迷えるメロディ①

水季みずきに愛してるって伝えたい)


 僕の部屋で、映画──1つ歳を取るたびに親しい人が自殺する淋しがり屋の女の話──を観ているふりをしている空は、ちらちらとこちらに視線をやったりやらなかったりしながら、そんなことを考えていた。


(でも、なんだか恥ずかし……。愛してる、なんて誰にも言ったことねぇよ。いきなり言ったら変だよな……?)


 少なくとも僕らが今、観ている映画よりは変じゃない。


「水季はさ、私に言われたい言葉ってあるか?」さらっとした声音で訊かれた。 


「あるよ」


「例えば?」大して興味のなさそうな雰囲気を頑張って作っているようだけど、心の中は、(水季も同じことを考えてくれてる? 嬉しいな……。ん? もしかしてエロいセリフか……? いったい何を言わされるんだ? それはそれで恥ずかし……。でも、言ったらもっと激しく……)とあらぬ方向に進んでいる。空の頬にじんわりと赤が広がり始めた。


 期待を裏切ってみる。「『これからは辛いものも絶対に完食すると約束します』かな」


「……」違うそうじゃないもっとあるだろ、とでも言いたげな瞳が僕を射貫く。しかし、素直に〈愛してる〉と言葉にすることはできないようだ。


 そんな空にお手本を見せるかのように、『愛してる』とテレビの中の女優さんが口にした。『あなたのいない世界に価値はない。あなたがいなければ私は生きていけない。愛してる。本当に愛してるの。だから……』


「……」2人きりだと空はすぐに赤くなる。(ぎゅぅってしてほしい)


 らしいので、「おいで」と呼ぶ。


 やにわに、スマホが鳴った。空のだ。


 しかし、空にスマホを確認する気はないらしく、スマホとは反対方向にいる僕に近づき、抱きつく。

 そりゃないっすよ。先にこっちを見てから始めてださいよ。スマホに心と口があったとしたら、こんなことを言いそうだな、とくだらないことを思う。




▼▼▼




 姉さんは東京でガールズバンドをやっている。憧れていたインディーズレーベルと契約できた、と無邪気に喜んでいたのが、およそ1年半前のことだ。

 彼女たちの音楽活動は順調なようで、いつも楽しそうにライブの話や出演したテレビ番組の話をしてくれる。


 しかし、スマホ越しに見る、今日の姉さんは冴えない顔をしている。『しおりちゃんはどう思う?』


「そうだなぁ……」


 姉さん曰く、最近ライブハウスで怪奇現象が発生しているらしい。ライブ終了後のパブタイムという名の打ち上げの時に、黒板をひっかいたような音が聞こえるそうだ。

 

「はっきりとは分からないけど、幽霊じゃない?」夏だしな、と笑う。


『やっぱりそう思うよね』と嫌そうに顔を歪める。


「でも、音が鳴るだけなんでしょ?」そんなに怖がらなくてもいいじゃん。


『もう! ひと事だと思って!』姉さんは、バンドのボーカルよりも幼稚園の先生とかが似合う、おっとりとした容姿をしているので怒ってもまったく迫力がない。


「あのさ」


『あによ』不満たらたらだが、やはり怖さはない。


「私のクラスにものすごく霊感の強いバカップルがいるんだけど、訊いてみようか?」私にも霊感はあるが、多分彼女たちのほうが上だ。


『いいの?』姉さんはコロっと表情を変えた。『ありがとう。栞ちゃん優しいー』


 本当は初めから怒っていなかったのではないか。そう思わせる笑顔だ。

 

『それで』と落ち着いた声音に切り替えた姉さんは、『どんな子たちなの? そのバカップルは』と問うた。


「スーパー美人な依存女と童顔のドライ男」


『……キャラ濃そうだね』


 そうかもしれない。







『ごめん、気づかなかった』私がRINEラインを送ってから約1時間30分後にバカップルの片割れ──空から返信が来た。『相談って何?』


 いまいち信用できない言い訳については触れずに、『空たちって霊感強いんだよね? 幽霊関係なんだけど、今って通話できる?』と訊ねる。


『できるよ』


 ということなので電話を掛ける。すぐに、『おう、どうした?』と見た目からは想像もつかない男口調が耳に飛び込んできた。


「それが──」と姉さんの周りで起こっていることを説明する。一通り話し終え、「音を止めるにはどうすればいいと思う?」と意見を求めてみる。


『ちょっと分からん。水季に訊いていい?』


「頼む」


『おっけー』


 ──なんかライブハウスでポルターガイストっぽい変な音がするんだって。ふーん。どうすれば消えるんだ? 原因によって違うから一概には答えられない。そうなんか。うん、見てみないことにははっきりしたことは言えない。

