第一章5『よくある兄弟喧嘩』

『なんでだよ!兄ちゃん!』


 勇者試験を一週間まで控えた日の昼、ブルーが買い物を頼まれて村を歩いていると、一人の少年が声を張り上げていた。

ブルーは思わず足を止めて耳を傾ける。


「ごめんな、エクス」


 どうやら少年の兄らしき若い男性に向けられた言葉のようだった。

ブルーが男性に目を移すと、男性の左脚は包帯で覆われ杖を突いていた。

兄弟揃って短いボサボサの黒髪で、糸目の男性とは対極的に少年はぱっちりとした大きい目をしている。

二人の着ているものは服と呼ぶにはあまりにみすぼらしく、ボロボロに汚れていた。


 男性は困った顔で少年の言葉を受け止める。


「俺と約束したじゃねーか!なんで…なんでだよ!」


「ごめんな、あれは兄ちゃんがまた働いて買ってやるから…」


「兄ちゃんの嘘つき!」


 少年は男性の言葉を最後まで聞かず、どこかへ走り去ってしまった。

男性は戸惑いの表情を浮かべて立ち竦んでいた。


───よくある兄弟喧嘩か。


 ブルーは特に関わろうともせずにそのまま通り過ぎ、目的の店へと向かった。

 目的の八百屋まで着くと、ふと店の横に膝を抱えてうずくまる少年がブルーの目に入った。

どうやら先程の少年が不貞腐れて座り込んでいるようだった。


「いらっしゃい。おお、カーラさんとこの」


 少年を見ていると、八百屋の大将が話しかけてきた。前にカーラに連れられて来たときに顔を覚えられていたようだった。


「あ…どうも」


 ブルーは軽く会釈してもう一度少年に視線を向ける。


「今日もいい野菜揃ってるぜ!沢山買っていってくれよな」


「あの、あの子は…」


 調子良く商売をしようとする大将をおざなりに、ブルーは少年について尋ねた。


「ん、あぁ、エクスのことか。あいつぁいつも喧嘩やらなんやらで不貞腐れるとここまで来るんだよ。今日はティオのやつが大怪我してたからなぁ…色々揉めたんだろ」


 ティオ、というのが少年の兄の名前らしい。

大将は少年に聞こえない声量で続ける。


「大方、勇者試験の話だろうな。ティオが勇者試験に挑むのをエクスは楽しみにしてたみてーだから…っておっと、人様の話をあんまりするもんじゃねーな。忘れてくれ」


───勇者試験…この村に俺以外にも試験に臨もうとしてたやつがいたのか。


「………」


 大将に野菜を頼んだ後、ブルーは少年をじっと見ていた。

大将が野菜を選んでいる間も少年は変わらず顔を膝に埋めてうずくまったままでいた。


「大将、野菜ありがとう。また買いに来ます」


 ブルーは八百屋の大将から野菜を受け取り、そのまま帰路に着いた。



***



「おつかいご苦労さん」


 家に着き、荷物を渡すブルーにカーラがねぎらいの言葉をかける。

カーラが袋から次々と買ったものを取り出す途中、不思議そうな顔をして部屋に戻ろうとしたブルーを呼び止めた。


「ブルー、頼んでた野菜少し足りないよ。あんたがミスするなんて珍しい。なんかあったか?」


「え、そうか…ごめん。今からすぐ買ってくるよ」


 急いで買いに行こうとするブルーをカーラはもう一度呼び止める。


「ブルー。勇者試験が近いからそわそわする気持ちもわかるけど、意識しすぎて他のことおろそかになるんじゃないよ。そんなのでミスして怪我でもしたら笑えないからね」


「怪我…うん、ありがとうカーラ婆さん。行ってくる」


「婆さんじゃないよ!...行ってらっしゃい」



***



 八百屋に着いて大将に野菜を頼んだ後、ブルーは八百屋の横に目を向ける。


───流石にもういないか。


「はいよ!今度は忘れもんないよな?」


「はい。ありがとうございます」


「また買いに来るって言ってたが、まさか今日になるとはな」


 ワッハッハと笑いながら皮肉めいた冗談を言う大将に苦笑いを向けて野菜を受け取り、ブルーは帰路に着いた。


「あーこんなミスするなんて本当に俺らしくないな。気ぃ引き締めねーと」


 日も落ちて辺りも紅く照らされる中、ブルーは空を仰いでぼやいていた。

勇者試験まであと一週間。ブルーは一抹の不安を感じていた。

勇者試験はその景品の豪華さ故に、挑む人数が多くライバルも多い。

いまいち実戦経験も積めていない現状、ブルーが自身の力に不安を感じてしまうのも無理はなかった。


「父さんのためにも頑張らないとな…ん?」


 店も閉まり始め建物も少なくなってきた寂しい獣道を歩く途中、ブルーはどこからか声が聞こえたように感じて立ち止まった。

 しばらく耳を澄ませながら辺りを見回すと、閉店して明かりの落ちた店の脇から声が聞こえてきた。


「…なーんか嫌な予感すんだよな」


 ブルーは様子をうかがいながら脇道に入った。

建物に挟まれて暗くなった道は遠目で見た印象とは違って入り組んでいる。

臆さずにずんずん進むと、先程聞こえた声がもう一度響いてきた。


『兄ちゃんは弱虫なんかじゃない!』


「!」


 どうやら声の主は昼に出会った少年、エクスのようだった。

内容からするに揉めている様子で、かなり近い場所から聞こえてきた。


───この時間に人目につかないこの場所で、俺より年下の少年が誰かと揉めてる…危険以外の何者でもないだろ。


 ブルーは野菜を置いて走り出し、少年の元へと向かった。


「何もないならそれでいい…!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る