶりに発動したのだろうかと、汰一は一気に理性を取り戻す。


 幸い、結衣はまだ汰一たちの存在に気付いていないようだ。

 こんなところを見られたら大変である。早く、どこかに隠れなくては。



「彩岐、こっちへ」



 説明は後回しにし、汰一は蝶梨の手を掴むと、近くにあったプリントシール機の中へ退避する。



「ど、どうしたの? 刈磨くん」



 突然プリクラ機の中に連れ込まれ、蝶梨は動揺したように尋ねる。

 汰一は口元に人差し指を当て、声を潜め、



「落ち着いて聞いてくれ。今、浪川結衣がこっちに近付いて来ている」

「ゆ、結衣が?!」

「シッ!」



 思わず大声を上げる蝶梨の口を、汰一は自身の右手でバッ! と押さえる。

 すると、パタパタという足音がプリクラ機の外から聞こえ……



「今どきこんなに機種揃っているところって珍しいよね! こないだたまたま見っけて、みんなで来たいなぁって思ってたんだぁ」



 ……という聞き覚えのある元気な声が響き、蝶梨も結衣がいることを悟る。

 他にも女友だちらしき同行者の声が聞こえるが、そちらは汰一たちのクラスメイトではないようだ。部活仲間か、学外の友だちと遊びに来たのかもしれない。 



「どれで撮ろっかぁー? 結構混んでるっぽいね」



 すぐ近くで聞こえる結衣の声。

 汰一の心臓が、ドクドクと早鐘を打つ。



 結衣は、あまり接点のない汰一から見ても『明るく活発で裏表のない子』という印象が強かった。

 しかし……

 その長所故に、今のこの状況──普段のクールさからは想像もつかないふりふりメイド服を着た蝶梨が、汰一と二人きりでいる姿を見たら、大はしゃぎすることは目に見えていた。