 

 どんな距離で話しているのか、2人の声が丸聞こえだ。


『現場に行かないと分からないってよ』空は言った。


「全部、聞こえてた。今はどういう体勢なの?」


『た、体勢? 普通な感じだけど……』見事な尻すぼみだ。


「今日、すごく暑いよね」


『うん? それがどうしたんだ?』


「くっついてると暑くない?」


『冷房もあるし服も着てないから丁度い……』何かに気づいた空は言葉を止めた。


「空さ、頭ポンチキって言われるでしょ?」


『……』







 後日、市立の図書館の休憩スペースで咲良に姉さんのことを話したら、彼女は、「じゃあ、みんなで東京に遊びに行こうよ」と軽い語調で言った。〈帰りにファーストフード店に寄っていこうよ〉と言う時とまったく同じ顔をしている。「せっかくの夏休みなんだし、丁度いいんじゃない?」


 言われてみればそんな気もする。久しぶりに姉さんに会いたいし、彼女たちのライブも観たいし、たしかに丁度いいかもしれない。


「私はいいぞ」いちごミルクを飲み干した空が先に賛成した。「でも、どこに泊まるんだ?」


「多分、姉さんのマンションに泊まらせてもらえると思うけど……」と空を見る。


「なんだよ?」大量の糖分を摂取したくせに、空の頭はあまり働いていないらしい。


 一方、無糖のストレートティに口をつけた咲良はそうではないようだ。「源はなんて言うかな、ってことでしょ?」


「そうそう」私は肯首した。


「あー、たしかに、来るにしても女だらけの所に男1人で泊まるのは嫌がるかも」つーか私がしてほしくない、と空は細君さいくんらしい貫禄で付け足した。


 にやにやと咲良が嫌らしい笑みを見せる。「空と源はホテルにでも泊まれば?」


 空は間に髪を容れずに、「それは名案だ」と咲良を褒める。


 その様子を見て私は思い出した。そういえばさ、と話の舵を切る。「この前、私のRINE無視して源とヤってたよね?」


「お」と咲良が食いつき、「え゛」と空が顔色を変える。


「源ってどういう感じなの? 巧いの?」あのぼんやりした源がエッチをしているところはあんまり想像できない。だから、気になる。


 それは咲良も同じなのだろう。勉強している時とは比べものにならないほど目を耀かせている。「好きな体位について一言お願いします」とエアマイクを空に向けた。


 しかし、顔を赤くするだけで、「うるせぇな、なんでもいいだろ」と教えるつもりはないようだ。


「空は密着できるやつが好きそうだな」私の中で、〈空=ひっつき虫〉という等式が真理になっている。


「分かる」と応じた咲良は、「で、源は?」と迷惑なゴシップ記者に成りきる。


「ぅぅ」と悩ましげな声。しかし、逃れられないと観念したのか、「……顔のよく見えるやつがいいらしい」と白状した。


「あんた相手なら誰でもそう言うって」咲良は拍子抜けしてしまったらしい。声から張りが消えている。「他になんか面白いネタはないの?」


「面白いネタって、お前なぁ」空は呆れを浮かべた。けれど、「他の奴は知らないから違うかもしんないけど、多分、水季は巧いと思う」と咲良の期待に応える。


「ほー」咲良は興味を復活させた。


「おー」勿論、私も興味がある。


「その心は?」と問うたのは咲良だ。


 もじもじした空は、「……私の考えてることを全部分かってるみたいに、何も言わなくても、してほしいことをたくさんしてくれる」と更にもじもじする。


「すご」「ヤバイわそれ」言葉は違えど、私と咲良の心境は一致しているはずだ。


 源の意外な一面に驚愕する私たちに対し、空は心なしかどや顔をしている。

 

 ふと思う。もしかしてここまでの流れも全て計算して匂わせた……?


 空を見る。頭、空っぽそうな雰囲気を漂わせている。やはり気のせいだろう。この子にそんな真似は無理だ。


「東京では迷子にならないように気をつけなよ」私は知らず知らず、そう言っていた。


「子どもじゃねぇんだからならねぇよ」


 本当だろうか?







