16 覚醒する欲望

 




「── 私、本当は…………全然、クールなんかじゃないの」




 肩を落とした彼女が、呟くように語り出す。



「みんなが求める『私』を演じているだけ。その方が……いろいろと楽だから」

「……楽?」



 聞き返す汰一に、蝶梨は頷く。



「そう。みんなが求めているのは、"クールでカッコいい彩岐蝶梨"。その役に徹していると、物事が上手く進むし……傷付くことも少ない」



 そして、しばらく間を置いてから……続きを話し始める。




「……本当の私は、すごく幼稚なの。小学生の頃は遊ぶのに夢中で宿題を忘れるのなんてしょっちゅうだったし、先生や目上の人には敬語を使わなかったし、自分のことは名前で呼んでいた」

「それは……あまり想像がつかないな」

「でしょう? 服装も、ピンクのワンピースとかフリルいっぱいのスカートとか、リボンの付いたヘアゴムとか、可愛らしい格好ばかりしていたの。そういうのが好きだったから。でも……」



 膝に乗せた手で、スカートの裾をきゅっと握り、




「……小学校の高学年になって、急に背が伸びてね。今と変わらないくらいにまで高くなった。そしたら……」

「…………」

「……今思うと、すごく些細なきっかけなんだけど…………友だちに、『そういうの似合わないよ』って。『蝶梨ちゃんおっきいんだから、そういう喋り方も可愛い服も、なんか変だよ』って、言われたの」




 ぽつり。と、こぼすように言う。

 その声と表情に、汰一は……彼女が当時どれほど傷付いたのかを悟り、胸が痛くなる。

 彼女が続ける。



「当然だと思う。大人と変わらない背格好なのに、子どもっぽい服着て、子どもっぽい振る舞いをしていたら、変だって言われても仕方ない。でも、心はまだ子どもだったから……すごく、傷付いた。また同じように言われるのが怖くて、可愛い服を全部捨てて、大人っぽい服を着るようになった。そしたら、友だちに『カッコいい』って褒められた。格好に合わせて大人っぽい振る舞いをするようにしたら、大人たちにも褒められた。それで気付いたの。私に求められていたのは、こういう役なんだ、って。でも……」



 ふっと、彼女は小さく息を吐いて、



「そうやって、みんなの期待に応えれば応える程、本当の自分を曝け出すのが怖くなって……おもてに出さないようにしまい込んでいたら、自分の本心がわからなくなってしまった。その結果がこれ。自分が何にときめいているのかすら、見出せなくなってしまったの」



 困ったように笑いながら、テーブルに置いた漫画に視線を落とす。



「子どもの頃の話だってわかってる。けど、もうずっとそうしてきてしまったから、今さらなかなか変えられなくて。今の自分が嫌いなわけじゃないし、周りに頼ってもらえるのも嬉しい。でも……時々、このままでいいのかなって思うこともある」



 そこまで話して……蝶梨は、ハッと我に帰る。



「……ごめんなさい。聞かれてもいないのにべらべらと……刈磨くんには、お花が好きなことも、漫画を買ったことも、猫舌なこともバレちゃったから……なんか、ぜんぶ話しちゃった」



 申し訳なさそうに俯く彼女を見つめ、汰一は……深く納得をしていた。



 そうか。だから……

 自分のイメージと合わない言動を、『私らしくない』と避けていたのか。


 言われてみれば確かに、中学時代にモデルとして雑誌に載っていた彼女はボーイッシュな印象が強かった。

 それもきっと、『可愛いよそおいは似合わない』という先入観の元、自ら望んでそうしていたのだろう。



 そうした過去があったことを。

 偽った現在いまがあることを。

 自分にだけ、打ち明けてくれた。

 そのことに、汰一は嬉しくなる。


 そして……

 落ち着いた声音で、彼女に語りかける。




「……正直、俺も彩岐にはクールなイメージを抱いていたから、素顔を知って驚いた部分はある。けど……」



 スッ……と。

 汰一は、テーブルに置かれた漫画・『クロに染まる純情』を指さし、



「……それ」

「え?」

「その漫画。男キャラがギャップ萌え、なんだろ?」

「……うん」

「それと同じだよ」



 理解できず小首を傾げる蝶梨に、汰一は……

 一拍、呼吸を置いてから、





「いかがわしいタイトルの漫画をコソコソ買おうとしたり、即決したメニューを撤回して悩み直したり、猫舌全開でビクビクしながら食事をしたり……そんな、全然クールじゃない素顔を知れば知る程、彩岐って……


