雨のち雨

 7月の雨は、夏の暑さを和らげてくれる。それはさながら砂漠に恵みをもたらすオアシスのようだ。

 なんてことがあればいいなぁ、と冷房の風に当たりながら考える。そして、冷房こそがオアシスである、と結論付けた。


 最近は、雨の日でも少しだけ異能が使える。理由は分からない。

 大して気にしていないし、なんの問題もないのだけれど、日曜日で暇だったので、どういうことだろうか、と父さんに電話したみたら、そんなもんじゃない? と返ってきた。訊いた意味はなかったと思う。


 僕はアパートで1人暮らしをしている。

 で、今──午前10時過ぎ──はそのアパートで、部屋干しした洗濯物を眺めながら、洗濯洗剤の容器に汚れのようにこびりついている〈抗菌〉とか〈ふわふわ〉とかの自信満々な自己PRについて、修羅場を勢いで乗り切る男のように人工的な匂いで無理やり雰囲気を出して誤魔化しているだけなんじゃないかな、と腑に落ちない気持ちになっていたところだ。

 

 すると、スマートフォンから勢いのない通知音が鳴った。アプリを立ち上げる。


『今日ひまだよね』春夏秋冬ひととせさんからだ。


 たしかに暇ではあるけど、確信したような口ぶりには逆らいたくなる。ので、『東証1部上場企業の闇について考えてるからとても忙しい』と送る。


 次の瞬間には既読がつき、2秒も経たないうちに、『源の家に行きたい』と表示された。


 春夏秋冬さんは生き急いでいるらしい。しかし、僕はそうではないのでゆっくりと入力する。


 けれど、『いいよ』という短い文なのですぐに完成してしまった。


『学校の近くのカースに迎えに来て。一緒にDVD選ぼ』カースとは、全国展開はしていないレンタルビデオ店だ。今後はネット視聴の波に押されて消えていくと思われる。


『分かった。何時にする?』


『1時間後』


 ということらしいので、のんびり準備することにした。







 日曜日なのでいつもより人が多い気がする。

 といっても、市の実施している人口減少対策はあまり実を結んでいないらしく、歩きにくいということはない。

 なので、このまま焼け石に水にしかならない政策をぜひとも続けてほしい──と一瞬考えたけど、面白い人間に出会う確率が減るのも困るため、やっぱり今の市長は支持しないことにしよう、と決めたところで、新作映画を物色している春夏秋冬さんを発見した。


 すぐに僕に気づいた春夏秋冬さんは、おう、と雑な挨拶をし、手に持っているアクション映画のDVDに視線を戻す。


 このコーナーにあるのは金に物を言わせてクオリティを上げたご都合主義の詰め合わせのような映画が大半なんだろうな、と考えつつ、でも表情には出さずに、「それ観たいの?」と問う。


「ん、そうでもねぇかな(観たい)」


「……試しに観てみたら?」


「源がそう言うなら借りてもいいけどよ(意……合……かな……へへ)」


 雨が降っているせいで心の声が途切れ途切れだ。でも、嬉しそうな顔に見えなくもない。


 ふと思った。「春夏秋冬さんってさ」


「? なんだよ」と僕の目を見つめる。


「可愛い性格してるよね」


「……何言ってんだよ、ばか」







 カースを出て、アパートに向かって歩いていると、「昼飯何食いたい?」と訊かれたので、「なんでもいいよ」と答えたら、春夏秋冬さんは、「本当だな? 本当になんでもいいんだな?」と支持率の低下してきた独裁者を彷彿とさせる疑心暗鬼に陥ってしまった。