 私たちは東京駅にいた。姉さんが迎えに来るのを待っているのだ。


 東京に行くメンバーは、予定どおり私、咲良、空、源の4人だ。

 空は、大きなサングラスを掛けて現れた。人が多い所だと視線がウザすぎるかららしい。芸能人かよ、というツッコミが脳裏をかすめたが、〈モデルとグラビアをやってます〉と言っても誰も疑わないレベルの容姿をしているから、素直に、美人も大変だな、と納得してしまった。


 けど、サングラス程度では隠しきるのは難しいようで、今も東京駅の人混みの中から空を見つけた人が、ちらちらと彼女を見ている。男女を問わずというのがまた恐ろしい。

 そんな彼ら彼女らが次に見るのは、一目でそれと分かる距離にいる源だ。鬱陶しい感情が飛んできているが、源はどこ吹く風でいつものぼやっとした顔をしている。


「源ってさ、美人と付き合うのに慣れてるのか?」私は源に訊いた。


 一瞬だけ空に目をやった源は、「慣れてないよ」と受け流すように否定した。


「エッチが得意な遊び人なのに?」からかってみる。


「得意ではないし、遊び人でもないよ」


「ふーん」







 姉さんの第一声は〈栞ちゃん、久しぶりー〉で、その次は〈こんな可愛い子、実在するんだねぇ〉であった。


 姉さんの車──7人まで乗れるミニバンだ──でまずは彼女のマンションへ向かう。荷物を置いてから少し休んで、それから問題のライブハウスへ行くのだ。


文音あやねさんは普段は何を聴くんですか?」咲良が運転席の姉さんに訊ねた。「やっぱり洋楽ですか?」


「栞ちゃんはそうだけど」と姉さんが笑う。「私が好きなのは邦ロック」


「へー、カッコいい系が好きなんですね」咲良は無難に返した。


「そんなふうに見えないでしょ? もっとゆったりした歌が好きそうってよく言われるんだ」


「それは否定できないですね」咲良はおかしそうに息を吐き、「空も前、ロック歌ってたよね?」と隣に座る空に話を振る。


「え」歌にはそれほど興味のない空は、会話に参加しようとは思っていなかったのだろう。不意打ちに、驚いた声を洩らした。「私?」


「うん」咲良は頷き、「Fake laughterフェイク ラフター歌ってたじゃん」と曲名を口にした。


「歌ったけど……」という空の言葉と、「あー、あれね」という姉さんの声が重なった。


「空って歌声も可愛いんですよ」ズルいですよね、と咲良は言う。


「へぇー、聴きたいなぁ」姉さんも乗る。「ちょろっと歌ってくれると、お姉ちゃん嬉しいなぁー」いつからこの人は空の姉に転職したのだろうか?


「え゛」空は、声帯を閉鎖するだけでなく喉も締めてしまった声を出した。「プロに聞かせられるレベルじゃないっすよ」


「そんなの気にしなくていいのにー。でも、どうしても嫌なら1番だけワンコーラスでいいよー」姉さんは見かけよりずっと押しが強い。「はい! じゃあ、いってみよー」


「Yeah!」「いえー!」私と咲良が阿吽あうんの腹式呼吸で退路を塞ぐ。


「ワンコーラス? え?」空は混乱している。「歌うの? マジで? しかもアカペラ?」


 ここで今まで黙っていた源が一言。「僕も聴きたいな」


「……」途端におとなしくなった。そして、「分かったよ。しゃーねぇな」とぶっきらぼうに口にした。


 あっはー。姉さんは笑った。







 問題のライブハウスは吉祥寺きちじょうじにある。

 地下への階段を下る。壁には大量の広告フライヤーが張られているが、ごちゃごちゃしすぎていて見る気が湧いてこない。

regretリグレット〉という文字が記された扉に突き当たった。姉さんが何の躊躇ためらいもなく開ける。


 入ってすぐの、右手側のフロントで何やら作業をしていた男性──ネームプレートには〈しずか 健太郎けんたろう〉とある──が顔をこちらに向ける。「あ! 文音ちゃん、いらっしゃい」と声を弾ませた。


「はぁい、お疲れー」と返した姉さんは、「助っ人連れてきたよ」と空と源を見る。


「うす」「こんばんは」


「おー、可愛いじゃん」静さんは源を見て、言った。「吉祥寺の子?」


「!?」空は唖然とする。


 しかし、源は平然としている。「東北の田舎から来ました」


「マジか」空ほどではないが静さんも驚く。「遠いとこからありがとな」


「早速、調べてもいいですか?」源はホールの入口の扉に視線をやる。


 今日は、ライブはお休みでミュージシャンやお客さんはいない。


「もちろん」静は即答した。







 ステージに彼女はいた。

 そこにいるのに輪郭が曖昧で認識しづらい。顔は特にぼやけていて、まるでモザイクが掛かっているかのようだ。声が女性のものだから、かろうじて性別は分かるけれど、それ以外はほとんど分からない。

