くるくるカプチーノ①
蒸し暑い夜、頭の代わりにシャープペンを回して、高校入試用の予想問題の解答が自然発生することを祈っていると、どこか間の抜けた呼び出し音が鼓膜を刺激した。
誰だ?
勉強机に置いてあるスマホを手に取って確認すると、テレビ電話用のアプリが、〈
「旭様か」呟く。
待たせるのは良くないので、さっさと応答する。画面が切り換わり、彼女が映し出された。
『こんばんは。こんな時間にごめんなさいね』着物姿の旭様が穏やかに言った。『今は大丈夫でしょうか?』
「お疲れ様です。勿論大丈夫です」
『よかった……』旭様は、幼い見た目にそぐわぬ艶やかな微笑を浮かべた。
彼女は見た目こそ12歳くらいだが、実年齢は500歳を越えているらしい。なんだかよく分からないけど、大妖怪の血が混じっていて長寿なんだそうだ。
旭様が続ける。『実は、
ゴーストパラダイスは打ち捨てられた遊園地だ。
「知ってはいますが」行ったことはない。
『では、お願いできますね?』廃墟を調べろ、ということだ。
立場上断ることはできない。
「承知しました」
仕事の話が終わったところで、彼女はほっぺを膨らませた。『最近、冷たいですね。もう飽きちゃったんですか』私の身体に、と飴玉を転がすように笑った。
たしかに最近は会っていないが。「……そういうわけではありません」
旭様とは肉体関係がある。
意外と話しやすくて居心地がいい人だなぁ、としか思っていなかったのだが、そういう空気になったことがあって、我慢できずについ関係を持ってしまった。
誤解のないように言っておくが、俺はロリコンではない。旭様は見た目こそ12歳くらいの少女だが、その立ち振舞いや話しぶりは完全に大人の女性だ。童貞には無理だって。あの色気には抗えないよ。だから、ロリコンではない。
そんなわけで、旭様とはたまに会ったりヤったりしている。ただ、付き合っているのか、と訊かれてもよく分からない。彼女のことは好きだが、これが恋愛感情なのか、恋愛とは無関係の好意なのか、自分でも判然としない。
それに、彼女がどう思っているのかも分からない。
とはいえ、普通に考えたら、旭様にとって俺は都合良く遊べるガキでしかない、はずだ。彼女が飽きたら終わる関係、俺はそういうふうに認識している。
それでも、画面越しでも、旭様はやっぱり綺麗だ。誰よりも。
そんなことを考えていたからか、自然と口が動いてしまった。「俺が旭様に飽きることはないって」
しまった、と思った。立場を弁えずにタメ口を使ってしまった。馴れ馴れしすぎる。これではセックスしただけで彼氏
しかし、旭様は、『もう、またそんなこと言って……』と聞き分けのない子どもに呆れるように形のいい眉を歪めるだけで咎めたりはせず、けれど、それきり口を
旭様との沈黙に耐えられないわけではないが、俺は切り出した。「……今度」俺が声を発すると、彼女は、どうしました? と首を微かに傾げた。心臓に悪い。「旭様に時間ができたときでいいんで──」何回やってもこういうのは緊張する。「どこかに遊びに行きませんか」
旭様は少しの間を置いてから、『本当に仕方のない子ですね』と深刻そうに言い、『景くんには教育が必要なようです。覚悟しておいてくださいね』と心の
「……」
寝れなくなるんでそういう顔やめてもらっていいですか?
ゴーストパラダイスは、少子高齢化著しい我が県でも屈指の高齢エリアにある廃墟だ──俺の住む市から車で1時間ほど掛かり、周囲には
ちなみに、この変な名前は、近くの墓地から幽霊が遊びに来てくれるように、という願いを込めてつけられたらしい。
俺を乗せたタクシーが、廃墟の近くにある──近くといっても徒歩30分は掛かる──コンビニの広い駐車場に入り、そして停まる。
「ありがとうございました」と料金を支払い、領収書を受け取ると、タクシーはさっさと行ってしまった。
さて、まずはコンビニでおにぎりを買おう、と冷房の効いた店内に入る。
時刻は午前10時過ぎ。まだ暑さはピークではないものの、ひんやりとした空気が肌に心地いい。
「あれぇー」店員のお姉さんの声。「ない……」またぁ? などとぶつぶつ
何か問題でも発生したのか?
