2-3 蝶とホラー映画

 



 ♢ ♢ ♢ ♢




 時を同じくして。


 生者せいじゃの住まう此岸しがんと隣り合う世界──"亡者たちの境界"では、




「──おやおや、これはまた」




 汰一に引き寄せられた"厄"を始末していた柴崎が、楽しげな声を上げていた。



 汰一と蝶梨のいる生徒会室に、がかけられている。

 此岸であって此岸でない、世界から孤立したような空間になっているのだ。

 そのため、二人は中から出られなくなっている。


 術と言っても、『呪い』と呼ぶには不完全な代物しろものだ。柴崎の手に掛かれば、解くことは容易たやすい。

 しかし、



「……この状況で何が起こるのか、少し見てみたい気もするね」



 柴崎は腕を組み、すぐにを解こうとはしなかった。

 その横で、カマイタチがふわふわと浮遊しながら「キュウッ」と鳴く。

 まるで、「早くご主人を助けろ」と抗議するかのように。

 しかし柴崎は、へらっとした笑みを浮かべ、



「だいじょぶだって。本当にピンチになったら鍵を開けてあげるから。それに、キミだって"本当のご主人様"が戻って来てくれるならその方がいいでしょ? なら、ちょっとどうなるか見てみようよ」



 と……

 汰一たちが閉じ込められた生徒会室を、静かに眺め始めた。






 ♢ ♢ ♢ ♢






「ほ……本当に動かないの?」



 窓も、ドアも開かない。

 そう告げる汰一を、蝶梨は半信半疑な視線で見つめる。


 汰一は、神妙な面持ちで頷き、



「あぁ。信じられないなら、試しにやってみてくれ」



 と、場所を譲るようにドアの前から離れた。

 蝶梨は立ち上がると、ゆっくりとドアへ近付き、手を伸ばす。


 授業をする教室の引き戸と違い、生徒会室はパソコンや機密書類を置いていることから、しっかり施錠のできる開き戸になっていた。


 内鍵がかかっていないことを確認してから、蝶梨はノブを捻り、ドアを引く。

 しかし……



「……本当だ。開かない」



 ガチャガチャと何度か試すが、微動だにしない。

 そのまま窓の方へ向かい、サッシに付いた半円型の錠を回そうとしてみるが……こちらも全く動かなかった。



「なんで急に、こんなことに……」



 生徒会室に閉じ込められたことを悟り、蝶梨は後退りしながら呟くが……

 困惑する蝶梨に対し、汰一は冷静だった。

 何故なら、この異様な事態の原因に心当たりがあるからだ。



 それは──蝶梨を狙う"厄"の影響。



 "厄"は、その身体が大きければ大きい程、此岸に与える影響力も大きい。

 以前祓った"達磨だるま"や"ひる"のような巨大な"厄"が此岸に攻撃を仕掛けたせいでこのような事象が発生しているのではと、汰一は考えていた。


 であれば、きっと柴崎が何かしらの対応を取るはずだ。

 学校がない休みの日は、柴崎が蝶梨エンシを見守ることになっているのだから。



「(……おい、柴崎。"厄"の影響なら早いところ解決しろ)」



 ポケットの中の御守りに触れながら、汰一が念じるが……返事はなく、窓やドアが開く様子もない。



 まさか、先日艿那になという小さな"福神ふくのかみ"が起こしたようなイレギュラーが発生しているのだろうか? 

 あるいは、あのチャラ神がただ怠けているだけか。


 いずれにせよ、待つしかない。

 現状、閉じ込められていること以外の被害はなさそうだし、下手に動けば状況が悪化する可能性もある。

 呼んですぐに来た試しはないが、柴崎も一応は神だ。これまでも何だかんだでちゃんと助けてくれた。

 信じて、待とう。



 ……しかし、そんな話を蝶梨に語るわけにはいかないので。

 汰一は、この超常的な現象を、こう説明することにする。




「……悪い、たぶん俺のせいだ。俺、この不運体質のせいで、昔からこういう"心霊現象"によく遭遇していたから……」




 ちなみに、これは嘘ではなく本当の話だ。

 忠克に付き合って怖い映画を観たり心霊スポットに足を運んだ後は、決まって不可解な不運にさいなまれてきた。

 今思えば、それも全て悪霊である"厄"の仕業だったわけなので、正真正銘の心霊現象に遭っていたということになる。


 汰一の不運体質については、蝶梨も重々承知しているはずだ。

 この超常的な現象に対し、"不運"というそれこそ超常的な概念でもって説明するのが現時点ではベストだと汰一は考えたのだが……



「し、ししし、心霊……?!」



 聞いた瞬間、蝶梨は顔をサーッと青ざめさせ、あからさまに動揺する。

 汰一は真剣な表情で頷き、続ける。



「あぁ。ホラー系の映画や心霊番組なんかを観ていると、こういう不可解な事象がよく起こるんだ。きっとそういう雰囲気に引き寄せられて、んだろうな」

「…………なにが?」

「霊が」

「ぴっ……!!」



 身体を縮こませ、小動物のような悲鳴を上げる蝶梨。

 その反応が可愛くて、つい意地悪を言いたくなってしまうが……そんなことをしている場合ではないと、汰一は自分を律する。



「恐らく霊は、映画と同じように俺たちを閉じ込めて、反応を楽しんでいるんだろう」

「そ、そんな……」



 蝶梨は長机に置いた自身のスマホをバッ、と手に取り、しばらく操作するが、



「……だめ、何故か圏外になってる。これじゃ助けも呼べない……」



 それから、ますます顔を青白くさせて、



「ここの鍵を貸してくれた先生も、昼には帰るって言ってた……鍵は職員室に戻しておいてくれればいいから、って……部活の生徒も、三階になんて来ないだろうし……どどどどうしよう」