 暗殺もしないしクーデターも起こさないから安心してほしいという気持ちを込めて、「肉でも魚でも微妙すぎる春夏秋冬さんの料理でも文句はないよ」と優しく言ってあげた。


「うるせぇよ。パラドックスみたいな言い方でけなしやがって」春夏秋冬さんはいたく不満げだ。


「そっちは何食べたいのさ」


「……」春夏秋冬さんは無言でスマホを取り出して、素早く操作し、「これ」と画面を見せてきた。


 そこには、クリームパスタらしき画像と〈調理時間・10分〉という文字が表示されていた。


 要するに。「作りたいの?」


「そういうわけじゃねぇけど」と否定しつつ、DVDを観たくないと言った時と同じような雰囲気が漂っている。


 なので、「作ってくれると嬉しいな」とお願いしてみた。


「しょーがねぇなぁ」春夏秋冬さんは勝ち誇ったように口元を綻ばせる。「そこまで言うなら作ってやるよ」


「うん、ありがと」


 ちなみに、パスタの中では唐辛子多めのペペロンチーノが1番好きなんだけど、辛いものが苦手な春夏秋冬さんにそれを伝える意味は、おそらくない。







 チーズはだいたいなんにでも合う。だから、春夏秋冬さんの作ったチーズ過多のパスタでもちゃんと美味しい。


「美味しい」とそのまま伝える。「前に食べたやつより好き」


「だろ? 本気出せばこんなもんよ」春夏秋冬さんはやたらと得意げだ。


 でもこれすごく太りそうだよね、とか、本気っていっても簡単なパスタじゃん、とか気に入らない嫁の料理にいちゃもんをつける姑のように会話に工夫を凝らすことはできるけど、ほっぺたにクリームをつけてむしゃむしゃと頬張る春夏秋冬さんを見ていると、余計なことは言わないでおこうという気分になる。


 でも、ただ黙々とカロリー爆弾を貪るだけだと味気ないので頭に浮かんだ言葉を読み上げる。


「結婚してほしい」


「うん。する」


 即答した春夏秋冬さんは、いつかみたいに真っ赤になって口を閉ざしてしまった。もしかしたら頬のクリームを温めているのかもしれない。


「……」

 

 口にしてから思ったのだけど、料理を食べた後にプロポーズをするのは、君の長所は家事能力の高さしかないんだから僕の家政婦になれ、と言っているようなものじゃないかな。


 フェミニストが聞いたら憤死する可能性があるなぁ、ところでフェミニストってどこが原産なんだろう、カリフォルニア辺りかな、フェミニストロールとか売ってたりするのかな、そういえば最近お寿司食べてないなぁ、そうだ今度春夏秋冬さんに山葵わさび入りのやつを食べさせてみよう、と思考を転がしていると、多分フェミニストではない春夏秋冬さんが口を開いた。「でも、どうすっかなー、私、こう見えてかなりモテるんだよねー、源を選んでやるかはやっぱりちょっと分からないなー」


「へー、そうなんだ」そりゃあどう見てもモテるでしょうね。選択肢が多くて何より。


「……」春夏秋冬さんの顔に若干の不満が滲み、「一昨日もさ」と唐突に話し始めた。「3年の先輩に、付き合ってくれって言われたんだ。そいつのことよく知らないし興味も湧かなかったから断ったんだけど、気が向いたときでいいから、って連絡先を渡されたんだよ」


「一応持っておけば?」春夏秋冬さんに損はない。


「……」


 とてつもない圧を感じる。ような気もするけど、ほっぺたの白いクリームがすべてを台無しにしている。


 いけるかは分からないけど、異能のスイッチを入れてみる。


(……だ……かよ。こいつ……か。じゃあ……は……) 

 

 無理だね。聞こえない部分が多すぎる。


 この後も重苦しい空気は続き、春夏秋冬さんは映画を観ることなく帰っていった。




▼▼▼




 そらみなもとの雰囲気がおかしい。

 いつもは、同棲4ヶ月目みたいなこなれた空気を教室で作ってんじゃねぇよ自分んちでやれ、とツッコミを入れたくなる仲の良さなのに、今日は違った。

 空は朝からずっとピリピリしてるし、今だって独りでお昼ご飯食べてるし、源はどっか行っちゃったし。


「なぁ、咲良さくら」友だちのしおりが話し掛けてきた。彼女は、「あれ、いいの?」と空に目を向けた。


 栞は、いかにも読書が好きそうな名前をしているにもかかわらず活字が大嫌いな女の子だ。当然、勉強も嫌いなんだけど、髪を脱色ブリーチしたいという理由で一応は進学校と地元では認識されているこの学校を選択したらしい──うちの高校は制服さえ着ていればあとは自由な格好をしていいのだ。


 その栞に促されたから、ではなく、元から構うつもりだったので、空の席に向かう。

 頼むぞ、という視線を教室のみんなから感じる。

 空みたいな美人がピリピリしているとみんな怖いのだろう。不機嫌でさえなければ〈男は度胸、女は愛嬌〉という言葉の不完全さを私たちに教えてくれる顔面偏差値の絶対王者なのに、今は〈触らぬ神に祟りなし〉という言い訳の汎用性の高さを実感させてくれる怖い女だ。

