12 会えないはずの放課後
汰一が"亡者たちの境界"から戻った、その九時間後。
「──ふぁーっ、めっちゃキュンキュンしたぁーっ!」
昼休みを迎えた二年E組の教室に、元気印な女子生徒・
結衣の手には、一冊の漫画本が握られていた。
「意地悪で自分勝手な男だと思っていたのに、ふいに見せる優しさや愛情に徐々に惹かれ始めるヒロイン……はぁ、やっぱりギャップって最高だよねぇ」
よほど感動したのか、一緒にいる女子グループだけでなく教室中に聞かせるようなボリュームで感想を述べる結衣。
聞くつもりはなくとも、彼女の手にあるのが恋愛漫画であろうことがわかってしまう。
結衣の周りで、他の女子も同意するように頷く。
「『悪そうに見えて実は良い人』みたいな意外性、ときめくよねー」
「しかもその漫画の彼、結構Sなのもいいよね」
「わかるー!」
きゃあきゃあと賑わう会話を聞き、忠克は「そういうもんかねぇ」と汰一にだけ聞こえるように呟く。
何で俺に聞くんだと思いつつ「知るか」と答えるが、それを遮るように、
「ねぇねぇ! 蝶梨ちゃんはどう思う?」
という、結衣の声が響き……
汰一は思わず弁当を食べる手を止める。
昨夜、柴崎に聞きそびれてしまった、彼女の"変わった
もしかしてそういう、SだとかMだとかの
彼女が何と答えるのか、密かに耳を
蝶梨は、少し間を置いてから、
「…………結衣。学校に漫画本の持ち込みは禁止」
……と。
氷のように冷ややかな声で、そう答えた。
瞬間、同じように聞き耳を立てていたらしい男子たちが一斉に背筋を震わせる。
凍てついた眼差しに、結衣は椅子からガタッと立ち上がり、
「ひぃっ! ち、蝶梨ちゃんごめんなさい!」
「私、生徒会役員なんだけど……よく目の前で校則違反できたものね」
「それはその、うっかりしてたというか……あはは」
「そもそもその漫画……十八歳未満が読んで大丈夫なものなの?」
その問いかけに、結衣は「へ?」と声を上げてから、漫画本のカバーをあらためて見つめる。
そして……
表紙の絵を、バッと蝶梨に突き付けながら、
「大丈夫! 『クロに染まる純情〜再就職先は腹黒ドSな魔法学院教授の秘書でした〜』なんてタイトルだけど、R18とは書いてない! 健全な全年齢向け漫画だよ!!」
高らかに言うので、汰一は思わず吹き出しそうになる。
目の前では、忠克が堪えきれず「くくっ」と小さく笑った。
蝶梨はと言うと……
「………………」
いかにもアレなタイトルと、男女が絡み合う官能的な表紙イラストを前にし……
しかし、眉一つ動かすことなく、
「……今から五秒以内に鞄へしまわなければ没収します。五、四……」
と、非情なカウントダウンを始める。
結衣は「ぎゃぁああっ!」と叫びながら、慌てて自身の鞄へと漫画を突っ込んだ。
* * * *
「……ま、そうなるよな」
と。
汰一は中庭の花壇に水をやりながら、昼休みのことを思い出し苦笑した。
放課後。
休んでいた分の課題プリントはそこそこに、汰一は中庭へと赴いた。
蝶梨は今日、
何故なら彼女は──弓袋を背負って登校したからだ。
今年度、弓道部には例年の三倍近くに及ぶ新入生が入部した。
そのため、後輩育成に手が回らないからと、家が弓道場をやっている蝶梨に助っ人の依頼が舞い込んだのだ。
去年までの弓道部は、競技人口の多い野球部や華やかなイメージのサッカー部、バスケ部に新入生を奪われ、年々部員が減る一方だった。
では何故、今年になって新入部員が爆発的に増えたのか。
その理由を、汰一は知っていた。
新入生勧誘を目論んだ弓道部部長が、
「ウチに入れば
などという勝手な触れ込みを流したがために、一年生のみならず帰宅部だった二年生までもが蝶梨目当てに殺到したからである。
もちろん蝶梨は弓道部員ではないし、『後輩を指導する』という約束もしていない。
だが、彼女の家が弓道場なのは有名な話だし、困っている生徒を放っておけない真面目さも知れ渡っているので、部長は「部員さえ増やせば彩岐蝶梨に助けを求めるのは容易である」と踏んだのだろう。言った者勝ち、というやつである。
そんな裏があることを知らない蝶梨は、部長の
まったく。彼女のことを何だと思っているのか。
完全に"客寄せパンダ"である。
挙句、弓道部が第二体育館を占拠したせいで他の部の練習場所にまで影響が出始めている。昨日、陸上部員が彼女に相談していたのもその件だろう。
後輩育成の手伝いをさせるだけでなく、生徒会としての仕事も増やしている。どこまでも迷惑な話だ。
……いや、彼女のことだから、本当は全てを知っていて……
