第一章3『強くあっても弱さは隠せない』

 岩を足で踏みつけ、ぐっと力を込めて前に飛ぶ。

凄まじい速度で相手に近付き、思い切り右腕を振り下ろした。


 確実に隙を狙ったが、鈍い音と共に容易く腕で防がれてしまった。

相手は目線すらこちらに向けずに逆側の腕で持っていた本を読んでいる。

こちらから攻撃したにもかかわらず、腕に痛みが響いた。


「父さん」


 地面に着地し、相手に向かって話しかける。

父親はこちらに顔を向けると、上げていた腕を降ろして返事をした。


「どうしたブルー。もうバテたのか?」


 ブルーは顔に微笑みを浮かべる父の様子を見て、改めて父の底知れぬ強さを悟った。

余裕、という言葉がよく似合う。


 ブルーは鼻から深く息をいた。


「父さんはなんでそんなに強いんだ?

俺もかなり強くなったはずなんだ。この前だってゴブリンを一日で十匹も倒したし」


 真っ直ぐな眼差しで見つめると、父親は本を閉じて視線を空に向けた。

少し考える素振りをしてからブルーに向き直る。


「…質問を返すが、お前は何故強くなりたいんだ?」


 何故強くなりたいか。

シンプルな質問だが、ブルーは言葉に詰まった。


 それが単なる好奇心から来るものか、強い父への対抗心なのか。

はかれない自身の心に困惑する。


「俺が強くなったのはな、もう二度と何も失わないためだ」


 ゆっくりと歩み寄ってきた父の眼は、ブルーではない何かを見つめていた。

父親の言葉に、ブルーは過去の事件を思い返す。


「…母さんはさ、俺を守ってくれたんだよな」


 ブルーは俯き、呟くように言葉を吐く。


───忘れもしない三年前、母親は怪物の手によって殺された。

あの日の出来事を思い出そうとすると今でも頭が強く痛む。


 静かに呼吸をして、ゆっくりと口を開く。


「…俺も、強くなる。それはきっと誰かを守るためだ」


 上げた顔は、静かに闘志に燃えていた。




【現在】



「おいブルー!洗濯物ちゃんと出したか!?」


 ブルーが家から出ようと玄関に足を踏み入れたとき、白髪はくはつの老人に近い年配の女性が勢いよく叫んだ。

背筋がゾクッとしたが、ブルーは構わず走って街に飛び出した。


「ごめんカーラばあさん!帰ったらやる!」


 ばあさんじゃないよ!と走る背中に言葉を刺されてしまった。

しばらくしてすっかり木々の少なくなった森に着くと、ブルーは近くにあった太い幹の切り株に腰を下ろした。


───ここも、寂しくなったな。


 あれから三ヶ月。助けて貰った人の家でそのまま養って貰えることになった。

元の家は森の木々ごと焼かれ、見る影も無くなっていた。

 ブルーの座るこの場所も、秘密基地というにはあまりにもひらけている。


 ブルー達が住んでいた森は田舎なのもあり消火活動や救助が遅れたようだった。

しかし近くの村の勇気ある一人の男性がブルーを救い出し、ブルーは何とか一命を取り留めた。


 そしてその男性も住む、ブルーを拾ってくれた家の大黒柱のカーラは元々養子だったらしく、この家で何十年も同じ境遇の子供達を保護していたようだった。

親を失った子供の辛さを知っているからこそブルーを見逃せなかったのだろう。

あの日の夜、孤独に絶望を感じていたブルーにとって『一人くらい増えても変わらない』と発したカーラの言葉ほど暖かいものはなかった。


 結局森の爆発や火災の原因は不明で、父親の行方も未だわかっていない。

しかし、死体が見つかった訳でもなかった。

事件の後ブルーは焼け焦げた家の場所まで行くと、父親の付けていたゴーグルのみが落ちていた。


 ブルーは顔の左目辺りに出来た火傷痕やけどあとを左手でさすり、懐から一本のナイフを取り出した。