あなたが今、見ているおにぎりを買いたいんだが……と、欲望
「そう……なのかな?」お姉さんは歯切れ悪く答え、「分からないんだよね」と続け、すぐに、「あ、分からないんです、だね」と言い直した。
「……敬語使わなくてもいいですよ」
「ホント? ありがとー。いやぁあたし敬語苦手なんだよねー」水を得た魚だろうか。随分と滑らかに舌が動いておられる。
「それで何があったんですか?」と質問したのは妖怪の関与を疑っているからだ。
「最近さ」と彼女は俺に教えることがこの世で最も正当な行いであると言わんばかりの自然さで話し始めた。「気がついたら、飲み物とかお握りとかが無くなっちゃってるんだよね」
「監視カメラに犯人は映ってないんですか?」
「それがね、映ってないの」不思議でならないといった顔だ。「そんなんだからお巡りさんも信じてくれないし、なんか不気味だし、最悪だよね」
「それはかなり最悪ですね」と違和感のある日本語で共感したフリをしてから、「じゃあ、今も飲み物が無くなってたんですか?」と知りたいことを訊ねる。
「そうなの。今日は麦茶とおにぎり、あとはアイスも」
「なかなかいい昼飯ですね」暑いし、アイスが欲しくなる気持ちは分かる。
「ねー。私のお昼なんか具なしのパスタ弁当だよ?」ズルくない? と不満げだ。
「ズルいです」と頷く。「俺もアイス食いたいですよ」
「分かる」そして、「抹茶アイスがいい」とお姉さんは神妙に断言した。
「抹茶いいですね──」
その後も中身のない会話をし、なぜかRINEを交換し、鮭おにぎりと高菜おにぎりを買ってコンビニを出た。
お姉さんは、またね、と言っていたが、仕事でなければこんな何もない所には来ない。しかし、あえてそれを伝える意味はない、と適当に頷いておいた。
炎天下、俺は、
旭様の式神──霊力で作られた鳥──が、ゴーストパラダイスの入口付近にいる銀髪ちゃんを見たらしい。しかし、すぐに気づかれ、破壊されたそうだ。
戦闘用ではなかったとはいえ、旭様の式神を瞬殺するほどの手練、今回は楽な仕事にはならないだろう。
そう考え、万全を期すべく、コンビニを出発した時から当代では俺だけが持つ特殊な眼、〈
だが、廃墟内にはいた。
広範囲の透視により、旭様と同じくらいの年齢に見える少女を発見したんだ。彼女は、入口から200メートルほど離れた位置にある遊具のコーヒーカップに座り、動かずにぼんやりとしているが、妖力(妖怪の不思議パワー)を
しかし、銀髪ではなく、ただの黒髪だ。〈銀髪ちゃん〉とは無関係の可能性が高い。
ただし、コンビニの件とは関係があるかもしれない。
気配を抑えつつ、少女のほうへ進む。
そして、ぼろぼろのコーヒーカップまであと30メートルというところで、少女が、そろり、とこちらを見た。
「……」じっと見つめ合う。
少女は眠たげな瞳をしている。一方、俺の仙理眼は、真っ黒な白目にエメラルドグリーンの
「……」少女は、無言で目を合わせたまま、不思議そうにゆっくりと首を傾げた。
にらめっこを続けていても仕方ないのでコミュニケーションを試みる。つまり、手を振ってみた。
「!?」少女はびくりとし、「(見つかった……?)」と小さく言った──聞こえはしないが、読唇術で把握したんだ。
「すみませーん。少しお話を伺ってもいいですかー?」と大きめの声を発する。
すると少女が頷いたので、静かな足取りで再び歩き出す。
コーヒーカップが載る丸い床に上る。一歩進む度にぎしぎしと不安を掻き立てる音が鳴る、年季の入った床だ。
少女の座るコーヒーカップの前まで来た。間近で見るとやっぱり幼い。しかし、少女の妖力の量はなかなかのものだ。油断せずにいこう。「はじめま──」
「好き」少女が淡白かつ平坦な語調で言った。
「──なんて?」当然、聞き返した。
