好きな人②

 病むヘラる才能のあるお姉ちゃんは、〈前に親父の財布から金を抜いたことをバラす〉とか〈母さんの大切にしていたネックレスを勝手に持ち出して失くしたことをバラす〉とか、人の心がないとしか思えないことを言って私を脅迫した。

 か弱い私にはどうすることもできなかった。

 結局、1ヶ月、毎日、コンビニのスイーツを献上することを約束させられた──不服である。デブれクソが。


「今、生意気な目ぇ、したよなぁ?」椅子に座って脚を組んでいるお姉ちゃんが、妖刀のように瞳を鋭くさせた。


「してないです。気のせいです。誤解です。ごめんなさい」この屈辱、晴らさでおくべきか。というか、今、晴らしたい。「ねぇ、お姉ちゃん」


「なんだよ」


「どっちから告白したの?」


「……はぁ?」お姉ちゃんは、〈何言ってんだこいつ〉という表情を作っている。


 しかし、妹の私には分かる。一瞬だけ視線が揺らいだのだ。お姉ちゃんは、ここを攻めて、と誘っているに違いない。


「もしかして曖昧なまま関係持っちゃった感じ?」


 お姉ちゃんがもにゅる。つまり、当たりということだ。可愛いやつよのぅ。


「か、仮にそうだったらなんだって言うんだよ」お姉ちゃんは頑張っている。


「いやぁ、もしかしたら水季みずきさんは、お姉ちゃんのこと、面白い玩具としか思ってないかもよ?」知らんけど。


 ちなみに、下の名前で呼んだのは故意だが、深い意味はない。


「そんなこと……」お姉ちゃんが尻すぼみに声を落とす。「……」


 心当たりがあるようだ。おっしゃ、テキトーにこのまま押し切ろ。


「水季さんさ」さもお姉ちゃんを心配してますよ、という雰囲気を出す。「ちゃんと〈好き〉って言ってくれる?」


 言わないからなんだ、あるいは、言ってるからなんだ、という話ではある。


 しかし、お姉ちゃんは甚大なダメージを受けたようだ。不安な時のもにゅもにゅが絶好調だ。そして、ややあってから重々しく口を開いた。「……言ってくれない」


 面白くなってきた。


 私は、「あぁ……」と努めて悲しげな声を出し、次いで、「それは……」と意味深に言葉を詰まらせた。勿論、意味浅どころか意味無だ。


「やっぱり気持ち悪がられてるのかな……」お姉ちゃんは沈痛な面持ちで、そう洩らした。


 どうして気持ち悪がられていると考えたのかは分からないけど、とりあえず煽っておく。「ないとは言いきれない。男の人って遊びの女には本当に冷酷になれるから」


 我ながら、知りもしないことをそれっぽい雰囲気で語るの上手すぎると思う。


「わ、私はいったいどうすれば……」お姉ちゃんが瞳を潤ませる。弱りきった小動物のように庇護欲を掻き立てる犯罪的な可愛さだ。


「落ち着いて」聖母(笑)のように慈しみ(笑)を纏って、言う。「まだそうと決まったわけじゃないわ。まずは次のデートの時に然り気なく本心を探るのよ」気分で女言葉を使ったけど、なんかしっくりこない。やめよ。


「次のデート……」呟き、「そんなのない……」と更に表情を暗くした。


 おや? 割とマジで遊ばれてる?


 美人すぎると幸せになれないというのは、本当なのかな。


「へっ、ざまぁ」やべ。つい本音が。


「ん?」とお姉ちゃんが怪訝そうにするので、すかさず私は、「今すぐにRINEしてデートの約束をするべき。それしかない」とはっきりと言い切った。


「い、今すぐ?」


「そう。今すぐ」当然だ。なぜならお姉ちゃんで遊ぶのに飽きてきたから。


「わ、分かった」お姉ちゃんは、神妙に頷いてスマホを操作し始めた。


 そして、数分後、お姉ちゃんは顔を歪ませた。「『予定があるから今週は多分無理』だって……」


 おっと?