 と、全身をガタガタ震わせる。


 一方、汰一はと言えば、ネットまで遮断するとは厄介な"厄"もいたもんだと、焦りを通り越し感心していた。

 数々の不運および怪奇現象にさいなまれてきたせいか、こういう場面での汰一は異様な程の冷静さを発揮する。むしろ、好きな子と一緒に閉じ込められるなんて幸運の部類に入るとさえ思っていた。


 怯える蝶梨に、汰一は落ち着いた声音で言い聞かせる。



「経験上、こういう時は"流れ"に逆らわない方がいいんだ。取り乱したり、抵抗しようとすると、その分霊も反発する」

「じゃあ、どうすればいいの? このままずっと閉じ込められているしかないってこと?」

「さっきも言ったように、霊はきっとこの映画の真似をしているんだ。であれば、映画が終わると同時にやつらも悪戯を終える可能性がある。ネットは繋がらないが、パソコン自体は動きそうだし……このまま、続きを観てみないか?」



 この提案に関しては、単なる時間稼ぎの意味合いが強かった。

 希望的観測ではあるが、恐らく柴崎は何かしらの理由で"厄"への対応が遅れているのだ。

 なら、彼女の気を引きながら対応が終わるのを待つしかない。

 ホラーが苦手な彼女に映画の続きを観せるのは酷かもしれないが……他に気が紛れるようなものもない。



 汰一の提案に、蝶梨はこくんっと喉を鳴らす。

 そして、迷うようにしばらく沈黙してから、



「……わかった。最後まで観て、それから考えよう」



 そう、意を決したように頷いた。







 ──少しでも気分を変えようと、汰一は冷蔵庫から冷えたコーラを取り出し、蝶梨に差し出した。

 二人でそれを飲むが……炭酸が喉元で弾けても、重苦しい雰囲気が晴れることはなかった。



「……続きを再生するぞ」



 その言葉に蝶梨が重々しく頷くのを確認してから、汰一は再生ボタンを押した。




 物語は終盤。

 密室に残されたのは、主人公とその恋人であるヒロインだけになった。

 周囲には命を落としたカップルたちの死体と、包丁やのこぎり、ハンマーにロープ、弾が一発だけ残った拳銃などといった凶器が転がっている。


 制限時間は残りわずか。

 このままでは二人とも心臓の爆弾が爆発し、死んでしまう。


 モニターの中の犯人は、二人に殺し合いをするよう再度命じる。生き残った一人だけを解放すると、念押しして。

 ヒロインは、「殺し合うくらいなら一緒に死んだ方がマシよ!」と拒絶する。

 しかし、主人公は……何故か妖しい笑みを浮かべていた。


 次の瞬間、主人公は床に転がっていた包丁を拾い、ヒロインに斬りかかった。

 咄嗟に避けながら、動揺するヒロイン。主人公は「生き残るのは俺だ!」と狂ったように包丁を振り回す。



 ……そこまで観た時点で、汰一にはこの先の展開が読めてしまった。

 主人公のこの凶行は、愛する恋人を生還させるための芝居なのだろう。

 恋人にわざと襲いかかり、正当防衛で自分を殺させようとしているに違いない。

 だって、本当に殺そうと思っているのなら……包丁ではなく、拳銃を拾っているはずだから。



 なんて、いつの間にかこの主人公に感情移入していたことに気が付き、軽く首を振る。


 いよいよクライマックスが近いが、蝶梨はどんな顔で観ているだろうかと、汰一は隣に座る彼女を横目で見る。

 さすがの彼女もこの状況では『ハァハァ』しないようで、主人公が包丁を振り回す度にビクビクと身体を震わせ怯えていた。



「……彩岐、大丈夫か?」



 心配になって尋ねると、彼女は今にも泣きそうな顔で汰一を見返し、



「…………て」

「て?」

「…………手、繋いでもいい?」



 そう、縋るように言ってきた。


 その要求に、汰一は心臓が口から飛び出そうになる。

 彼女と、手を繋ぐなんて……どんな怪奇現象よりも、よっぽど緊張する。


 しかし、潤んだ上目遣いと、弱りきった表情に、思考も理性も溶かされてしまい……



「…………どうぞ」



 心の整理がつく前に、左手を差し出していた。

 それを、蝶梨は遠慮がちに伸ばした右手で、そっと握った。


 触れた瞬間、汰一の胸がぎゅっと締め付けられる。

 身長はそう変わらないはずなのに、彼女の手は自分のよりずっと小さかった。

 強く握れば簡単に壊れてしまいそうな程、細くて、柔らかくて……

 その感触が愛おしくて、胸が苦しくなった。



「さ、最後まで離さないでね……?」



 なんて、子どものように言って、彼女は映画の続きを観始める。



 ビクビクという震えが、手のひらから直接伝わってくる。

麗氷れいひょうの蝶』と呼ばれるクールな彼女は、見る影もなかった。

 その弱々しい横顔に、汰一は思わず笑みを溢す。





 早く、この部屋から出なければならないのに。

 映画が終わるまでに、柴崎が助けてくれることを願っているはずなのに。



 この密室に、いつまでもいられたらと。

 そうすれば……こんなに可愛い彼女を、ずっと独り占めできるのに、と。



 そんな危険な願望が胸の隅で疼くのを、汰一は見て見ぬふりをし。

 映画の続きに、意識を戻した。



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