 でも、私は、男だけじゃなくて女にも度胸が必要だと思っている。


 というわけで、空に訊いてみた。「源と喧嘩でもした?」


 気づけば教室は静まり返っていた。


「……喧嘩じゃない。私が独りで怒ってるだけ」空は、いやに大人びた声色で答えた。







「それはまた……」私は言葉に詰まってしまった。


 空を私の机に連行して話を聞いたところ、〈今まで1度も嫉妬や束縛をしてくれたことがなくて、愛されていないんじゃないかっていう不安と不満が限界まできた〉ことが原因でイライラしていたらしい。でも、素直にそれを問い質す勇気もないそうだ。


 乙女レベル高! これが顔面偏差値絶対王者の実力か、と感心した。そして、なんと言ったものか、と困ってしまった。


「まぁでもさ」一緒に愚痴に見せかけた惚気を聞いていた栞が軽い調子で言う。「そういう奴もいなくはないっしょ」


 しかし、独占欲のない男は空の理想とかけ離れているのか、「えー、それはやだ」と眉間にしわを寄せた。


「気持ちは分かるけどさ」栞は共感を示し、卵焼きを口に運ぶ。美味しそう。


「他の不満は?」私は訊ねた。


 すると、空は、「うーん」と顎に手を当て、「ねぇな」と呟いた。


 自分の感情に素直になって、〈惚気やがってよぅ!? 彼氏のいない私らに喧嘩売ってんのか!?〉と言いたいところだけど、この程度で喧嘩売買契約を締結ていけつしていたら人生に疲れてしまうので、「他に女がいる気配があったりは?」と訊くに留める。


「あー」と半開きの口から洩らした空は、「いない、と思う」となぜか赤面した。


 いや、ホントになんでだよ? 


「あっはー」という特徴的な笑い方は栞のものだ。「何それ、かわいー」


「なんだよ、可愛くねぇよ」空は気分を害したように、しかし可愛く口を尖らせた。


 わざとやっているのだろうか?







「送ったぞ」空は不安げな顔で言った。


 私は、〈冷静になるために少し距離を取ってみたら?〉とアドバイスした。彼女たちは付き合い始めて2ヶ月とちょっとのはず。つまり、そろそろ倦怠期に入っていてもおかしくはない。

 2年2組を代表するバカップルの場合は一般的な倦怠期とは少し違う気がしなくもないけど、価値観の違いによる不満が原因なら倦怠期亜種みたいなものでしょ、きっと。

 というわけで、べったり状態から脱却すべく、空は、早退した源にその旨をRINEで伝えたのだ。


「大丈夫かなぁ……」空は本当に不安そうだ。


「大丈夫大丈夫」一方、栞はまったく不安そうではない。「早く行こ」


 授業も終わったので、これから3人でカラオケに行くのだ。空を放置するのは可哀想だしね。淋しさと不安で苦しむところもちょっぴり見てみたいけど、流石にそこまで鬼畜ではない。


 空のスマホが鳴った。多分、源だろう。

 

「なんて来たの?」私は食いついた。当たり前である。


「ちょっと待って」空はスマホを操作し、次いで、渋い顔になる。「『分かった』って言ってる」


 ごねてほしかったのだろう。余計に沈んでしまった。

 割と罪悪感があるけど、必要な処置なのだ。許しておくれ。


「予想はしてたけど、やっぱり源ってドライなんだな」栞は軽そうな鞄を肩に掛けた。


「だね。空みたいな子相手にこれって筋金入りかもね」私は同調した。


「どういう意味だよ?」空が疑問を挟む。「私が女っぽくないからじゃねぇのか?」


 女っぽくないってあんた。「それ本気で言ってんの?」


「本気に決まってんだろ」と言う空の声は、私らの中で1番女の子してる。


「あっはー。おもしれー」楽しそうな栞に対して、空は、「おもしれくねぇよ」と不服そうだ。


 彼氏のことで頭がいっぱいになっている美少女が、〈私は女っぽくない〉と主張しても説得力はない。あるわけがない。


 どうせカラオケでも女子力高めソングを歌うんでしょ? 分かってる分かってる。







 下手ではない。しかし、上手くもない。しかし、声はいいからそこはかとなく格好はついている。

 空の歌はそんな感じだった。ただ、少しだけ意外だったことがある。


「アニメ観るんだ」私はほとんど無意識に洩らした。

 

「小学生のころはな」地獄耳なのか、聞こえていたようだ。


 空は、歌に興味のない人でも知っている超有名ソングか、少し前に放送していたアニメの主題歌を、曖昧な記憶に従って、一般人の音域で、つまりは音痴なのではなく純粋な知識と技術の不足という理由で音程の安定しない歌い方をする。

