第一章6『嘘を吐くには勇気がいる』
【一時間前】
ブルーが家でカーラと話している頃、エクスは八百屋から離れてどこへ行くとでもなく歩いていた。
「なんでだよ、兄ちゃん」
エクスが不貞腐れているのは、八百屋の大将の睨み通り兄のティオの怪我が原因だった。
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『兄ちゃんかっこいい!』
ティオの両腕に付けた防具を、エクスは輝いた瞳で見つめていた。
銀色に鈍く光る鉄製の防具には赤く輝く宝石が埋め込まれている。
『なあ兄ちゃん、俺もそれ欲しい!』
『うーん、家は貧乏だからなぁ…これも父さんから譲ってもらったものだし』
エクスの提案にティオは困った顔で言葉を返す。
『じゃあさじゃあさ、勇者試験で合格して俺にそれ買ってよ!兄ちゃんなら余裕でしょ!』
『…そうだな、エクス。強い兄ちゃんが合格して買ってやる。そしたら美味しいご飯もたらふく食わせてやるぞ!』
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「約束したのに…」
エクスはフラフラと歩くうちに、いつの間にか人通りの少ない獣道へと足を踏み入れていた。
『ティオのやつ、本当に馬鹿だよなぁ』
立ち止まって
『あいつ弱虫の癖に勇者試験に挑むとか、どうせすぐ負けてピーピー泣いて戻ってくるだろうに』
『今日も仕事でミスして大怪我したとか。試験どころか日常生活もまともに送れてないんだぜ。傑作だよな!』
二人の男の笑い声が静かな村に響く。
「…おい」
「…ん?なんだお前」
男が声に気付いて振り向くと、幼い少年が一人、男二人の前に立ちはだかっていた。
二人の男は丁度ティオと同じくらいの背丈をしており、歳も近く若い見た目をしていた。
「おい、こいつティオの弟じゃね?」
「…あぁ、なるほどな」
男は納得すると、エクスを見ながらニヤリと笑う。
「…るな」
「あ?」
「兄ちゃんを馬鹿にするなぁ!!!」
エクスは口をきつく結び、拳をぐっと握りしめて男を睨みつけた。
瞳は涙で潤んでおり、今にも泣きそうな表情だった。
「…いいぜ、相手してやる」
男は親指で脇道を指差し、奥へと誘った。
エクスは誘いに乗って男達に付いていき、暗い裏路地へと歩を進めていった。
【現在】
「おいさっきの威勢はどうしたよ!」
男が地面に這いつくばったエクスの腹を蹴る。
もう一人の男はニヤついた表情で傍観している。
エクス既にボロボロで、身体中に痛々しい打撲痕が出来ていた。
エクスは呻きながら横に転がる。
「はー。兄が弱虫なら弟も弱虫」
男は呆れたように言葉を吐く。
「兄ちゃんを…馬鹿に…」
「『だから親もすぐ死ぬんだよ』」
男の言葉に、エクスがピクリと反応する。
「………消せ」
エクスは震えながらゆっくりと起き上がる。
「取り消せ…今の言葉取り消せよ!」
「は?取り消すわけねーだろ。事実なんだか…あっ?」
エクスが怒りに燃えて立ち上がった瞬間、突如男が思い切り吹き飛んだ。
凄まじい勢いで路地の壁に激突し、ぐったりとうつ伏せに倒れ込む。
そして男が元いた場所には、一人の少年が立っていた。
「おーおーおー。男二人で子供をいじめるとか人間辞めてるな」
倒れる男を踏み付けて立つ一人の少年は、紺色の髪をたなびかせ、綺麗な青い瞳をしていた。
「大丈夫か、エクス君」
少年は微笑んでエクスに声をかける。
「お兄さんは…?」
エクスは震える声で尋ねる。
「うーん、正義のヒーローブルーマンってとこかな」
少年は傍観していた男に背を向けたまま
「子供がこんな場所に来ちゃダメだぞ。悪い人がいっぱいいるんだから」
「お兄さんも子供…じゃなくて、後ろ!後ろ見て!」
エクスの目に、怒り狂って突進する男が映る。
男はいつの間にかナイフを取り出し、凄まじい形相で少年に襲いかかって来ていた。
「…エクス、目瞑ってな」
エクスに囁く少年の言葉には、静かな怒りが篭っていた。
エクスが目を塞いだ瞬間、鈍い音と共に誰かが壁に叩き付けられたような音が響く。
つかぬ間の時が経ち、エクスが目を開いたのは二人の男が気を失って倒れた後の事だった。
***
「世の中にはこんな奴もいるんだな」
ブルーはパンパンと手を叩いて呟く。
───もうちょっと早く着いてれば、怪我を負わせずに済んだだろうな。
もっと強く、もっと速くならないとダメだ。
「さ、この辺は怪物が出てきてもおかしくない。お兄さんのところに戻ろう」
緊張から解放されて腰が抜けたままのエクスに手を差し伸べる。
「あ、ありが…」
手を取ろうと顔を上げたエクスが、ふと目を見開いた。
まるで鬼でも見たかのような表情をするエクスに、ブルーは笑って声をかける。
「どうした、もう大丈夫だよ」
しかしエクスは手を取るどころか首を振り、身体を震わせ始めた。
ゆっくりと、震える手でブルーの後ろに向かって指を差す。
「…!」
嫌な予感がし、ブルーは勢いよく振り向いた。
「ケテケテケテケテケテケテ」
振り向くと同時、凄まじいスピードでソフトボール大の黒い塊が顔面に向かって投げつけられていた。
───なんだ!?
