15 ときめきの理由
『柔らかお肉のビーフシチュー』を、汰一は大満足で食べ終えた。
その向かいの席では、蝶梨が熱さと戦いながらいまだ食事中である。
その姿を……汰一は、じっと見つめる。
学校では、いつも遠くから眺めるだけだった食事中の彼女。
友だちと談笑しながらも、綺麗な姿勢で行儀良く、落ち着いて食べている印象が強かったが……今、目の前の彼女はと言えば。
スプーンで掬ったシチューを、真剣な表情で何度もふうふうし。
熱さに
熱くないとわかった途端、その美味しさににこりと笑う。
それを、延々と繰り返していた。
……何この永久機関。めちゃくちゃに可愛い。
一生見ていられる。目に入れても絶対に痛くない。
と、汰一が"二人きりでの食事"というこの状況を最大限に堪能していると、
「……そんなに見られると、食べづらいんだけど」
頬を染めた蝶梨が、
ごめん、可愛くてつい。
そう返しそうになるのを、汰一はぐっと堪え、
「またいつ水が必要になるかと見張っているんだよ」
なんて、冗談めかして言う。
蝶梨は悔しそうに眉を
「お構いなく。もう大丈夫だから」
「その割には何度も『ふうふう』しているように見えるけど」
「……逆に、なんでそんなに早く食べ終わるのよ」
「全然熱くないから」
「舌に断熱材でも仕込んでいるの?」
「そうかもな。と言うか、そんだけ猫舌だと大変だな。いつもそうなのか?」
汰一が尋ねると、蝶梨は……
口に運びかけたスプーンを、一度下ろして、
「……ううん。友だちと食事をする時は、そんなに熱くない料理を頼むようにしている。こんな食べ方、見せられないから」
……と。
淡々とした表情で、そう答えた。
その言葉に、汰一は『まただ』と思う。
彼女と話している中で、時々感じる違和感。
だが、それを追求することはせずに、「そうか」とだけ返しておいた。
──最後まで熱さと戦いながら、蝶梨はシチューを完食した。
店員が皿を下げ、テーブルに飲み物のグラスだけが残り……
ここからが、いよいよ本題。
先ほど買った漫画の、鑑賞タイムである。
「……じゃあ、読むから」
という謎の宣言をして。
彼女は、『クロに染まる純情』を読み始めた。
……あ、一緒に読むわけじゃないのか。
予想はしていたものの、汰一は少し拍子抜けする。
恥ずかしいものを読むのに、知り合いが側にいた方がなんとなく安心するとか、そんな感じなのだろうか。
眉間に皺を寄せ、真剣に読む彼女の顔は、やはり一生見ていたいくらい可愛いが……
あまり見ているとまた怒られそうなので、汰一は大人しく参考書を開くことにした。
漫画を読む蝶梨と、参考書を読む汰一。
二人の間に、静かな時間が流れる。
聞こえてくるのは、客の来店を告げる電子音。
「いらっしゃいませ」という店員の声。
食事を楽しむ客たちの談笑。
そして、彼女がゆっくりと漫画本をめくる音。
雑音の中に彼女の存在があることに、汰一は胸の奥が温かくなるのを感じながら……
彼女の音に、マーカーで線を引く「きゅっ」という音を重ねた。
* * * *
──二十分後。
蝶梨が、漫画本をパタンと閉じた。
どうやら読み終えたらしい。
「お。どうだった?」
参考書から顔を上げ、汰一が尋ねる。
蝶梨は、「んん……」と首を捻り、
「……なんか、思っていたのと違った」
と、如何にも不完全燃焼といった表情で答えた。
「あんま好きな話じゃなかったのか?」
「お話としては面白い。けど、結衣たちが言っていたみたいな……キュンとするような感じは、あまりしなかった」
残念そうに言う彼女に、汰一は先ほどの言葉を思い出す。
『自分が何にときめいているのかわからない。だから、その答えを……ずっと探している』
あの時の、思い詰めたような表情。
そして今、目の前で見せる困り果てた表情を見て……汰一は「なんとかしたい」と素直に思った。
柴崎が言っていた"変わった
しかしそれ以上に、「困っている彼女を助けたい」という純粋な気持ちの方が大きかった。
だから汰一は、彼女を見つめて尋ねる。
「さっき、漫画だけじゃなく映画やドラマも観てもおかしなタイミングでときめく、って言ってたよな?」
「……うん」
「今まで見たものの中で、どんなセリフやシーンにときめいた? 思い出せるだけ挙げてみてくれ」
彼女が『ときめき』を感じるシチュエーション。
そこに共通点が見出せれば、答えに近付けるかもしれない。
そう考える汰一の問いに、蝶梨は記憶を辿るように宙を仰いでから、答える。
「……例えば」
「うん」
「……主人公が、崖から落ちそうになるヒロインの手を掴んで、なんとか引き上げるシーンとか」
「ふむ。確かにドキドキする場面だな」
「特殊能力に覚醒した主人公が、敵を踏みつけて命乞いをさせるシーンとか」
「……まぁ、かっこいいかな。うん」
「筋肉自慢のキャラクターが、りんごを片手で握り潰すシーンとか」
「……もしかして、強い男が好きなのか?」
「生まれた時から可愛がって育てた豚を、泣く泣く丸焼きにして食べるシーンとか」
「それは…………え?」
「ゾンビになってしまった恋人を、泣き叫びながら銃で撃ち殺すシーンとか」
「待て待て待て」
汰一は手を上げ、彼女を止めて、
「ごめん、確認だが……彩岐がそれらのシーンに感じている『ときめき』って、本当に『恋愛的なときめき』か?」
言葉を慎重に選びながら、そう尋ねる。
特に最後の二つなどは、明らかに悲しい場面である。恋愛的なドキドキや胸キュンを感じる要素はないように思えるのだが……
「スリルとか、悲しみとかのドキドキを、恋愛的な『ときめき』と錯覚している可能性はないか?」
汰一の仮説に、しかし蝶梨は首を振る。
「私もそうなんじゃないかと考えた。だけど……これは確かに、そういう『ときめき』なの。だから余計にわからなくて……どうして自分が、そんなシーンにキュンとしてしまうのか」
そして、読み終えたばかりの『クロに染まる純情』を掲げて、
「ひょっとしたら私は、
なるほど、そういう理由でこの漫画に目をつけたのかと、汰一は納得する。
しかしそうなると、謎は深まる一方だった。
何せ彼女が列挙したシーンには、統一性がまるでないのだ。
だからこそ、彼女もずっとその答えを探し悩んでいるのだろう。
「友だちには相談したのか? そういうのって女子の方がいろいろと詳しい気もするが……」
何とか打開策はないものかと、俯く彼女に投げかけるが……
彼女は、その表情を余計に曇らせて、
「……友だちには絶対に言えない。そんなの……
呟くようなその言葉に、汰一は「また」と思う。
そして、
「……なぁ。その『私らしくない』って、何なんだ?」
思い切って、聞いてみることにした。
「彩岐、時々口にするよな。『そんなの私らしくない』とか、『似合わない』とか。もしかして、周りにどう見られるのかを気にしているのか?」
汰一の指摘に、彩岐はドキッとしたように目を見開く。
それから……
膝に手を置き、肩を落として、
「……そう。私、本当は…………
全然、クールなんかじゃないの」
と……
弱々しい声で、語り始めた。
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