第21話 自分が聖女ではなかったことについて Side:志田真彩

 志田真彩は、教会の回廊をひとりで歩いていた。


 本来ならば、ロ・メディ聖教の歴史を学ぶ時間なのだが、女官の目を盗んで、抜け出してきたのだ。


 抜け出した理由はただ一つ。


 最近、マヤをこの世界に召喚した神官のシスが、全く会ってくれないのだ。


「もう、一か月も会ってない」


 マヤは唇を尖らせた。


 男性なのに天使のように美しい風貌をした最高神官のシスは、重要な役目をいくつも持っているらしい。


 何かと忙しいというので我慢しているのだけれど、放置され続けるのも、そろそろ限界だった。


 最近では、マヤが定期的に行っている聖女の覚醒に必要だという「マナ」を目覚めさせる儀式にも顔を出さない。


「マナを覚醒させて神力を使わないと聖女になれないって言ったのはシスなのに」


 頑張っているマヤを放置するなんて、あんまりだ。


 いつもはシスの邪魔をしてはいけないと女官も警備の武装神官も通してくれないのだが、教会奥の回廊を通り抜けるとシスの執務室があるのはわかっていた。


 そして、今はちょうど武装神官が交代のため人の目が外れる隙がある時間帯なのだ。


 マヤが聖女だからか、それとも日本人特有の幼く見える顔立ちに油断しているのか、比較的、カンタンに欲しい情報は手に入れることができた。


 ここの武装神官の交代時間を知れたのは、偶然だったが、まさかこんな風に活かせる日が来るとは思わなかった。


 柱の陰に隠れながら、マヤはその瞬間を待って、回廊を一気に走り抜けた。


 交代の武装神官と話している神官は、マヤが回廊を通り抜けたことに気づかなかった。


「マヤは天才かもしれない」



 ただ、自分がすごいと思うマヤにも、この世界の独特な単語や習慣は理解できないことが多い。


 日本に生まれ育ったマヤは、どれほど宗教を勉強しても、ピンと来ないのだ。


 いつまでも教会の中に閉じ込められて、理解のできない勉強をし続けるのはいやなので、外出でもお願いしようと思っていた。


 シスはイケメンだし、とても優しい。


 マヤのいうことなら、何でも聞いてくれるだろう。


 シスの執務室が近づいたときだった。


 数人の神官が、あわただしく部屋を行き来しているのが見えた。


 忙しいというのは本当らしい。


 部屋の扉も開け放たれたままだった。


 近づくこともできず、マヤはタイミングを見計らうために回廊の柱の陰に身を隠した。


「魔女の介入があった」


 シスの静かな声が聞こえてきた。


 2人の神官が部屋を出てきて、顔を見合わせる。


「聖女の奪還に失敗しましたか……遠見の法力が足りません。次の神官と交代を」


「やはり魔族など信用できません」


 話の途中で1人の神官が膝から崩れ落ちた。


 もう1人が心配そうに駆け寄る。


「ここからが正念場です。仮眠室で法力を回復させてきなさい」


「ですが……聖女様が魔王にとらわれているというのは、本当なのでしょうか?」


「あの話を聞きましたね。魔王の執着こそが証です」


「噂を聞いたからこそ信じられないのです。聖女様は40歳ほどの女性で、魔王を閨の手練手管で篭絡したと」


「滅多なことを言ってはいけません。聖女は清らかなる乙女。処女でなければなりません」


「ですが確かに聞きましたよね……毎夜、魔王が聖女のテクニックで声をあげさせられていると」


「連日の法力の酷使で疲れているのでしょう。休みましょう」


 混乱している神官をなだめながら、2人はその場を去っていった。


 マヤは固まったまま、動けなくなっていた。


 すごいテクニックを持っていて男をベッドの上で夢中にしている処女?


 え? どういうこと、めっちゃエッチうまいってこと?


 矛盾してない?


 というか、40歳の聖女って、あのおばさんのことだよね?


 マヤは一緒にこの世界に召喚されてきたおばさんのことを思い出していた。


 あの時は聖女ではないと断言されていたが、ちゃんとした聖女だったようだ。


 ぱっと見たときは全くわからなかった。


 美人ではあったけど、マヤよりはかなり年上のはずだ。


 あれだろうか。熟女ものや人妻ものも人気があるらしいから興奮を覚える魔王なのだろうか。


 母性?


 んーでも気が強そうで、母性があるようには見えなかったんだよね。


 まあそう見えない女ほど、ヤバイ場合もあるのだけれど。


 指輪をしていないだけで未婚と決めつけていたが、実はかなりのやり手なのでは?


「おばさんってバカにしてたけど、見直した」


 マヤはくるくると頭の中で考えながら、ふと先ほどの神官が言っていた「清らかなる乙女」が処女だということを思い出した。


 召喚された際、シスも同じようなことを考えていた。


 ということは、おばさんを処女ではなくマヤを処女と思って、聖女と判断したということだろうか。


「なんか、処女厨っぽくてキモイわ」


 半眼になって、マヤは柱の陰に座りこんだ。


 処女じゃなくなったら、清くなくなるの? 穢れてるってこと?


「……最悪」


 膝を抱え込んで、マヤはようやく聖女と持ち上げられて、シスのような権力もあるイケメンに優しくされて、浮かれていた気持ちが覚めていくのを感じていた。


 多分、処女とかは関係ない。


 シスは未だに聖女の力を使えないマヤを放置して、おばさんを取り返したい。


 これが事実なのだろう。


 ココには不思議な力が満ちているけれど、日本から来たマヤは宗教ってのは「そういうもの」だと理解している。


 聖書もコーランも誰かが決めて書いたって、クラスの男子はバカにしてた。


 日本にある仏教だって、地獄も資料が書かれた時代によって変わるって日本史の先生が言ってたし。


 不思議な出来事を人間がすべて正確に理解できるとは限らない。


 もしおばさんがここに来たら、自分はどうなってしまうのだろう。


 ようやく現実を前にして、マヤは物事を把握しようと頭を働かせはじめた。


 もうマヤが聖女と発表されたから、いきなり殺されるってことはないよね?


 ……怖い。


「失敗、してくんないかな」


 おばさんが、ここに戻ってこられないように、何かできることはないだろうか……。


 マヤにできることは、まだ聖女かもしれないという立場を利用して、情報を集めて正確に物事を理解することしかない。


「マヤって、実は天才だよね。知ってた」


 マヤは一人で決意すると立ち上がり、マヤがいなくなって大騒ぎになっているであろう女官たちの元に戻って行った。

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