反射的に躱し、前に向き直る。
ドン、と塊が壁にぶつかった音が聞こえるが、そちらを見ている余裕はない。
暗い路地裏の闇に紛れてその場に佇むのは、二メートルは優に超える巨大な黒い怪物だった。
ヘドロのようにぐちゃぐちゃと音を立ててハの字に広がり、身体中に人間の目玉のようなものが様々な大きさで埋め込まれている。
身体の中心辺りから腕のようなものが生えているが、腕と聞いて想像するものとは大きく異なり身体を囲うようにぐるりと細く何本も生え伸びる様子がおぞましさを助長していた。
「ケテケテケテケテケテケテ」
怪物は言葉とも取れない奇声を上げ、じわじわと近付いてくる。
「うっ…!」
あまりの気味悪さにブルーは思わず口を押さえた。
呼吸が早まり、息が荒くなる。
おぞましい怪物の姿を見て、ブルーは過去の記憶がフラッシュバックしていた。
『うわあああああぁぁあぁあぁああああああ!!!!!!!!!』
自身が叫び、走り、転び、おぞましい”何か”から逃げる記憶。
定かではない断片的な記憶は、確かにブルーの精神を削る。
───嫌だ。思い出したくない。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
足が震え、力が抜けていく。
ジリ、と一歩下がったとき、不意に服を引っ張られた。
振り向くと、怯えた様子でこちらを見ているエクスがいた。
怖い、助けて、と震えるエクスの表情を見てブルーはハッとする。
───そうだ、俺は何のために強くなったんだ。
こんなところで怖気付いてどうする。
俺は、もう何も失わない。
手に力が戻る。
足の震えが止まり、顔を上げて前を向く。
思い切り飛び出し、ナイフを振り下ろした。
「うおおおおおおおおお!!!!!」
その瞬間、目の前から怪物が姿を消した。
「…は」
まるで手応えがなく、元からその場に何もいなかったかのように静まりかえる。
周りを見渡すが、あったはずの黒い塊も消え、気配が完全に消えてしまった。
───幻でも見てたのか…?
「とにかく、今のうちに逃げよう。立てるかエクス?」
明らかに理解不能な状況だが、ブルーは自分でも驚く程に冷静だった。
そのまま路地裏を抜けた後、ブルーはエクスを連れて家まで無事に送り届けた。
ボロボロの様子で帰ってきたエクスを見るや否や、ティオは杖を突いた足で出来る限りの力で駆け寄ってきた。
日が完全に落ちて辺りが暗闇に染まった中、ティオは家の前で待っていたようだった。
「何してたんだエクス!本当に心配...したんだぞ」
ティオは思わず力を込めてエクスの肩を持つ。
「ごめん、兄ちゃん…」
エクスは拳を握りしめて俯きながら応える。
震える小さい身体は、湧き上がる悔しさを隠せていなかった。
「えっと、すみません」
二人が本格的に会話を始める前に、ブルーが向かい合う二人の横から声をかける。
「とりあえず、エクス君を休ませませんか。かなり傷を負っていて本当だったら立っているのも辛い状況だと思います」
そうだろ、とブルーがエクスに顔を向けると、エクスは目を伏せて返答の代わりにした。
それをYESの反応だと受け取ったブルーはそのまま視線をティオに向けて促す。
「…そうですね。色々ありすぎて冷静になれていませんでした」
ティオは反省し、ブルーの顔を見る。
「どなたか存じませんが、エクスを助けて頂いてありがとうございました。貧しい家庭で何もお礼出来るものがありませんが、この御恩は決して忘れません」
ティオはブルーの目を真っ直ぐ見つめて感謝の言葉を述べる。
ブルーが謙遜しようと口を開いたとき、突然横から服を引っ張られた。
「…あげる」
向くと、エクスが右手の手の平を上に向けてこちらに差し出していた。
上には直径三センチ程の丸い深緑色をした半透明の石に紐を通したアクセサリーのようなものが乗っている。
「これは…」
「お守り。本当は兄ちゃんのために作ったんだけどお兄さんにあげる」
「そんな大事なもの、受け取れない」
見た目以上に価値のあるものにブルーは受け取りあぐねる。
きっと想いの詰まった本当に大切なお守りなのだろう。
ブルーが易々と受け取れる代物ではなかった。
「そんだけ強いってことは勇者試験出るんだろ。出られなくなった兄ちゃんよりお兄さんが持ってた方がいい」
それだけ言うと、エクスは更に腕を差し出した。
ブルーはしばらくお守りを見つめ、悩んだ末に受け取ることを選んだ。
「…ありがとう」