「今までもこういうことあった?」


「ない」即答した。「1日2日ならあったけど数日も続くのは初めて」


 前言撤回。もうちょっと遊ぼう。


「残念だけど、飽きられ始めてるかもしれない」お姉ちゃんに、痛ましいものを見たときの顔を向ける。


「……」完全に沈黙してしまった。 


 私からやっといてなんだけど、そこはかとなく可哀想になってきた。

 

「……お姉ちゃんならすぐ新しい彼氏ができ──」


「決めた!」いきなり声色が変わった。怖い。「はるか


「な、なんすか」

 

「尾行調査するから手伝え」


「……は?」


 何を言い出すんだ、この人は。


「だから、みなもとを尾行して妙なことしてないか調べるんだよ」当たり前だろ? とまるで私の感覚がおかしいかのようなニュアンスだ。


「なんで私も手伝うんすか?」


「バラされたいのか?」


「……喜んでお手伝いいたします」







 翌日の放課後、お姉ちゃんの高校を訪れた。まずはお姉ちゃんと合流する手筈になっているのだ。

 

 時間割の都合上、仕方ないのだけど、少し早く着いてしまったので校門で待っていると、「よっす」と制服姿のお姉ちゃんが現れた。


 水季さんはもう学校を出たのだろうか。


「ねぇ」私は訊いた。「水季さんはどこにいるの?」


「あれ」とお姉ちゃんが指差した先、凡そ100メートル離れた所に人影が見える。


 遠くて、痩せ気味ってことしか分かんない。


「あの人がお姉ちゃんの好きな人なの?」確認してみた。


「好きっつーか嫌いじゃないっつーか……」


 ストーカーみたいなことやろうとしてるくせに、なんで照れてんだよ。


「はいはい」水季さんに目をやる。「見失っちゃうよ。行こ」


「お、おう」







 お姉ちゃんが打ち震える。「お、女……?」


 一方、私は歓喜した。「やはり私の推理は間違っていなかった……!」


 私たちの視線の先には、水季さんと、星野先生が待ち受けに設定していたあの女がいる。つまり、水季さんが寝取った──女が乗り換えたのだ。間違いない。

 合流し、少し会話を交わした2人は駅前を歩き始めた。

 見たところ、女のほうが歳上。見た目だけはいいお姉ちゃんを落としたり、歳上の女を寝取ったりと水季さんもなかなかやるではないか。

 おかげで、私にもチャンスが巡ってきたのだから、素晴らしいクズ男である。


「……」喜ぶ私とは対照的に、お姉ちゃんは沈んでいる。「遥、私どうすればいいのかな……」


 知らねぇよ、とけたいところだけど、「まだ決まったわけじゃないよ。もう少し様子を見よう」と優しく(白々しく)言っておく。


「お、おう。そうだよな」そうだよな……、とお姉ちゃんは自分に言い聞かせるように繰り返した。しかし、その目は、すでに何人か手に掛けていそうなヤバい光を放っている。


「……」私は戦慄した。


 もしも、例えば2人が愛の宿に入っていくところを目撃したら、お姉ちゃんはどうするのだろうか。

 

 かぶりを振る。


 いくらなんでも常識は弁えてるよね?


「ちっ」お姉ちゃんの舌打ちに視線を2人に戻すと、乗り換え女は、清楚っぽい、男受けの良さそうな微笑みを水季さんに向けていた。


「……」


 今まで浮いた話なんて皆無だったから全然知らなかったけど、お姉ちゃんってこういう感じになるんだ……。普通に怖いわ。


「だ、大丈夫だよ。お姉ちゃん」私は、お姉ちゃんが凶行に走るのを止めるべく、意味不明なことを口にする。「お姉ちゃんのほうが清楚系レベルは上! 裏ボスの魔王と最弱の四天王くらいの差だよ!」


 なお、恐ろしさも比例していると思われる。


「清楚系?」片方だけ眉を上げたお姉ちゃんが訊いた。


「そ、そう、清楚系」サクっと男を乗り換えても、中身が残念でも、見た目がそれっぽければみんな清楚系なのだ。「男は清楚系が大好きだからお姉ちゃんならまだ戦えるよ!」

 