 彼女は間違いなく幽霊だ。私、空、源以外は認識できないみたいだが、確かに存在している──姉さんの言う〈黒板をひっかいたような音〉は、霊感のある私たちには優しい歌声に聞こえる。つまり、ポルターガイストの正体は彼女の歌だったのだ。

 彼女曰く、自分の名前も年齢も住んでいた場所も愛する人のこともほとんど全て思い出せないそうだ。

 けれど、好きな人に会いたい。あの声をもう1度聴きたい。

 そう思って歌っていた──歌っていると恋人が会いに来てくれる気がしていろんな所で歌っていたそうだ。それで、今日はたまたま〈regret〉に来ていたらしい。


「うぅ……」空が涙ぐんでいる。源のTシャツの裾を強く握っているのは、空の弱さのせいだろうか。愛情の深さのせいだろうか。


「あーもう、泣かないで」綺麗なふたかめが腫れちゃうよ、と幽霊さんが空に言う。


 ぐしぐしと源のTシャツで涙を拭いた空は、「だって、ぅぅ、好きな人のことも思い出せないなんて、そんなの悲しすぎる」と迷惑そうな顔をしている恋人のことはスルーして、答えた。源は、鼻はかまないでね、と油断なく構えている。


「ありがとね」幽霊さんは笑った。顔は見えないけれど、きっとそうだろう。


「水季ぃ」と源のTシャツを更にくしゃくしゃにする。「なんとかしてやってよぅ」可哀想だよぅ、と鼻を啜った。彼のTシャツもなかなかに可哀想だ。


「……」源はすぐには答えず、けれど、そう間を置かずに、「分かった。やってみるよ」と少しだけ乱れてしまった空の髪をいた。


「ねぇねぇ」と背中をつつかれた。振り返ると咲良が居心地悪そうに、「私はどうすればいいのかな……」と訊ねてきた。


 それは私にも分からん。







 数分後、取り乱して悪かった、と空が復活を宣言したので、情報を整理しよう、と私は提案した。

 そうして詳しく話を聞き、〈生前は恋人と2人でバンドを組んでいた〉〈バンドは、おそらく男女混声ボーカル〉〈死因は癌〉〈歌は、彼女たちのオリジナル曲を1曲だけ覚えている(歌っていたのはこの曲だ)〉〈オリジナル曲のタイトルは不明〉ということが分かった。しかし、裏を返せばこれしか分からないということだ。これっぽっちの情報で恋人を捜し出せるのだろうか。


 まずは幽霊さんの歌の歌詞を検索してみたが、それらしいものは見つからなかった。メロディから歌を探すアプリでも駄目。ということは、〈プロではなかった〉又は〈まだ発表していなかった〉のどちらかだろう。

 次に、〈バンド〉〈癌〉〈女〉で検索したが、これも空振り。


「姉さんは心当たりない?」私は訊ねた。


「それが、ないんだよねぇ」姉さんは静さんに顔を向ける。「健太郎くんは?」


「うーん、俺も記憶にない」20年近くこの業界にいるんだけどなぁ、と呟いた。


「私たち、全然人気なかったのかもね」幽霊さんは感情を窺わせない声を発した。


「いやでも、歌はかなり上手いですよ」と私はフォローする。それだけでやっていけるような甘い世界ではない、と姉さんたちを見ていると思うけれど。


「なぁ水季」と言ったのは空だ。「ちょっとあれやって」


 あれってなんだよ、とクエスチョンマークを浮かべる私たちを嘲笑うかのようにすぐに察した源は、「いいけど」と答え、そして、幽霊さんの声で、「何をするんだろう?」と言った。


「嘘……」「エッチ以外も得意なのかよ」「ひゅ~」「いい声帯操作ねぇ」「私の声やっぱりかわいい!」


「へへ」と空が嬉しそうにしたので、すかさず、「彼氏自慢かよ」「はいはい、よかったね」と私と咲良が仕事をする。


「ち、ちげぇよ」彼氏自慢とかしてねぇしバカじゃねぇの、と抗議の声を上げた空は、「水季がこの声で歌うところをSNSにアップして、『私とバンドをやっていた人は連絡ください』って呼び掛ければ恋人からダイレクトメッセージDMが来るんじゃねぇか、って思ったんだよ」と言い訳と提案を両立させた。いちいち自慢なんてしねぇよキリねぇし、と自慢と惚気をトッピングすることも忘れない。