焦げ目の付いた鞘からナイフを抜き、手の平に置く。


───父さんは死んでいない。必ず再会してみせる。

怪物エグマに連れ去られたのか、何か意図があって会いに来ていないのかはわからない。

でも、どうであろうと関係ない。

俺は強くなった。もう守られる側に回るのはごめんだ。


 燃やされた森には、ブルー達二人の住む家以外特別何かがある訳ではなかった。

つまりブルー達のどちらか、もしくは両方を狙った襲撃だろう。

無作為に行われたものであれば助けに来た人間や近くの村が襲われなかった理由に説明がつかない。


 きっと父さんは───


「ブルゥゥゥウウウウウ!!!!!」


 突如背後から凄まじい声量の叫び声が聞こえてきた。

驚いて振り向くと、カーラが鬼の形相で走って来ていた。

同時に左手に痛みが走り、ハッとする。

ようやく自身が握りしめたものナイフで手から血を流していることに気が付いた。

赤く染まった左手をぐっと握りしめ、目の前に迫るカーラに向かって顔を上げた。


…目が合った。


 身の毛もよだつ迫力であっという間に捕まり、家に引きずり帰されてしまった。



***



「…なんで俺の居場所教えたんだよ」


 夕食の後、洗濯を終えたブルーは不機嫌そうにぼやいた。

横に座っているブルーより一回り小さい背丈の少女は、ニコニコとブルーの顔を見て微笑んでいた。


「ブルーいっつも森ばっか行ってるでしょ。たまには家で遊んだらって思って」


 ブルーはチラリと少女の顔を見ると、全く悪意のない笑顔をしていて思わず目を逸らした。

少女は前髪を横に切り揃えた綺麗な長い黒髪をしており、それを引き立たせる透き通った白いワンピースがよく似合っている。

そして目元まで前髪が伸びており、人と話しているには不自然に目を閉じていた。


「ハナのその魔法、すごいよな」


 ブルーは目を背けたまま誤魔化すように話す。

目を閉じている少女、ハナの持つ闇属性の魔法『心眼しんがん』は視界を普段届かない場所まで広げ、遠く離れた人間の居場所をピンポイントで探し出せる特殊な魔法だ。

ハナの使う魔法は使える術者も少なく世界的に見てもかなり珍しいもので、そんな魔法を使えるハナのことをブルーは素直に尊敬していた。


「…そんなに良いものじゃないよ」


 ポツリといたハナの言葉には、重い何かを感じられた。

ハナは昔から目が見えず、魔法のおかげで問題なく日常生活を送れている。

しかし特殊な身体と魔法を持って生まれたハナには辛い経験が多くあったのだろう。


───まずい、地雷を踏み抜いた。

なんでこんな先の分かりきった馬鹿な質問をしたんだ、俺は。


 ブルーが次の言葉を探して目を泳がせていると、ハナが問いかけてきた。


「あ、そういえばブルーの左手どうしたの?怪我…大丈夫?」


 ハナの”視線”がブルーの左手に移る。

しっかりと包帯が巻かれた左手を見たら誰だって心配するだろう。

帰ってすぐこっそりと自分で処置したものだ。


「いや、大したことない。そんなことよりもう遅いから寝るぞ」


 ハナを部屋に帰した後もブルーは変わらずベランダに座り、夜空を見上げていた。

この家に住む人間は皆カーラに拾われた養子だ。過去は決して明るいものではないだろう。

親を失う寂しさを、孤独になると知った絶望を、分かっていた筈なのに他人のそれを思い出させてしまった自分に腹が立つ。

そして同時に、自分のそれも思い出して唇を噛んだ。


───父さんは元気にしているだろうか。


 満点の星空に浮かぶ何でもない星を一つ見つめ、この瞬間だけ、ブルーは右の瞳から涙を零した。


「まだまだ夜は、冷たいな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る