 しかし、お姉ちゃんは微妙な表情を顔に浮かべ、言った。「あいつ、肋骨で興奮する変態なんだけど、そんな奴でも清楚系が好きなのか?」


「あー……」


 この問いは、全国模試で県内1位を取るよりも難しい。学校の勉強が如何に温いかを教えてくれる良問と言えよう……。







 実のところ、私は初めから違和感を覚えていた。しかし、そういったものが大の苦手であるため、なんとか目を背けようとしていたのだ。

 思えば、星野先生の表情は、失恋を引きずっているといった雰囲気ではなかった──。


「おねおねねねぇちゃん!」私はすがりついた。「い、今、あの女、車をすり抜けたよね?!」


「だなぁ」お姉ちゃんは穏やかに答えた。


「『だなぁ』じゃねぇよ!!」


 乗り換え女は幽霊だった。

 だって、道行く人のほとんどが彼女を認識していないように見えるし、ショーウィンドウには映ってないし、車はすり抜けるし、これで普通の人っていうのは無理がある。


「まぁ、落ち着けよ」お姉ちゃんは、肉体的な浮気の可能性が減ったからか、随分と余裕がある。「まだそうと決まったわけじゃない。もう少し様子を見ようぜ」


「馬鹿なの!? 頭ポンチキもいい加減にしろよ! あれで幽霊じゃなかったらなんなんだよ! 馬鹿女が色ボケすると畜生並みに知能が下がるんか!? ふざけんなよ! おっぱい少し分けろ!」私は喚き散らした。


「……お前、私のことそんなふうに思ってたんだな」


「う、うるさい! 全部お姉ちゃんのせいだ! 私は帰るから! 勝手にヘラってろ!」


 鬱憤を吐き出した私は、少しだけ心に安寧を取り戻すことができた。このまま、あの女を視界に入れないように下を見ながらお家に帰ればいいのだ。


 そう思い、駆け出そうとした時、私は聞いた。


春夏秋冬ひととせさん、尾行下手すぎ」優しげな声が苦笑いに溶ける。「妹さんかな。はじめまして」


 顔を上げると、水季さんがいた。そして──。


「ばぁ!」乗り換え女が、私と水季さんの間に入ってきた。「お化けだぞぉ!」


「──」


 頭の中で爆発が起きたかのような感覚と共に意識を失う直前、もしかしたらたちばな君が〈ほどほどにしとけ〉と忠告したのは〈今はそっとしといてやれ〉という意味だったのかもしれない、という、根拠のない推測が脳裏をかすめた。




▼▼▼




 春夏秋冬さんがメンヘラ彼女みたいになった日の次の日、僕は三上みかみ先生に呼び出され、生活指導室でお茶を飲んでいた。


「悪いな。そう時間は掛からないから大目に見てくれ」三上先生はタイトなスカートのスーツを着こなしている。


「いいですよ、別に」お茶を置く。「それで用件はなんですか?」


 三上先生は、ああ、と頷いてから語り出した。「大学生のころから付き合いのある男の婚約者が、交通事故で亡くなってしまってな」


「はぁ、そうですか」いきなり情報量多いなぁ。


 三上先生が続ける。「その女、早紀さきって名前なんだが、未練たらたらみたいで、幽霊になってしまったんだよ」


「はぁ、そうですか」僕はぼんやりとした相づちを打った。


 だからなんなのだろう、という気持ちしか湧いてこない。幽霊くらい別に珍しくない。

 普段は男口調の女友だちが、通話だとなぜか甘えたがりの彼女みたいになって、〈まってもうちょっと〉〈いいじゃんけち〉〈もっとはなしたい〉〈あとすこしだけだから〉などと言って、15分以内に終わらせようとしていた僕に1時間以上の苦行を強いてくること並みによくあることだ。


 三上先生は、「暑いな」とわざとらしく洩らしたかと思ったら、シャツのボタンを1つ外した。


「……幽霊がどうしたんですか」渋々、話を促す。


「その男、直人なおととは今も健全な友人関係を続けているんだが」暑いと言ったくせに腕を組んで胸部を中途半端に温めている。「どうも早紀は直人にいてしまったみたいなんだ」


「なるほど」なんとなく話が見えてきた。


「ああ」三上先生は深刻そうに眉をひそめ、「直人のやつ、婚約者が死んで完全フリーになったというのに、私の相手をしてくれないんだ。身体以外は興味がないと言っても聞かないし、酷い話だろう?」と同意を求めた。