「悪いけど、僕は歌唱力や歌い方の癖まではコピーできないよ」


「そうなんか……」空はしょぼくれた。


「それだけ柔軟な喉があるなら歌も上手いんじゃない?」と姉さんが言うも、「歌は普通ですよ。普通の素人です」と源は否定した。しかし、「それよりも」と続ける。「この中に魂の相性のいい人がいれば、その人に憑依してもらって、それで幽霊の彼女が主導して歌えばそれなりの完成度の動画はできると思うよ」


 つまり、誰かが幽霊さんに身体を貸してあげるということか。そうすれば、彼女の歌をみんなに聞かせることができる、ひいては彼氏にも気づいてもらえるかもしれない、と。


「おもしろそう! やってみたい!」幽霊さんは乗り気だ。


「いいね。こういうノリ嫌いじゃないよ」静さんも便乗する。


「〈White Headacheホワイト ヘェデイク〉も協力してあげる」姉さんはバンドメンバーも動かす気らしい。


 やる気になっている大人組に源は言う。「憑依に適した魂の人がいなければ無理ですからね?」


「分かってるって」と幽霊のことをあまり分かっていなそうな静が答えた。「けど、可能性はあるんだろ? ならやってみようぜ」


「止めてるわけではないですよ」期待しすぎないほうがいいってだけです、と源はどこまでも冷静だ。「憑依の仕方って分かりますか?」と幽霊さんに問う。


「分かんない!」顔は見えないけれど、爽やかな青空のような笑みが目に浮かぶ、元気な声だ。


 大丈夫か、これ?







「どうかな?」幽霊さんに憑依された空が問う。空が同時に、というより、幽霊さんが問う、だろうか。


 力のない霊が生きた人間に憑依するには魂の相性が重要だと源は説明した。基本的には同性かつ同世代のほうが憑依成功率が高いそうだ。

 とはいえ、私たちの中で憑依を成功させたのは空だけだった。

 幽霊さんは、〈何この身体……。後輪駆動のスーパーカーで雪道を運転してる気分なんだけど〉と分かるような分からないようなことを零していたものの、ライブハウスにあるキーボードを演奏し、歌った。

 曲調は今の流行りとは少し違う。が、それほど古くさい印象もない。テンポは速くもなければ遅くもない、よくあるJーPOPといった感じだ。

 声自体は空のものだけれど、それが曲の魅力を低下させてはいないし、歌唱技術もプロで通用するラインを上回っている。

 切なく、優しい歌だ。1番で終わってしまった幼く自分勝手な恋に思いを馳せ、2番で未だくすぶ恋慕れんぼの情に気づき、ラスサビで再会して想いを告げる。そんな陳腐なストーリー。

 

 正直に言うと、私の好みとは違う。好き好んで聴くことはないだろう。

 でも、間違いなく素晴らしい歌だ。


 それだけにもどかしい。この歌は1人で歌うようには作られていない。今、私たちが聴いたのは、男性パートもすべて女性である空が1人で歌ったバージョンだ。


「いいと思うよ」源が言う。


「だな」静さんも同意する。「ちょっと違和感はあるけど、みんな素人の歌とは思わないだろうね」


「どうする? ギターとかベースは要る?」姉さんは、必要があればバンドメンバーを呼び出すつもりのようだ。


「ありがと」幽霊さんは微笑み、「でも、大丈夫」とキーボードを弄ぶ。滑らかに指が踊り、たった今聴いたばかりの旋律が再び静かなライブハウスに響く。「これだけで十分」言ってから喉に指を当てた。「けど、もう少し練習させて。まだおっかなびっくりなとこがあるから」と続けた。


「おっけー。じゃあ、家の防音室使っていいよ。楽器も一通り揃ってるし」狭いけどね、と姉さんは笑う。


「ホント?! ありがとー」喜びの声を発した。


「撮影場所はどうする?」静さんは姉さんに訊ねた。


「やるなら妥協はしたくないし、スタジオ借りようよ。お金は出してあげる」


 と姉さんが太っ腹なことを言ったのとほとんど同時に、ぽやんとした音がした。源がスマホを取り出したので、彼のスマホの通知音だったのだろう。確認した源は口を開く。「少し気になることがあるから僕は別行動を取るね」