 こちらが「このことは内密に」と伝えても、結衣の場合内緒にできるか危うい。

 何なら「隠さなくてもいいじゃん!」と開き直る可能性もある。


 ……つまり。

 彼女に見つかったら、学校中の噂になることは必至。

 それだけは、何としても回避しなくては。



 汰一は息を殺し、プリクラ機の外を歩く結衣の気配に意識を向ける。

 このままここに隠れてやり過ごすしかない。そう考えていると……



「……ふぅ……ふぅ……」



 ……という、荒い呼吸音が聞こえてくる。

 音の出所は、目の前にいる蝶梨だ。


 ハッとなって彼女を見ると……

 案の定、蝶梨はうっとりとした顔で、汰一の手に塞がれた口から熱い吐息を溢していた。



 これは、単に息苦しいのか。それとも……

 いつものが、発動しているのか。



 いずれにせよ、口を塞いだままの状態は良くないと思い、汰一は慌てて手を離す。



「ご、ごめん。苦しかったよな」



 手のひらに残る体温にドキドキしながら、いたわるように尋ねる。

 しかし蝶梨は、ふるふると首を横に振って、




「だめ……声、出ちゃいそうだから…………今みたいに、手で塞いでて……?」




 と、熱に浮かされたような表情で懇願するので……

 汰一はドキッとして、彼女を見つめ返す。



 やはり蝶梨は、いつもの興奮状況に陥っているようだ。

 こんな密室で、『ハァハァ』している彼女と密着し続けたら……こっちまでおかしくなってしまう。

 いつもの汰一なら、「それはできない」とすぐに断っていたことだろう。


 だが……

 先ほどのやり取りで一度理性が決壊している今の汰一は、己の欲望を抑えることができず。



「…………」



 懇願する彼女に、何も返さないまま。

 その口を、右手でそっと塞いだ。




 熱を孕み濡れた瞳。

 手のひらに当たる唇の感触。

 指の隙間から漏れる悩ましげな吐息。

 狭いはこの中に充満する、彼女の甘い匂い。


 カーテンを一枚隔てた向こうには、クラスメイトがいるというのに……

 こうして隠れるように彼女の口を押さえ、息を潜めていることに、汰一は言いようのない背徳感を覚える。



 なんだか、とてもイケナイコトをしているようで。

 彼女を閉じ込めているみたいで。

 怖いくらいに…………興奮する。



 余裕のない汰一の表情を心配に思ったのか、蝶梨は口を塞がれながら「大丈夫?」と尋ねるような視線を向けてくる。

 それに、汰一は……ふつふつと、苛立ちにも似た欲望が込み上げるのを感じる。




 彩岐のせいなのに。

 彩岐が煽ってくるから、可愛すぎるから、こっちは残り僅かな理性を必死に働かせているのに。

 そんな無防備な視線を向けるなんて……無責任すぎる。




 汰一は、口を塞ぐ手にぐっと力を込めると。



「…………大丈夫なわけあるか」



 吐き捨てるように言ってから。

 彼女の耳元に、そっと唇を寄せ……






「……一緒にいるってだけで、こっちは常に心臓破裂しそうなんだよ。なのに、こんな状況…………平常心でいられるわけねぇだろ」






 そう、余裕のない声で、低く囁いた。


 それを聞いた瞬間、蝶梨は……目を見開き、頬を染める。




 心臓の音が、身体中に響く。

 ドクンドクンと脈打つ度に、脳が蕩け、視界が霞む。


 頭の中が、"好き"だけで満たされて。

 それ以外は考えられなくて。

 こんな、頬が触れてしまいそうな距離にまで近付いているのに……



 もっと、近付いてみたくなる。




「………………」




 汰一は、右手で口を塞いだまま、左手を腰に回し……



 蝶梨の身体を、抱き寄せた。



 二人の身体の間で、『ぶたぬきもち』のぬいぐるみが窮屈そうに潰れる。

 それは、汰一にとっての"最後の理性"。

 彼女の身体をじかに感じてしまったら、もう自分を抑えられそうにないから……

 直接触れないようにと、予防線を張ったのだ。


 それでも、もう十分に後戻りのできないことをしてしまった。

 彼女を求める気持ちが溢れ、思わず抱き寄せてしまった。


 彼女は、どんな顔をしているだろう?

 隠れるためとはいえ、個室に連れ込まれ、挙句抱き寄せられたのだから、当然嫌悪感を抱いているはずだ。

 きっと、突き放されるに違いない。

 そうされても仕方ないことをしている自覚はある。



 汰一は、覚悟を決めたように目を伏せる。

 しかし……

 蝶梨は、きゅっと下唇を噛み締めると、



「…………っ」



 突き放すどころか、彼の腰にそっと手を伸ばし……

 指先で、彼の服を、遠慮がちに掴んだ。


 くいっ、と引っぱられる感触に、汰一は驚きまぶたを開ける。

 汰一の抱擁を受け入れるような、むしろ引き寄せようとしているような動作。



 わからない。彼女は一体……

 どんな気持ちで、この手を伸ばしている?



 鼓動を最高潮に高ぶらせながら、汰一は……

 彼女の顔を見ることができないまま、その訳を尋ねようと、口を開きかける………


 …………が、その時。






「じゃあ、これで撮ろっか!」






 ──バサッ!


 ……という音と共に。

 浪川結衣が、汰一たちのいるプリクラ機のカーテンを、勢いよく捲った。



 瞬間、あれほど高ぶっていた汰一の心臓が、停止する。




 まずい。ドキドキしすぎて、外の音が全く聞こえていなかった……!

 よりにもよって、こんな場面を目撃されるなんて……

 終わった。何もかも終わりだ。




 結衣の方を向けないまま、頭を真っ白にし、ひたすら硬直する汰一。


 すると……

 抱き合うような二人の姿を見た結衣は、顔を真っ赤にし、あわあわと狼狽えながら、




「し、ししし失礼しました!!」




 慌ててカーテンを閉め、走り去って行った。


 直後、プリクラ機の外から「どうしたの?」「なんかカップルがいちゃいちゃしてた……!」という結衣たちの会話が聞こえてくる。


 ……これは…………




「……俺たちだって、バレなかった?」

「……かな」




 顔を見合わせ、小声で囁く汰一と蝶梨。

 蝶梨の口元を隠していた上、結衣の方に背を向けて密着していたため、顔を見られずに済んだようだ。



 結衣の声が遠ざかっていくのを確認し、汰一はほっと息を吐く。


 危なかった……一時はどうなることかと思ったが、この難局をなんとか乗り切った。


 そう、安心すると同時に……

 まだ蝶梨と密着状態にあることに気が付き、慌てて身体を離す。



「ご、ごめん。これは、その…………そう。浪川の声が近付いていたから、見知らぬカップルをよそおい追い払おうというだったんだ。いきなり抱き寄せたりしてすまなかった。不快な思いをさせただろう」