 のはいいのだけど、なんというか男の子っぽい歌がやや多い気がするのだ。最近の大ヒット曲(ロック)→5年くらい前の恋愛映画の主題歌(バラード)→比較的歌いやすい男性アイドルの歌→バトルもののアニメの歌、という感じ。別に駄目ではないけど、空のイメージとは違ったから少し驚いた。


『~♪』


 有名な洋楽の前奏が始まった。

 次は栞だ。彼女は、カラオケ好きの人でもあまり知らないであろうインディーズの洋ロックをよく聴くらしい。好きな歌がカラオケに入っていない、としょっちゅう嘆いている。


 栞が歌い出す。日本、というかこの田舎からも出たことがほとんどないくせにやたらと流暢な英語だ。

 子音だけでなく母音も完璧に発音しているように聞こえるのは、どういうことなのか。あなた英語の成績も悪いでしょ? と私はいつも得心がいかない。


「かっけー」私とは違い、空は素直に称賛している。


 ちなみに、私はボカロ一択だ。高音にこそ真実がある。これは譲れない。







 6日が経った。

 空は日に日に曇ってゆき、そろそろあめが降るんじゃないか、と私たちを不安にさせている(これはこれで乙である、と主張する派閥もある)。

 原因は言うまでもなく源だ。

 空はここ6日間、源の顔を見ていない。彼は、早退してからずっと学校を休んでいるのだ。うちの学校はいろいろと緩いから、先生たちは問題視していないけど、空は淋しさと不安が爆発しそうになっている──アドバイスに従って、連絡は控えめにしているようだ。


 今日は日曜日で暇だったので、私と栞は空の家にお邪魔している。

 デカくて綺麗な家に、空のマウント性能の高さをいまだ甘く見ていたと反省した。しかし、空の頭にはマウントという概念はなさそうだ。今は特に。


「このまま終わっちゃうのかな……」空が雨模様な声色で言った。


 6日ぐらいで何を大袈裟な、と思わなくもないけど、こういう曖昧な感じが続いた結果、自然消滅することもあるので馬鹿にはできない。というより、私のアドバイスが原因なので罪悪感がすごい。


「そんなことないって」と言ったものの、距離がどうとか助言しなければよかったかな、と後悔し始めている。


「もう直接訊いちゃえば?」栞は深く考えてなさそうだ。「空がさ、『私のこと好きじゃないの?! 私が他の男に中出しキメられてもいいの?!』ってキレればいいんじゃない?」深く考えていないどころか、面白半分だった。


「……」ところが、空は真面目に思案している。「そうすっかな」


 あっはー、と栞が笑う。


「ちょい待ち」私は止めた。そんな言い方したら上手くいくものも上手くいかないだろう。


「待たない。もう無理」空から確固たる何かを感じる。「早くくっつかないと死んでしまう」


 思っていたよりも依存しているっ……!

 源がやり手なのか、空がちょろいのか。いや、ちょろくはないか。彼女の前には屍(振られた男たち)の山ができている。じゃあ、やっぱりあのぼやっとした源がやり手? 

 人は見かけによらないんだなぁ、と私はまた1つ賢くなった──。

 

 じゃなくて空を止めなければ。「せめて言葉は選びなよ──」


 スマホの通知音が鳴った。「あ」と空は声を発する。「源からRINE来た」


「おおぅ」と私は動揺し、「へー」と栞は動揺しない。


 滑らかな手つきでRINEを確認した空の顔に不安が浮かぶ。「『会って話したいことがある』って」


 まさか……。


「振られそうじゃん」栞は事も無げに言う。「こんな美人でも振られるときは振られるんだな」


「栞!」と私が睨むと、栞は、「冗談だよ、悪かったって」と肩をすぼめた。




▼▼▼




 今日も雨が降っている。


 僕はどうやら春夏秋冬さんの機嫌を損ねてしまったらしく、昨日からいつもとは違う目を向けられている。

 読心能力も中途半端にしか機能しないから当てにならない。割と困っているような、そうでもないような、そんな感覚を抱えて4時間目の古典を聞き流していると、僕の目の前にワープでもしてきたみたいに突然そいつが現れた。


「よー。久しぶり」と言ったのは、ぬらりひょんの八神やがみ 君丸きみまる──3歳上の、僕の幼なじみだ。


 教室にいるみんなは君丸を認識できていない。気づいているのは僕だけ──これがぬらりひょんの異能だ。

 つまり、ここで僕が普通に、〈久しぶりだね〉などと言ってしまうと、みんなから、授業中に突然独り言を喋る奴と認定されてしまう。佐伯さえき先生の授業が退屈にすぎるからって、独り言の言い訳にはならないだろう。