「え! なんで?!」空は、悲痛に近い感情の混じった声を上げた。これは幽霊さんの操作によるものではないだろう。表情の動かし方や語調が完全にいつもの空だ。


「……答え合わせのためかな」


 えー、という空の声がライブハウスに染み渡った。







〈水季1人で動くのか?〉〈いや、東京の友だちに協力してもらう〉〈女?〉〈男〉〈証拠は?〉〈証拠って言われても……〉〈じゃあ一緒にいるとこの写真送って〉〈分かった〉〈どれくらいで帰ってくる?〉〈早ければ3日ぐらいだと思う。けど、上手くいかなければもう少し掛かるかな〉〈そんなに掛かんのか〉〈多分〉〈……ちゃんと小まめにRINEしなきゃ駄目だからな〉〈知ってる〉〈めんどくさいって思ってるだろ〉〈少しね。でも嫌じゃないよ〉〈……うん〉


 という会話がバカップルの間で交わされたのが3日前。

 そして、姉さんたちのバンド、〈White Headacheホワイト ヘェデイク〉のアカウント──彼女たちは以前から自分たちの曲を上げていた──を使い、幽霊さんの歌ってみた動画を投稿したのが昨夜のことだ。そちらのほうがいいスタートダッシュを切れるから、と姉さんはバンドメンバーに話を通したのだ。

 空がサムネイルを飾ったらそれだけで十分な訴求力を得られると私は思ったのだが、空は、〈顔出しだけは嫌。それは絶対に無理〉と突っぱねた。

  

 というわけで、顔は見せない方向の動画になった。しかし、スタイルもいいので首から下だけでもそれなりの集客力はあったようで、動画の再生数は順調に伸びている。

 動画の説明欄には〈この曲を知っている方はDMを下さい〉と載せてあり、現在、幽霊さんの彼氏さんか彼女たちを知る人物からのDMを待っているのだが──。


「それっぽいの来ねぇな」姉さんのパソコンを睨みつけていた空が、自身の座る椅子を回し、こちらに正面を向けた。「考えが甘かったんかなぁ」


 私たちは姉さんの部屋にいる。


「これくらいしかできることってないから甘いも苦いもないさ」というふうに慰めてはみたが、空は難しい顔で、「まぁな」とだけ応えて、胸の大きさについてのコメントに低評価を付与した。


 姉さんと静さんは東京の音楽関係者に〈癌で亡くなった女性ボーカリストのいた、男女混声ボーカルのバンド〉について訊いてくれた。が、みんな、〈知らない〉と首を振るばかりだったらしい。


 割と困っている。


 動画を投稿してからまだ15時間くらいしか経っていないのだから焦らずに待つべきなのだが、そうも言っていられないのだ。


 窓際で雲1つない青空を見ている幽霊さんに目をやる。気づいた彼女は薄ぼんやりとした顔を私に向けた。「どうしたの?」


「何でもない」


 彼女は3日前よりも存在感が希薄になっている。時間はもうほとんど残されていないということだ。

 最近になってポルターガイストが発生したのは、源曰く、消滅を悟った彼女の焦りが霊力を強めた結果らしいし、こうなることは最初から分かっていた。しかし、そうはいってもあまりいい気分ではない。


 不意に彼女は揺蕩たゆたう。「最期にもう1つ我が儘言っていいかな?」


「おう?」なんだ? と空が応じた。白いTシャツ越しにインナーがうっすらと透けている。


「消えちゃう前にライブがしたい」躊躇ためらいがちな様子で彼女は輪郭を揺らした。


「お、おう……」煮え切らない返事だ。


 空は、一部例外はあるものの、容姿を持てはやされるのを嫌っている。


 つっても、中規模以下のライブハウスでなら、そこまで大事おおごとにはならないっしょ。「仮面を被って歌えばいいんじゃない? オペラとかで見る、上半分だけ覆うやつ」指で輪を作り、目元に当てる。


「あー、それならまぁ……」空って意外と押しに弱い?


「源も惚れ直すんじゃない?」と根拠のないことを言ってみる。「ステージで歌ってるいつもと違う空を見たら、『可愛い』とか『カッコいい』って褒めてくれるかもよ」いや確実に褒める、と訳知り顔を作る。「今まで以上に可愛がってくれるようになるよ、間違いなく」


 うんうん、と幽霊さんも頷いている。はず。


「……」空の、新雪のような白に桃色が浮かび上がってゆく。「ま、まぁ、水季のことは抜きにしても、仮面ありでいいならやってもいいぜ」


「あっはー、空、ちょれー」


「……」

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