「好き」当然のように繰り返した。
「……」
少女は
それでかぁ、と俺は納得した。
ぬらりひょんは、隙間妖怪とも呼ばれ、隙間さえあればどこにでも侵入でき、さらに認識や感知の隙間に入り込んで人や機械の目を欺くこともできる、まさに万引きをするために生まれてきたと言っても過言ではない能力を持っているのだ。
しかも、ひとの家に勝手に入って飲み食いすることに安らぎを覚えるという、非常に困った性質を有している。つまり、コンビニの食べ物が無くなったのは透緒子が食べていたから、ということだ。
ただ、そういったこと以外は基本的に何もしないので危険はなく、原則として放置することになっている。
のだが、透緒子は、ついていく、と宣言した。彼女はだいぶ変わっているようで、本気で隠れている自分を見つけた人と
だいたい俺には旭様が……。旭様がなんなのだろう? 番……というか夫婦でもないし、恋人……とも違う気がするし……。
「やっぱセフレなのかな……」声に出すと、喉がひりつくような、不思議な感覚がした。
なんてことはない、はず。
「セフレ……?」透緒子が純粋そうな瞳を向けてきた──俺たちは遊園地の端にあるベンチに座っている。
「……忘れてくれ」透緒子は旭様とは違い、外見どおりの12歳らしい。セフレなどという不適切な単語を覚える必要はない。
透緒子は、こくり、と頷いて、また無言になる。蟬の鳴き声がやけに耳につく。
この子の処遇は後で決めるとして、さしあたっては、銀髪ちゃんだ。
俺は問う。「ここら辺で長い銀髪の妖怪を見なかった?」
「知らない……」こちらを見ずに答えた。
「じゃあ、銀髪以外の妖怪は?」
「兄さん」透緒子の声は氷のように冷たい印象を与える。
「お兄さんもいるのか。どこにいるんだ?」
「知らない……」透緒子は、悲しんでいるのか無関心なのか、はたまた他の何かなのか分からない声音で言った。
となると、どうしようか。仙理眼で見た限りではゴーストパラダイス内にはいないし、怪しい物もない。
もう少し調べてから旭様に指示を仰ぐか。それしかないよな。
しかし……。
透緒子を見る。
「?」気づいた透緒子がこちらを向く。
この子のこと、なんて説明しよう。
家に到着したのは19時過ぎだった。
玄関を開け、「ただいま」と言った俺の横には透緒子がいる。
結局、透緒子は連れ帰ることにした。彼女の様子を見るに、あのまま捨て置いても勝手に家に来そうだし──俺の霊力はかなり目立つのですぐに見つけられるだろう──何より後味が悪いし。
とはいえ、番とやらになるつもりはない。本人曰く、もうお母さんになれるそうだが、仮に本当だとしても、だからなんだ、という話である。
つまりは、時間を掛けて諦めるように説得していくつもりだ。そうすればそのうち出ていくと思われる。
居間に入ると母さんがソファに座っていた。「おかえり。どうだった?」
「痕跡すら見つけられなかった」
「あらら、残念」と残念そうに見えない表情で応えた母さんは、俺の横にいる透緒子に目をやる。「で、その子は何?」
「万引きの常習犯」嘘ではない。「更正のためにしばらく家に置きたいんだけど、駄目かな」これは嘘かもしれない。
「なんの妖怪なの?」母さんは
「ぬらりひょんだってよ」という俺の言葉に続いて、透緒子が頷く。
「へー、レアじゃない」となんとも言えない感想を述べた母さんは、透緒子に問うた。「家の息子が好きなの?」
「好き」透緒子は即答した。
「どれくらい好きなの?」母さんは質問を重ねる。
「番になって赤ちゃん作る」と答えた透緒子は相変わらず眠そうな目をしている。
「へー」母さんは俺に顔を向けた。「やっぱりあんた、ロリコンなのね」
「違う。誤解だ」と透緒子に匹敵する速さで即答する。
