2-2 蝶とホラー映画

 




 ──その、数分前。




「わたし、取って来まーす!」



 そんな元気な声と共に、一人の女子生徒が野球ボールを追いかける。



 小柄な身体に、垂れ目がちな瞳。

 肩で切りそろえた栗色の髪にキャップ帽を被り、ぶかぶかのスタジャンを身に纏っている。


 裏坂うらさか未亜みあ


 汰一と同じ美化委員会の一年生にして、野球部の新人マネージャーだ。



 彼女は、野球部のノック練習で転がったボールを追って、校舎裏へと駆けて行く。

 そうして、部員たちの姿が見えなくなった途端、



「ちっ……一体どこまで転がるんだか」



 そう、めんどくさそうに悪態をついた。


 普段は愛想良く振る舞っているが、その実、彼女はなかなかの腹黒だった。

 本当は休みの日まで部活なんてしたくないし、そもそも野球に興味がない。

 しかし、高校に入って最初にできた友だちに「一緒にマネージャーやろう」と誘われてしまったため、仕方なく始めたのだった。



 入学早々ぼっちになんてなりたくなかったし、お願いされると断れない性格なのだ。

 だから、誰もやりたがらなかった美化委員会も成り行きでやることになってしまった。

 高校では、こんな『流されやすい自分』を変えたいと、そう思っていたはずなのに……



「……なんで、こんなことになってんだろ」



 と、校舎裏を小走りしながら、ため息をつく。

 そして、ようやく転がるのを止めたボールに追い付き、手を伸ばして拾った。

 やれやれ、ともう一度嘆息をして、再び校庭に戻ろうと顔を上げた……その時。



「……ん? あれは……」



 少し離れた昇降口に、一人の男子生徒が入って行くのが見え、未亜はじっと目を凝らす。



 さらりとした黒髪。

 そこそこな身長。

 猫背気味な背中。

 左腕に巻いた包帯。


 ……間違いない。美化委員会の、刈磨先輩だ。




「……こんな休みの日に、何しに来たんだろ?」



 未亜は周囲に誰もいないことを確認すると……

 ちょっとだけ、と自分に言い聞かせて、汰一の後を追った。



 足音を立てないようこっそりついて行くと、どうやら汰一は三階へ向かっているようだった。

 階段を上り切ったことを確認し、未亜は壁の陰から顔を覗かせ、廊下を歩く彼の背中を目で追う。


 汰一の足は、生徒会室の前で止まった。

 そして、二回ノックをしてからドアを開け……

 そのまま、部屋の中へと消えて行った。



 まさか……


 と、嫌な予感がぎり、未亜は忍者のようにそろそろと廊下を進む。

 汰一が消えた生徒会室の前まで辿り着くと、息を凝らし……中の様子に、耳をそばだててみた。

 すると。


 案の定、女子生徒と思しき声が聞こえてきた。



 ……きっと、彩岐蝶梨先輩だろう。

 なんか喋り方の雰囲気が違うような気もするけど……生徒会役員だし、最近二人で花壇の手入れしているのを何度か見かけているから、間違いない。


 こんな休みの日に、わざわざ生徒会室で待ち合わせるなんて……

 やっぱり二人は、付き合っているのだろうか?



