罪と野獣と美女と罰 第19話
「私がやりました」
「はやっ!」
顔を伏せ、手首をくっつけた両手を突き出す先生。
「ちょっと待ってくれ! もう少しこう……なんかあるだろ!」
ここは僕の
くそっ。
やっぱりかき乱されて思うように話が進まないけど、まぁいいさ。まだ舞台は残ってる。本番は放課後、コタツでだ。
「一応訊いておくが、どこまでわかってる?」
窓を背に配置された机に歩み寄って付属する椅子に座り直した先生が、両手の指を絡ませて両肘を机の上に預ける。
久しぶりに見る先生の真剣な顔。以前、トイレに行こうとしているのを執拗に邪魔した時以来の眼差しだ。
そんな顔をするなよ。
僕らのやりとりなんておちゃらけてなんぼなんだから、おどけていこうぜ。
「どこまでって、全部ですよ。なんなら先生の知らないことも知ってますよ。だからここに来たんです」
「私に知らないことがあるのか?」
「星の数ほどあるだろ」
まず第一に男を知らない。あとはそうだな、あの二人と同じでとどまるところも知らなそうだ。
あれ? やっぱり先生も僕のタイプど真ん中なんじゃないか?
先生のプリティフェイスをジロジロと品定めしながら椅子を転がして机に向かうと、小さな手のひらが仁義を切るようにこちらへ伸び、説明の続きを無言で促してきた。
肝臓のように押し黙る先生というのも、なかなか乙なものである。
「智則くんがね、果奈を訪ねてきたんですよ。正確には里々に連行されてきたんですけど、とにかく僕たちはそこで智則くんが記憶をなくしてることを知りました」
「ほう」
「その日のうちに僕は、なくした記憶を取り戻すために智則くんの家に行ったんです。そしてそこで見つけたのが」
「エロ本か?」
「ちげ……」
違わなかった。
でもアレはどちらかというと資料に近いから、やはり違うといえば違うか。
「私のテスト用紙だろう? 少年が発見したのは」
珍しく、脱線した話題をレールに戻す先生。いつも通りふざけはするけれど、先が気になって仕方ないらしい。以前、コンビニで食玩の中身を重さで判断しようと試してた時以来の眼差しだ。
「はい。先生は隠蔽したつもりだったかもしれませんが、智則くんは筆圧が強めだったみたいですね。紙質も味方したのか、二枚目のテスト用紙にうっすらと残ってましたよ。『赤い服の美女』と、『殺人犯の名前は七』という文字が」
破るくらいなら返却しなければ良さそうなもんだけど、クラスで智則くんにだけ用紙を返さない方が目立つと思ったんだろうな。
苦しそうな顔で静かに目を瞑る先生だったが、
「犯人は七さんじゃないですよ?」
僕のあっけらかんとした発言に、すぐさまその目をひん剥いてみせた。
「どういうことだ? だって……私は見たんだ」
「七さんの自白文ですか? どうやってそれを読んだんですか?」
「どうしてそれを……」
やっぱり読んでたか。封筒の糊付けが甘かったのは先生が一度開けたからだったんだ。
「盗んだんですよ。タイムカプセルの中からね」
左胸の内ポケットを押さえながら自供する。あ、第二ボタン取れかかってるや。
「盗んだって、鍵はどうした? タイムカプセルには五桁の錠がかかっていたはずだ」
「暗号が解けたんで、開けちゃいました」
「解けたって……アレは私もわからなかったんだぞ?」
あたふたと、机で跳び箱しそうになりながら声を張る先生。
僕は取れかかった胸のボタンを引きちぎり、
「どうやってって、先に訊いたのは僕ですよ。先生は七さんの自白文をどうやって、どこでどうして読んだんですか?」
悪いけど、あの暗号の解き方はコタツで語らせてもらう。僕の見せ場なんだから、二人の前で初めて披露したいっていう男心をわかってくれ。
「それは……」
遠い昔を回顧するように数秒の間人差し指でトントンと頭を小突いていた先生が、「私は……」と言葉を結える。
「食べ物を探してたんだ。購買に行けばよかったんだが横着してな。手近にあった七のカバンを漁ったのさ」
それは横着じゃなくて横領って呼ぶんじゃないの?
