第6話


 キリム様はフードさんの髪に手を伸ばそうとして――目にも止まらぬ速さで腕をひねり上げられた。


「いてえッ! 何をする!」


「魅力的ではありますが、あなたに僕の希望を叶えられる気はしませんね」


 フードさんは流れるような動きで腕を捻り上げ関節をめた。かなり強く捻り挙げられているのか、キリム様は続く言葉も出ないようである。


 ようやく事態に思考が追いついたのか、護衛たちが「キリム様!」と叫んで駆け出した。


「さて、お二人の証言を取れました。ありがとうございます」


 キリム様を片腕で抑え込みながら淡々と話すフードさん。

 フードさんは駆け寄ってくる護衛を一瞥して、空いた右手の指を鳴らした。


 すると護衛たちはその場に停止した。不自然に動きを固定された護衛たち。


 なぜ。体が動かない。どういうことだ。などと困惑する声が聞こえてくる。


「お前ら何をやってるんだ早く助けろッ!」


 キリム様はうつい向いたような形になっており、状況が見えていないのだろう。護衛に向けて怒鳴っている。


「すみませんキリム様! なぜだか体が動かなくて!」


「どういうことだ!」



 そこで私は気づいた。

 フードさんは一度も魔術式を展開しているようには見えなかったことに。

 どうやって魔術を発動しているのだろうか。


 魔道具を使った?

 あらかじめ魔術式を待機しておいた?

 ローブに魔術式の一部を刻んでいた?


 あるいは一瞬で極小の魔術式を展開して発動した?


 疑問は尽きないが、このことについて考える余裕はないようだ。


 今度は支部長が動き出した。さすがBランク魔術師というべきか、素早く魔術式を展開してフードさんに向けて放ったようだ。


 ただ、魔術式の複雑さからも、発動された魔術――おそらく氷系統の魔術――の様子からも、人間に対して使うための魔術には見えない。

 それこそ魔物に対しての切り札として使うような魔術に見える。

 突然の出来事に焦ったのかわからないが相当危険な魔術だ。


 幸いなのは魔術式が単体を対象にしたものに見えた点で、私や他の人達には影響はないだろう。

 しかし、魔術を受けるフードさんは違う。直撃した瞬間、おそらくは死ぬ。


 フードさんはキリム様の方をちょうど見ていたため、支部長の魔法には気づいていないようである。


 魔術の伝搬速度は若干遅い。速度に関する魔術式の調整を誤ったのだろう。


 まだ、間に合う。


「フードさん! 危ない」


 私は咄嗟に叫んだ。フードさんは私の存在に気づいたのか、観客席の後ろの方を見上げてくる。


「フードさん? ああお嬢さんですか。ここまで付いて来ちゃってたんですね」


 そうのんきにしているフードさんの様子に、「それどころじゃないです!」と叫んだ。

 最悪の未来を想像して目を覆いそうになったところで、フードさんは右腕を訓練場の方に向け、さっと横薙ぎにした。


 それだけで、たった・・・それだけで、支部長の放った魔術が、先ほど結界が消えたときのように霧散した。

 まるで宙に溶けるように。



 な、な、なにそれ!?


 魔術を消す魔術なんて聞いたことがない。少なくとも私の知識にないと言うことは中級以上の魔術だろう。

 支部長の放った魔術は明らかに中級以上の魔術だし、それを打ち消しているということは上級以上の魔術であっても何らおかしくはない。

 支部長も己の行いの危険性に気づいて魔術を放った直後は焦ったように顔を青くしていたが、今はそれとはまた別の理由で顔を青ざめているように見える。


「な、なんだそれは。そんな魔術知らないぞ!」


 Bランク魔術師である支部長も知らない魔術。そんなものがあるのだろうか。


「裁決をしましょう」


 凛とした声は訓練場によく通り誰もが息を飲んだ。

 声自体に魔力が乗っているのか、お腹の底に響いてくるような間隔すら覚える。

 しんと静まり返った訓練場に、誰かが息をする音と、フードさんの声だけが響き渡る。


「ストラール帝国ナダス伯爵領魔術連盟支部の支部長グレッグ、魔術連盟規則則一の十二『魔術師試験:魔術師試験は、連盟本部の定める方法により行われ、連盟本部の定める基準により判断される』における違反と魔術連盟規則ニ十八の八『強迫行為の禁止:魔術連盟員に対する強迫行為の禁止』に対する違反を確認」


 フードさんは歌うように告げる。天使のような容姿から、よく通る中性的な美しい声で。


「また、魔術連盟規則ニ十八の十五『職員に対する賄賂の禁止:魔術連盟において、何らかの利益につながる賄賂の授受を禁止する』に対する違反の疑い等、魔術連盟に対する重大な背信の可能性があります」


 フードさんは無感情に言葉を連ねる。まるで神の使いが、罪人である人間を裁いているかのようだ。


「よって、魔術師資格の停止と一時的な拘束を行い余罪の調査を行います。また、魔術連盟本部からの直接監査を、ストラール帝国ナダス伯爵領魔術連盟支部を対象に実行します」


 支部長は逃げるためか訓練場の出口に向かって勢いよく駆け出した。

 しかし、フードさんの指パッチンによって、護衛たちと同じように支部長の動きもピタリと止まる。支部長は驚愕したような顔でパクパクと口を動かしているが、声は出ないようだ。


「そして魔術連盟員キリム」


 次の標的へと裁きの対象を切り替えたフードさん。


「同魔術連盟規則一の十二への違反、同魔術連盟規則ニ十八の八への違反、同魔術連盟規則ニ十八の十五違反の疑いから、魔術師資格の停止と一時的な拘束を行い、余罪を調査します」


「な、な、お前は何を言っているんだ。何の権限でッ! それにここは魔術連盟独立領じゃない、ストラール帝国だぞ! 俺は貴族だぞ!」


 フードさんの足元で喚き散らすキリム様。いつの間にか縄で縛られて床に転がされていた。とんでもない早業である。

 魔術で拘束せずわざわざ物理的に拘束しているあたりに、フードさんの怒りを感じる気がする。

 愛人として勧誘されたのが嫌だったのだろうか。


「早く縄を解け! 重罪だぞ! わかっているのか!」


 フードさんはそう叫ぶ彼に目も向けず「さて」とマイペースに言葉を続ける。


「以上の裁定は魔術連盟特別監査員リースが行いました」


 フードさんは、そう名乗りを上げた。


 訓練場がまるで厳かな儀式が粛々と行われたかのような余韻で満ちる。


「異論がある場合は魔術連盟本部への問い合わせを行ってください。その際にはリースによる裁定と伝えるように」


 儀式の終わりは、妙に事務的であっけないものだった。




「あ、そうそうお嬢さん。僕の名前はフードじゃなくてリースですので、今後はよろしくお願いしますね」


 おおふ……。


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