第20話 男爵の娘
一足先に私だけお暇しようと、皆に挨拶をして帰ろうとした時だった。
サラの家の邸宅内に馬車を招き入れると面倒なので、門の外で馬車に乗るのはいつもの事。
門に向かって歩いていると、急いで走る女性が柵越しに見えた。
顔をすっぽりと隠すような大きな帽子。
柵越しとはいえ、近くにいた私に気づいたのだろう。彼女は悲鳴のような声を上げて私に訴えてきた。
「助けてください!」
「え?」
切羽詰まった声は、怯えが混じっている。
後ろを振り返る彼女の様子は、誰かに追われているかのようだった。
ちょうどそこに、我が家の馬車が近づいてくるのが見えた。
私は急いで門番に扉を開けさせると、彼女に手招きをした。
「こっちにいらっしゃい、早く!! ベン、馬車の扉を開けて!」
何事が起きたのか、と戸惑う御者をせかし、馬車の扉を開けさせて、とりあえず彼女を先に馬車の中に押し込んだ。
彼女の後ろに誰かが追いかけてきていないか、確認する余裕もなく、自分も馬車に駆け上がると、急いで御者に馬車を出すように命じた。
「あ、ありがと……ございま……」
「喋らなくていいから! 少し休んで。私は誰かが馬車を追いかけていないか見てるから」
はしたないし危ないけれど、窓から身を乗り出すと、後ろを確認する。
振り切ったのか、最初から追いかけてきてなかったのか、誰も後ろをついてくる気配はない。
ぜえぜえと息を切らしたその女性が帽子を外した。
揺れて狭い馬車の中で、女性と至近距離で目が合った。
「あ、貴方は!」
その顔を見て、私は息をのんだ。
コート男爵家のフィー様だ。
私が相手をわかるより先に、相手が私に気づいたのが先だったようで、トパーズのような色の目が驚いたように私をじっと見つめている。
「リ、リンダ様!?」
「あら、私をご存知で?」
フィーの方は結構有名人だけれど、私はそんなに有名というわけではない。なぜ彼女は私を知っていたのだろうと思いながらも、まぁいいや、と流すことにした。
「助かりました、ありがとうございます」
見るからにほっとした様子に、助けてよかったとこちらも安堵してしまう。
「どうなさったのです?」
「……私、とある方に付きまとわれてて……無理やり腕を掴まれそうになって、慌てて振り払って逃げて来たんです」
なんだって?
ストーカーしている誰かが彼女に実力行使して乱暴をしようということか!?
「なんともなかったようならよかったですが……」
でもどうして、一人で歩いているの? 侍女や護衛はいないの? と言おうとして、慌てて口をつぐんだ。
貴族だとしても、その経済状態は家によりまちまちで、そういう人を雇えるとは限らないのだ。
大体、街中を男爵令嬢である彼女が、馬車も使わず一人で歩いているということで、コート男爵家の経済事情が大体透けて見えた。
「相手はどなたですの?!」
同じ女として許せない。とっちめてやる!!
彼女を追い詰める存在が許せなくて、義憤にかられて鼻息を荒くしてしまった。
「それは……」
フィーが口ごもったのは私の気迫ゆえだろうかと思ったが、どうやら違うようだ。腕を掴まれたというのだから、彼女は相手を見て知っているはずなのに。
しかし、彼女の反応を見たところ、相手の名前を知らないというより、言いにくい相手のようだ。
ん?
そういえば、最近、フィーの名前をどこかで出したような気がする。
んーと、と考えてすぐに思い当たった。
ロナードが馬術倶楽部でブーケを売った時、ヘンリーがフィー宛にもブーケを贈っていたっけ……。
嫌な予感がむくむくとわいてきた。
……もし、彼女に付きまとっている男がヘンリーだとしたら?
息を整えるように俯いているフィーをじっと見つめる。
もしそうなら、婚約者である私に言いにくいだろうし、ここは問い詰めるのはよくないかもしれない。
とりあえず、彼女に付きまとっている存在に関しては置いておこう。
しかし、仮にも侯爵令息であるヘンリーが、フィーに乱暴しようとしたというならば、それもなんかいただけない話だ。
ヘンリーならば一見スマートに見える方法で、姑息にフィーに迫りそうな男だと思うのだけれど。それを考えるとその相手はヘンリーではないのかもしれないが。
とりあえずは、フィーの安全を守らなければならないだろう。
「男爵家まで送っていきますね」
「そんな、お手数をおかけするわけには」
「放っておけませんから」
こればかりは譲れない、と強引に彼女を説き伏せると、御者のベンにコート男爵邸に行かせるように指示をした。
***
王都の中は、身分ごとに居住区の区画が分かれているので、伯爵家であるサラの家から男爵邸までは結構遠い。大回りすることになって、いつもより時間が経ってしまった。
ようやく家にたどりつくと、なんとなく我が家の邸宅内が騒がしい気がする。
中に入ると、いつもより人が多くて、見慣れない制服を着た人が何か作業のようなものをしているのに気づいた。
「どうしたの?」
近くにいたメイドに事情を聞いたら、警備隊が我が家に入り込んで調査をしているとのことだった。
「なんで?」
「賊が侵入している疑いがあるんだそうです」
「賊?」
泥棒でも入ったのかしら、とのんきに考えて、はっと気づいた。
もしかしたら、私たちは派手に動きすぎたのかもしれない。
一応、オークションハウスの方に出品を取り下げてもらうようにしたらしいけれど、オークションに出品されたものは、この家で管理している物。
我が家にあるものが出品カタログに載っていたりしたのだから、警戒した父が調べさせようと思ったのかもしれない。
もしかしたら、あの部屋に入り込んだのがばれているかも。あのノート、シミを消したとはいえ、汚した痕跡が残ったかもしれないし。
しかし、私にできることなんてない。
……しらばっくれよう。そうしよう。
こそこそと部屋に戻ろうとしたら、色々と指図をして回っているのだろうか、父親が人の間に立って何かを言いつけている姿が見えた。
「お父様。もうお帰りになっていたのですね」
今日は随分と早い帰りだ。いつもなら寝る時間くらいに帰ってくることも多いのに。
父は私を見ると、無表情で頷いた。
「そういえば、今日は随分と帰りが遅かったね、どうしたんだ?」
「実は今日、コート男爵の……」
フィー様を家まで送り届けてきたことを伝えようとしたら、私の言葉を遮る勢いで、父が声を発した。
「コート?」
「お父様?」
あからさまに父の顔色が変わった。驚いて言葉を切ってしまう。
「コート男爵と会ったのか? 何を話した?」
「……いえ、男爵ではなく、コート男爵令嬢のフィー様と帰りがけにお会いして、彼女を家まで馬車で送ったのです。それで遅くなりました」
そういえば、どこかほっとしたような顔をして、「そうか」と一言、言ったきりで黙り込んでしまう。
父の様子をいぶかしく思いながらも、部屋の方へ向かって歩く。
コート男爵という名前に反応していたような?
そういえば、オークションのカタログに父のコレクションの1つを載せた後、我が家に手紙をよこして訪れてきたのは、コート男爵……フィー様の父親だったことを思い出した。
これは偶然なのだろうか。
これだけではわからない、と私は頭を振りながら自室の扉を開けた。
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