「酷いのはあなたの頭です」軌道修正するべく、言う。「つまり、早紀さんをどうにかしてほしいってことですか?」


「そう、それ」三上先生は我が意を得たとばかりに僕を指差し、「私はそれが言いたかったんだよ」と満足げに頷いた。


「ちょっと気になるんですけど」素朴な疑問がある。「なんで三上先生が自分でやらないんですか?」


「昔、大学の図書館で直人とヤってるとこを早紀に見られたことがあったんだ。そのころからあいつらは付き合っていて、早紀はこれ以上ないくらい激怒してな、それ以降、嫌われてしまって今もろくに話をしてくれないんだよ」人間の女はよく分からん、と三上先生は肩を竦めた。


 ふー、と息を吐き出し、眉間を揉む。

 大して時間は経っていないはずなのに疲労感が凄い。春夏秋冬さんの、起承転結も序破急じょはきゅうもあまりない、無駄に細かい日記のような話を聞くのとは、また違った趣の辛さだ。


「分かりました」僕が言うと、三上先生は嬉しそうに顔を綻ばせ、口を開こうとしたので、それを遮るように、「勿論、タダじゃないですよ」と平坦な語調で続けた。


「ふふふ」見る人によっては〈妖艶な〉という形容動詞を頭に浮かべそうな笑みだ。「心配するな。分かっているとも。報酬は私とのセック──」


「それはいらないです」僕は言い切った。


「な、なぜだ!?」三上先生にとっては理解できない展開のようだ。教科書に載せたいくらい分かりやすい驚愕を表明している。「ここ3日はヤってなくて辛いんだ! それなのにどうしてそんな残酷なことを平然と言える!」


 三上先生は、淫魔、所謂サキュバスという種族だ。魔族と呼ぶ人もいるけど、僕には妖怪との違いがよく分からない。

 彼女たちは──僕も詳しくはないんだけど──セックスを人生の最重要事項と捉え、日々いそしんでいるらしい。

 しかし、僕にはセックス依存症の患者にしか見えない。


 なので、僕は言った、笑顔で。「放置プレイと思えばいいんじゃないですか?」


「バカ者! 私は直接的かつ具体的かつ肉体的な快楽が欲しいんだ! そんなものでは満足できないんだよ!」怒髪が天を衝きそうな勢いだけど、三上先生の髪は緩く巻かれたセミロングで、いまいち迫力に欠ける。


「前も言ったような気がしますけど、僕らさとり妖怪は性欲が弱いんですよ。三上先生の相手は務まらないです」面白い心をつまびらかにしたいという欲求が1番強いのだ。「他に手頃な人はいないんですか? というか、暇そうな生徒を襲えばいいじゃないですか」


「バ、バカ者っ。私だって誰でもいいわけじゃないんだぞっ」三上先生は頬を赤らめた。


 人間さん視点で見ると、クソビッチサイコモンスターのくせに、どうしてかわいこぶるのだろう?

 

 ちょっと心を読んでみよう。


(源なら乱暴に扱っても壊れないはず。私はおもいっきりヤりたいんだっ。源の声をもっと聞きたい。ムラムラする。もう力ずくでヤってしまうか?)


 三上先生は、背骨を内側からくすぐられたかのようにもぞもぞしている。


「……三上先生」


「なんだ? やっとその気になったのか? 私の準備はできてるぞ?」


「僕、彼女できたんで無理です」


 彼女がいると、こういうときに便利だ。まぁ、いないんだけど。


「ふふ」三上先生が催淫さいいん効果のありそうな笑みを洩らした。「そっちのほうが燃えるから問題ない。常識だぞ」知らないなんて源もまだまだ子どもだな、と唇を舐め、シャツのボタンを更に1つ外した。


 この淫魔ひと、ホントめんどくさいなぁ。







 三上先生に報酬として〈日本史の成績に色をつけること〉を約束させ、生活指導室を後にした僕は、早速、足立あだち 早紀さんに憑かれているという星野 直人さんの下を訪れた。