 

 なので、筆談する。『今、話せないからあと10分待って』


「おー」君丸はおかしそうな声を出す。「ちゃんとしてんなー」


 さらさらとシャープペンシルを動かす。『君丸よりはね』


「そりゃあそうだ」君丸はからからと笑い、後頭部からしっぽのように垂れ下がっている長い三つ編みを揺らした。







 昼休み、人目を避けようと屋上にやって来た。

 いつもなら屋上の扉は、まるで伝説の大妖怪が封印されているかのように厳重に施錠されているのだけれど、流石は手癖が悪いことで有名なぬらりひょん、鍵をサクッと盗ってきて、カチャッと開けてしまった。


 屋上では、何処からか飛んできたとおぼしき正体不明のゴミがちらほらと見受けられる。雨はそうでもない。けど、一応、傘はさしている。


「2年ぶりくらい?」手始めに僕は訊ねた。


「そんくらいだなー」君丸は広げた傘をくるくると回している。


「今日はどうしてこんなとこまで来たの?」君丸は東京に住んでいる。遠路遥々どうしたのだろうか。


「実は、妹が、『旅立つ 探すべからず』って掛軸を残して失踪したんだよ」


 つまり、探しに来たということか。


透緒子とおこちゃんだっけ? 個性的だね」と分厚いオブラートに包むと、君丸は、「気安く妹の名前を呼んでじゃねぇよ」と包まれていない部分に反応してしまった。


 そういえばシスコンだった。


「ごめんごめん」悪いとはつゆほども思っていないけど、とりあえず謝っておく。「それで、妹さんは見つかったの?」


「ああ。遊園地で遊んでた」


 特に言うことはないけれど、なおざりにするのもはばかられるので、「へー、よかったじゃん」とおざなりに返す。


「それよりよ」君丸は方向転換。「お前、暇だよな?」


 春夏秋冬さんといい君丸といい、よっぽど僕が暇人に見えるらしい。しかし、今は暇ではない。「曇り空の原因について考えているから忙しい」


「意味分からん」


「恋人のような子を怒らせちゃったんだよ」


「へー、何やらかしたん?」


 それが分からないから困ってるんだ。「さぁ?」


「あーはいはい、そういう感じね。詳しく話してみ」


「それが──」と昨日のことを教えた。


 すると、「さとりのくせにダメダメじゃねぇか」と呆れられた。「水季みずきらしいっちゃらしいけどよ」


 そうなのか。


 それで僕はどうすればいいんだろうか、と口にしようとしたら、「丁度よかった」と君丸がわざとらしく言った。「今日、水季に会いに来たのは、仕事を手伝ってほしいからなんだ」


「除霊の?」君丸は心霊関係の仕事をしている。


「そう。大口の依頼が入ったんだよ」


「それがどうして丁度いいのさ?」


 君丸は、はぁー、と日本古来の妖怪のくせにアメリカ人みたいに肩を竦める。傘が横になって雨が顔に当たるが、気にした様子はない。「物でご機嫌を取るんだよ」いいか、と胡散臭い宗教家のような顔で言い、続ける。「俺の仕事を手伝う、バイト代を貰う、その金でプレゼントを買う、謝りつつ彼女にプレゼントを渡す、みんなハッピー。こうなる。分かったか?」


 僕は疑いの目を向けた。


 君丸がたじろぐ。「な、なんだよ?」


「僕に仕事をさせようとして、適当で都合のいいこと言ってない?」


「まさか!」と潔白を主張するかのように腕を広げ、また雨に晒される。「そんないい加減なことするわけないじゃないか」


「……」無言で異能を発動する。


(透緒子が1人、透緒……2人……子が3人……)


 嘘でしょ?! そんな防御法ありなの?







 除霊対象の霊は、隣の県との境目にある大きな湖の近くにいるらしい。ので、学校は早退することになった。


 君丸の口車に乗るようで少ししゃくだけど、そこまで悪い案ではないような気がしたので、彼の車に乗り、現場に向かっている。


 でも、1番肝心な怒らせてしまった原因が、いまだ分からないままだ。これがはっきりしなければ謝りようがない。


 それを訊ねると、「独占欲って分かるか?」と質問を返された。


「理解はしているつもりだよ」けど、共感はできない。異性に関して言えば、僕にはない感覚だ。


「普通、独占欲っつーのは愛情とセットになってんだよ」それだけじゃねぇけど、とただし書きを置き、続ける。「彼女さんは、お前にやきもちを焼いてほしかったんだよ。それで愛情を確かめようとした」それなのによー、とおちゃらけるように言う。「塩対応にもほどがあるって。お前は彼女の血圧を上げたいのか?」