エクスはお守りを渡すと、逃げるように家へと帰っていった。
「すみません、うちの弟が」
エクスがいなくなった後、ティオは家の壁に寄り掛かった。
顔がやつれ、かなり疲れた様子だった。
「改めて、弟を助けて下さってありがとうございました。もしよければ何があったか聞いてもいいですか」
***
「…そうですか」
事情を聞いたティオは目を伏せて口をつぐむ。
混乱を防ぐために怪物と出会ったことは伏せておいた。
ティオは昼の揉め事もあってか責任を感じて自分を強く責めているようだった。
考え込むティオを見て、沈黙を破るようにブルーは声をかける。
「…弟さんは、あなたを馬鹿にされたことに怒ってたみたいです」
「!」
ティオはブルーの言葉に顔を
少しの間俯いて考え込むと、思い立ったように口を開いた。
「私の両親は、二年前に事故でこの世を去ったんです。
エクスは親代わりの私をとても頼りにしてくれていて、それできっと私を馬鹿にしていた人に怒ってしまったんですね。あんな、ボロボロになってまで…」
ティオは深く息を吐く。ため息に近いそれには、悔しさや自分への憤りを交えた複雑な感情が渦巻いていた。
玄関の古びた照明がチカチカと点滅し始め、フっと消えた。
「うちは貧乏で、エクスには我慢ばかりさせていたんです。だから勇者試験で合格して、美味しいご飯を腹が膨れるまで食べさせてやるって約束したんです」
ティオは左脚に巻かれた包帯をさすって目配せする。
「見ての通りの大怪我です。エクスは私を強いと言ってくれますが、弟一人守れない私より勇気を振り絞って立ち向かったエクスの方がよっぽど強い。弱い兄で情けない限りです」
ティオは包帯が巻かれた足をどこか寂しい表情で見つめる。
「弱く、ないと思います」
ブルーは顔を上げ、驚いた様子のティオの目を見て続ける。
「親を失って、弟を支えなきゃいけなくて…そんなの誰だって普通は折れます。投げ出して泣き喚いてもおかしくない。
でも、ティオさんは必死に支え続けて、勇者試験にまで挑もうとして。
それは強い人間じゃないと出来ない」
親を失い、暗い未来を打開しようと勇者試験に挑む。
動機は違えど似た境遇のティオに、ブルーは強く感情移入していた。
「でも、起きた事実は拭えません。弟を守れなかった私に強いと言われる資格は、ないです」
言葉の語尾が震え、ティオは手で左脚を強く握る。
目の前に見える現実が、ティオの背中に重くのしかかっていた。
「少なくとも、弟さんはそうは思ってなかったみたいですよ」
言葉と同時に、ティオの目に深緑に光る石とそれを持つ笑顔のブルーが映った。
「石には、花のようにそれぞれ意味がこめられているんです」
ブルーは石を左手で摘んで掲げる。
石は月明かりを反射してブルー達の瞳に透き通った緑の光を映した。
「この石に込められた言葉は…」
「『あなたを信じています』」
ブルーに重ねるように、ティオがポツリと呟いた。
───なんだ、わかってるじゃん。
ブルーが横目でティオを見ると、両手で目を覆い、肩を震わせていた。
「やっぱり、これは受け取れない」
ブルーはティオの肩に手を置いて顔を上げさせ、首にお守りをかけた。
「どうか、弟さんの信じるあなたを信じてあげて下さい」
ふふ、と笑うブルーが、ティオの瞳にぼやけて映る。
ティオはお守りを両手で握りしめ、ありがとう、と小さく呟いた。
誰に向けられたものか定かではないその言葉は、閑散とした夜に静かに響いた。
───とりあえず、一見落着だな。
ブルーが帰ろうとティオを置いて足を踏み出した時、後ろでゴト、と何かを置くような音がした。
肩越しに振り向いた先に見えたのは、杖を離して両足で真っ直ぐ立つティオの姿だった。
「一体、どういう…」
「私はこれまで、見えない想いを見えている現実で塞いで言い訳をしていました。
だけどもう自分に嘘はつかない。これからは弟と弟の信じる私を信じてみようと思います」
唖然として口の閉じないままのブルーに涙の痕を残した笑顔を向け、ティオはゆっくりと、両足を確かに踏みしめながら家に帰っていった。
「これは、流石に一本取られたなぁ…」
***
「で、野菜はどうした?」
「あ!!!」
その日の夜は、焦って走る少年の姿と深緑に光る石を見つめる兄弟の姿が月明かりに照らされ、静かに更けていった。
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