第5話


 支部長を止めたキリム様は手を口に当てて何かを考え込んでいる。真面目に考えているフリをしているようであるが、ニヤニヤとした表情が手の隙間から確認できる。まるで下世話な何かを妄想しているようである。

 おそらくはこんなことを考えているのであろう。


 ――この女を自分のものにしたい。そしてこんな美しい女に尊敬されてみたい。称賛の声を得ることができればそれは心地が良いだろう。


 といったことを。


 考えをまとめたのか、キリム様は支部長の方を一瞥した。


「支部長、俺の魔術師ランクが何か特別に教えてやれ」


「よろしいのでしょうか」


「ああ、俺が許可すると言っているんだ」


 支部長は迷っていたようだが、キリム様の表情を見て何かを思い至ったのか納得したような表情を浮かべる。

 手元の用紙を物々しい仕草で見ると、息を吸い込んで声を張って言った。


「キリム様の魔術師ランクはEでございます」


 驚いた。そして私はようやくこの訓練場で行われていたこと・・・・・・・・に何となく察しが付いた。


 不正だ。


 特別な試験とは、要するに不正だったのではないだろうか。


 魔術師ランクにはAからHまでの基本ランクと、それ以上を表すSランクがある。

 Sランクは規格外として、HとGが見習い魔術師、FとEが初級魔術師、DとCが中級魔術師、BとAが上級魔術師と呼ばれている。

 おおよその基準は初級魔術師なら初級魔術、中級魔術師なら中級魔術、上級魔術師なら上級魔術を一通り使いこなせることが求められるらしい。もっと詳しい基準はあるらしいが、入門書には詳しく載っていなかった。


 そして、Eランクともなれば初級魔術を使いこなした上で中級魔術に足を踏み入れていてもおかしくないだろう。せめて準中級魔術程度は使えるはずだ。私でも準中級魔術を使えるのだから。


 けれども、キリム様は準中級魔術どころか初級魔術を安定して使用できているようには見えなかった。


 魔術師であれば魔力を用いて魔術式を展開する手順を何度も練習するはずだ。


 魔術式は練習すればするほど小さく展開できるようになる。

 魔力によって生成された魔術記号はお互いに反発する性質を持つ。魔術記号同士の性質をうまく噛み合わせ・・・・・て魔術式を小さく圧縮することが、魔術師の腕の見せどころである。

 だから、鍛錬すればするほど魔術記号の密度を上げることができるようになる。

 初心者であれば、両腕をまっすぐ伸ばしたくらいの範囲に魔術記号が乱雑に展開されるのが普通だが、うまくなっていくとローブの中や手の中に魔術式を展開して隠せるようになるらしい。

 私の場合、初級のファイアーボールの魔術式であれば顔の大きさくらいにまで圧縮して展開できる。


 一方でキリム様の実演だが、魔術式の展開速度はあまり早くなく、お世辞にも美しく式を展開できているとは言えない。

 鍛錬の足りていない歪な魔術式で、初心者に毛が生えた程度にしか見えない。

 魔術自体も初級魔術のようだったし、初級魔術師どころか見習い魔術師であるGランク程度の判定が適しているように見える。


 それに、私のような素人でも流石にわかる。試験がこんなに簡単なわけがない。

 この後別の試験を受けるのかと思っていたが、この時点で魔術師ランクを言えるのであれば、本当にキリム様の試験はこれだけだったのだろう。


 とは言え、私も魔術師試験を受けたことがあるわけではないので、はっきりとしたことは言えない。ただ、心象としては明らかに怪しい。


「おい支部長。本当に俺の魔術師ランクはEなのか?」


「ええと、それはどういう意味でしょうか?」


「本当にEなのかと言っているんだ。わかるよな?」


 キリム様は続けて、小声で支部長に対してささやき始めた。

 私は聞き耳の魔術を発動して、耳を澄ます。

 正確には身体強化の魔術を耳に集中させた。


「ところで話は変わるが支部長。以前ワリス商会を通してお前の欲しがっていた美術品を見つけさせてやったよな」


「ええと、その節はありがとうございました」


「支部長、何か欲しいものはないか?」


「そうですね。ただ、さすがにこれ以上は……」


「なあ支部長。俺に何か意見があると言うのか? Eランクじゃ足りないだろう、なあ、Eランクじゃ」


「しかし……」


「四の五の言ってると父上にお願い・・・するぞ。お前の立場は誰が保証していると思っているんだ?」


 キリム様は悪巧みを企むような顔で支部長を説得、もとい脅しをしていた。


 度重なる圧力を受けて、決心がついたのか支部長は手元の用紙に何か書き加える。そして声を張り上げた。


「計算に間違いがありました。正しくは……キリム様の魔術師ランクはDです」


 Dランクともなれば中級魔術師だ。初級魔術師であれば、もしかすると何かの基準を満たしていていた可能性はあっただろうが、中級魔術師は流石にありえないだろう。

 中級魔術師がこのレベルというのは信じられない。


 権力の高さを見せつけたかったのか、己の魔術ランクの高さを自慢したかったのかわからないが、目の前で堂々と不正が行われたことはよくわかった。


 いわゆる八百長と言うやつだ。形だけの試験。権力者の言葉で捻じ曲げられる結果。


 私が抱いていた魔術師、ひいては魔術連盟に対する理想と憧れがガラガラと崩れ落ちた。

 結局、魔術連盟が掲げる「魔術師のための独立」なんて理想は嘘っぱちで、権力には靡かなければいけないのだ。

 やるせない気持ちで胸が満たされていく。


「うわーすごい。Dランクですか」


 フードさんがそう褒めるような声を上げる。


「それは魔術連盟としての正式な決定ですか?」


 そして支部長に向かって質問をした。

 支部長は少し思うところがあるのか一瞬口ごもったが、すぐに答えた。


「ああそうだ。支部長であり、Bランク魔術師の私が試験監督をしたのだ。間違いはない」


「ほら、支部長もこう言っているだろう? 魔術師認定試験でDランクなんて、魔術連盟の歴史を見てもそういないだろうな。これから俺の伝説が始まるわけだ。そんな俺の愛人になれると言うのだぞ。もちろん、腐っても愛人だから贅沢な暮らしは保証してやろう」


「それはそれは。贅沢で怠惰でぐーたらな暮らしは非常に魅力的ですね」


 怠惰でぐーたらなんて一言も言ってなかったが。


 キリム様はどんな下品な想像しているのかだらしなく頬を緩めている。フードさんの返しを気にかける様子などない。

 それどころか、いつの間にかフードさんの方へとじりじりとにじり寄ってきている。そのままフードさんの髪に手を伸ばそうとして――



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