第19話 西の森の調査 2
いつも以上に大きな瘴気の穴を塞いだレイラは、瘴気の穴のほとりで倒れた男性に駆け寄った。
「待て」
ラディスの制止の声が聞こえたが、レイラは必死になっていて止まれなかった。
レイラがこの森で、背中から光の槍に貫かれたとき、瘴気に侵されて正気を失っていた魔族の男は、そのまま絶命してしまったのだ。
今のレイラには瘴気を浄化する力がある。
この男性が瘴気に侵されていて暴れて殺されるなんてことになったら最悪だ。
狂暴化したオオカミや獣は殺されてしまったが、手遅れになる前に、レイラならばなんとかできるかもしれない。
レイラが駆け寄ると、男性はゆっくりと目を開ける。
人間か魔族か、レイラには判断できないのだが、おそらく人間だろう。
今まで見てきた魔族と違って、何というか、素朴で圧がないので親近感がわく。
瘴気にあてられているかもしれないので、レイラは意識を集中して、浄化を試みる。
幸い、少し瘴気を浴びただけのようで、すぐに全身を覆う瘴気の靄のようなものは霧散してしまった。
レイラはほっと息をつく。
「満足したか?」
すぐ後ろから、ラディスの固い声が聞こえてくる。
まるで最初に、この森で出会ったときのような警戒心のにじんだ声だ。
レイラははっとして振り返った。
ラディスの制止の声を聞かずに、突っ走ってしまったのだ。
何があるかわからないから離れないようにと、厳重に言い聞かされていたというのに。
「あ、ごめん、なさい。この人が無事かどうか確認して……っえ!?」
レイラは最後まで言うことができなかった。
立ち上がろうとしたレイラの腕を気絶していたはずの男性がつかんで引っ張ったのだ。
レイラはバランスを崩して、男性の方に倒れそうになる。
男の手の中に、何か金色に光るものが見える。
「わわっ」
倒れそうになるレイラの腰に腕を回して支えたラディスは、目にもとまらぬ速さでレイラの腕をつかんでいた男の手を払いのける。
レイラが驚いて硬直している間に、ラディスは振り払われた男の腕を、足で踏みつけた。
「ぎゃぁぁぁっ」
男が悲鳴を上げて、地面をのたうち回る。
「なっ……」
レイラは驚きのあまり、声を失う。
「いかがなさいましたか!?」
レイラたちから離れていた調査隊の部下が4人、異変を察して駆け寄ってくる。
「始末しろ」
レイラを引き寄せながら短く命じたラディスの腕を、レイラはつかんだ。
「待って! 待ってってば! せっかく助けたのに!」
「お前に触れた」
いやいやいやいや、触っただけで殺されていたら命がいくつあっても足りない!
「意識もはっきりしていないみたいだし、混乱していたのかも!」
「お前を害さないという保証がない」
ラディスの言葉は端的で、その眼は冷たい。
「せっかく助かったんだから、殺さないで。ここで魔族の男性が死んだときには、助けるつもりみたいなこと言ってたじゃない。お願い!」
必死でラディスの腕を握りしめる。
「……………………目の届かない場所へ捨てに行け」
たっぷり沈黙した後、ラディスはいつもの抑揚のない声音で、調査隊に命じた。
「かしこまりました」
調査隊4人のうち、2人がまだ意識の朦朧としている男性をひきずるように連れていく。
レイラは息を吐いて、肩からどころか、膝から力がぬけて倒れそうになる。
すかさずラディスがレイラを支えた。
「もう、ちょっとさ……」
ほっんとうに! 魔族の基準はわからない。
変な緊張感から解放されたレイラは、涙目になりながら、内心、男性の命が助かったことを喜んだ。
口に出したらラディスの気が変わるかもしれないので、黙っておくし表情にも出さない。
気難しい……。ペットに他の人が触れたからとかかな?
レイラには、ラディスがペットを独占したい飼い主に見えた。
男性にこれ以上レイラが関わると、彼の命を脅かしかねない。
森の外に捨てに行くというので、レイラは調査隊の人に後のことは任せることにする。
「ラディス様……お時間が」
時刻はすでに午後の遅い時間に差し掛かり、夕暮れが森の中に濃いオレンジ色の光を落とし始めていた。
ラディスはレイラをじっと見た後、うなずいた。
「後は、明日に」
それだけで調査隊はうなずき、笛を吹いた。
これは撤収の合図だ。
森に散らばった調査隊が全員集まり次第、城に戻るのだ。
ラディスが魔獣の馬を呼ぼうとした時だった。
バサバサッ、バサバサッ。
大量の鳥が、一斉に飛び立つ音がした。
次に、獣の唸り声、ウサギやシカのような動物や魔獣が一方から来て、走り去っていく。
「何?」
ラディスが警戒をしたのがわかった。
調査隊の2人も警戒して、剣を抜く。
魔族は身体能力が高いため、素手で戦うことも可能らしいのだが、武器の扱いにもたけている。
森の奥から、瘴気の気配が近づいてくる。
ラディスがレイラを背中にかばう。
「ラディス様。狼の魔獣の群れです」
東の森でラディスが倒した狼の魔獣と同じだとしたら、何とかレイラに助けることはできないだろうか。
レイラはラディスの背中から、森の奥をうかがう。
濃い灰色がかった狼たちと、その中心にひときわ黒く大きな狼の魔獣がいる。
「ひっ」
レイラは引きつった悲鳴を飲み込んだ。
明らかに他と大きさも風格も違うソレは、全身から黒い炎を立ち昇らせながら、ゆっくりと歩いてくる。
瞳は焦点を結んでおらず、口からは大量のよだれが、地面に流れ落ちている。
鋭い眼光に、鋭利な牙と爪。
かすっただけでも、レイラの命はないかもしれない。
「下がっていろ」
「……わかった。気を付けてね」
厳しい声でラディスに言われたレイラは、うなずくと邪魔にならないように後ろに下がった。
レイラは震える足を叱咤して、瘴気に侵されてくるってしまった巨大な狼の魔獣に立ち向かうラディスと調査隊2人の無事を祈る。
何かできると思った自分が浅はかだった。
近寄ることはおろか、今でも震えて、まともに立つこともできない。
できることと言えば、せいぜい邪魔にならないことくらいだろう。
震えながらも何とか茂みの近くまでレイラが下がったとき、茂みの中から伸びてきた手が、レイラの手首をつかんだ。
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