「…………」



 未亜は立ち尽くし、下唇を噛み締める。


 入学して、もうすぐ三ヶ月。

 美化委員として花壇に行くのは週に一回、自分が当番の日だけだけど……

 汰一と共に過ごすその時間は、未亜にとって"我儘な本性"を曝け出せるかけがえのないひと時になっていた。



 だけど。

 そう思っていたのは……どうやら自分だけだったようだ。



 楽しげな話し声が聞こえる生徒会室。

 そのドアを、未亜はそっと撫でる。



 先輩が休んでいる間、花壇のお手入れ頑張ったのに。

 その分のご褒美が欲しいって、お願いしたのに。




「……もう、忘れちゃったのかな?」





 胸の奥に込み上げた感情が、指先から流れ……


 触れたドアに、どろりと染み込んでいく──






 ──その時。

 バットがボールを打つ「カキンッ」という音が聞こえ、未亜はハッとなる。



「……いけない、戻らなきゃ」



 未亜は、後ろ髪を引かれる思いを断ち切って。

 階段を降り、部活動へと戻って行った。






 * * * *






 一方、生徒会室の中では──




「……それじゃあ、再生するぞ?」



 生徒会の備品であるノートパソコンにDVDをセットし、汰一が確認するように言った。

 隣に座る蝶梨は、緊張の面持ちで「うん」と頷く。


 いちおうパソコンの両脇に、お互いが買ってきたポップコーンの袋とコーラのボトルを置いたが……



「(……手を付ける余裕は、ないかもな)」



 と、ガチガチに強張こわばった彼女の顔を見て、汰一は苦笑する。

 あまりに無理そうならすぐに止めようと決めて、マウスを操作し、DVDを再生した。




 汰一が選んだその映画は、シリーズ化もされている有名なサイコホラー作品だった。



 物語は、主人公の青年が目覚めるシーンから始まる。

 そこは見覚えのない密室で、彼の他に彼の恋人と、数組のカップルが同じように気絶から目覚めたところだった。

 困惑する一同。すると、密室の壁にかけられたモニターが点き、能面をつけた奇妙な人物が映し出される。

 その面の人物こそ、主人公たちを密室に閉じ込めた犯人なわけだが……


 犯人は、機械で変えた声で「ゲームを始めよう」と言う。

 それは、生き残りを賭けたデスゲームを指していた。


 主人公たちの心臓には爆弾が埋め込まれており、二十四時間後に爆発する。

 犯人の要求に従わない場合も即座に起爆する。

 最後に生き残った一名のみを解放し、爆弾を解除する。

 つまり、自由になりたければ自分以外を殺すしかない。

 密室に閉じ込められたカップルたちは緊張と恐怖と中、次第に疑心暗鬼になり、犯人の要求に翻弄されていく……



 ……という、よくあるデスゲームものなわけだが。

 この犯人の要求がなかなかに狂気じみており、過激なシーンも多いので、蝶梨の"ヘキ"を見出すヒントが見つかるかもしれないと考えたのだ。


 ちなみに、汰一は忠克ただかつと一緒にこのシリーズの第二作と第三作を映画館で観たことがあった。

 忠克がこういう過激な映画を好むため、よく付き合わされるのだ。

 しかし、一作目だけは観たことがなかったので、今回はそれを借りてきた次第である。


『密室でのデスゲーム』という基本設定は、第二作や第三作と同じだが……



「(……思ったよりも、気まずいシーンが多いな)」



 ……と。

 パソコン画面の中で熱烈な口付けを交わす主人公とヒロインを眺め、目を細める。


 他のシリーズと異なり、デスゲームに参加しているのがカップルであるため、恋愛的な描写が想像以上に多かった。

 知らなかったとはいえ、恋人でもない男女が二人きりで観るのはなかなかに酷である。



 ……彩岐は、どんな顔をして観ているだろうか?