 両手をパッと上げ、目を泳がせながら言い訳する汰一。

 それに、蝶梨も真っ赤にした顔をぶんぶんと横に振り、



「う、ううん、不快だなんてそんな……むしろだって気付いてたしっ。気付いた上で私も触っちゃったし、こちらこそごめんね!」

「お、おぉ、さすが彩岐。あの状況で俺の意図を汲み取ってくれるとは……お陰で見事な協力プレイを発揮し、完全に見知らぬカップルを演じることができたな」

「うんうんっ、完璧だった! 作戦成功だね!!」



 なんて、からっとした声で笑うので。



 ……そうか。彩岐は最初から作戦のつもりで、俺にくっついてきたのか……まぁ、そりゃそうだよな。



 と、密かに肩を落とす汰一の横で、蝶梨も残念そうにため息をついているのだが……彼はそれに気付かないのだった。




「……とりあえず浪川は離れたみたいだが、まだこのフロアにいる可能性が高い。もうしばらくここにいよう」

「う、うん。そうだね」



 言って、二人はプリクラ機の外の様子を窺い始める。

 先ほどまでの甘い空気の余韻が抜けず、気まずさを感じながら、汰一が外の声に耳を澄ませていると……



「…………ねぇ、刈磨くん」



 ふと、蝶梨が彼を呼ぶ。

 その声に振り返ると、蝶梨は照れたように俯きながら、




「……こんな格好、もうできないかもしれないから…………やっぱり、写真撮ってもらってもいいかな?」




 そう、遠慮がちに申し出た。

 汰一は、思わず「え……」と放心してから、あらためて聞き直す。



「いいのか?」

「うん。あと……せっかくだから、刈磨くんと一緒に写りたい」

「えっ?」

「……だめ?」



 そんな要求をされることなど考えてもいなかった汰一は、困惑し返答に迷うが……

 小首を傾げ、上目遣いで尋ねるメイドな蝶梨に、完全にノックアウトされ、



「…………わかった。一緒に写ろう」



 と、目を伏せながら、深く頷いた。





 プリントシール機のカメラの上にスマホを置いて、タイマー撮影をセットする。

 そうしてカメラの正面に立ち、汰一は『ぶたぬきもち』のぬいぐるみを抱え、蝶梨は遠慮がちにピースサインを作った。


 カシャッ、というシャッター音が鳴り、撮影が完了する。


 撮れた写真を確認すると、はにかんだ笑顔を浮かべる蝶梨と、ガチガチの真顔で直立する自分が写っており、汰一は苦笑いする。



「……こんなんでよかったのか?」

「うん、ありがとう。あとで送ってね」

「にしても、さすが元モデル。一発で完璧な写りだな。不慣れな俺とは大違いだ」

「は、恥ずかしいからモデル時代のことはもう言わないで。それに、刈磨くんだって別に変じゃないよ? 良い写真だと思う。これを見る度に、私……きっと今日のことを思い出す」



 そう言って、嬉しそうに笑う蝶梨に……

 汰一は、収まりかけていた鼓動が、再び強く脈打つのを感じる。



 確かにこの写真には、今日起きた出来事の全てが詰まっていた。

 ゲームセンターで遊んで、ぬいぐるみを獲って、コスプレをして、プリクラ機に逃げ込んで……


 引き攣った顔で写る自分の姿は見られたものではないが、この写真があることで彼女が今日のことをずっと覚えていてくれるなら、これ以上嬉しいことはなかった。



 汰一は、込み上げる愛しさを小さな微笑に変え、彼女を見つめ返す。

 


「……そうだな。俺もこれを見たら、今日のことを思い出すよ。しかしよく考えたら、ここでスマホで撮影するなんてプリクラ機に失礼だったかもな。まぁ、さすがに俺はプリクラは……」

「撮ろっか」

「へ?」



 間の抜けた声を上げる汰一の顔を、蝶梨は覗き込み、




「この勢いでプリクラも撮って、思い出増やしちゃおうよ。シールとして形に残れば、今日のこと……もっとずっと、忘れないと思うから」




 と……

 柔らかな微笑を浮かべながら、真っ直ぐに言った。



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