〈圧倒的合格実績! 超コスパ! アットホームなノリ!〉という文字が記された看板の学習塾が星野さんの職場だ。たまたま休憩時間だったらしく、僕が塾の人に声を掛けるとすぐに出てきて、外でお話することになった。


「はじめまして。三上先生のクラスの源 水季と言います」


「さっき電話があったよ……」星野さんは、苦虫を口いっぱいに頬張り、たっぷり時間を掛けて咀嚼してやっとのことで呑み込んだ後のような顔で続けた。「本当にごめんな。あの淫乱に酷いことされなかったか?」


「いえ、大丈夫です。テキトーにあしらいましたので」


「そ、そうか」事実をそのまま伝えたら、若干引かれてしまった。


「はい」と応えてから、星野さんの後ろで浮いている、そこそこ綺麗な女の人に視線を向け、「足立 早紀さんですね?」と問うた。


「そうだけど……」足立さんがぼそぼそと答えた。


「では、事情を詳しく聞かせてください」


「え? 聞こえてるの?」足立さんは目を丸くし、「ホントに?」と訊いてきた。


「ええ、聞こえてますよ」


 三上先生によると、星野さんは足立さんの姿がぼんやりと見えるだけで──気配で彼女だと察してはいる──触れることも声を聞くこともできないらしい。だから、驚いたのだろう、普通に会話が可能な僕に。


 僕の言葉を聞いた足立さんは、「すごい! 会話できる人なんて初めて!」と星野さんの頭上ではしゃいでいる。


 そんな足立さんの様子に困惑気味の星野さんに、「さいならー」と男の子が挨拶をした。


「お、おう。橘か」一拍遅れて男の子に気づいた星野さんも挨拶を返す。「気をつけて帰れよ」


「……うぃ」と気怠げな声を発した男の子は、チラリと足立さんに目をやり、次いで僕を見た。「……」一瞬だけ固まるも、しかし、すぐに視線を外し、自転車に乗って帰っていった。


 あの子……。


 クエスチョンマークを顔に浮かべる星野さんの上に浮かぶ足立さんが、「どうしたの?」と疑問を浮かべた。


 なので、僕は、「意外といるもんですよ、会話できる人」と教えてあげた。


 可能ではあっても会話するつもりのない人だと思うけど。







 足立さんが、〈直人の前では話したくない〉と言うので、塾の近所にある川沿いの道を散歩しながら話を聞いたところ、なんでも、〈星野さんからの告白イベントのあった修学旅行で買った思い出のキーホルダーをどこかに落としてしまい、それが心残りで逝くに逝けない〉らしい。


 これを聞いた時、僕は、〈そんな事情無視して無理矢理、幽霊を消滅させる方法も普通にありますよ〉と言いたくなったけど、流石に空気を読んで、〈どこら辺に落としたかは分かりますか?〉と訊ねるにとどめた。


 すると、足立さんは、〈だいたいしか分からないんだよねぇ……〉と頬に手を添えて困ったように眉を曲げていた。


 そんなわけで、その、曖昧模糊あいまいもことした範囲を、足立さんと2人でキーホルダーを求めて徘徊する運びとなった。

 なので春夏秋冬さんの誘いを断ったのだけど、今日、学校で会った時には、(信じてる。だから尾行してもいいよな)と訳の分からないことを考えながら僕を見つめてきた。

 はえに性別を変えられるという不思議な現象に遭遇してしまい、いまだ精神が混乱しているのだろう、と珍しく優しい気持ちになった僕は、春夏秋冬さんの頭を撫でてやろうとしたのだけど、みんなの意識が僕らに集中している気がしたので、直前でやめておいた。春夏秋冬さんの面白い顔を見れたので、やめて正解だったと思う。

 

 そして、現在、春夏秋冬さんの気配を感じながら──ある意味、幽霊よりも怖い──駅前でキーホルダーを捜索中だ。


「なんだかデートみたいだね」突然、足立さんはそんなことをのたまって、はにかみ混じりに微笑んだ。


「そうですか?」僕は疑問を呈した。


 なぜなら、デートではなく、デートにドタキャンされた姉に付き合わされる弟ってこんな感じなのかなぁ、と思っていたからだ。


「そうだよー。浮気だよー、いけないんだぁ」足立さんは、クスクスと笑いを溢しながら春夏秋冬さんのほうへ悪戯いたずらめいた瞳を向けた。


(あの子たち、かわいい~。青春だぁ~)


 完全に遊んでらっしゃる。もうあの世に強制送還でいいんじゃないかな。

 とか思ったけど、三上先生なんかに彼氏をつまみ食いされた可哀想な人だと思えば、許せるような気がしないでもない。

 

 やっぱり敗因はスタイルなのかな?


