第5話 わたくしの元婚約者の本性とトカゲ

 ジ、ジルベール様が、軽薄な、女好きですって!?


 ジュリアは雷に打たれたような衝撃を受けた。


 ジュリアの知っているジルベールは、寡黙で、真面目で、冷静な方だ。


 親同士が決めた婚約だから、ジュリアに愛をささやくようなことはなかったけれど「王太子としてのご自分の運命を受け入れている立派な方」だとジュリアは思っていた。


 そんなジルベール殿下が、女好き……? そういえば、あのアンドロイドに対して、とてもデレデレしていた……。


「ジルベール王太子は貴方の前では無口なクール系を装っていますけど、その実態はただのムッツリスケベなんです。いや、スケベなんてもんじゃない、貴方以外に何人も女性がいるんですよ! 今回だって、俺のドストライクの女を召喚しろって、僕に命令してきて……」


「それで、貴方はアンドロイドを異世界から召喚したって言うの?」


「ジュリア様、僕は、不幸になる貴方を見ていられなかったんです」


 ミゲルはくしゃっと顔を歪めた。そして、怒涛の如く言葉を吐き出した。


「一級魔導師として仕える王宮で、ジュリア様をお見かけしたとき僕は、本当にびっくりしました。まさか、初恋の相手が未来の王妃様だなんて、思いもしなかった。悲しかったけれど、僕ははじめ、ジュリア様が幸せになれるなら応援しようと思いました。七年間のこの思い、断ち切ろうと」


「え? 初恋の相手? 七年間の思い?」


「だけどジルベール王太子の本性を知ってしまったからにはそうはいかない。自分の愛する女性が不幸になるのを見過ごせるわけないじゃないですか! だからジルベール王太子の好みドンピシャの女性を異世界から召喚したんです。しかもジルベール王太子がアンドロイド一筋にデレデレと惚れ込むよう、魔法をかけました」


「ちょっと、ミゲル魔導師」


「ジュリア様はジルベール王太子とは政略結婚。ジルベール王太子を愛しているわけではない。これで婚約破棄になればそれで万事解決だと思った。だけど、ジュリア様は、ジルベール王太子を愛していたと仰る! 婚約破棄なんてどうしてくれるのと、怒る。そんな、僕は、僕はどうすればいいのかと……」


「わ、わたくしは、ジルベール殿下を愛しているわけでは……」


「えっ? そうなんですか? だって、先日王宮の廊下で……」


 ジュリアは言葉に詰まった。そういえば、そんなことをミゲルに言った気がする。あのときは、これからどうすればいいのと、目の前が真っ暗になって、あんなことを言ってしまった。


 そうだ。


 ジルベール殿下に振られたから悲しいのではなくて、自分の未来がなくなったのが、悲しかった。もうどうやってこの先歩いて行っていいか分からず、自分の心を偽ってまで、ミゲルを責めた。

 わたくしはいつからこうなってしまったのだろう。

 ただただ悲観して、泣いているだけ。一方的に婚約破棄されて、両親からも役立たず呼ばわりされて、何も言い返せない。


 わたくしは――。


「ごめんなさい。ジュリア様、貴方を泣かせるつもりは……」


「え?」


 自分でも気づかぬうちに、ジュリアは泣いていた。


 気づかぬうちに、涙が頬を伝っている。


「いきなりこんな話をして、すみません。僕があさはかでした」


 ミゲルが、おろおろと頭を下げる。


 違うわ。ジルベール様の本性にショックを受けたわけではなく、自分がほとほと嫌になっただけよ。


「幻滅したでしょう? 七年前のわたくしと全く違って」


 ジュリアは背筋を伸ばし、口角を上げて、笑って見せた。どんなに辛くとも、苦しくても、伯爵令嬢たるもの、美しく微笑んでいなければ。


「幻滅なんてしていません! 僕は先ほど申しましたとおり、ジュリア様を七年前から――」


 そのとき、ミゲルの漆黒の髪に、何かが落ちた。ぽとりと、落ちた。

 それは、くねくねと、ミゲルの額をつたい、彼の顔へと降りてくる。一匹のトカゲだった。


「うわああああああああ」


 ミゲルは悲鳴を上げながらジュリアに思いっきり、抱きついた。


「ちょっと」


「とと、取って取って取って取ってくださーい!! 僕昔からトカゲだけはダメなんですー!」


「はあ?」


 こんなものが? ジュリアはミゲルの顔にへばりつくトカゲをつまむと、その辺にぽいっと捨てた。


「取ったわよ」


「ほんとですか? もういないですか? どこにもいませんか? 嘘じゃないですよね?」


 ミゲルはいい年して小さな子供のように、ジュリアにしがみつきながら喚いていた。しばらくして落ち着くと、我に返ったようで、ジュリアからそっと離れた。


「すみません……。子供のころ、いじめっ子たちに頭の上から大量のトカゲを浴びせられたのがトラウマで……」


 しおしおと、バツが悪そうに呟く。その白い顔は紅潮し、青い瞳には涙を浮かべて、今にもこぼれそうだった。ジュリアの方の涙はすっかり引っ込んでいた。


 ジュリアは三度みたび屋敷で昔飼っていた犬を思い出し、いい子いい子してあげたくなった。

 すごい魔力を持つ一級魔導師なのに、この子、な、なんて、可愛いらしいのかしら。

 ジュリアの胸は高鳴った。

 何かしら、この気持ち……。



「見つけたぞ! 一級魔導師、ミゲル!」


 と、突然、鋭い声が飛んだ。


 次の瞬間、どん、という音がしたかと思うと、ミゲルがその場に倒れた。


「ミ、ミゲル!?」


 ジュリアは慌てて、ミゲルを抱き起そうと、しゃがみ込む。すると、


「どうか罪人にはお手を触れぬよう。ジュリア伯爵令嬢」


 木立の間から一人の少年が、堂々とした振る舞いで現われた。まわりを数人の男性が守るように立っている。

 色素の薄い髪と、少女のような綺麗な顔立ち。


「シャルル殿下……」


 ジルベールの異母兄弟、テーラ国第二王子シャルルだった。

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