「そうわけじゃないけど……」嫉妬しないことがそこまで重要な問題だとは考えていなかったから、思ったことをそのまま口にしていた。


 君丸は更に説明を噛み砕く。「じゃあよ、例えばお前の彼女さんと俺が付き合い始めたらどう思う?」


 どうって……。


 具体的に考えてみる。

 春夏秋冬さんと君丸が一緒にいる? んー? どんな会話するんだろ? ちょっと興味あるかも。男同士の友だちって感じになりそう。でも、彼氏彼女っぽい雰囲気になったとしたら──。


「……言われてみれば、たしかに少し嫌かもしれない」


 君丸は苦笑いを洩らす。「その気持ちを誇張して伝えれば、機嫌治してくれるっしょ」あ、あとプレゼントな、バイト代で買ったやつな、と僕の脳に刷り込むように付け加えた。


「……」


 そうか、と思う。人間に恋するなんてあり得ないと思っていたけど、案外そうでもないみたいだ。

 僕もきっと恋してる。多分。







 春夏秋冬さんからRINEが来た。


『頭を冷やすために少し距離を置きたい』


『分かった』と返信する。


「もう少しで着く」君丸が運転しながら言った。


 どこを見ても緑色しかない。僕らの町も東京とかに比べたら田舎だけど、ここは次元が違う。伝説の妖怪が封印されていても不思議ではない。そんな風情がある。 


 数分後、メッセージが2つ送られてきた。


『別れるとかじゃないから』『浮気すんなよ』


 なるほど、と小さく笑い、また『分かった』と送る。







 結論から言うと、除霊はなんとか終えることができた。

 金鵄きんしだか八咫烏やたがらすだかの霊と鬼ごっこしたり、雨が降っていても普通に読心が使えるようになっていたり、県外に行ったり、鳥頭の馬鹿鳥が派手にやりすぎたり、若作りの鬼ババが説教しに来たりといろいろあったけど、クリアはクリアだ──2度とやりたくない。


 見慣れた住宅街を君丸のSUVが進む。やっと帰ってくることができた。


「お疲れさん」君丸は言う。


「本当にね」非常に疲れた。妖怪じゃなければ倒れていてもおかしくはない。


「返す言葉もございません」と君丸が軽い笑いを零したところでアパートに到着した。「ちっと待ってな」と質の良さそうな長財布を開く。


 バイト代は、お札をそのまま渡すつもりのようだ。お小遣いを貰う気分になる。


「ほい」と手渡されたのは、半年はアパートの家賃の支払いに悩まなくてもよくなる額だ。


「ありがと」言ってから、いやでも正当な報酬だよねむしろ少ないまである、と感謝を撤回したい気持ちが湧いてきた。わざわざ撤回はしないけど。


「ああ、助かったよ。また頼むぜ」


「仕事内容による」ろくに説明もされずに秘境めいた辺境に連れていかれるのは、大変よろしくない。


「ははは」という、有耶無耶にしようという魂胆が透けて見える笑い声を聞きつつ、車を降り、ドアを閉める。


 ドアウィンドウは完全に開けられている。じとっとした目をしていると、君丸は、「じゃあ俺行くわ! 彼女さんと仲良くな」と勢いのある声を出し、車を発進させて行ってしまった。


 ちなみに、このお金って法的にどうなんだろ、といった悩みはない。他の妖怪もみんなこうなのかは知らないけど、少なくとも僕の性格では気にしない。







『お願いがあるんだけど』と妹さん──遥ちゃんにRINEを送ると、『なんですか』『お姉ちゃん変』『何があったんですか』と1文ずつメッセージが返ってきた。


『買い物に付き合ってほしい』


 すぐに、『え』『私にも手を出すんですか』『こわ』『性欲魔人じゃないですか』と来た。


 春夏秋冬さん、と打とうとして、紛らわしいな、と思い、やめる。『空へのプレゼント選びに協力してくれないかな?』


『お姉ちゃんは出し・・ですか』『ヤバいですね』『行きますけど』『勿論私にも何か買ってくれますよね?』僕の知り合いの中で、遥ちゃんの入力が1番早い。


 今の僕はそこそこリッチなので、『いいよ』と軽い気持ちで承諾する。


『やった!』『水季さん大好き♡』『いつにします?』『水季さんに合わせますよ♡』


「……」


 姉妹で性格が違いすぎる。のは問題ないのだけれど、この子、大丈夫だろうか。今からこの調子だと将来どうなるのかな、と思って、『そういうの、ちゃんと相手を選ばないと危ないよ』と深く考えずに送る。