「なんか失礼なこと考えてない?」足立さんは、事実無根の戯れ言をほざいた。


「まさか。そのような事実はございません」


「本音は?」


「彼女が貧乳だと不満が溜まるのかなぁって思ってました」


「……君、正直者だねぇ」


 そうだったのか。知らなかったよ。







「一応、救急車呼んだほうがいいよね?」街の片隅に置かれたベンチに座り、失神してしまった妹さんに膝枕をしてあげている春夏秋冬さんに、僕は訊ねた。


「ああ、頼む」


 春夏秋冬さんがそう言うので、サクッと、病院行きのやかましいタクシーを手配した。


 すると、妹さんが、「ぅぅ……」と幼い声を洩らした。そして、瞼を擦り、「お姉ちゃんの匂い……」と呟いて寝返りを打とうとして、「……ん?」と何かに気づく。「生理のにお──っい゛」


 春夏秋冬さんが、妹さんの耳を引っ張ったのだ。痛そう。


 春夏秋冬さんの妹さんがご乱心なさったのを面白がった足立さんが、〈挨拶に行こう〉と言い出したので、それに従ったら妹さんが気絶してしまった。ぐったりと脱力した彼女を近くにあるベンチに運んだのが3分くらい前だ。


 春夏秋冬さんから解放された妹さんが、むくりと身を起こす。「あ、寝取り二股おと……は!」と辺りをキョロキョロしてから首を捻る。「お化け、いない……?」


 また失神されたら困るので、足立さんには、実は巨乳好きなのに妥協して足立さんと婚約した疑いのある星野さんの下に帰ってもらった。


「いないよ。だから失神しないでね」僕は言った。


「はぁー、よかったぁ」妹さんは安堵の息を吐き出し、くたっと横になった。当然のように春夏秋冬さんの太ももを枕にしている。


「今だけだからな」春夏秋冬さんが無愛想な声を真下に落とす。「救急車が来るまでおとなしくしてろ」


「はーい」とおざなりに答えた妹さんは、「水季さんは、お化けなんかと何をしてたんですか?」と初対面にもかかわらずナチュラルに名前呼びをして、姉とは段違いのコミュニケーション能力を見せつけた。


くしたキーホルダーを探してたんだよ」


「へぇー、そうだったんですか……」と階段を下るように声量を落とすのに伴い、呑気な童顔をシリアス風味な思案顔へと変化させてゆく。そして、おもむろに口を開いた。「そのキーホルダーって赤い熊のやつだったりします?」


「うん。そうだよ。どっかで見たの?」


 僕の問いには答えずに、ぴょん、と起き上がった妹さんは、学生鞄を開け、それを取り出した。「もしかしてこれですか?」


 妹さんの小さな手のひらには、僕たちが探していた、くすんだキーホルダーが確かに存在していた。







 翌日、僕は、足立さんを連れ出した。ついでに春夏秋冬さんもいる。乗りかかった船がどうとか建前を並べ、ついてきたのだ。


「キーホルダーってこれですよね?」三上先生の獣欲を満たしやすい環境作りのためのミッションをさっさと完了したい僕は、前置きなしに端的に訊いた。


「! うん、それっ」華が開くように答えた足立さんが、キーホルダーに手を伸ばす。しかし──、「あ……」と花びらが散るように表情を曇らせた。


 キーホルダーに触れることはできない。幽霊は、基本的に現実世界の物質に影響を与えられないのだ。


「そっか。そうだったね」お姉さん、うっかりしてたよぉ、と足立さんは儚く笑った。


「伝える決心はつきましたか?」僕は問う。


「!」足立さんは、丸くした目をしばたたいた。「気づいてたんだぁ」


「なんとなくですよ」と答えるしかない。


 そっかぁ、そっかぁ、と彼女はどこかを見つめる。


 足立さんの1番の心残りは、お揃いのキーホルダーを失くしてしまったことじゃない。

 雑念にまみれた彼女の心の中心にあるのは、〈星野さんに、自分のことをずっと愛していてほしい〉という想いと〈自分のことは早く忘れて他の人と幸せになってほしい〉という願いだ。