 前に恋愛漫画を読んだ時も涼しい顔をしていたし、こういうのには耐性があるのかもしれないが……



 そんなことを考えながら、ちら……っと、横目で蝶梨の様子を盗み見ると。




「………………っ」




 彼女は、顔を真っ赤にして。

 唇をぎゅっと閉ざし、ぷるぷる震えていた。



 ……あ、やっぱり恥ずかしいんだ。



 と、その初心うぶな反応に汰一の中のナニカがうずうずと疼くが……

 その感情とまともに向き合えば間違いを犯してしまうような気がして。


 気まずさごと飲み込むように、ごそっと掴んだポップコーンを口の中へと放り込んだ。





 ──そして、映画も中盤に差し掛かり……

 いよいよ、スプラッターなシーンが増えてきた。


 密室の壁を破壊しようと躍起になった一人が心臓の爆弾を起爆され絶命したり……

 犯人の要求に従い、恋人の腕や脚を斬り落とすカップルが現れたり……

 拳銃を使ったロシアンルーレットにより犠牲者が増えたり……


 グロテスクな映画に抵抗のない汰一ですら顔をしかめたくなるようなシーンが続き、彼は蝶梨のことが心配になる。

 元々こういうのが苦手だって言っていた彼女だ。予想通りポップコーンには一回も手が付いていない。

 何も言わず、集中して観ているようではあるが……



「……彩岐、しんどかったらいつでも止めるから、遠慮なく…………」



 言ってくれ。


 という言葉が出る前に、汰一は固まる。

 何故なら……




 蝶梨は、目をとろんとさせて。

 薄く開いた唇から、はぁはぁと熱い吐息を漏らしていたから。



 ……出た。例の反応だ。




 汰一はマウスを操作し、映画を一度止める。

 見入っていた蝶梨は、映像が突然止まりハッとなる。



「ど、どうしたの? 刈磨くん」

「彩岐……今、ときめいてたな?」

「えっ?!」

「キュンとくるシーンがあったんだろ? それがどこなのか、忘れない内に教えてくれ」



 思った通り、彼女はこういう過激なシーンに反応を示した。

 近付いている。彼女自身も自覚していない、彼女の性癖に……


 そう確信し、汰一は真剣な表情で蝶梨を見つめる。

 その眼差しに、彼女は恥ずかしそうに目を逸らしながら……



「……引かない?」

「絶対に引かない」

「…………男の人が、恋人のひたいに拳銃を突き付けて…………引き金を引いたシーン」



 小さく、消え入りそうな声で答えた。

 彼女が言ったのは、犯人の要求に従いロシアンルーレットを始めた男が、恋人の女性を撃ち殺してしまうシーンだ。


 そんなシーンにときめいてしまうなんて、彼女自身も困惑していることだろう。

 しかし、汰一は……




「……試してみるか?」




 と。

 自身の右手を掲げ、まるで拳銃の形を真似るように、人さし指を立てる。

 


 そして、それを……


 彼女の額に、突き付けた。



 何故そんなことを切り出したのか、自分でもわからなかった。

 掴みかけている答えを明確にするためなのか、それとも……

 彼女の熱に、当てられたのか。



 額に人さし指を突き付けられ、蝶梨は目を見開く。

 その瞳は、少しの困惑と、それを凌駕する期待に揺れているようだった。




 ……もしかして、彼女が求めているものって…………


 いや、さすがにそれはないだろう。




 そう、頭に浮かんだ可能性を否定して。



「……じゃあ、引き金を引くぞ」



 僅かに興奮している自分に、戸惑いながら。

 汰一は…………




「────ばん」




 と……

 弾を吐き出す拳銃を真似して、右手を僅かに跳ねさせた。


 瞬間。




 ──びくびくっ……!!




 と、蝶梨の身体が痙攣した。

 目をぎゅっと閉じ、何かに耐えるように唇を噛み締める。


 これは……この反応は、まるで…………




「……彩岐…………?」



 呼びかけてみるも、彼女は頬を染めたまま虚ろな目で汰一を見つめ返すのみだ。

 肩を縮こませ、両脚をぴたりと閉じたまま、高揚した表情で震えている。

 その姿に、理性が一瞬で溶かされるのを感じ……



 ……だめだ。

 このままじゃ…………


 俺まで、おかしくなる。





「……なんか、熱いな。窓、開けようか」



 汰一は立ち上がり、長机から離れ、窓の方へと向かう。

 物理的にでも空気を変えなければ、何かしらの間違いを犯してしまいそうだった。



 窓を開けたら、冷蔵庫で冷やしているコーラを彩岐に渡して、少し頭を冷やそう。

 


 そう心に決め、汰一は深呼吸しながら窓の鍵に手をかける。

 教室のものと同じ、一般的な半円型の錠だ。

 それを、下方向に回そうとする…………が。



「…………あれ?」



 鍵が、回らない。

 もう一度、ぐっと力を込めてみるが……錆び付いているかのように動かなかった。



「彩岐、ここの窓の鍵、壊れているのか?」



 振り返って尋ねると、蝶梨は少し落ち着きを取り戻した様子で首を傾げ、



「え? そんなことはないはずだけど……」



 きょとんと返すので、汰一はもう一度試してみる。

 しかし、結果は同じ。



「…………まさか」



 嫌な予感がし、汰一は出入り口のドアへと駆ける。

 そして、ノブを回し、扉を開けようとしてみるが……



「……開かない」



 内鍵はかけていない。ドアノブは回るものの、扉が動かない。

 力一杯ドアを引いてみるが、強力な接着剤で固定したかのように一ミリも動かなかった。



「……刈磨くん……?」



 後ろから蝶梨の心配そうな声が聞こえ、汰一は振り返る。

 そして……




「…………窓も、ドアも開かない。この部屋に……完全に閉じ込められた」




 ……と。

 額に汗を滲ませながら、そう告げた。


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