なんで子どもから好かれるだけでロリコン扱いされなきゃいけないんだよ。絶対おかしい。
「警察にだけは気をつけなさいよ」頭のおかしい母さんは煙草に火をつけた。
「話を聞け」という俺の訴えを無視した母さんは、「汗
この人は俺にどうなってほしいのだろうか。
透緒子は居間で母さんといる──馴染みすぎだろ。母さんも適応力が高すぎる。どんな会話がなされているのか、知りたいが知りたくない。
などと考えているとスマートフォンが鳴り始めた。すぐに出る。「お疲れ様です。ご連絡ありがとうございます」
『はい。こんばんは』と応じた旭様は珍しく真紅の口紅をしていた。
久しぶりに見たせいか妙に色っぽく感じる。意思に反して顔に熱が集まってゆく。
しかし、旭様はニコニコとするだけで何も言ってこない。
余計に恥ずかしい。からかわれたほうがまだ気が楽だ。
「……ご報告いたします」強がるわけではないが、口紅には言及しないことにした。「ゴーストパラダイス及びその周辺を調査しましたが、銀髪ちゃんの痕跡は発見できませんでした」
『……仙理眼でもですか』旭様が息を洩らす。『やはり彼女は一筋縄ではいかないようですね』
「すみません」失望されただろうか。
しかし、旭様は、『責めているわけではありません。そんな顔しないでください』と眉をハの字にして優しい声を出した。
情けない気持ちが勢いよく湧いてきたが、「……調査を継続しますか?」と表情を取り繕う。
ふふ、と見透かしたような笑いを零した旭様は、『そうですね』と置き、そして、それを口にした。『……実は、私も銀髪ちゃんの調査に本格的に参加することが、
「!?」少し驚いた。「ということは──」という俺の言葉を旭様が引き継ぐ。『5日後からしばらくそちらに滞在します』
「……」
なんか雲行きが怪しくなってきた……。
ここにはいない黒髪ショートの少女を思い浮かべ、背中の皮膚の内側を無数の子蜘蛛が這い回るような感覚を、俺は抱いた。
いやいや大丈夫だろ、別に。彼氏でもあるまいし。
しかし、結局、透緒子のことを報告することはできなかった。
23時16分。自室の椅子に座り、旭様綺麗だったな、とか、怒られたりするんかな、とか、旭様エロかったな、とかいろいろ考えながら悶々としていると、やにわに、太ももの付け根の辺りに重さと温かさを感じた。
「透緒子……」
ぬらりひょんの異能を使って認識されにくくなった透緒子が、俺に股がり、そして、異能を解除した。結果、突然、目の前に現れたように見えた。そんなところだろう。
妖怪ってこういうところがあるんだよなぁ。マイペースというか天然というか。
「隙間、埋める……」透緒子は、そう言って俺に抱きついてきた。
「……」
同じシャンプーを使ったはずなのに俺とは違う匂い、衣服越しでも確かに感じる湿った熱、呼吸に合わせて微かに波打つ身体。透緒子からもたらされるすべての刺激が、俺の脳を溶かし、それへと駆り立て──いや、ねぇわ。
「しないってば」と透緒子をやんわりと押し返す。
「どうして……?」俺の目を真っ直ぐに見つめ、問うた。
「だから、他に好きな人がいるんだって」この説明──嘘とも真実とも言えないような曖昧な──は3回目だ。
「何がいけないのか分からない」透緒子から邪気は感じない。本心から理解できないのだろう。
「分からなくても、駄目なものは駄目。俺にはできな──っ」
不意に、透緒子がぐいぐいっと腰を前に押し出すように──押しつけるように動かし、それから、不思議そうに俺の瞳を覗き込んだ。「できそうだよ……?」
「……ご、誤解だ」
単なる生理現象はノーカンだ。したがって、俺はロリコンではない。だから、早く離れてくれ──。
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