第20話 西の森の調査 3

 巨大な黒い狼の魔獣と戦闘に入ったラディスと調査隊の2人の邪魔にならないように、レイラは後ろの茂みまで下がろうとする。


 ところが、その時、茂みから伸びてきた手に手首をつかまれた。


 ラディスたちはすでに戦闘を始めており、レイラの異変には気づいていないようだった。


「あっ!」


 レイラが声を上げる前に、茂みに引きずり込まれた。


 後ろに倒れるが、茂みがクッションの役割を果たしたおかげで、レイラは服からむき出しになった手足を木の枝で少しひっかいただけだった。


 ゆっくりと、しりもちをついて倒れこんだレイラを、金髪の美少女がのぞき込んでいる。


「リ、リリン?」


 不機嫌そうに片眉を上げて、リリンは腕組みをした。


「あの魔獣は西の森の主よ。瘴気を浴びて瘴気を失ってるんだから、あんな近くにいたらラディス様の邪魔になるじゃない!」


「あ……そ、そうだよね。ごめん」


 リリンは一人のようで、他の調査隊は見当たらない。


「森中の獣が瘴気を浴びて、狂暴化してるの。ここはラディス様に任せて、他の穴を塞ぎに行くわよ!」


「でも……」


 ラディスからは、そばを離れないように言われている。


「非常事態ってわかるでしょ。ラディス様から言われないと、自分で考えて行動もできないわけ? ホント、人間て肉体も弱い上に与えられた仕事も満足にできないのね」


 与えられた仕事も満足にできない?


 はあぁぁぁ。そんなわけないでしょう!


 人間とバカにされ、ラディスのペットとして扱われているレイラだが、元の世界では、敬愛する社長の右腕として、様々な事業を成功に導いてきた。


 魔族の方が身体的に優れていようと、人間がいくらぜい弱だといわれようとも、現実問題、瘴気を浄化できるのはレイラだけなのだ。


「もちろん仕事はきっかりやらせてもらうわ。現状、私しか瘴気の浄化ができないみたいだし」


「ふん、それなら、さっさと行くわよ」


 レイラは自力で立ち上がり、自分よりも少し背の高いリリンをにらむ。


 リリンと共に歩きだしたレイラだが、歩いても歩いても、なかなか次の瘴気の穴までたどり着かない。


 ラディスに馬に乗せてもらっていたから、かなり移動時間を短縮できていたのかもしれない。


「まだつかないの?」


 レイラは耐えられなくなって先を歩くリリンに聞く。


 リリンは立ち止まって振り返った。


「ホント、思ったより時間がかかるわ」


 レイラは、どれくらいかかるか聞こうとして、リリンのあまりの異様な雰囲気に口を閉ざした。


 リリンは冷たい表情でレイラを見ていた。


「迎えに引き渡す予定だったけど、誰も見ていないなら、ここで始末してもいいわよね」


 彼女が何を言っているかわからなかったが、レイラの脳裏で危険信号が点滅する。


 これは、まずい状況ではないだろうか。


 現代の日本に生きていると、他人の悪意や意地悪にさらされることはある。


 けれども、ここまで異様な……体中が強張り、背中が冷たくなるような感覚にはならない。


 リリンは自然な動きで、一歩レイラの方向に近寄ると、咄嗟に身を引いたはずのレイラの顎を、両手で覆うようにつかんだ。


「なっ……」


 華奢に見えるリリンの手だが、レイラが動こうとしても、ピクリとも動かない。


 リリンは目を見開いたまま、瞬き一つせずにレイラの顔をのぞきこんでいる。


「ホント、この平凡な顔と体で、ラディス様に取り入るなんて、目障りだわ」


 これは、まずい。


 レイラは、自由になる体をひねり、リリンの体を思い切り蹴り飛ばした。


「っつ、痛っ!」


 ところが足に強い衝撃と傷みが走っただけで、リリンの体は、やはり微動だにしていない。


 これが、人間と魔族の力の差!


