はじまりのとき

第1話 出会いと迷子

 今日は入学式。

 神瀬千歳が生徒会長になっての初舞台でもある。


 入学式は午後からの予定で、千歳は配布用の資料を持って一年生教室へ向かっている途中だった。 

 校舎内にはちらほらと新入生の姿が確認できた。その姿は、緊張した面持ちをしながらも、新しい校舎と新しい人々にかなり浮き足立っているように見える。

 新しい制服に身を包んだ彼らの姿を見て、少しだけ千歳自身も初心に戻った気分だ。


 反対側の旧校舎に続く渡り廊下に目をやると、ウロウロしている男子生徒が視界に入った。

 彼も先程の彼らのように新品の制服に身を包んでいるが、彼らとは違って、何かが不安なのか、落ち着かない様子である。

 千歳は彼が何か困っているのではないかと思い、声をかけてみることにした。


「そこのキミ、どうしたの?」


 千歳は、なるべく優しく声をかけたつもりだが、彼は目を見開いて体を硬直させてしまった。その様子を見た千歳は、なぜか申し訳ない気持ちになってしまう。


「えっと……あの、すみません。一年生教室までの道がわからなくなってしまって。少し校舎探検をしていたんですけど……」


 千歳はその理由をさして気にも止めずにそっか、と一言こぼす。


「教室まで案内しようか?私も用事があるから」


 そう言って、千歳は新入生の隣に並んで軽く微笑んだ。隣に並んでみると、彼の方がいくらか身長が高いように見える。

 綺麗な人、という第一印象を与えた。そう感じたのは、千歳の隣にいる千慧である。周りを歩く他の新入生も、千慧の隣を歩く彼女の姿に釘付けになっているようだ。どうやら、綺麗という印象を持ったのは千慧だけではないらしい。


 どんな人なのか知りたくなり、千慧は、そっと自分の隣を歩く女子生徒を観察してみる。

背丈は千慧よりも幾分か低く、それでいて、どこか堂々としている雰囲気を感じる。重圧のようなものではなく、それどころか、彼女の足取りはとても軽やかだ。

 綺麗なミルクティー色で、背中までまっすぐ伸びた髪からは、蜂蜜のような甘い香りを纏い、前に進むたびにふわりと揺れている。

 その髪の毛がかかった顔はとても小さく、睫毛は影を作るほどに長い。

 南国の海のような透き通った青い瞳と、桜のような薄桃色の唇で、人形を思わせるようなほどに美人である。こういう容姿の人を「美少女」と世間では呼ぶのだろう。


「どうかした?」


 ぼーっとしている千慧の顔を覗き込むようにして、彼女の顔が目の前に映し出される。

 千慧が吸い込まれそうになる程、綺麗な瞳に釘付けになっていると、彼女は千慧の顔の前で手をひらひらと振った。


「おーい、大丈夫ー?」


 その声でハッとした様子で千慧は我に返った。あはは、と乾いた薄笑いを浮かべるが、なんとなく違和感を覚える。

(心配かけて、この笑顔は違うような。なんか愛想笑いというか。下手くそだし絶対怪しまれる。盗み見てたことバレてないよね?)


「す、すみません。ぼーっとしてました」


 とてつもなく申し訳なくなり、自然と俯いてしまう。

 (流石に、初対面であなたに見惚れていて……なんて言えるはずもない。)

しばらくの間沈黙が流れる。こういう時間を天使が通った、なんてよくいうが、千慧にとっては、隣にいる彼女が天使なのではと思ってしまう。

 しかし、ゆったり流れていく沈黙の時間に耐えらるはずもなく、千慧は咄嗟に口を開いた。


「あの、あなたはどこのクラスなんですか?」


 急な質問に彼女は少し驚いたように見えたが、また優しく微笑むと千慧の質問に快く答える。


「私は、2年A組だよ。2年A組の神瀬千歳こうのせちとせ


「えっと、俺は呉宮千慧です。クラスは確か1年B組です。……2年生って聞いてちょっとびっくりしました。今日は一年生だけだって聞いていたので」


「気にしてないから大丈夫。今日は生徒会の仕事があるんだ。そんなことより、キミもしかして新入生代表?」


 ふと彼の胸元につけられたリボンを見る。

それは去年千歳がつけていたものと同じデザインだった。赤いリボンで作られた花飾りで、花の下から伸びる白い生地には「新入生代表」と書かれている。


「実は、そうなんです。でもすごく不安で、あまり人前で話すことも慣れていないので」


 彼のその気持ちは千歳が去年感じたものと同じものだった。不安でしかたなくて、しょうもないおまじないに縋ってみたものの、あまり効かなかったという微妙な思い出さえ残っている。

(手のひらに「人」って10回書いて飲み込むおまじない、全く意味なかったし。)


「……私も去年、キミと同じ気持ちだったから。不安なのはすごくよくわかるの。だからキミが頑張れるようにおまじないをしてあげる」


「おまじない?」


 千慧が不思議そうに見つめるなか、千歳はブレザーのポケットから、飾りの付いていない赤いヘアピンを2本取り出した。そして、彼の前髪の左側にそれをつけてやる。ほんの些細なことだが、千歳は去年、このヘアピンで不安と緊張感から無事に乗り越えることができた。


「視界が狭いとその分周りが見えなくなるから、不安になるんだよ。だからちゃんと背筋を伸ばして、しっかりと前を見るの。別に、みんなのことなんか気にしなくていいよ。体育館の壁でも見てれば大丈夫、気づいたら終わっているから。そう思えば少しは心が軽くなると思うんだけど……」


 (やっぱりだめかな。こんなの……ヘアピンも友達にもらったものだし)


 千慧は、広くなった視界のおかげで、千歳の顔がよく見えるようになった。心なしか、先程までの不安も無くなっているようだ。胸の突っ掛かりが外れて呼吸がしやすくなったような気でさえする。


「ありがとうございます。先輩のおかげで少し不安が晴れました。コレ、入学式が終わったら返しに行きますね」


千慧は、さっき付けてもらったヘアピンにそっと触れる。

 (借り物だし、壊したり失くしたりなんて絶対できない。)


「ううん、入学祝いにでももらっておいて。私なんかよりもキミの方がよく似合ってるから」


 彼の赤い瞳とピンクベージュの髪色に、ヘアピンの色がすごくよく似合う。

 大切にしますね、と笑う彼の可愛らしい笑顔はどこまでも武器になるのだろう、と千歳は思った。




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