『説教きた笑』『親父くさい笑』『まさか例の構文の使い手……』


『遥ちゃんに何かあったら、空が悲しむから』


『ラブラブっすね笑』『お義兄にいさんって呼んだほうがいいですか?笑』







 遥ちゃんにはハイブランドのリップを買ってあげた。税込で5000円いかなかったからいいんだけど、あまり親しいわけでもない高校生にナチュラルにハイブランドの化粧品を要求するあたり、なかなか肝が据わっていると思う。

 遥ちゃんは、〈ありがとうございます。これからも協力は惜しまないんで、いつでも言ってくださいね(お姉ちゃん、水季さんを捕まえてくれてありがとー)〉と喜んでいた。なお、僕はあまり喜べなかった。


 春夏秋冬さんを怒らせてしまった日から1週間後の日曜日、僕は彼女の家の前にいた。右手にはトートバッグを提げている。


 春夏秋冬さんに、〈会って話したいことがある〉とRINEしたら、〈いま家にいる〉〈どこで会う〉と返信が来た。〈行っていい?〉と訊ねたら、〈うん〉と許しが出たので、いそいそと準備をして、7月の炎天下、とぼとぼと歩いてきたのだ。


 チャイムを押す。すると、すぐに玄関が開けられた。


「……久しぶり」春夏秋冬さんにいつもの元気がない。読心を使ってみる。


(振られるのかな……。嫌だ。絶対やだよ)


「……」ごめんね、という言葉は心の中に留め、「久しぶりだね」とだけ声に出す。


「入ってくれ」元気はないけど、口調はいつもと変わらない。


「お邪魔します」







 両親は仕事に、遥ちゃんは友だちの家に行っているらしく、春夏秋冬さんと2人きりだ。


 春夏秋冬さんの部屋で、〈クッション〉という横文字で表現するのが適切に思える小洒落た座布団に座っていると、春夏秋冬さんが麦茶とチョコレートを持ってきた。「お待たせ」と小さめのテーブルにお盆ごと置き、腰を下ろす。


「……」「……」2人揃って沈黙してしまった。


 このまま、にらめっこを続けていても仕方がないので、「あのさ」と始める。「僕は今まで女の子に対して、〈他の男と仲良くしないでほしい〉とか〈独占したい〉とかって思ったことがなかったんだ」


「……」


 春夏秋冬さんの状態や考えていることは、物欲に忠実な協力者に探ってもらったので、会う前から把握している。


 麦茶に口をつけてから、続ける。「それっていうのは、多分、本気で誰かを好きになったことがなかったからなんだと思う」


「なんだよそれ」春夏秋冬さんが苛立ちと悲しみを混ぜ合わせたような声を発する。「じゃあ全部嘘だったのかよ! 好きっていうのも一緒にいた時間も全部、ぜんぶ……」


「違うんだ。そうじゃな──」


「違わないだろ!」険しい瞳に涙が滲んでいる。


「違う。春夏秋冬さんだけは違ったんだ」声をあららげるのは苦手だから、いつもの語勢で僕は言った。


「……」


「本気になった経験がないから、なかなか気づけなかった。本気になるなんてあり得ないと考えていたから、春夏秋冬さんがモテることに対しても特に何も感じないのだと思い込んでいた」息継ぎをする。「でも、いろいろ考えてようやく分かった。僕は君に恋してる。自分でも驚いているけど、春夏秋冬さんを誰にも渡したくないと思うくらい、本気だよ。本気で好きなんだ」


「……ぇ、ぁぅ……」春夏秋冬さんがみるみる赤くなっていく。


「今までごめんね」


「……ぅん、もう、怒っ、てない」顔を真っ赤にして激怒している、との解釈が成立するくらいには赤いけど本当に怒ってないの? と訊いてみたいというのが本音だけど、流石に我慢する。


「ちゃんと言葉にしてなかったから、今から言うね」なんだか変な感じだけど、言うねって言っちゃったから、言う。「僕の彼女になってほしい」


「……ぇ、ぅぅ……ぁぅ……」


 感情が爆発して言語機能に障害の発生している春夏秋冬さんを眺めながら黙って待つ。

 これで振られたらカッコ悪い振られ方選手権の決勝トーナメントに出場できそうだ。


 しかし、数分経って復活した春夏秋冬さんが、「今更かよ。遅すぎだ、ばか。けど、可哀想だからギリギリ許してやる」と依然として赤いまま口にしたので、惜しくも大会出場資格を逃してしまった。 