 足立さんが嘘をついて、と言うと少し語弊がある──キーホルダーも心残りには違いないし──けれど、まぁ、そんな感じでキーホルダー探しをさせたのは、心を整理する時間を欲していたから……いや、逃げていたから、かな。


 でも、彼女は決めたようだ。「お姉さん、頑張ってくるよ」と言って、背を向けた。


 なので、止めた。「待ってください。僕も行きます」出鼻を挫かれた足立さんに更に追い討ちを掛ける。「通訳がいないと会話できないですよね?」


「あー、たしかに」お姉さん、うっかりしてたよぉ、と今度は柔らかく笑った。


(いったいなんの話をしてるんだ……)


 春夏秋冬さんは困惑している。したがって、頭を撫でておく。







 時刻は夜の23時。僕ら──僕、春夏秋冬さん、足立さん、星野さん──は、小さな川に架かる橋の上にいた。夏の湿った風が非常に邪魔くさい。


「あのさ」ここまで無言だった足立さんが僕に声を掛けた。「お願いできる?」


 通訳しろ、ということだ。お願いされたくないのが本音だけれど、やらないとヤられる可能性がないとは言えないので素直に頷く。


 星野さんに言う。「足立さんから星野さんに伝えたいことがあるそうです。僕が通訳するので聞いてあげてください」


「あ、ああ、分かった」なんとなく察していた星野さんは、僕のように素直に頷いた。しかし、些か緊張しているようだ。


 それじゃあいってみようか、と足立さんの目を見る。


 ちょっと待ってね、と言った足立さんは、すぅーはぁー、と深く呼吸し、そして、始めた。「せっかく買った指輪も契約したマンションも旅行の予約も何かも全部無駄になっちゃったね。こんなことになるなら私にしなければよかったって思ってるでしょ」


 星野さんは難しい顔をしているが、口を挟む気はないようだ。閉じられた口に動く気配はない。

 僕の口は忙しいのに理不尽である。ちなみに、読心能力の延長線上にある、声帯模写のような技を使っているので、声質は近いと思う。


「でもね」と足立さんは続ける。「私は今でも愛してる。もう触れることも、あなたのよく分からない趣味に呆れることも、あなたの興味のない話をして退屈させることも、一緒に歳を取ることもできそうにないけれど、でも、愛してる。ずっとずっと愛してる」だからさ、と彼女は笑った。「もう私のことは忘れて。私はすぐにいなくなるから、だから、直人は幸せになって」


 星野さんはうつむいて震えている。そして、僕の横では春夏秋冬さんが瞳に熱を溜めている。


 一方、僕は不満だ。だって──。


(嫌だよ。直人が他の人と一緒になるのなんて絶対嫌。本当は私以外愛せないって言ってほしい。ずっと私だけを愛していてほしい。一緒にいたい。幽霊でもなんでもいいから離れたくない。愛してる。だから愛して。忘れないで。怖いよ。消えたくない。助けて。好きって言って抱き締めてよ。嫌だ。独りにしないで。怖い。愛してよ。いつもみたいに私に触れて──)


 みたいなことを足立さんは延々と考えてるんだもん。僕は疲れたよ。心の中と実際の話が違うから通訳する対象を間違えないようにするのが、予想以上に大変でさ。

 

 なので、僕は、星野さんが足立さんをはっきり認識できないことにつけ込んで、言った。「星野さん。足立さんが、『ここからが本番だから覚悟してね』って言ってます」


 足立さんが、〈え? 何? どういうこと?〉と怪訝そうに僕を見た。

 しかし、一般人の幽霊、謂わば一般霊ごときに何ができるというのか。睡眠中に襲ってくる蚊にも劣る雑魚キャラである。というか、いつの間にか腕を刺されていて、痒い。早く帰って痒み止めを塗らないといけない。