 …………可愛いんだなと、思ったよ」





 そう、彼女の目を真っ直ぐに見つめ、言った。


 瞬間、蝶梨は顔を真っ赤にして「へっ?!」と声を上げるが……汰一は続ける。



「それと、話す時の"緊張感"がなくなってきた。本音を言うと、今まで彩岐と話す時ってすごく緊張していたんだ。なんかこう、"住む世界が違う天上人てんじょうびと"と対峙しているみたいで……でも今は、すごく話し易い。ようやく等身大で話せている気がする。それは、彩岐の素顔を知ることができたからだ」




『だから』


『だからきっと、彩岐の友だちも、素顔を受け入れてくれるはずだ』


『むしろ本音で話した方が、喜ぶと思う』


『怖がらずに、ありのままの自分を曝け出してもいいんじゃないか?』



 今の彼女には、そう言ってやるのが正解なのだろう。

 だが……





 彼は、彩岐蝶梨に、どうしようもなく恋をしているので。



 この可愛い素顔を、独占したいと。


 自分以外には見せたくないと。



 そんな風に、思ってしまって────





「……でもそれは、今まであまり接点がなかった俺だから、そう思うのかもしれない」




 言いながら、汰一は自分で自分が怖くなる。

 しかし、




「いつも一緒にいる彩岐の友だちが、この素顔をいきなり見たら……驚きすぎて、逆に冗談だと思われる可能性がある」




 一度紡ぎ出した"都合の良い言葉"は、もう止められなくて。





「だから…………俺と一緒に、"練習"しないか?」





 汰一の鼓動が、緊張と興奮により加速する。


 蝶梨が「練習……?」と聞き返すので、汰一は頷く。



「彩岐には素顔を曝け出して欲しいって思うけど、いきなりキャラが変わったらみんな混乱するだろ? だから、普段演じているクールな自分と、そうではない素の自分とのギャップを徐々に埋めていく"練習"をするんだ。素顔を小出しにする、って言うのかな」

「素顔を、小出しに……」



 確かめるように繰り返す蝶梨に、汰一は「そう」と相槌を打つ。



「花壇の手入れをしながら、なんてどうだ? 中庭ならほとんど人も来ないし、手入れの仕方を覚えながら素顔を出す"練習"ができる。少しずつ本当の自分を曝け出せるようになれば、『ときめき』の理由も見えて来るかもしれない。一石鳥だ」



 そして。

 汰一は、昨日彼女に花壇で言われた言葉を思い出しながら……それをなぞるように、こう伝える。




「──大変だったな。ずっと一人で、本当の自分を押し殺して。俺なんかが想像できないくらいに大変だっただろう。でも、安心してほしい。俺は彩岐のどんな素顔を知っても、決して引いたり幻滅したりしない。だから……俺には、本当の彩岐を見せてくれよ」




 もしかするとあれは、彼女自身が誰かに言って欲しい言葉だったのではないか?


 そんなことを、頭のすみで考えながら。




「……話してくれてありがとう。またヘンな漫画読みたくなったら遠慮なく言ってくれ。ちゃんと見つかるといいな、『ときめきの理由』」




 そう、微笑みかけた。


 蝶梨は、驚いたような、ほうけたような顔で暫し口を開け……

 やがてその口を、にこりと吊り上げる。



「……さっきの言葉、撤回する」

「え?」

「刈磨くんを、『意地悪』って言ったこと」



 そして、悪戯っぽく笑いながら




「…… ありがとう、刈磨くん。これからもよろしくね」




 そう、真っ直ぐに言った。


 その飾らない笑顔に、汰一の心は純粋な嬉しさと……

 彼女の素顔を独占できる悦びに満たされる。




 ……本当は、お礼を言われるような人間じゃないんだけどな。



 と、どこか他人事ひとごとのように思いつつ、汰一は一つ頷いて。



「こちらこそよろしく。昨日言っていたように、持ち前の幸運で俺の不運体質を相殺そうさいしてくれると助かる」

「任せて。運の良さには自身がある。今日だって、本屋で刈磨くんと鉢合わせた時には『終わった』って思ったけど……結果的には、とても良い一日だった」

「それならよかった。……っと、なんだかんだで良い時間になっちゃったな。今日のところは解散にするか」

「うん。あ、でもその前に……一杯だけ、紅茶を飲んでもいい? 普段は飲み物もあまりホットでは飲まないようにしているから」

「そうか。もちろん、一杯でも二杯でも飲んでいこう。ついでに俺も飲もうかな」



 そう言って、二人はドリンクバーでカップにお湯を注ぎ、紅茶のティーバッグを浸して、再び席に戻った。



 いろいろ理由を付けはしたが、彼女を"厄"から護るという意味でも、今後も側にいられる状況が作れたのは良かった。

 さて。次は彼女に、花壇で何を教えよう?