 

「じゃあ、ついでにもう1つ許してほしいことがあるんだけど、いいかな?」


「な、なんだよ」なぜか身構えている。


「これからは、空って呼びたい」


「ぁぅ……」また待つことになるのかな、と思ったけど、すぐに、「い、いいぞ」と言語機能の正常っぷりをアピールしてきたので、よかった。「その代わり、私も、み、み、水季みずきって呼ぶから」


「みみみずき、じゃなくて水季ね」


 さて、と次のミッションに移る。

 ミッション達成の必須アイテム──やたらと人件費の掛かったプレゼントを取り出そうと、持ってきた安物のトートバッグのファスナーを開ける。すると、またしても空は警戒するのように顔を強張らせた。


 さっきからなんなんだろ? と異能を発動させる。


(今度は何をするつもりだ? これ以上は嬉しすぎて頭がおかしくなる。行動もめちゃくちゃになる自信がある。そしたら引かれ──待てよ。世の中そんなに都合良くいくか? いかないよな。……つーことは、これは夢? 起きたらまた源……水季がいないのか? それで私は振られる……?)


 混乱を極めてまた涙目になっている。やっぱり根本的に不思議な思考回路をしているようだ。


「振らないから落ち着いて」


「お、おう」


「これあげる」と白いリボンが掛けられた箱をテーブルに置く。「臨時のバイト代が入ったから、プレゼント」


「ぉ、ぉう」ぷるぷるしている。「開け、てもい、いか?」


「いいよ」


 空は、しゅるり、とリボンをほどき、実際にはどうか分からないけど雰囲気だけは高級な包装紙をひらいてゆく。そして、蓋を外す。


 箱の中には白を基調としたデザインの腕時計がある──僕が買ったのは、頑丈なことで有名な腕時計だ。

 正直、デザインだけで選ぶなら他のにしていたのだけど、この人、身体を動かすのが好きだから丈夫なほうがいいかな、と思ってこれにした。

 

「それ、ペアウォッチになってるんだ」トートバッグから僕のやつ──包装された箱を取り出し、「こういうの嫌じゃなかった?」と空のやつの横に並べる。


「いやじゃない……」しかし、空は動かない。


「そっか。よかったよ」と隙だらけの手首に時計を着けてやる。


「あり、がと……」


 遥ちゃんが密かに拝借してきた空の腕時計を参考にバンド調整をしただけはあって、丁度良いサイズ感に見える。


 突然、空は、すくっと立ち上がった。僕の横に移動し、すとん、と座る。そして、もたれ掛かるように抱きついてきた。そのまま押し倒される。


「すき、すき……」僕の胸に頬を密着させるようにした空が囁き声で繰り返す。


「僕も好きだよ」と頭を撫でると、指が空の耳に触れ──「んっ……」と空が、つぼみのような吐息を洩らす。「……」僅かな沈黙の後、むくり、と顔を上げた彼女は、僕の唇を啄み、「すき」と囁いた。すぐに、今度は頬に口づけをし、「すき」とまた言い、首にキス──「すき」とキスの雨を降らし始めた。


(すき、すき、すき……)


 心の中も同じ言葉がループしている。これは大丈夫なのかな? 落ち着いたらいつもの空に戻ってくれるのだろうか? 


 と少し心配になったけれど、可愛いからこのままでもいいか、と空の後頭部に手を回す。

 察した空が切なげな瞳で僕を見つめる──すぐに彼女を引き寄せ、美味しそうな桜色の唇を僕のものにする。あえて核心を避けるように中にはれず、下唇を甘噛み──口内に柔らかな感覚。

 空のほうから舌を挿入してきた。逆らわずに彼女を受け入れ、流れのままに彼女の口内を味わう。

 今までに感じたことのない感情が、僕の中で膨れ上がってゆく。戸惑いはあるけれど、悪い感じはしない。

 その情動に従い、より激しく空を求める。

 そうして深く深くキスを交わし続けていると、空が不意に唇を離し、上体を起こした。


 彼女は大きく息を吸い、吐く。


 そんな、なんでもないことさえ愛おしく思えてしまう──僕はおかしくなってしまったようだ。


 なので、言わずにはいられない。「空のこういうところ」と彼女の腰に手を添える。「僕以外に見せたら駄目だよ」


「──」


 空は、麗らかに微笑んだ。

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