「そこで私は一通の封筒を見つけて、それが自白文だったというわけさ。こっそり読んでやろうと思ったのが間違いだった。ラブレターだと思ったんだよ」
人のラブレターを覗こうとするんじゃないよ。封筒を盗んだ手前、強くは言えないけれど。
「先生それ、最後まで読んでないでしょ」
「当たり前だ。教室だぞ? 人の目もあるし、七がいつ戻ってくるかもわからない。最初の方を読んですぐ元に戻したよ。充分だろ? のっけからいきなり、『私は人を殺してしまいました』だったんだから」
確かにな。近所で殺人事件が起きたばかりでそんな手紙を読んだとすれば、勘違いしてしまうのも頷ける。
僕は内ポケットから七さんの手紙を取り出して先生との間にそっと置き、
「今は僕と人体標本の目しかないですよ?」
この人なら絶対大丈夫。先生の倫理観と推察力なら、七さんへの印象は微塵も変わらず真犯人にも辿りつけない。
硬直して、折り畳まれたままの手紙を見つめる先生。
当時の感情が思い出されたのだろうか、手紙を手にするまでにはしばしの時間を要した。
「これは」
意を決して手紙に目を通した先生が驚きを漏らす。
七さんは人殺しではない。人殺しではないが、真犯人を隠し立てした罪は残る。先生の目にその罪はどう映っただろうか。
そして先生はちゃんと勘違いしてくれただろうか。
誰にも言えなかったのは『助けた人が殺人を犯したという後ろめたさ』からで、誰にも言わなかったのは『殺された老人が死んでも仕方のないような人だったから』だと。
かたわらにあるストーブ内の灯油がチャポンと波打つ。
「少年」
手紙を綺麗に畳み直して机に滑らせる先生。
「私がどうやってトム宗谷の記憶を奪ったか、わかるか?」
「まずトム宗谷がわからないんですけど」
「あぁ、私にとっては宗谷って苗字は昔からトム宗谷なんだ」
なるほど。智則くんのお姉さんのおさがりか。おさがりは大抵嫌がられるものだけど、これもまた然りだろうな。
「あだ名のセンスは理解不能ですけど、記憶のことなら多分わかりますよ。催眠術でしょ?」
オカ研から八不思議の概要を聞き出してきたあの日、里々は自動販売機でコーヒーを買う先生と遭遇したと話していたけど、あの自動販売機には先生の飲めるような色の薄いコーヒーは売っていなかったはずだ。
ではそのコーヒーは誰のためか。それはおそらくオカ研で催眠術を担当している……名前なんだっけ。まぁいいや。キャラの濃い催眠術担当くんのためだ。
里々に、『本来なら対価をいただく』とか『君だけは特別にロハで』なんていい格好をしてた催眠術担当くんに、コーヒーと交換で催眠術を伝授してもらったのだろう。
僕の「催眠術でしょ?」という言葉に、「ほう」と目を見開いた先生は、
「よく催眠術なんてデタラメな推測に思い至ったものだが、その通り。催眠術で記憶を奪ってやったのさ。オカルト研究会の……なんか変な服着て口から泡吹いてる奴に教えてもらったんだ。内申点と引き換えに」
と、喫煙者にしてはやけに光る白い歯を見せた。
「え? コーヒーと引き換えじゃないんですか? 里々がコーヒー買ってるとこに出くわしてたじゃないですか。先生はブラックなんて飲めないでしょ?」
「コーヒー? あぁ、あれなら教頭先生に渡したよ。あの日の私は勤務態度のことで教頭に呼び出されていてな。コーヒーはその時に賄賂として使ったんだ」
「教師になってまで呼び出されてんじゃねーよ!」
相変わらず恥ずかしい人だが、僕もそれなりに恥ずかしい。口に出さなくて良かった。結果は偶然結びついたけれど、過程の推理はごっそり間違っていたわけだ。内申点はよく引き合いに出してくるけど、ちょっと気づかなかった。気まぐれなあみだに感謝だな。
「では少年。私がどうして催眠術なんていう不確かで眉唾な方法をトム宗谷に試したか、わかるか?」
第二問。明確な理由なんてあるのか?
「バカだから?」
「ここにいない人の悪口を言うんじゃない」
いやおもいっきり目の前にいるんだけど。
「バカだからじゃないなら、わかんないです」
素直に首を横に振ると、先生は僕の不甲斐なさを笑い飛ばすこともせずに、
「七がな……。七が、記憶をなくしてたからだよ」
と嘆いた。
「七はな、殺人事件のことを一切覚えていないんだ。何年か前に喫茶店で、おしゃれな喫茶店で、お互いの男日照りという生傷を舐め合っていた際に、流れで学生時代の話になったんだが」
情報を素直に端的に伝えることのできない先生はさらに続けて、
「七も男付き合いに縁がないと聞いてその日の私は機嫌が良くってな。学生時代の話のついでに殺人事件に言及したのさ。それこそ、よくぞ殺してくれたとすら言ってやろうと思ってたんだが、七は事件を一切覚えていなかった。初めは罪を隠そうととぼけているのかと勘ぐったが、どうにも嘘を吐いているようには見えなくてな」
机の上の手紙を優しく撫でる先生。
「やっと理由がわかったよ。この手紙を残した後も、七は一人で苦しんでたんだ。そして苦しみ抜いた末、良心の呵責と口を閉ざし続ける苦痛で、あいつの心は記憶の放棄を選択したのだろう。あいつは正義感が強くて単純で、思い込みが激しいところがあるからな」