知った上で、必要のない責任を感じ、黙って弓道部の手伝いをしているのかもしれない。
そう考えるとますますやるせなくなるが……無関係な汰一にはどうすることもできなかった。
とにかく。
そのような理由により、今日は一緒に花壇の手入れができないことを察した汰一は、彼女を待たず一人で中庭へ来たのだった。
弓道部の練習場である第二体育館は、中庭のすぐ裏だ。
この距離にいれば、カマイタチも彼女に近付く"厄"を喰ってくれるだろう。
昨夜、"亡者たちの境界"で見た巨大な悪霊を思い出すとカマイタチが心配になるが……蝶梨の安全が第一だと、汰一は自分に言い聞かせる。
柴崎に言われたように、カマイタチを信じて任せるしかない。
何かあれば柴崎も『助ける』と言っていたし……
汰一は、制服のポケットに入れた『安産祈願』の御守りを取り出す。
"エンシ"である蝶梨は、この世に未練を持つ悪霊に狙われやすい。
しかし
だが……
『本当にヤバいのは"実体を持って
柴崎があのように言ったということは、そういう脅威が現れる可能性がある、ということだろう。
悪霊以外に、一体何が"エンシ"を狙っているというのか。
『実体を持つ』と言うが、どんな姿で現れるのだろう。
"エンシ"を狙う理由は?
悪霊たちのように、死後の安泰が約束されている"エンシ"が恨めしいのだろうか?
今になって聞きたいことがいくつも浮かび、汰一は後悔する。
この御守りを持って、会いたいと強く願えば……
あるいは、柴崎町にあるという『
汰一は、左手に乗せた御守りをじっと見下ろすが……答えはない。
その時、部活動終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
汰一は空になったジョウロや、花の手入れに使った他の道具を物置小屋にしまう。
そして、蝶梨がいるであろう第二体育館を見上げて……
彼女が下校するまで
* * * *
自転車に跨った蝶梨が、校門から出て行くのをこっそり見届けた後。
汰一はほっと胸を撫で下ろし、学校を出た。
もうすっかり夕方だ。
オレンジ色の夕焼けが、バス停近くの団地の壁を染めている。
また遅くなってしまったなと、汰一はバスを待ちながら親への言い訳を考える。
何せ、まだガッツリ骨折中だと思われているのだ。『学校の花壇の手入れをしていた』と言った日には、『腕が折れてるのに?』と疑念を抱かれ兼ねない。
やはり『勉強していた』というのが最も適切な言い訳だろう。
実際、学習状況は
特に数学と英語。今日の授業もほとんどついて行けなかった。
二週間分の遅れを早急に取り戻さなければ、冗談抜きで留年の可能性がある。
「……参考書でも買って帰るか」
もう十分に遅い時間だし、多少寄り道をしたところで変わりはしない。
むしろ物的証拠があった方が説得力が増すだろう。
汰一は一人頷き、昨日乗り過ごして辿り着いたあの駅まで、バスで向かうことにした。
──バスの終点にあるその駅は、急行列車は停まらないものの、学生街ということもありそこそこ栄えていた。
書店はもちろん、ファストフード店やゲームセンター、若者向けのアパレルショップなども並んでいる。
汰一の通う
バスから降り、ロータリーから少し離れた商業ビルの一階にあるのが、汰一が目当てとする書店だ。
あまり大きいとは言えないが、他ではあまり見かけないようなコアな漫画や雑誌が置いてあるので、汰一は昔からよくこの店に来ていた。
自動ドアをくぐり、未だかつて踏み入ったことのない『参考書コーナー』へと向かう。
タイトルや帯の売り文句を眺めているだけで目が回りそうになるが、平積みされている内のいくつかをパラパラとめくり、比較的わかりやすそうなものを手に取る。
それから、入院していた二週間の間に好きな漫画の新刊が発売されていたことを思い出し、通い慣れた『漫画コーナー』へと足を向けた。
勉強時間を増やすために参考書を買いに来たというのに、漫画を買っては意味がないのでは?
と、頭の中の理性的な自分が囁くが、それはそれ、これはこれだ。大丈夫、ちゃんと勉強する。明日から。
なんて言い訳をしながら、新刊が積まれている棚に差し掛かった──その時。
「──この本ですか?」
と。
少し離れた棚の向こうから聞こえた声に、汰一はピタリと足を止める。
……聞き間違いか?
いや、でもこの声は…………
半信半疑のまま、声がした方をそっと覗いてみる。
と……
「はい、どうぞ」
棚の上の方に手を伸ばし、引き抜いた本を老婆に渡す……
彩岐蝶梨の姿があった。
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