「あははは、本当に弱いのね!」


 レイラは混乱する頭の中で、打開策を考えようとするが、頭が真っ白になるばかりで、何もできない。


 リリンはレイラの顔を両手で覆ったまま、暴れるレイラの体を木の幹に押し付けた。


「ぐっ」


 背中が木の幹にめり込んでいるかと思うほど痛い。


「このまま頭を握りつぶしてあげる!」


 殺される!


 レイラが目を閉じたときだった。


 辺りをまぶしい光が覆った。


 この光は……見覚えがある。


 レイラが召喚されたときと、背中を貫かれたときに見た、黄金の光だ。


「くっ! この光は法力!」


 リリンがレイラを突き飛ばしながら飛びすさると、リリンのいた場所に光の柱ができる。


 まさか、この光はあの時の……。


「あら、まあ。こんなところで魔族が人間を襲ってるなんて」


 レイラの予想に反して、聞こえてきたのはのんびりと間延びしたような女性の声だった。


 リリンが飛び退った場所に、新たな光の魔法陣が現れて、光の柱が立つ。


「なんなのよっ!」


 リリンは光の柱をよけていたが舌打ちをすると、どこかに逃げ去ったようだ。


 レイラは足から力が抜けて、木の幹に背中を預けたまま、ずるずると座り込む。


「あぁ、よかった、生きてるわね」


「あ、ありがとうございます。助かりました」


 レイラが女性を見てお礼を言うと、女性は優しそうな目元をほころばせた。


 30歳ほどの黒髪の美しい女性は優しそうに口をほころばせた。


 口元のほくろのせいか、ひどく色気があり、艶っぽい。


 レイラは美人系の大人びた顔立ちだといわれてきたが、40歳を過ぎてもついぞ色気というものが身につかなかった女である。


「村の人? 日焼けもしてないし……聖教会の関係者かしら?」


 レイラが女性に見とれていると、緊張感のない声で近づいてきた女性は、何かに気づいたようにレイラをまじまじと見て、驚いた顔をした。


 え? 今度は何? 怖いんだけど。


 この世界に来て、レイラの警戒心は日に日に強くなっていた。


「聖女ね。他の世界から召喚された」


 今度はレイラが驚きに目を見張る番だった。


「あら、あらあら。この気配。あの子のじゃない。こんなに濃いマーキングをべったりつけて」


 まーきんぐ? ってなに?


 何を言われたかわからず、レイラがきょとんとした顔をしていると、なんだか同情をした顔で見られてしまう。


「大切にされているのね」


「いや、私は……」


 この世界では、レイラの知らない知識や常識が多すぎて、いつも置いてけぼりだ。


「あなたのためにも私の願いのためにも、頑張って次の穴をあけないと」


「?」


 女性はにっこりと笑うと、気安い感じで手を振った。


「魔王になって無茶をしてるんじゃないかって心配だったけど、あなたみたいな人がそばにいるなら……」


 女性が光に包まれて消えてしまってから、レイラはようやく我に返った。


「あ、ちょっと! 待って!」


 マーキングの意味を理解するのに時間がかかったせいで、肝心なことを聞けなかった。


 意味は、理解するのが怖いので一度、保留しておくとして。彼女が瘴気の穴をあけている犯人。


 ……ラディスの探していた魔女だ。


 艶やかな黒髪をした、色気のある美女だった。


 リリンがレイラを魔女の代わりだと言ったことが、今さら思い出される。


 いや、あんな美女の代わりにはならないでしょ。


 それに、ラディスのこともよく知っているようだったし、話の内容からするとずいぶん親しかったのだろう。


 胸にもやもやとした感情が沸き上がり、レイラは慌てて首をふった。


 関係ない関係ない。


 レイラは元の世界に戻してもらえばいいのだから……。


 彼女は……聖女のことも知っているようだった。


 一度に色々な感情が押し寄せて、レイラは混乱していた。


「そうだ。ぐずぐず考え事をしている場合じゃなかった」


 その前に、リリンが戻ってくるとも限らない。


 ラディスと合流しないといけない。


 レイラはボロボロになった自分の体を見下ろし、ため息をつくと、立ち上がろうとした。

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