 ひまわりの苗も伸びてきたし、春の花を植えていた場所の整備もしたい。約束したストレプトカーパスも、いつ買いに行こうか……



 などと考えながら、茶葉が開くのを確認するように、汰一がカップに浸したティーバッグの紐を持ち上げた──その時。



「ひぅっ」



 目の前で、蝶梨が……妙な声を上げた。

 見れば彼女は、頬を赤らめながら口を押さえていて……



 もしや、これは……

 花の手入れをしていた時に見たのと、同じ反応……?



 そう思いつつ、汰一が「どうした?」と尋ねると……

 蝶梨は、少し目を泳がせてから、



「あ、いや、その…………引かない?」



 と、窺うように言うので。

 汰一は「絶対に引かない」と言い切る。


 蝶梨は、言葉を探すように少しもじもじしたのち……




「……今の、刈磨くんの動きに…………ちょっとだけ、ときめいた、かも……?」




 ……と。

 耳を疑うようなセリフをのたまうので。


 汰一は、ぽかんと放心してから、



「………………え?!」



 あらためて、驚き直した。



「いや、え? 今の動作のどこにときめく要素が……?」

「わからないよ、だから『引かない?』って聞いたのに!」

「ご、ごめん。引いたんじゃなくて、単純に疑問で……」



 汰一は、自分の行動をもう一度振り返る。が……

 どう考え直しても、カップに浸したティーバッグの紐を持ち上げて、何度か揺らしただけで、特別なことは何もしていなかった。


 カップを覗き込み、汰一が大いに混乱していると、



「……実はね」



 蝶梨が、おずおずと口を開く。




「……刈磨くんが、花壇で作業する時の"手捌てさばき"にもドキッとすることがあって……それで、お花のお手入れのこと教えてほしいってお願いした部分もあるの。もちろん、お花自体も好きなんだけど……刈磨くんの動きを近くで見られたら、自分が何にときめいているのかがわかるんじゃないかと思って」




 目を逸らしながら、恥ずかしそうに言う彼女。

 追加で明かされた真実に、汰一はいよいよわからなくなる。



 以前から手入れの様子を見ていたと言っていたが……まさかそんな理由で見られていたとは。

 それで昨日も、あの妙な反応をしていたのか。


 しかし、そうなるとますます謎だ。

 ティーバッグを揺する動作と、花の手入れには全く関連性がない。



 ……わからない。

 彼女は一体、何にときめいている……?



 あぁもう、気になる。柴崎のヤツを今すぐ呼び出して問い詰めてやりたい。どうせ今もどこかで見ているのだろう。

 しかし、そういうことに限って面白がって教えてくれないような気がして……汰一は想像の中の柴崎にイラッとする。



 ……仕方ない。

 彼女と一緒に、答えを見つけていくとしよう。



 汰一は、俯いたままの蝶梨に微笑みかけて、



「……じゃあ、ちょうど良かったんだな。花の手入れをしながら、ゆっくり考えよう。ヒントを集めていけば、いつか絶対に見えてくるはずだから」



 その言葉に、蝶梨は……

 今にも泣き出しそうな、弱々しい表情で汰一を見つめ返し、



「……ありがとう。ごめんね、こんなことに付き合わせて」



 そう、申し訳なさそうに言った。




 気を許す程に豊かになる、彼女の表情。

 その変化に、汰一は……



 背筋がゾクゾクするような愛しさを覚える。



 嗚呼、やっぱりどうしようもなく好きだと。

 こんなこと、俺以外のやつに任せなくて心底よかったと。


 そう、胸の内で呟いてから。




「……気にするな。困った時はお互い様だろ?」




 と……


 優しい微笑みの裏に強い独占欲を隠しながら、答えるのだった。



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