長年連れ添った友のみが知る七さんの一面。僕からすれば、七さんはいつも元気で明るいお姉さんって感じだけど。
「要するにだ。記憶はなくせるということを私は知っていたのさ。だから手始めに催眠術なんていうデタラメな手段に打って出たんだが、やってみるものだな。面白いようにかかってくれた。トム宗谷もまた単純だったんだろう。おかげでぶん殴る手間が省けたよ」
ふふっと口元を緩め、熱を測るように額に手を当てる先生。
自己防衛のために記憶を手放した七さんと、そんな彼女を守るために記憶を奪われた智則くん。七さんが忘れた犯人隠避という罪は、友を思いやる先生の気持ちを悪意に変えて、
急場しのぎの人身御供。智則くんにとってはとんだ災難だったわけだけど、肝心であろう記憶は取り戻させてやったから問題はないと思う。少し歪めてあるけどさ。
「最初は、脅されてると思ったんだ」
「脅されてる?」
「そうさ。私のテストに『赤い服の美女』と『殺人犯の名前は七』だぞ? これをネタに私をゆすろうとしてるんじゃないかと思ってこの部屋に呼び出したんだよ。話を聞いてみるとそれはゆすりのネタではなく小説のネタだとわかったんだが、それもそれで問題だった」
「問題って?」
「少年はトム宗谷の小説を読んだことは?」
「ありません」
僕が読んだのは本に巻かれたバカの推薦文だけだ。
「それは残念。知っての通り私の担当科目は勉学の花形である国語だから、トム宗谷からはよく文章の動かし方なんかについての相談を受けていたんだ。そんな縁で奴の小説を読ませてもらったんだが、これが存外面白い。さすがあいつの弟だけある」
「そうなの? 僕も読んでみようかな。実はお土産で一冊貰ったんですよ」
「一度読んでみるといい。素晴らしいぞ? 特に、キャタピラが沼にはまって身動きが取れなくなったララを、
「それ笑うとこじゃねーの?」
しかも読むことを勧めておいてクライマックスを盛大にバラしてないか?
「笑うだなんてとんでもない。感動巨編さ。注意散漫で普段は二つのことを同時にできない私が、本を読みながらページをめくれたくらいだからな」
「それ二つのことじゃねーよ?」
ツッコミを受け、とぼけた面持ちで優しく微笑む先生。
「で、小説のネタだとしても問題だったってどういうことだよ」
質問から答えまでが一直線だったためしがない。不本意だけどここらで漫才は割愛して、本線に戻らせてもらおう。
背もたれに身を預けた先生はゆっくりと髪を撫でながら、
「その時はまだ七が犯人だと思ってたからな。あれほど素晴らしい小説を書く奴が次回作の題材にあの事件を選んで、なにも起きないはずがないと思ったんだ。だから先手を打った」
「それでテスト用紙を破って、記憶も奪ったのか」
「偶然が実を結んで、真実に肉薄するのを恐れたのさ」
消え入りそうな声で言い終わると、たおやかな所作で煙草に火を灯した。
「校内って絶対に禁煙ですよね?」
「当たり前だろ。大丈夫か? 少年」
「あんたにだけは言われたくねーよ」
煙を吐き出すと同時に「ははっ」と笑う先生。その表情からは、先ほどチラついていた不安や緊張といった負の感情はすっかり消え去っていた。
「ところで少年」
胸の前でモジモジと手を絡ませ、取り払ったはずの不安を顔に浮かべる先生。
「どうしました?」
「タイムカプセルを開けたみたいだが、もしかしてアレ、見ちゃった? 私が残した……あの……」
直後、先生の命運が尽きた合図かのように五時間目の終了を告げるチャイムが鳴る。
「なんのことですか?」
僕はとぼけて、七さんの手紙を回収してからドアに向かって歩き出す。真犯人に思い至ったのかとヒヤヒヤしたよ。
「いや、わからないならいいんだ。気にするな」
その声は、猛吹雪の中で明かりの灯った山荘を発見した時のような安堵の響きに包まれていた。上機嫌に煙草までふかしてるけど、その山荘の中は惨劇の舞台だと思うぞ?
ドアを開けて一歩だけ廊下に踏み出した僕は、先生の顔をしっかりと見据えて今この状況で一番ふさわしい言葉を放つべく口を開く。
「百連発とまではいかなかったけど、冬のごちそう、おいしかったです。わっしょい!」
本日二回目となるわっしょいとともにドアを閉めると、「しょーねーん!」という悲痛な叫びが静寂を守っていた廊下に響き渡る。
「スタイル良いお姉さんの顔の上に私の顔写真を貼って、二十五年後には私もこうなってて欲しいと願いを込めてたことは、お願いだから黙っててくれ!」
「そんなことやってたの!?」
ドア越しにとんでもない事実を浴びせられて思わずドアノブに手をかけそうになったけど、ギリギリのところで思いとどまる。
晒した恥にはツッコミが薬になるけれど、今回はおあずけだ。
七さんを守ろうとしたとはいえ人様の記憶を奪ったんだから、このくらいの罰はあってもいいだろうよ。
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