 それはそれとして、さとりの本能に従い、舌を動かす。「『直人、あなた、まだ麻美あさみとセフレ続けてるでしょ』」


「!?」「!?」


 2人が目を大きく見開く。


 一拍後、先に復活したのは星野さんだ。「ご、誤解だ! 今はヤってない! 本当だっ、信じてくれっ!」必死さが伝わってくる、いい表情だと思う。


「『嘘つかないで! この前、スマホ見たんだから! あなたの浮気癖はもう諦めてるけど、あの女だけは絶対に駄目っ!』」


 足立さんは、なぜか三上先生だけは認められないようだ。理由は分からないような分かるような。


「い、いや。違うんだっ、麻美はただの友だち! そう、友だちなんだっ」


「『じゃあ、愛莉えりとはどうなのよ?! まだ連絡取ってるじゃない!』」


「い、いや、たまにRINEが来るからそれに返すことがあるだけで──」


 と、こんな感じで、この後も僕は、会話くちげんかがスムーズに行われるようにアドリブを入れたりしつつ、足立さんの心の奥底に溜まっていた不満や中心にある想いを勝手にぶちまけた。

 

 そして、一通り喋り尽くして幾分かスッキリした辺りで、僕は足立さんに訊ねた。「他に心残り・・・になりそうなことはありますか?」


 口を開けて口内を乾燥させることに夢中になっていた足立さんが答える。「ない……かな──」


「あ、ごめんなさい。まだありましたね」


 僕の言葉に、足立さんは困り顔で笑いを洩らすという器用な真似をした。「全部お見通しなのね」


 そうでもない。まだ全てを読めるわけではないよ。けど、分かることもそこそこあるみたいだ。


 なので、僕は言った。「『そんなあなたでも愛してる。ばか。あほ。ばか』」







 僕と春夏秋冬さんは深夜の住宅街を歩いていた──春夏秋冬さんを自宅まで送っているところだ。

 

 貧乳女と浮気男のバカップルは散歩をするらしい。

 僕にできることはもう何もないけれど、もう何もする必要はない──足立さんの気配は薄くなり始めていた──ので、お好きにどうぞ、と言って別れてきた。


「そういえばさ」月明かりの中、春夏秋冬さんが言った。


「何?」と前を見ながら応えた。


「なんであんなに声真似上手いんだ?」


「なんでだろ?」訊かれても、できるからできる、としか言えない。「分からないかな」


「ふーん」納得しているのか、いないのか、春夏秋冬さんは凪のような語勢でそう洩らした。そしてすぐに、繋がりのない次の話題を選択し、口にする。「なんか昨日さ──」


 僕は、いつものように心の込もっていない相づちを打ちながら、春夏秋冬さんの横を歩く。

 

 そして、〈この人、自分の話した内容をちゃんと憶えているのかなぁ?〉と割と真剣に疑問に思ったころ、貧乏人を見下すことに慣れすぎて見下していることを自覚できなくなった人間が買いそうな外観の家、つまりは春夏秋冬さんの家が見えてきた。

 スマホによると深夜の12時を過ぎている。


「怒られたりする?」僕は訊ねた。


「……」もにゅもにゅして、それから少しして春夏秋冬さんは言った。「か、か、彼氏と一緒ならいいって母さんが……」


 立ち止まる。家の前まで来たからだ。


 特に愉快な感想は出てこないから、「そっか」と無味乾燥な文字の塊を発した。


「……」春夏秋冬さんは無言ではあるが、内心は、(なんだよそれ。どうでもいいのか? 私だけ緊張してバカみたいじゃん。なんだよなんだよ……)といじけている。


 読心の異能をオフにしてから、「春夏秋冬さん」と呼び掛ける。


「……」返事はない。


「大好きだよ」


「……え」


「じゃあ、また明日。おやすみ」


 フリーズしたパソコンのようになっている春夏秋冬さんを放置し、自分のアパートに向かって歩き出す。


 多分、彼女の心の中は愉快なことになっている。けれど、覗きはしない。大量の情報が雪崩れ込んでくると辛いのだ。


「源っ!」春夏秋冬さんは大きな声を発した。


 足を止め、振り返る。彼女とはそこそこ離れている。


「私も大好きっ!!」


 そっか、と囁いた。

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