13 蝶の探しもの
艶やかな黒髪。
スラリとした長身。
肩からかけた弓の袋。
……間違いない。
彩岐蝶梨である。
思いがけない遭遇に、汰一は咄嗟に死角となる棚へ隠れる。
まさかこんなところで出くわすとは……カマイタチのお陰で一気に運気上昇しすぎじゃないか?
それとも、これも柴崎の計らいなのか……
挨拶すべきかどうか悩みながら、汰一は蝶梨の様子を窺う。
彼女は、小柄な老婆に本を手渡しているようだった。
すると、
「ありがとう、お嬢さん。手が届かなかったから助かったよ」
と、老婆が言う。
どうやら目当ての本に手が届かず困っていたところを、蝶梨が助けたらしい。
「お役に立ててよかったです。では、お気を付けて」
老婆の謝意に、凛とした声で答える蝶梨。
さすがだなぁと惚れ直していると彼女が歩き出したので、汰一は一度顔を引っ込める。
……彩岐も参考書や問題集を買いに来たのだろうか?
と、その行先をこっそり目で追うと……
蝶梨は、キョロキョロと落ち着かない様子で周囲を確認してから……
『漫画コーナー』へと、入って行った。
「…………え」
意外すぎて、思わず声が漏れる。
あの彩岐が、漫画……?
まぁ、彼女も普通の高校二年生だし、漫画くらい読むか。昼休みに
などと考えつつ、彼女がどんな漫画を読むのかが気になり、汰一はそろりと近付く。
そして、一つ隣の通路からそっと覗き見ると……
蝶梨は、少女漫画の棚を眺めているようだった。
彩岐も、少女漫画とか読むんだな。
……いや、待てよ。
彼女がどんな漫画を買うのかがわかれば、彼女が理想とする恋愛や異性のタイプ、ひいては例の"変わった
これは……チャンスなのでは?
汰一は棚の陰から目を凝らし、蝶梨が選ぶ漫画を見逃さぬよう注目する。
蝶梨は、棚の上から下へと順番に眺め、何かを探しているようだった。
そして……
ふと、その視線を止めた。
目当てのものを見つけたのだろうか、彼女はゆっくりと手を伸ばし……
棚から、一冊の漫画を抜き出した。
……ん? あれって……
遠目に見つめる汰一は、その表紙に既視感を覚える。
ピンクと紫で彩られた、派手なカラーリング。
男女が絡み合う、官能的なイラスト。
……間違いない。あれは…………
『クロに染まる純情〜再就職先は腹黒ドSな魔法学院教授の秘書でした〜』。
昼休みに浪川が読んでいた、あの漫画である。
……って、え?! 本当はああいうのに興味あったの?!
意外すぎる選択に、汰一はドキドキと鼓動を速める。
蝶梨はと言えば、その表紙を見つめながら首を横に振ったり、棚に戻そうとしたりと、落ち着かない様子である。
買うのを迷っているのだろうかと、汰一が様子を窺っていると……
「………………っ」
蝶梨は、目をぎゅっと閉じてから。
汰一がいる方に背を向け、漫画を手にレジの方向へ駆けて行った。
どうやら、買うことに決めたようだ。
蝶梨が見えなくなったことを確認し、汰一は棚の陰から出る。
……何だか、見てはいけないものを見てしまった気分だ。
と、『クロに染まる純情』が置かれていた棚を見上げていると……
──パタパタパタパタッ!
という足音が、汰一の方へと近付いて来る。
驚いて目を向ける彼の目に飛び込んで来たのは……
漫画を手に、猛スピードで戻って来る蝶梨の姿だった。
「ややややっぱり恥ずかしい……今日はやめておこう……」
などと呟きながら、真っ直ぐにこちらへ向かって来るので……
やばい、隠れねばと、汰一は慌てて振り返る。
が……
その拍子に、平積みされていた漫画本の角に足をぶつけた。
バサバサと音を立て、落下する漫画たち。
「……! しまっ……」
思わず足を止めると、そこに……
蝶梨が、到着した。
「…………か、かかか、刈磨、くん……?!」
見たこともないくらいに顔を真っ赤に染める蝶梨。
汰一は引き攣った笑みを浮かべながら、手を上げて、
「……よう。彩岐も漫画、買いに来たのか?」
「ま、まさか…………見てた……?!」
「見てたと言うか、見えてしまったと言うか……」
「…………っ」
顔から湯気を噴き出し、ぷるぷる震える彼女の手から……
『クロに染まる純情』が、ぽろっとこぼれ落ちた。
* * * *
「──ここなら誰にも会わないと思ったのに……」
書店を出ながら、両手で顔を覆う蝶梨。
その腕には、購入した『クロに染まる純情』入りの袋がぶら下がっている。
手からこぼれ落ちた衝撃で漫画の角が凹んでしまい、「これを戻すわけにはいかない」と、結局買うことになったのだ。
恥ずかしそうに顔を隠す蝶梨の横で、汰一は苦笑いをする。
「悪かったよ、見られたくないところを見てしまって」
「ううん、刈磨くんは悪くない……私の考えが足りなかったの……もっと遠くの本屋さんへ行くべきだった……私を知る人のいない、遠くの街へ……」
ぶつぶつと呟く彼女に、なんかキャラ変わってないか? と思いつつ、汰一はフォローを入れる。
「隠すようなことでもないだろ? 漫画なんて誰でも買うし、悪いことでもないし……年齢制限ないんだろ? それ」
「……やっぱり聞こえていたのね、昼休みの会話」
やばい、墓穴を掘った。
汰一はドキリとしつつも、「すまん」と素直に謝る。
蝶梨は、「はぅ」とため息をついて、
「漫画を買うこと自体は悪いことでも恥ずかしいことでもない。けど……
「そりゃあ…………学校ではああ言ってたけど、本当は
「……刈磨くんて、けっこう意地悪なのね」
眉を寄せ、恨めしそうに汰一を見上げる蝶梨。
その表情すらも可愛いと思いつつ、汰一は「すまん」ともう一度謝罪した。
蝶梨は、袋に入った『クロに染まる純情』をぎゅっと握り、
「だから誰にも見られたくなかったの。こんなの、私らしくないから。それにこれは、興味があるというか……確かめるために買ったのよ」
そう、釈明するので。
汰一は二、三回
「えっと……確かめるって、何を?」
「私が、何を好きか」
「……え?」
理解できず、もう一度聞き返す汰一に……
蝶梨は、少し俯きながら、
「……私、変なの。こういう漫画とか、映画とかドラマを見ても、変なところでキュンとなることがあって……そのタイミングが、明らかに人と違くて。自分が何にときめいているのかわからない。だから、その答えを……ずっと探している」
……と。
深刻な面持ちで、呟くように言った。
汰一は、その言葉の意味を考える。
自分がどういう恋愛的シチュエーションを好むのか……何にときめいているのか、わからない。
だからその答えを、この漫画の中に探そうとしている、と……そういうことなのだろうか?
何も言わずにいる汰一を、蝶梨はじっと見つめて。
「……付き合って」
と。
真剣な眼差しで、そう言った。
突然の申し出に、汰一は「え?!」と声を上げ
しかし、
「……こんな漫画、家じゃ読めないから…………読むの、付き合ってくれない?」
続くその言葉に、汰一はがっかりしたような、それはそれで嬉しいような、複雑な気持ちになりながら……
真っ直ぐな瞳に向けて、「わかった」と答えた。
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